51 もうそれはいけないことだ
レイナは師匠ブライが去った後、しばらくして、ザイフに言った。
「ごめん」
ザイフは、笑って言う。
「いいって」
「でもごめん、私が悪かった」
ザイフは肩をすくめる。
「わかった」
これで、できてるだろうか。
師匠が来た時、いろいろと小言を言われるかと思った。一緒にやっている仲間だから仲良くしろとか、彼女は範士なんだからちゃんと敬えとか。嫌うな、良いところもあるとか、そう言うのでもなかった。
ただ、ザイフに敵意を向けるなということだった。そっか、八つ当たりをしてたのか。それはそれで自分が残念だけど、まぁ、ね。ザイフがいっていた、柔らかくなれ、というのもそれに近いのかもしれない。
「ま、楽しく飲もうぜ」
「あぁ」
そうだ。せっかく楽しく飲める相手がいるんだ。台無しにしてどうする。
「でも、なんでザイフはそんなに余裕なの?」
「うーん、わからないけど、俺は俺だからな」
「わけがわからない、当然でしょ」
うん、ザイフの言うことはやっぱりよく分からいけど、きっとたぶん、その通りなんだろう。
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魔王領、その一角で子供たちが遊んでいた。
一人の魔族の少年はポケットからブリーフパンツを取り出して高らかにポーズをとって叫ぶ。
「へーんしん、瘴気百倍、レイズガット参上!」
そしてドヤ顔で彼は叫ぶと、人間役の子供たちが笑い転げる。
「はははは、だめだーなんてへんなやつなんだーおもしろすぎてしんでしまうー」
そうして人間役の子供たちは死んだふりをする。
そんな遊びが流行していたのである。これは『おパンツ魔王さま』のとある一ページのことで、とても印象に残りつつ、真似もしやすい、そんな理由から子供たちの間でもてはやされたのである。
なお、キメ台詞の最後の一コマだけ、なぜか魔王さまは等身大の魔王レイズガット様が威厳たっぷりでややリアルでありながらコミカルにパンツをかぶっているのである。よく、たまにキメ顔だけ、イケメンになったり、カッコよくなったりする、そんなコメディが存在するのだ。
さらに、この主人公の魔王さまネタはたくさんあり、パンツが濡れて力が出なくなったり、「我こそはパンツにひざまずくがいい」と珍妙なセリフを言ったり、それでいて本気を出すととんでもなく強くてなぞに頼れるのである。
そんな感じで魔王様の名前を子供たちがパンツをかぶって叫んでいたら当然だが、周囲の大人も注目する。そして手に取って確認する。
誰もが思った、いや、さすがにこんな表現は不敬ではないかと。こんなマンガあっていいのかと。子供に悪影響ではないかと。魔王様の尊厳にかかわると。恐れるものもいれば、そうは思えどもつい笑ってしまった者がたくさんいたのも事実だった。
だからこそ、大人たちも噂し、広め、瞬く間にマンガは売り切れ、まだ読んでいない人は誰か貸してくれと求めはじめるのだった。
そして一方、少女向けの『ふわり』の最後の作品、魔王様と人間のお姫様の恋物語も、話題になっていった。
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「ミリシアさーーーーーーーーーーーーーーん!」
と、大声でミリシアを呼んで大急ぎで彼女の自室の扉をノックしたのはコルトこと星庭神成だ。
口をパクパクさせてせわしなく上下する神成とは別にミリシアは平常運転、何事かとふわっ立ち上がり、ゆっくりと扉へ近づいていって、てとてとてと、扉を開けると、顔面蒼白で絶望に打ちひしがれつつも倒れること中られ進むんだとおかしくなっている神成がいてミリシアはきょとんとした。
「どうしましたコルト様?」
「肖像権って知ってます!肖像権!この世界にはないけど忘れちゃいけない肖像権。モデルにするにしてもホントは元ネタはそうなんですけど分かる人にしか分からないようにとか風刺的に表現するとかもっとあったでしょ!」
これまで彼がこんな表情で、怒って?混乱して?絶望して?慌ただしく迫ってきたことなど一度もない。緊急事態であると察した。
「どうしたんですか、落ち着いてください」
どーどーどーと促すも、ヒートアップするばかり、陸に打ち上げられて死にかけの魚が最後、残った力で精いっぱい暴れている最後の時のようだ。
「無理!これ!ダメーーーーーッ!」
よく見ると彼は手に少年ダッシュを持ち『おパンツ魔王さま』のキメシーン、まぁ、なんて本物そっくり魔王レイズガットにうりふたつで凛々しくパンツをかぶった姿がポーズをとってキメ顔のあのページだ。彼にミリシアは落ち着くよう穏やかにつたえる。
「そんなに実在する人物を描くのは問題ですか?日本のゲームやアニメでも、実在の人物を面白おかしくときに実在の兵器を人間にして主題にしているじゃぁないですか」
されど、彼の様子は変わらない。裏返った声で彼は叫ぶ。
「今生きてる人のネタなんて直接的にやらないのぼかすの!もう死んだ歴史の人だからいじっても許されてんの!」
はっとしたミリシアは、じょじょに恐ろしさがこみあげてきて、顔が真っ青になりはじめる。まるでどんどんと神成の様子に同調していくようだ。
「どどどどどうしましょう!」
「どうするもこうするもない、本人が読んでしまう前に――――」
途中で妖精の声が割り込んできた。
「ミリシア様、緊急で魔王レイズガットさまよりご相談した意見があるとのことで直接お話がしたいそうです」
その言葉に、二人は肩を寄せながら魂が抜けるように崩れ落ちるのだった。
「至急、お越し下さいとのことです」
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「「このたびは誠に申し訳ございませんでした!」」
と、盛大に星庭神成とミリシアは直立不動に怒髪天の魔王レイズガットに土下座でひれ伏し謝っていた。
「コルトよ、貴様は関係ない。我は、ミリシアに話があるのだ」
「はい、私の監督不行き届きで本当に申し訳ございません」
そんな神成からレイズガットは目を離し、ミリシアをにらむ。
「ミリシアよっ、この……この……この本はいったいなんだ!」
レイズガットの手元には『おパンツ魔王さま』の瘴気百倍のシーンが見開かれていた。見開きデデンの二ページを豪華につかった印象的で最も問題なページである。
それに、あ、もう私死ぬわ、もう命ないわとミリシアは覚悟も決まらず震えてただただ目線を下に向けた。
そこからは怒涛の説教である。王としての威厳、ありよう、その大切さ、国を導く存在としての象徴とはどうあるべきか、どう作っていくべきか、怒涛の如くレイズガットはこれまで何度も復活を重ね民を率いて頑張ってきたその誇りと、その根源にある人間達への恨みと歴史までもつらつらと語っていく。
それは長い長い時間が必要だった。
やがて、
「よいか、何がパンツをかぶって、瘴気百倍、レイズガット参上、だ!」
そう、それは偶然だった、あまりに長くつらい時間、そして申し訳なさにミリシアは、そう、ごめんなさいと謝るかのようにレイズガットの顔を見た、次の瞬間、彼女はその光景があまりにもマンガのシーンにそっくりで、それが現実にこうも再現されて、魔王レイズガット様がパンツをかぶってこんなのはおかしいのだと力説しているそれを、噴き出して笑ってしまったのである。
そのとき、星庭神成の全てのスイッチがオンになった。
もうダメだと。これやっちまったと。ここで笑っちゃダメだろうと。あかんやん。
思考が切り替わった神成は即断即決である。
次の瞬間には、加速装置を作動させ思考を最大限に加速、そして思考を仮想シミュレートの妖精で並列に複数作りつつ、妖精も同様の速度で状況把握と対応策の構築を行う。
それは、まだミリシアが噴き出したつばがほんの一瞬動くかどうかの時間もない。
システムエンジニアとして培ってきた経験により、同類の問題の捜索も並行して行った。見事というか残念というか、同じような問題が少女コミックにもあることを発見する。不具合を見つけたなら、似たような間違いをしていないか探すのは定番でありそれを条件反射で彼はやっていた。それも同時に対処する。
状況分析終了、解決方法の候補を十件に絞り込み、並行してそれらの安全性と世界への影響範囲を仮想空間上で高速シミュレートする。それは言ってみれば、ウィルスソフトを見つけた瞬間に完璧で安全な最小のワクチンを作るような行為だ。
解決候補の十件のシミュレート結果から最有力の一つを選定、仮想空間上の対処妖精を現実に作成、実行。
すると、世界は一瞬で切り替わった。
目の前の魔王レイズガットはパンツをかぶっておらず、なぜ怒っていたのかも忘れ、感情は平常になっていた。
「む?」
レイズガットは状況が呑み込めていない。今まで何かしていたような、何の話をしていたのだったか。
ミリシアはまたしてもやってしまったことに再反省して頭を下げていた。
神成は、それは記憶を消し、そして、マンガの内容を二つともすり替えた。魔王レイズガットと魔族全ての記憶から、問題の記憶を消去し、魔王レイズガットの感情を平常にし、魔王レイズガットのかぶっていたパンツを元の場所に戻し、魔族領に広がったマンガ全てを内容を問題の作品の代替えをあてはめたマンガにすり替え、ミリシアには覚えていてもらわないといけないから記憶は残し、彼が何をしたか記憶を与えた。
そう、全てをなかったことにした。
「今回は貴重な意見ありがとうございました」
「う、うむ」
レイズガットは状況を飲み込めていない。
「それでは失礼いたします」
そして神成はミリシアと共に転移でその場を後にしたのである。




