53 メルポポに春が来た
春の訪れとともに、メルポポ交流区では人の往来が増え、居住区の建築も再開された。バルドも建築の仕事を手伝っている。
メルポポからイリノ町への交通は、列車も人が乗れるようになり、さらに人の行き来が活発になってきた。
飲食店の店長レックは、お店の移転先を探し始めている。アオツキがずっといるわけではないのでそれも考慮して、維持費が払えるそんな建築予定の建物を探していた。
冬でメルポポから出立し帰ることができなかった人たちも続々と帰りはじめている。プルクエーラもその一人だ。ブライとはまた縁があったら会えるだろう。
道場から帰る蒼月采蓮 (あおつき あやね) は、楽しみにしていたメルポポ書店に少女コミック雑誌『ばらの園』の最新刊のを購入し、内部区の自室に戻る。今では妖精さんとも気軽に相談できるようになっていた。
采蓮は自室に戻るとコミック雑誌を読み始めた。スマホなどの娯楽のない社会に、自らお願いして勝ち取った砂漠のオアシスである。なんとなく元ネタはわかるけれど『貴族様の事情』はなかなか良い。繊細なタッチで描かれるキャラクターやぽわぽわの背景表現、そして男女の恋物語。相対する貴族の家に生まれたそれぞれの男女が恋に落ちてしまう、そんなお話だ。元ネタはバットエンドじゃなかったかな。
ちなみに、マンガは描けないか試してみたところ、あまりうまくいかなかった。交流区で紙とペンを買って、とりあえずできる範囲でと思ったのだけどうまくいかないのだ。ただ、全くうまくいかないかというと不思議とそうではない。道場で、皆の似顔絵を描いてみると、いい感じに書けるのである。リアル調だからいける、のかもしれない。たぶん、元の世界のなんらかの能力はどうやらもっていなさそうである。つまり、私が獲得しているのは、この世界の能力ではないかと思う。剣術や格闘、料理にしてもこの世界のものだ。そういう意味で、私はなにか理由があって、使命があって召喚されたのではないだろうか。
ふと、食事をもってやってきた妖精さんに聞いてみる。
「ねぇ、私がここにいるのは何か使命があるからだと思う?」
「アオツキ様をこちらの世界に呼び出した誰かに意図はあったのかもしれません。ですが、それに従う必要もないのではないでしょうか。そのような存在がいたとしても従う義務はありますか?」
「それは、ない、と思う」
「はい。アオツキ様はご自身を大切にしてください。他者にいいように踊らされてはいけません。何がやりたいか、しっかり考え、なければ育むのがいいでしょう」
そう言われてもよく分からない。この世界に来るまでの人生は、なぜか最終的には失うことばかりだった。いつしか、人から距離をとる、もういいや、そうなっていて、あまり望むこともなくなっていたように思う。だから、今は幸せである。ただ、やりたいこと、が何なのかよく分からない。道場のことも飲食店もできることで、それぞれ楽しい。うん、楽しい。それではいけないのだろうか。
すこし不満があるとすれば、ちょっと元の世界の料理が食べたい、そんなふうに思った。お米が恋しい。
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魔族領妖精区ムルププの学校は、軌道に乗りはじめ、じょじょに授業が成立するようになってきたのである。
教室内で、やや騒がしくする場面もありながらも、算数の授業が進んでいく。今なされているのは、一桁の足し算である。両手でできる計算の基礎である。三足す四をするとき、両手をグーに閉じる。そうして、まずは指を三つたて、次に四つたて、そのご立った指の本数を数えればいい。そんな基礎的な練習が行われているのである。
並行して、国語の授業で読み書きが行われている最中で、まだまだ、文字を書く、読むということにも皆慣れていないのである。
こうした状況にかわってきたのはムルププブックスのコミック雑誌の影響と、ゆっくりと順応してきたことの二つが合わさったからだ。学校にくる意欲は、放課後にマンガが読めるというのも大きい。いろいろ、失敗もあったが、順調に進んできているのである。
反面、子供たちにそんなことが必要なのか、と懐疑的に思うものも多い。一時的とはいえ、部屋に閉じ込めるのは不健康だ、とか、農作業などをさせたほうがいい、外で遊ばせて体力をつけたほうがいい、といった意見だ。まだ、子供たちが勉強したことでその成果が出ている段階ではなく、どうしても疑ってしまうのである。
一方、都市エンシュラティアの文化発展部にいるハナージャ達は、魔族独自の貨幣の鋳造にとりかかっていた。また、それを広く使ってもらうため、売り買いできる市場も設置予定である。もともと、物々交換だった一部を変えていく形で始める予定で、まずはお金を使うこと、を理解し、慣れてもらう必要がある。
貨幣については、金と銀をそれぞれベースにしつつも、魔術加工を施し、瘴気をうっすら込めることで、偽造防止を狙っている。
ミリシアとハナージャ達は相談した結果、ムルププブックスで取り扱う漫画にも、貨幣という概念を説明するようなものをさりげなく混ぜていくように話が進んでいる。
まだまだ時間はかかるだろう。しかし、魔族領は小さな一歩を確かに踏み出したのである。
学校の教育、貨幣の流通がかみあえば、もっとお金を稼ごう、という流れもでき、そして産業は発展していく。そうすれば、人間側への侵略でいっぱいだった視野も変わってくるだろう。
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サナムーン王国の特使はようやくメルポポにたどり着き、交流区での妖精との会談にこぎつけ、会議室へと通された。
一人の妖精が宙に浮いているのを見て特使は緊張していた。不思議な存在なのだ。
「ご用件をうかがいましょう」
「はい、サナムーン王国から参りました。ぜひ、サナムーン王国でも魔獣討伐をご依頼したいのと、首都サナサは食料や物資が少なくなり瘴気に覆われ危機に瀕しております。瘴気をどうにかできないか、技術や情報の提供や、研究をお願いしたく」
「あなたはサナムーンからの正式な使者ということでよいですか?」
「はい、もちろんです」
「まず、魔獣討伐に関して、サナムーンへも我々と交易を一定の条件でしていただけるなら対応しましょう。条件の相談は、後で行う者と相談してください」
「ありがとうございます」
「瘴気に関しては技術をもちあわせていません、採取が困難であり研究も進まないのです」
「こちらも、研究しましたところ、人体を用いた採取では、採取者が瘴気に侵されるとのこと、存じております」
「危機に瀕しているとのことですので、緊急の食料、物資、などの支援はできると思います。こちらも交易の条件がそろえば行いましょう」
「わかりました」
こうして特使は、次の場所で交易に対する条件を確定させていった。
交易を行うにあたって、主に設定される条件は、通貨、関税、品目の選定や制限、また文化的や宗教的な条件である。
砂漠のサナムーン王国は、メルポポ周辺と異なり扱っている通貨が違う。独自のオアシス金貨、ルナーヴァ銀貨、ドゥナール銅貨が流通している。それを利用した交易でよいか、悪いか、といった判断が必要になってくる。
関税、つまり国がとる手数料のようなそれが大きければ、商品は高くなり売れにくくなる。メルポポは直近の三年間、関税なしを条件に提示した。かなり強気である。
品目については、サナムーンで神聖視されている猫にまつわるもの全般、麻薬などは制限が多く、その他はおおむねリーディア商業連合国などと近い内容となった。
特使としては、強気のメルポポ側の条件も飲まざるおえない、という状況であった。
そして、メルポポは、サナムーンでの魔獣討伐依頼の収集場所の設置と、首都サナサへの緊急物資の対応に乗り出したのである。
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メルポポ書店は規模を広げ、リーディア商業連合国の他、許可を得られた周辺諸国でも販売が開始されている。キルクス王国はもちろん許可を得られなかった。
蒼月采蓮の提案と、ミリシアがムルププではじめたコミック雑誌を参考にし、メルポポ書店でも、少年マンガ、少女マンガの雑誌を週刊で四作品ずつ掲載されたものが販売されるようになった。
この雑誌により、子供たちに楽しみが増えた。また、雑誌には、メルポポの近況を伝える情報、例えばメルポポ道場や列車についてが掲載され、メルポポがさらに知られるようにもなっていった。
こうした、雑誌のスペースに広告などを載せたい、という意見が多数寄せられ、それについても対応し、周辺の村や町、都市の出来事も少し紙面が割かれ、大人にも興味がある雑誌となっていった。これについてはリーディア商業連合国が、国を盛り上げたい、結束力を高めたいという思惑もある。
結果、子供も大人も雑誌を買うようになり、そこで注目された一つが少女コミック雑誌『ばらの園』に掲載される『貴族様の事情』である。
大衆からは、貴族のありようが見えるという点や、敵対する貴族の家に生まれながら、禁断の恋をしてしまう、そういう恋愛について、いわゆるタブーを踏み越えようとする物語はどの世界でも人気になるらしい。
そんな人気のものは、いくら許可を出さなかった、禁止をしたからと言って歯止めが利くものでもない。
妖精廃絶訴えるキルクス王国でも、本は別だからいいでしょうと、密かに仕入れられ、販売されていった。
このようにして、メルポポ書店はさらなる発展を遂げたのである。
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星庭神成とミリシアはリビングでお昼ご飯を食べていた。
「コルト様、もう春になりましたし、またどこかに出かけてみませんか?」
「どこか行きたい場所はあるの?」
「いろいろありますけど、コルト様はあまりメルポポを視察されてませんよね」
「うん、状況なら投影の妖精で見れるし、ミリシアのムルププと違って俺が主導してどうこうしたいわけでもないからね」
「たまには一緒に行ってみませんか?ちょっとした旅行みたいに」
「なるほど、ゲーム作りもひと段落したし構わないよ」
「ありがとうございます。ぜひ、そうしましょう」
神成は、ふと、そう言えばルージェ村にいた剣士ブライに相談に乗ってもらった後、お礼をしそびれているのを思い出した。彼は今メルポポで道場の師匠をやっているはずだ。ルージェ村のお酒でも持っていこうか。
ミリシアとしては、コルト様が作ったゲームも面白かったし、せっかくなら彼の作って発展しているメルポポも楽しんでみたいと思ったのだ。
こうして二人は、旅行の準備を始めたのである。




