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第二話 グッドモーニング・ベリーベリーホース

日曜日。時刻は朝の七時ちょうどだった。

葵と乾は勝浦の朝市を訪れていた。朝はあまり強くない玄野の代わりに、食料品の調達に来たのだ。

市場は陽が昇りきる前から賑わっていた。人間や犬や鳥などの獣人が、何人も路地を行き交っている。

ネコ科の獣人の姿はほとんどなく、近所に住んでいると思われるペルシャ猫の女がパジャマ姿のまま、クラムチャウダーを買っているくらいだ。

魚屋の屋台には立派な一尾売りのブリや、アワビやハマグリといった貝類、ザルに入った海藻が並んでいて、近くを通ると磯の匂いが漂ってくる。

地元の野菜や果物を売る八百屋は、地面に敷いたブルーシートの上に人参や大根やブロッコリーといった色とりどりの冬野菜を広げていて、思わず目を引かれてしまう。

裏の小道では、果物屋の若い男が折りたたみ式のテーブルで、大多喜産のはっさくをザルに入れて六個五百円で売っていた。

「こんな朝早くに付き合ってもらって、申し訳ないですね」

乾は穏やかな笑みを浮かべたまま、気を遣うように言う。

「いえ、お給料を貰っていますので」

葵は微笑み返す。

玄野は早朝手当と理由をつけて、高校生のアルバイトとしては破格の時給二千円で、葵に買い出しの手伝いを依頼した。

正直なところ、葵が買い物に同行する必要はなかったかもしれない。

長年、玄野の下で働いている乾のほうが、好きな食べ物や買うべきものについては詳しいだろうし、彼一人で事足りるだろう。

それでも葵に買い出しの依頼をしたのは、少しでも早く資金を稼げるようにと、玄野の心遣いなのかもしれない。

葵はなんだか申し訳ないような気がしたが、同時に玄野の優しさを嬉しく感じた。

この時間にも給料が発生しているし、自分のことをこれだけ気にかけてくれているのだ。

玄野の役に立ちたいし、喜んでもらえるような買い物をしたいと心から思った。

「根菜は長持ちしますから、多めに買っておきましょう」

乾は八百屋の男と世間話をしてから、大根二本と人参が五、六本ほど入ったカゴ三つを買った。

「私に持たせてください」

「大丈夫ですよ」

「せめてこれくらいはしないと」

「女性が持つにはちょっと重いので。牧野さんは皆で食べるおやつを探してください」

時給二千円も貰っているのだから、せめて何か働かなくてはと荷物持ちを申し出たが、乾は決して葵に荷物を持たせようとしない。

申し訳ないと思いつつも乾の気遣いに感謝し、菓子の屋台を探す。

すぐ近くにあったのは、スコーンの屋台だった。四角いスコーンは黄金のような焼き色がついていて、袋越しでも甘く香ばしい匂いが伝わってくる。

プレーンの他に、オレンジのスライスが乗っているものや、生地にブルーベリーが混ぜ込まれているもの、バナナ味の生地にチョコチップが入ったものもあった。

「玄野さんはスコーン食べますか」

「甘いものは好きでしたね」

「どの味が良いでしょうか」

「牧野さんが選んでくれたなら、どれでもきっと喜びますよ」

乾に聞いても、具体的な答えは返ってこなかった。葵自身が選べということなのだろう。

葵は、研究所で食べていたおやつを思い出す。

金曜日はバターのクッキーとシフォンケーキだった。シフォンケーキはいくつかの味があった。プレーンと苺と、葵のために用意したであろうチョコバナナ。

木曜日は大袋の揚げビスケットだった。大皿に山盛りになるくらいの量があったけれど、甘すぎなくて程よく塩気が効いていて食感は軽く、いくらでも食べられそうだった。

火曜日は黒糖のキャラメルとちんすこうだったが、あれは土産物らしいし、玄野が自分の好みで用意したわけではないだろう。

その他にも果物のジャムが乗ったクッキーや、個装の小さなバームクーヘンなど、色々なものがあったけれど、玄野の好みはいまいち見えてこない。

チョコレートはあまり出てこなかったから、好きではないのかもしれないという程度だった。

迷った末に、プレーンのスコーンを三つ買うことにした。

「シンプルなものが一番美味しかったりしますよね」

「だと良いんですけど」

玄野は葵の好みを覚えていたが、葵は玄野のことを何も知らなかった。何が良いか分からないから無難なものを選んだだけだ。

逃げとも言える選択であったが、乾は優しく肯定する。

どれを選んでも、この男は否定などしなかっただろうなと思う。

仮にチョコバナナ味を三つ買ったら「葵さんの好きなものなら間違いないですね」などと言うのだろう。

「スコーンに蜂蜜合うよー。どう?」

そんなことをぼんやりと考えていたら、蜂蜜の試食販売の屋台の男が、親しげに声をかけてきた。

小瓶に入った蜂蜜はそれぞれ季節や花の種類のラベルが貼られており、淡い琥珀色やカラメルのような深い茶色など色も濃度も違っていた。

同じ蜂蜜でもこんなに種類があるのかと、葵は目を丸くする。

「これが今年の秋に採れた蜂蜜だよ」

「少し癖がありますね。スパイスみたいです」

何種類か蜂蜜を試食して、春の花のミックスの蜂蜜を買うことにした。

癖がなくて、さらりとして軽くて一番食べやすい。またもや消極的な理由だった。

博士の好きなものはないかと考えていたときに、とある屋台が目に入る。

大きな木製の車輪がついた、古めかしい馬車のような屋台だ。

店主はいかにもといった感じの芦毛の馬獣人の男で、背丈は玄野より少し低いが、がっちりとしていて体重は遥かに重いだろう。

『Coffee&Beer TIROL』と書かれた手作りの看板が出ており、路地にはほのかにコーヒーの良い香りが漂っていた。

「玄野さん、コーヒー好きでしたよね」

ようやく好きなものを見つけたと言わんばかりの葵を、乾は口に人差し指を当てて、もう片手を振り制止する。

少し歩いてから、乾が切り出した。いつもの乾からは想像もつかない、厳しげな口調で。

「あの馬に関わっちゃいけません」

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