第八話 王都均衡会議
冬が明け、王都の鐘が三度鳴った。
その音は、戦の終わりではなく、“制度”の始まりを告げるものだった。
――〈均衡会議〉。
北境動乱の鎮静から一月。
凡庸同盟の鎮圧が「流血を伴わなかった前例」として国内外に広まり、王都は新たな統治構想を立ち上げた。
“凡庸の理念”を王制の中枢に組み込み、権力の偏りを抑えるための新会議。
名目上は「調和の制度化」。
だが、実際には――理念の奪取だった。
会議は王城の“白塔”で開かれた。
白大理石の床、陽を透かす天蓋、そして、誰よりも多くの目。
貴族、商人、軍務官、教会代表――それぞれが「均衡」を自分の都合の言葉に置き換えていた。
「均衡とは、税の公平だ」
「いや、均衡とは法の対称性だ」
「人の命も、数字も、等しく扱われるべきだ」
私の言葉を借りた彼らは、私の意味を一つも知らなかった。
円卓の上に置かれた議題は、ただ一枚の紙。
――〈凡庸法〉草案。
王国が“凡庸”を制度として管理するための法。
その第一条を読んだ瞬間、私は拳を握った。
第一条 凡庸とは、王の中立を補佐するための均衡官を指す。
凡庸官は、いずれの階級にも属さず、ただ王命のみに従う。
――王命のみに従う。
それは、凡庸の死刑宣告に等しかった。
均衡を支える手を、秤の片側に縛りつけるというのだ。
アリアが隣で筆を止め、私を見た。
彼女の灰色の瞳は、静かに怒っていた。
「彼らは“均衡”を理解していません。
王命に従う者は、すでに片側に立っています」
「……俺たちが、もう一度、言葉を取り戻すしかない」
私は立ち上がった。
円卓の向こうに座る王を見た。
「陛下。
凡庸法は、理念の骨を折る法です。
均衡は上意の従属ではありません。
それは、“意志を持って支える”ことです」
王の顔は静かだった。
だが、その眼差しの奥に――僅かな疲れが見えた。
「ルーク。
私は均衡を信じたい。
だが、国をまとめるためには形が要る。
形がなければ、人は不安に沈む」
「その形が、人をまた縛るのです。
凡庸は、形を守るための手ではなく、形を壊さずに動かす指です」
議場がざわめく。
アリアが筆を走らせる。
――“凡庸、秩序の中で語る”。
王はしばらく黙り、そして口を開いた。
「……では問おう。
お前の言う“凡庸”とは、何に従う?」
「――心の針に、です」
沈黙。
誰も息をしなかった。
私の声だけが響く。
「権力は天秤の片側に乗ります。
富も、名も、信仰も。
でも、針だけは真ん中にある。
凡庸は、その針のわずかな震えを読む者です」
王の瞳がゆっくりと細くなる。
長い沈黙のあと、低く笑った。
「――詩人め。
だが、悪くない」
その晩、会議は中断された。
凡庸法は保留となり、再審議の期日だけが決まった。
だが、王都の夜は静かではなかった。
街のあちこちで「均衡派」と「中央派」の小競り合いが起き、
王城の外壁には、“針”を模した印が刻まれていた。
アリアと私は城外の宿に身を寄せた。
窓の外では、鐘の音が遠くに続いている。
「……均衡は、形にならないからこそ、怖いのですね」
アリアが呟く。
「人は、針の揺れを信じられない。だから枠を作る」
「俺たちの仕事は、枠の外で針を見ていることだ。
たとえ、その針が自分を刺しても」
アリアが筆を閉じ、余白に最後の一行を書いた。
――“凡庸、制度に抗う”。
夜半、扉が叩かれた。
公爵からの伝令だった。
封書の中には短い文があった。
「北境の雪が赤く染まる。
均衡は奪われた」
私は手紙を握りしめ、アリアを見た。
彼女もすでに立ち上がっていた。
瞳に宿る光は、決意のものだった。
「ルーク。
もう“凡庸”を守るだけでは足りません。
――奪われた均衡を、取り戻す番です」
窓の外、夜明け前の風が冷たく吹き抜ける。
遠くで鐘が一度だけ鳴った。
均衡の針が、再び動き出す音に聞こえた。
次章予告:第九話「針の誓約」




