59 奪われた平穏、燃え尽きた未来
メルポポの交流区では食料の問題が表面化した。交流区も手を焼いているのだ、街道まで当然手は回っておらず、特に食料が狙われていたのである。
そうしたことで、このまま街にいられるのか不安がさらに募っていく。昼も夜も、内部区の付近では、妖精達に食料の要求と状況の打開を求めるデモが行われるようになってきた。
蒼月采蓮は、夜の見回りが終わり自室へ戻ろうとしたとき、内部区との境目で周囲から彼女に様々な声が飛んだ。
内部区にいるのだから、妖精に直談判してくれとか、食料の問題がなさそうで恨めしいとか、警備してまわっているけど結局内部区でぬくぬく過ごしてるんだろうとか、嫌味や、懇願、さまざまなものが混じって、彼女は逃げ出した。結局、内部区に帰るに帰れなかった。
怖かった。
居心地のよかったメルポポが、崩れ去り、混乱し、これから明るい未来が、道場で、飲食店で楽しくやっていけると思ったのに、どうしてと思った。
さきほどの民衆の声で、交流区の人通りの多い場所も怖くなっていた。
私に対しても、最近は、特別扱いされている、といった反感の声が聞こえて来ていたが、もう、我慢できないところまで来ていた。
私の大事な場所が消えていく。空っぽの私が安らげる、唯一の場所なのに。
ふらふらといつの間にか、道場まで来ていた。
もう暗くなっているはずの道場に明かりがついていた。
入ってみると、ポトフさんやバルドさん、師匠もいた。どうやら、夜の非常時に備え、バルドさんはここのところ道場で寝泊まりしているようだった。
事務室で暖かい飲み物を出してもらって一息入れる。
「完全に扇動されてるし、たぶん、内部区のデモにはさくらも紛れ込んでるだろう」
師匠は深刻そうに言う。敵の組織が分かっても、別に個人が特定できるわけではないのだ。
「どうもできないの?」
「混乱はしのぎ切れればなんとかなる。が、相手はキルクスでここまで強引に動いている。メルポポがたいそう気に入らないんだろう。でだ、嫌がらせして終わると思うか?」
「もっとひどいことが起こるの?」
「確証はないがバルドはどう思う?」
「自警団の編成が間に合えば相手は失敗、そんな中途半端なことに、ここまでやらないでしょうね。混乱に乗じて、最悪な事態を起こすことはあり得るでしょうが……ただ、メルポポは交通の要になる橋や象徴となる城、そういった陥落させればいい場所はないんです」
「ポトフはどう思う?」
「わかりません、これ以上酷いことは起こってほしくないですね」
「アオツキ、敵の視点で考えるんだ、城や橋といった都市の象徴に代わるものはないか?」
「わからない」
それは恐ろしい話だった。あの騒乱がなにかの前座なのだとしたら、最後には何が起こるのだろうか。
「あと、イリノ町に確認しましたが、キルクスの人間を町に入れた覚えはないとのことです」
バルドが言う。
「どうせわかってないだけってのがおちだな」
気がつくと、私は泣いていた。
「大丈夫だ、メルポポがどうにかなっても、俺が面倒みてやる」
「違うの……私のことはいいの……ただ、メルポポがこんなになっちゃってぇえぇえぇ」
「悪い、少し寝る、緊急時には起こしてくれ」
そう言ってブライは寝た。
あれだけいろんな能力を持っているのに、何もできない自分が腹立たしく、改めて自分は空っぽなんだと痛感させられる。もう、こんなのは、嫌だ。
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道場の屋根まで能力で登った采蓮は、青い月に照らされて、交流区の混乱を見た。今は夜にもかかわらず罵声が所々で飛んでいる。見たくない光景、楽しかったあの場所が変わってしまったことが一望できてしまった。
采蓮は、以前の穏やかな日々を思い出した。道場での訓練、友人たちとの笑顔、飲食店での賑やかな日常。
「こんな平穏を奪われたくない……私の、唯一の居場所を……」
采蓮は頭を抱え、立ち上がることができなかった。
「だれか……助けてよ」
そうして、彼女はここにきてこれまでのことを思い出しながら泣いていた。それらは、彼女にとって大切なこの場所での宝物だった。許せないとかではない、どうにもできないことが悲しく悔しく、そしてまたかと、思うのだ。また、手に入れたと思ったものが手から零れ落ちてしまう。
ふと、付き合っていた彼氏に、振られた時のことを思い出す。「君は重すぎて僕じゃついていけない」そんな言葉だった。もっと優しくしてよ。優しくあってよ。妖精さんだって、理屈抜きで動いてほしかった。
泣き叫ぶ思いはどこにも届かない。ただ、暗闇に消えていくだけだ。
そんなとき、奇妙な光が二つ、交流区の入口よりさらに東側で打ち上げられ爆発した。それは何かを壊すようなものではなかった。
だが、采蓮は、気持ち悪いと感じた。いやな予感がしたのだ。
ほどなく、山が揺れ始めた。ズズズズズと揺れたかと思ったらゴゴゴゴゴと音は大きくなり山全体が震えはじめた。
とっさに采蓮は、魔術で見えるよう山を一気に光で包んだ。見えたのは、山崩れだ。それがメルポポへと迫ってきていた。
交流区の人達も光を放ったことで気づいたようだ。師匠やバルドさんも出てきた。しかし、しかしだ。どう止める?
采蓮は魔術書を読んでいたことでシールドの魔術も使えるようになっていた。とはいえ、規模が大きい。しかし、そんなことは言っていられなかった。
彼女は、メルポポに内部区も交流区もかかわらずすべてにシールド魔術の応用、結界、それも巨大なものを一気に張ったのである。
「おぉぉぉぉぉぉああああああ!」
その結界に阻まれて、土砂はメルポポの領域を超えて気に流れていく。しかしすぐには収まらない。
絶え間なく流れる土砂に、采蓮は耐え続けた。
「私が、守るんだ!」
気がつくと土砂は流れ去っていた、そして、間髪入れずにブライは動き出した。そう、これを引き起こした連中が山の上にいるのが見えたのである。
土砂が流れ切ると、采蓮は腰から崩れ落ちた。そして、結界が解かれた。結界の上に残っていた土砂が交流区を襲う。采蓮はちゃんとやり切れなかったことに後悔する。詰めが甘かった。
ほどなくして、幾人かの敵を捕縛したブライが道場の中へ帰ってくる。
そのころには采蓮は道場の中にいた。
采蓮は、結局守り切れなかったことに絶望していた。
「アオツキ、お前のおかげで最悪は防げた。それでよかったじゃねぇか」
だが、彼女にとっては良くなかった。結界が解いたとき、岩によって被害を被った建物がいくつもあったのだ。もう、彼女にとっては我慢は限界を通り越しており、そこには燃え滾る黒い思いだけが満たされていた。
采蓮は胸の奥で何かが崩れる音を聞いた。全身が熱くなり、手が震えた。
「私は、もう何も失いたくない……」
そう呟きながら、彼女は無意識のうちに立ち上がり、彼女の周囲では黒い炎がにじみ出て、怒りのままに行動を開始した。
「行ってくる……これ以上、私から奪わせない」
その異常な状態に危機感を感じたブライは声をかけた。
「行ってくるって、どこに行くって言うんだ」
しかし、ブライが止める間もなく、彼女は空を飛び、とてつもない速さで行ってしまった。
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キルクス王国の夜の都市に、高速接近する飛翔体は瞬く間に都市の一角に大きな衝撃を与え粉塵を巻き上げ着地した。周囲はその衝撃で破壊の波紋が広がったが、そうかと思うと、黒い炎、灼熱がが一気にその着地した黒髪の少女を中心に爆発し、あたり一面が燃え広がっていく。
「どうして、私から奪うの」
近くの人々はそれに気が付くかどうか、そんな瞬く間に灰へと変わり、その灰は空へと昇り、骨だけが残って崩れ落ちていった。
どうして……どうして私だけこんなにも奪われるの?幸せなんて、掴んだと思えばすぐに手から零れ落ちてしまう。もうこうするしかない……私の大切なものを壊し続ける連中が存在する限り、私は平穏を得られない。全てを消し去るしかないんだ。この黒い炎で、彼らの存在そのものを消してしまえば、もう誰も私の宝物を奪えない。私が守る、最後まで。
彼女は一歩進むごとに、その黒い炎はゆっくりと都市の中央へと進み、被害が拡大していく。
遠くでその黒い炎を目撃した都市の人々は、初めは何が起こったのか理解できなかった。しかし、瞬く間に響き渡る悲鳴、燃え上がる建物、そして木々が灰になる様子を目の当たりにし、パニックは広がっていく。何かを持ち出そうとする間もなく、人々は我先にと逃げ出した。振り返ることもできないほどの恐怖が彼らを支配していた。
そうした人々を見た人々はさらに混乱して逃げはじめ、建物の中にいた人も何事かと外へ顔を出しては、逃げ惑う人の先に黒い炎を見て、着の身着のまま逃げ出すのだった。
黒い炎は建物の石壁を舐めると、瞬く間にその表面が赤熱し、やがて溶け出した。煉瓦や石がドロドロに溶解し、溶けた岩が足元に流れ落ちる。木材には一瞬で黒焦げとなり、建物全体が燃やし溶かされ崩壊していった。
そして、街全体が一気に黒い炎に覆われ、溶けた瓦礫が無残な姿をさらしていた。
そしてそれは、一つの都市だけに終わらなかった。キルクス王国全土が襲われたのである。
しかし、対応などできるはずもなかった。何せ一晩での出来事なのだから。
そうして一晩経った朝、キルクス王国はかつての繁栄が嘘のように、朝日が照らす焼け野原へと変わり果てていた。美しい石畳の広場や、歴史を刻んだ城壁は、黒い炎によって赤く溶け、その一部は流れ出して地面に広がっていた。かつて賑やかだった市場のすべてが黒い灰の下に沈んでいる。
全てを焼き尽くしても、少女の心には平穏は訪れなかった。メルポポを守るために、キルクスを滅ぼした。だが、それでも不安は消えない。――もし、また別の脅威が現れたら? 結局、私は何も守れていない…… これ以上、どうやって生きていけばいいの?――采蓮は静かに立ち尽くし、崩れゆく自分自身を感じていた。
キルクス王国でわずかに生き残ったのは、運良く難を逃れた小さな村や、王都から遠く離れた丘陵地帯に隠れ住む者たちだけだった。
王国を抜け出したところだったルド・パルクと、それを支援したマリーア・ドルストンは、リーディア国内の国境付近でその光景を目撃し、あまりの恐ろしさに抱きしめあっていた。
「一体何が起こってしまったの?」
「わからない。けれど、僕たちは生きている。その幸運を、今はかみしめたい」
キルクス王国の周辺国でも、同様にこの一大事を観測していた人達がいた。
後にこう言われるようになる――妖精の里メルポポに牙をむく者は、黒い炎に焼き尽くされ、国も民もすべて滅びる。その噂は、長く人々の記憶に刻まれ、誰もがその恐怖に怯え続けた。




