17 潜入作戦
星庭神成は、リビングで実験を開始した。妖精は光の粒とともにペットボトルを机の上に召喚させたのだ。
「よし!」
星庭神成は右手を握りしめ、右腕に力を込めた。それはまぎれもなく、彼の世界のものだ。ただし、作り出したわけではない。召喚――つまり、別の場所から持ち出した、だけ。その違いが、試みの核心の一つだ。
つづいて彼の元の世界のパソコン一式の召喚を試みる。ドドデンと、彼にとって懐かしいものが現れた。久しぶりにプログラミングとかもできそうだなと思うと、懐かしさや愛おしさとともに、ほんの少し仕事の苦い思い出まで蘇ってきた。全てがいい思い出、というわけでもないが、無くてはならない大切なものだ。電気やネットワークなどは未整備なので、まだ動かせないが、それでも、失った半身が返ってきたような思いだった。
もちろんここがゴールではない。記憶といっても、パソコンのストレージというわけではないのだ。目指すは、まだ、遥か先である。さて、それができるか、それは妖精想造の能力の限界がどこまでか、を図る挑戦でもある。
目指したのは、未来の日本で販売される飲料ボトルの召喚だ。
妖精に命じると、机の上に先ほどと同じように光が募っていく。さぁ、できるのか、できないのか、呼吸を止めて俺はまぶしい光を何とか見つめんと、手で光を何とかやわらげつつ、目を細めて結果を待った。
すると、なんらかのペットボトル飲料が召喚されたのだ。
ひとまず、止めていた息をゆっくりはきだし、二回、呼吸を繰り返しながら、ペットボトルに手を伸ばした。つかんだペットボトルをくるりと回転させ、製造年月日を確認すると、口元がニヤリとした。未来の日付が書かれていたのである。
もしこれが事実なら、元の世界の未来のモノさえ召喚できるということになる。それはいろいろと夢が広がる。もしかしたら、あの完結していないマンガの最後も読むことができるかもしれないのだ。まぁ、まてまて、今はそこではない。そう、今は、記憶装置についてだ。
続いて、遥か未来の記憶デバイスを召喚するように妖精に命じた。ほとばしる光の中、小さな親指サイズもしないなにかが出現する。
それは見たこともない記憶デバイスだった。本来記憶デバイスは接続するための何らかの端子がある。一方的な記録しかできない、再編集できないものであれば、CDなどのような固形物的な物質であることもわかるが、今回はSDカードのようでいて、それでいて端子がない不思議な物質だった。周囲に、未来的なデジタルな文様はあれど、どこが接続面かもわからない。
ともかく、このデバイスに読み書きなどのアクセスできる能力をもった妖精を生み出し、妖精のお腹に記憶デバイスをくっつけてみた。
「どうだ?」
「ストレージを初期化しますか?」
ほう、どうやら、上手くいっているようだ。だが、先に確認したいことがある。
「まった、容量はいくらだ?」
「三百二十ロナバイトです」
なんだその単位、ロナ?聞いたことないけど、なんか凄そうだ。
そしていろいろ試行錯誤し、別の妖精に同じ記憶デバイスをたくさん作らせ、未来のなんだかわからないすごい容量の記憶デバイスを獲得したのであった。
これで、妖精の記憶にまつわる問題は解決した。
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魔族は勇者の情報を調べるため、諜報活動に長けた三人として、ハナージャ、マズル、レキストを出立させることにした。
三人は魔導具による変身のほかに、魔術でも姿を長時間変えることができた。魔導具だけでは、不測の事態もありうるので、保険もあるものが望まれたのだ。他にも、性格や能力、様々な点から選ばれた。今回は人に紛れる必要がある、そのため人間に変身しなければならず、そうしたことへの抵抗がある者は多い。誰が好んで敵対している存在の姿になりたいと思うか、という。
三人は最前線のやや西よりに立っていた。すでに魔導具で変身済み。衣服などはこれまで侵略した街などを参考に、そこから奪ったり、補修したものを使っている。
女性のハナージャは肩をこわばらせ、眉間にしわがよっていた。これまで魔王軍は基本的に戦線を押し上げるという形で領土を広げてきたのだ。それは、武による戦いでなされてきた。だが、今回は違う、まったく新しい試みであった。これまで、誰も、敵地に潜入し、帰ってくるということを成したものはいないのである。
そう、魔族は瘴気を克服し魔獣を従える力があることで、圧倒的な暴力だけでことを進めることができていたのである。それが、今回はそうではない。
彼女の緊張は、マズルやレキストにも伝わった。マズルは強引に笑顔を作り、軽くハナージャの背中をたたき、静かに言った。
「大丈夫だ。何も、勇者の首をとってこいって任務じゃない、ただ、話を聞いて帰ってくればいいだけだ」
マズルも、決して簡単なことだとは考えられていない。
「着実にいこう、まずは町までの潜入、そのためには敵の前線の兵の目をかいくぐらないとな」
そう言うのはレキストだ。彼は腕を振り上げ、目指す先を指で示し、具体的にやることを明示する。集中することを決めてしまえば少しは楽になるかと考えたのだ。
彼ら一同は皆、まじめで、慎重さのある、横暴さの少ないメンバーが集められていた。それは逆に言えば、臆病、悪い予想をしがちなメンバーであるともいえる。だからこそ、人一倍大きく不安を感じるメンバーなのであった。
ほどなく、中央側では、魔王軍の兵が少し追加され陽動が開始された。魔獣の足音と、鉄の交わる音が聞こえてくる。
「よし、行こう!」
マズルのその一言をもって、三人は、一歩、進み始めた。
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星庭神成はしばらく家にひきこもっていた。そして、自室で絶望したのである。
星庭神成はマンガの次巻を召喚するため、妖精を作り出し、要求し、いつも通り、さぁ来いと願った。続きが読みたい。だが、光は収束せず、空中で霧散してしまったのである。
「……なんでだ?」
何度繰り返すも結果は同じだった。光は収束せず、虚空にむなしく散って何も現れない。
しばらくして、残念なことが分かった。
物知りの妖精に確認したところ、どうやら作者が完成させる前にお亡くなりになってしまったのだという。
「何と言う、こと……だ……」
神成はその場にへたり込み、しばらく呆然とした後、唐突に叫んだ。
「ちくしょーーーー!」
そりゃないよ。いや、そういうこともあるとは思う。だが、だが、非常におしい、続きが読みたい、読みたくて読みたくて仕方がない。あんなに面白いマンガだったのに、完結しなかったことに対してのショックと、続きが読みたくてたまらないもどかしさで頭はぐわんぐわんと揺れていた。
とっと、部屋を出て、風呂場に向かった。
お風呂につかって、少し落ち着けば、そうおもって、シャワーを全身に浴びるも、先ほどから荒れ狂っている衝撃は一向に止まることはない。
まるで、大切なものを失ったようだ。どうして、俺は、このマンガと出会ってしまったのだろう。
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ハナージャ達三人は街にたどり着き、酒場で食事をしていた。自分たちは、村を捨てた、という設定にしていたのだが、どこの村なのかなど、いろいろと設定があいまいでこれまで苦心していた。いろいろと情報を集めてわかったマゼス王国の最南端、すでに魔王軍の地となっているそこの出身ということにし、逃げながら北上して旅をしているということに落ち着いたのである。
どこでどう言葉が食い違うか分からない。そのため、三人は口数少なく静かに食事をとり、周囲の話を伺うのが定番になっていた。そして宿に戻ったら、それらをもとに情報の整理である。
話しかけずにできる情報収集は周囲の会話に集中することだ。三人は、全神経を集中させて、会話の内容を頭に叩き込んでいく。マゼス王国の王都では、もっと大々的に情報収集できるよう、今のうちに土台を作っておく必要があった。
酒場は空いたテーブルが多く、掃除も行き届いておらず、閑散としている。にぎやかな話声というのが少ない。魔王軍の侵攻を恐れて、多くの人々は逃げ去り、残っている者は、村を去りたくないか、身体的に去ることが難しいかという理由のある者たちがほとんどだ。
そして、手持ちの人間側の情報が少なすぎて、話を軽く聞こうにも、ミスをしかねず難しいというのが現状でもあった。ここから四つの街をすぎれば王都マゼウムにたどり着く。それまでには、こちらから声をかけていけるだけの設定を煮詰められなければならない。
そんなときハナージャに男が声をかけてきた。
「ようじょうちゃん、そんな静かに暗い兄ちゃんらと食べてるくらいだったら、俺と楽しく飲まないか?」
酒瓶を片手に酔っぱらった、片腕を失った男が声をかけてきた。ハナージャはしっかり対応できるか不安がよぎったが、このままでは前に進めないと、思いきって誘いにのってみることにした。
「あら、楽しく飲ませてくれるの?」
その発言は、どこか見栄を張っているか、明らかに芝居がかっているようになってしまった。それを気にせず、男は話をつづけた。
「もちろんだ、奢ってやるよ」
マズルとレキストは、目を閉じて静かにしていた。もめ事は起こす気はない。
ハナージャを誘った男は、笑顔の裏に露骨な下心を隠しきれない残念なタイプだった。彼の手が肩に触れた瞬間、ハナージャは反射的に体を引いたが、すぐに思い直す。潜入という任務上、こういうことは今後増えるだろう。ここで引き下がっていては、ずっと深い話は聞くことなどできはしない。そして、私たちの活躍は、全魔族の命運がかかっている、そう思い、意識を切り替えた。
男は酒を煽りながら上機嫌に語り出す。
「俺が活躍して逃がした村があってな、それはすごい話だぜ!」
ハナージャは適当に相槌を打ち、いろんな質問をして巧みに情報を引き出していく。マゼス王国や周辺諸国の情勢、さらには『八英雄』に関する噂話なども教えてくれた。八英雄物語には、最近そこに加わったらしい魔王軍を畏怖させた英雄の話もあった。
たぶん新しい畏怖の話は、ハナージャ達は真相を知っているので見当違いであることがわかったが、八英雄という存在には、恐ろしいものを感じた。
魔族は、瘴気で精神汚染された存在をなだめるすべを知っている。それと同時に、魔獣、それも大型の強さ、危険もしっているのだ。だからこそ、八英雄という存在は看過できない。そうでなくとも勇者という危険度の高い存在がいて、その調査にきているのに、さらに他に危険な存在がいるのだとすると、今後の魔王軍の在り方は、いろいろ考えないといけないかもしれないのだ。
他に興味深いのは、勇者は存在しているはずなのに、マゼス王国は、勇者の召喚には失敗した、と公言している点である。勇者を隠しているのだろうか。ただ、勇者はもっと異なる立ち位置にありそうで、この辺りも調査が必要だろう。
いつのまにかハナージャを誘った男は飲みつぶれていた。ハナージャは酒が強かった。
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春になり歩きやすくなったので、ルージェ村に滞在する調査員プルクエーラは、ブライに妖精の里の調査を一緒に少ししてほしいと頼んだ。
剣の達人たる彼もまた、道を惑わされうるのかどうか、季節は春になり視界が開けたことで、打開策が出ないか、そうした確認がしたいのである。
「今日の訓練は終わったし、そうだな、散歩するつもりで構わないならいいだろう」
ブライは遊び半分、自分が惑わされるというのはどういう感覚なのかという興味半分で答えた。
「ありがとう、よろしくお願いするわ」
こうして二人は妖精の運搬のあとをこっそりつけることとなった。冬と異なり歩きやすい道は絶好の散歩日和だった。
ブライは楽にはしてはいても剣の達人、きっちりと妖精を目端でとらえ続けていた。足音、荷物の音などにも自然と気を配っている。
てとてとと荷物を持って歩いていく妖精たちに一向に変化はない。ただ、山道を進んでいるだけだ。葉がつきはじめた木々がゆれてさわさわと音がなり、心地よい風が二人をなでる。
ふと気が付くと、見失っており、しかも村近くの小道にでてしまった。
「ね」
「はは、これは面白いな、うーむ」
ブライも、少し興味が出てきたのだ。
「これは、人を迷わす系統だけじゃあないな」
「そうよ、それなら後をしっかり追えば追跡できるもの」
「妖精の里、たしかに大きな秘密があるかもしれない。だがな、妖精が楽しく暮らすために厳重に結界を張っているというだけなんじゃないのか」
「エルフの村でもここまで高度なのはないのよ。普通、迷わせたらそれでおしまい、でも私達はご丁寧に村近くの小道なのよ。高度すぎるのよ」
こうして、数日二人は同じように後をつけてみたが、結果は変わらなかった。
「思うんだが、平面がダメなら、立体的に攻めるってのはできねぇのか」
「どういうこと」
そういうとブライは空を指さした。
「鳥みたいに空から、とかできれば迷わない、みたいなことはできるんじゃないか」
「確かに、でも、エルフの熟達した魔術師でも飛行魔法って覚えるのは珍しくて、私は使えないわ。視点はかなりいいと思うけど」
「ダメか。普通に歩いても、その時々で違う形で迷わされるし、簡単ではなさそうだ。いっそ、そういう専門家を探したらどうなんだ?」
「私がここに残ってるのも頑張って交渉して特例なの、あまり上は妖精の里を重要視してないし、無理なのかなぁ……」
プルクエーラはとうとう途方に暮れたのであった。




