【短編版】子爵令嬢の破滅実況 王子から婚約破棄されると予言されたので、リスナーを信じて破滅を回避してみせますわ!
カサンドラ・エクリプス。
子爵家のご令嬢である彼女は、想い人である第二王子と婚約を果たす。
しかし、第二王子は別の令嬢に想いを寄せていた。それを知ったカサンドラは嫉妬に狂い、その令嬢に危害を加えようとして破滅してしまう。
壮絶な最期を迎える彼女は、乙女ゲームの悪役令嬢である。
しかし、乙女ゲームの世界を生きる彼女が、その設定を知ることは決してない。
――本来であれば。
(……これは、なにかしら?)
十五歳の誕生日を迎えた翌朝。天蓋付きのベッドで身を起こしたカサンドラは目をゴシゴシと擦った。虚空に、光を帯びた半透明の板が浮かんでいたからだ。
『お、目を覚ました』
『おはよう、初実況が睡眠配信とか斬新すぎるだろw』
『ってかこれ、リアルだよな? ヴァーチャルじゃなくて』
『どっかのお城か? セットにしても金を掛けすぎだろ』
『所属を書いてないけど個人勢? 絶対どっかの仕込みだよな?』
(虚空に次々と文字が浮かんでいますわ。……それに、この内容。わたくしのことを言っていますのよね? 一体、なんですの?)
「貴方、何者ですの?」
『声、可愛い!』
そんな文字がいくつか流れ、続けて『視聴確定』や『チャンネル登録しました』と言った、カサンドラには意味の理解できない言葉が流れていく。
「声を褒められて悪い気はしませんが、わたくしの質問に答えてはいただけませんの?」
『何者かって言われても……あ、リスナーの名称のことか』
『いや、名称って言ったってさ。設定が分からないと答えようがないだろ?』
『だよな? いまのとこ、寝てるところを配信してただけだし』
「……先に名乗れと、そういうことですか?」
カサンドラはそう答えながら、全力で頭を働かせた。
けれど、自分の私生活が異世界で配信されており、それを見たリスナー達がコメントをしている。そんな事実、カサンドラに分かるはずもない。
とはいえ、複数の人間が文章を書いていることはなんとなく察していた。
「仕方ありませんわね。今回だけは特別に、わたくしから名乗って差し上げますわ」
カサンドラは髪を掻き上げて言い放った。
『ツンデレwww』
『ツンデレお嬢様だったかw』
「ツンデレ? なんですの、それは。というか、人の前口上によく分からないちゃちゃを入れるのは止めていただけるかしら? ぶっとばしますわよ?」
『ぶっとばしますわよw』
『ぜひぶっとばしてください!』
『俺はむしろ踏まれたい!』
ウィンドウがそんなコメントであふれ、収拾がつかなくなる。
これが普通の配信者であれば、コメントが流れる中でも自己紹介を進めただろう。だが、自分の状況をまったく理解できていないカサンドラに、そんな対応を求めるのは無理だった。
驚くべき動体視力でコメントを読んでいたカサンドラは、気になる一文を目にした。
『コメントばっかり見てないで、そろそろカメラを向いてくれよ。なんでコメント欄の斜め後ろにカメラを設置してるんだ?』
「……カメラ?」
無論、中世のヨーロッパをモデルにしたような世界の住人であるカサンドラに、カメラという名称が分かるはずもない。だが、コメントの内容からなんとなく察して振り返る。
そこには、レンズが付いた球体が浮かんでいた。
「……これが、カメラですの?」
虚空に浮かぶそれを摑んで覗き込む。
そのまま振り返れば、コメント欄が物凄い勢いで流れていた。
『美少女きちゃああああ!』
『やばい、顔のドアップの破壊力が想像以上にヤバイ!』
『ってか、この顔、何処かで見たことないか?』
『え、嘘だ、これ、加工した画像だろ?』
『なに言ってんだ。こんなリアルタイムで加工できる訳ないだろ』
『お嬢様、お胸の谷間が見えそうです!』
コメントを眺めていたカサンドラは、その一文を目にした瞬間に硬直した。いままでのやりとりから、そのカメラを通して多くの者が自分の姿を見ていることを理解する。
(ちょ、ちょっと待ってください。いまのわたくしは、たしか……)
恐る恐る視線を落とせば、自分の上半身が目に入る。
シルクのネグリジェ。決して露出が多いデザインではないけれど、上から覗き込めば胸元がちらりと見える程度には無防備なパジャマ。
「な、なにを見てるんですのよ!?」
カサンドラはカメラを思いっ切りぶん投げた。だが、カメラは壁に叩き付けられる前に自ら制動を掛けて、部屋の隅で静止した。
カサンドラは手元にあった掛け布団を引き寄せて上半身を隠す。
『眼福だった』
『可愛い』
『切り抜かれるやつ』
『なんか、イケナイことをしてる気がしてきた』
『通報しました』
『ってか、カメラ投げんなw』
「お、乙女の柔肌をなんだと思っているんですか! あっち向いてなさいよ!」
カサンドラが理不尽に叫ぶ。この状況を視聴しているリスナーは、配信されている動画を見ているだけなので、見るなと言われてもと言ったところ。
だが次の瞬間、虚空に浮かぶカメラが後ろを向いた。
『急に視界が壁に(笑)』
『誰がカメラを回したんだよw』
ひとまずの難は逃れた。それを確認したカサンドラは呼び鈴を鳴らす。ほどなくして、カサンドラの侍女達が部屋に入ってきた。
「カサンドラお嬢様、おはようございます。お着替えですか?」
侍女の声に『ガタッ』と言ったコメントが流れ始める。そのウィンドウから視線を外し、カサンドラは「そのまえに、あれを片付けなさい」と、虚空に浮かぶカメラを指差した。
だが、侍女は怪訝な顔をする。
「あれというと、カサンドラお嬢様のお気に入りだった花ビンですか?」
「……花ビン? いえ、その手前に浮かんでいるでしょ?」
カメラのことを説明するが、侍女達は首を傾げるばかりだ。まさかと思ったカサンドラが、コメントを表示するウィンドウに付いても聞いてみるが、反応は同じようなものだった。
(……どういうこと? まさか、わたくしにしか見えていない?)
やはり得体の知れないなにかであることは間違いない。そう判断したカサンドラは一度侍女を下がらせる。そうして上着を羽織り、カメラをひっつかんでこちらに向ける。
だが、コメント欄を目にしたカサンドラはある書き込みを見て瞬いた。
「わたくしの名前ですか? たしかにわたくしはカサンドラですわよ。エクリプス子爵家の息女、カサンドラ・エクリプスですわ」
カサンドラが答えた瞬間、コメント欄の流れが爆発的に加速した。
『やっぱり乙女ゲームの悪役令嬢だ!』
『ってことは、制作会社の宣材か!?』
『いやいや、それにしては金を掛けすぎだろ』
と、そのようなコメントが、ものすごい勢いで流れていく。
(乙女ゲーム? 悪役令嬢? なんのことですかしら?)
困惑するカサンドラ。
だが、事情を理解できないリスナー達も多くいるようで、『なにそれ?』と言ったコメントも流れている。そしてそのうちの一人が、そんな彼らの質問に答えた。
『カサンドラ・エクリプス。ヒロインに嫉妬して破滅する、乙女ゲームの悪役令嬢だよ』
(……破滅? わたくしが?)
この日、乙女ゲームの登場人物でしかない彼女が自分の運命を知った。
カサンドラはノヴァリス王国でも有数の力を持つ、エクリプス子爵家の令嬢だ。その未来は輝かしくあるべきで、破滅するなど想像も出来ない。
なのに――
(この人達は、わたくしが破滅することを疑っていない)
「わたくしが破滅するというのはどういうことですか?」
『なるほど、自分の未来は知らないということか』
『設定がしっかりしてるな』
『流行の転生とか憑依でもなければ、未来を知るはずがないからなw』
次々に流れるコメントはけれど、カサンドラの望んでいるものではなかった。
「わたくしの質問に答えてくださいまし!」
『おぉ、迫真の演技力』
『もしかして、新鋭の役者を売り出す企画も兼ねてるのか?』
やはり質問には答えてもらえない。焦燥感に駆られたカサンドラが拳を握り締めた直後、一つのコメントが目に飛び込んできた。
『マジレスすると、カサンドラ・エクリプスは乙女ゲームの登場人物だ』
「その乙女ゲームというのはなんなんですか?」
『乙女ゲームも分からない設定かw』
『たしかに、異世界には乙女ゲームなんてないだろうしな』
『乙女ゲームっていうのは、まぁ……そっちで言う、娯楽小説みたいなものだな。たしか、登場人物の中に読んでいた奴がいるから分かるよな?』
「娯楽小説? わたくしが小説の登場人物だとおっしゃるの?」
『そうそう。それも、嫉妬に駆られて破滅するお嬢様だ。たしか、密かに慕う第二王子と婚約するも、第二王子はヒロインのヘレナに想いを寄せていて……って設定だったかな』
その言葉にカサンドラは息を呑んだ。
家柄を考えれば、カサンドラが王族と婚約する可能性は零じゃない。だが、誰も知り得ない秘密、第二王子が想い人であることを言い当てられたからだ。
(わたくしが第二王子に憧れていることは誰にも話していないはずですわ)
それほどの接点がある訳でもなく、気取られるような行動も取っていない。たとえエクリプス子爵家に間者が忍び込んでいたとしても、指摘されるはずのない事実だ。
(まさか……本当に? うぅん、判断するのはまだ早いですわ)
「そのヘレナというのは何処のどなたなんですの?」
『エメラルドローズ子爵家の令嬢だったかと』
「……エメラルドローズ子爵家? あらあら、化けの皮が剥がれましたわね。エメラルドローズ家に、ヘレナなどという年頃の娘はおりませんわっ!」
『このお嬢様、貴族の家族構成を全部覚えているのかよw』
『いやいや、さすがにそういう設定だろ。俺らの言うことを信じない、みたいな』
『と言うことは、‘そんなこと、あり得ませんわーっ!’ とか言いながら破滅まっしぐらのお嬢様をこれから見せられるってこと?』
『悪役令嬢の破滅配信だな』
『破滅配信ワロタw』
好き勝手にコメントが流れていく。
「よく分かりませんが、馬鹿にされていることだけは分かりますわよ! エメラルドローズ家にヘレナという令嬢がいない以上、間違っているのはあなた方ですわっ!」
『たしかに、本当にエメラルドローズ子爵家にヒロインがいないならおかしいな』
『実は、乙女ゲームに似た、別の世界という設定とか?』
『いや、ヘレナはたしか、庶民の娘が聖女の力に目覚め、十五歳の誕生日にエメラルドローズ家の養女になったとか、そんな設定だったはずだ』
「苦しい言い訳ですわね。聖女なんて伝説上の存在ではありませんか。それに、その話がもし事実だとしても、養女になったばかりで教養もない娘が、ローレンス様に見初められるはずがありませんわっ!」
高笑いをして勝ち誇る。
それに対してコメントも加速するが、カサンドラはそれをもう気にしなかった。
その後、カサンドラはカメラを捨てようとしたが、何度試しても壁を透過して戻ってきてしまう。やがて諦めたカサンドラは、カメラを壁に向けて侍女を呼んだ。
「お呼びですか、お嬢様」
「来たわね、リズ。朝食を採るから、着替えの手伝いをお願い」
「かしこまりました」
専属の侍女であるリズを筆頭に、侍女達がカサンドラの着替えを手伝い始める。そうして朝の準備を終え、食堂に向かおうと部屋を出る。
その直後、リズが不意に口を開いた。
「ところで、カサンドラお嬢様はもう耳になさいましたか?」
「なんのことかしら?」
「最近、この国に聖女が現れたという噂です」
ひゅっと、カサンドラの喉から息が漏れた。
「……せ、聖女? ほんとに聖女なの?」
「にわかには信じられませんわよね。ですが、ある貴族が養女に迎える手続きをしているそうで、かなり信憑性の高い話、ということですわよ」
「……そう。ちなみに、その貴族というのは……」
「そこまでは……申し訳ありません」
カサンドラは黙考する。
(リズも詳細を知らない噂。つまり、比較的最近流れ始めた噂に違いありませんわ。では、あのコメントの言葉は、事実……ということですの?)
もちろん、事前にその情報を仕入れての仕込みという可能性もある。
けれど――
「やはり朝食はもう少し後でいただきますわ」
「え、カサンドラお嬢様?」
「後で呼びますわ」
リズ達を廊下に残して、カサンドラはそそくさと部屋へと戻った。そうして、ベッドの上へと上がり、カメラを手に取って覗き込んだ。
「さきほどのやりとり、聞こえていましたわよね? どういう、ことですの?」
『高速フラグ回収お疲れw』
『まるでタイミングを計ったかのような情報公開だったな』
「茶化さないでくださいまし。あなた方は……神かなにかなのですか?」
『いやいや、ただのリスナーだって』
「リスナーという神様なのですか?」
カサンドラが首を傾げれば、再びコメントが加速する。
『リスナーは神様ですってか?』
『おい馬鹿止めろ、絶対勘違いして調子に乗る奴らが出てくるから』
『取り敢えず、コメントを書いている人の総称がリスナーだって思っておけばいいよ』
似たようなコメントが数多く流れているが、要約すればいまの三種類だった。ひとまず、コメントを書いている人達はリスナーと言うらしい、とカサンドラは納得する。
「ではリスナーの皆さん、わたくしが破滅するというのは事実なのですか?」
『そう言っただろ?』
「ですが、未来予知なんて……」
『さっきの話、聞いただろ?』
「事前入手した情報を使っての仕込みもある、とわたくしは思っています」
『疑り深い。だが、嫌いじゃない』
『つっても、他に証明する方法なんてあったっけ?』
再びコメントが流れ、カサンドラはそのうちの一つに目を留めた。
「侍女のリズが裏切る? それはなんの冗談ですの?」
『たしかカサンドラお嬢様が十五歳になったその日、パーティー客の一人に買収されて、夜這いの手引きをして罪に問われる、とか、そんな話だったはずだ』
「十五歳の誕生日? 今日ではありませんか!」
『なら、すぐにその侍女を断罪した方がいい。悪役令嬢――カサンドラお嬢様が人間不信になり、破滅へ向かう最初のイベント、みたいなモノだからな』
『タイミングがご都合主義w』
『いや、だからこその今日スタートなのかもしれないぞ』
好き勝手なコメントは流し、重要そうなコメントについて考える。リズはカサンドラに何年もまえから仕える専属の侍女だ。そして侍女になれるのは貴族の生まれだけ。
(なのに、リズがわたくしを裏切る? とても信じられません。でも、信じられないからこそ、もしも本当にわたくしを裏切ったのなら……)
彼らの予言は真実なのかもしれない。そう思ったカサンドラは、リスナー達から詳細を聞き、一計を講じることにした。
まずはいつも通り朝食を取り、リズに用事を言付けて席を離れさせた隙に、他の侍女に指示を出す。そうして、リズが本当に裏切っているかどうか試すことにしたのだ。
カサンドラの誕生日パーティーは恙無く開始された。
親しい友人はもちろん、普段はあまり会わない友人やもお祝いに駆けつけてくれる。その人々と挨拶を交わし、世間話の中で聖女の噂についても確認する。
そうして集めた情報を纏めると、聖女が現れたのは事実で、その聖女を最初に保護し、養女へと迎え入れた貴族はエメラルドローズ子爵だということだった。
(リスナー達の予言が真実味を帯びてきましたわね)
そんなことを考えながらパーティーでの役割を果たしていく。
ほどなくして、リズがカサンドラの元へと近付いてきた。
「カサンドラお嬢様、休憩室でお客様がお待ちです。なんでも重要な話がある、と」
「……あら、何処のどなたかしら?」
「エメルダ様でございます」
カサンドラと交流がある令嬢の名前。だが、おそらく嘘なのだろう。カサンドラは唇をきゅっと結び、分かったわ――と、休憩室へと向かった。
そして、そこからはカサンドラの筋書き通りだった。
カサンドラが部屋に入った直後、外から扉の鍵を掛けられる。そうして驚くカサンドラを出迎えたのは、以前カサンドラに言い寄ってきたことのある令息だった。
「これは……どういうことかしら?」
「カサンドラがいつまでも恥ずかしがって、俺の思いに応えてくれないのが悪いんだ。だから、キミの侍女にお願いして、この場を設けてもらったという訳さ」
『カサンドラお嬢様、早く護衛の騎士を!』
『放送できない展開に!?』
『カサンドラちゃん、逃げて!』
コメントが流れるが、カサンドラはまだだと自分に言い聞かせた。
「なにか言ってくれよ」
「そうですわね。では一言だけ。気持ち悪いですわよ?」
「――なっ!?」
『気持ち悪いw ストレートに辛辣』
『もっと罵ってください!』
流れるコメントを横目に、カサンドラは令息に侮蔑の視線を向ける。
「こ、この、下手に出てたらつけあがりやがって!」
令息が掴みかかってくる。カサンドラはその腕を摑み、あえて後ろに倒れ込んだ。腕を摑まれていた令息は、為す術もなく一緒に倒れ、カサンドラの上へと覆い被さった。
「――来なさい!」
カサンドラが声を上げる。次の瞬間、ドアが激しい音を立てて開かれ、そこから護衛の騎士達が流れ込んできた。そうして彼らが目にしたのは、カサンドラに覆い被さる令息の姿。
「貴様、お嬢様になにを!」
「ち、違う。俺はただ――」
「引っ捕らえよ!」
護衛の騎士隊長が指示を出し、他の騎士が令息を連行して行く。それを横目に、カサンドラは他の侍女達に囲まれて項垂れるリズの姿を目の当たりにした。
「……さて、貴方の話を聞かせてもらおうかしら」
「申し訳ございません!」
リズはその場に平伏した。重苦しい雰囲気が場を支配するが、コメント欄は『リアル断罪劇きちゃー』と、何やら盛り上がっている。
「リズ、なぜこんなことをしたの?」
それは、本来のカサンドラが取らなかった行動だ。
リスナーによると、未遂とはいえ男性に襲われ掛けたカサンドラはショックを受けて部屋に引き籠もり、その間に両親がリズを断罪してしまったからだ。
「申し訳ありません、お嬢様」
「わたくしは、理由を訊いているのよ」
「申し訳ありません。申し訳ありません」
ひたすら平伏する姿をまえに溜め息を吐く。どうしたものかと考え込んでいると、侍女の一人が発言の許可を求めて手を挙げた。
「なにかしら?」
「実はリズの実家は領地経営が思わしくなく、その上に弟が病気になったそうで……」
「……そう」
『これは、弟の薬代と引き換えに裏切られたパターン』
『カサンドラちゃん可哀想』
『リズも可哀想じゃね?』
『だとしても、主を裏切ったらダメだろ』
コメントにも様々な意見が流れている。それを眺めながらカサンドラが考えていたのは、いままでリズと過ごした時間だった。
かれこれ数年。リズはよくカサンドラに仕えてくれた。歳の近い彼女は、カサンドラにとっては姉のような存在だった。そんな相手に裏切られたことに傷付いている。
だけど、カサンドラはこうも思うのだ。もしも自分がもう少し、侍女達の様子を気に掛けていたら、裏切られることはなかっただろう、と。
「リズ、貴方を今日付で解雇します」
「……解雇、ですか?」
重い罰を下されると思っていたのだろう。実質的な無罪放免にリズが困惑する。
「貴方に罰を下せば、わたくしが殿方に押し倒されたなんて醜聞を明かさなくてはならないでしょう? それは貴族令嬢であるわたくしに致命的な噂になりかねない。だから解雇に留めるのよ。その代わり、今日のことを口外することは許しません」
『あえて押し倒されるまで待ってたくせに』
『カサンドラお嬢様、まさかそこまで読んで、押し倒された?』
『悪役令嬢なのに優しいw』
(ぶっとばしますわよ)
心の中でリスナーを罵って、リズにはすぐに屋敷を出て行くようにと命じた。そうしてリズが退出するのを待ったカサンドラは、侍女の一人に視線を向ける。
「リズの弟の病気について調べ、匿名で支援なさい」
『悪役令嬢(笑)』
『むしろ聖女やん』
『いやいや、甘過ぎでしょ。罪を犯したんだからちゃんと断罪しないと』
『リズ自体には罰を与え、その家族には慈悲を与えた感じじゃない?』
『それにしたって甘過ぎでしょ』
様々なコメントが流れる。
優しいという意見もあるが、甘いという意見が目立つ。そしてそんな感想を抱いたのは侍女達も同じようで、カサンドラに命じられた侍女が「よろしいのですか?」と口にした。
「いいのよ。その弟に罪はないでしょう?」
「かしこまりました」
そんなやりとりを経て、侍女達を部屋の外へと下がらせた。そうして一人になったカサンドラは、その瞳から一筋の涙をこぼした。
カサンドラにとって、リズは姉のように慕っていた存在だった。
「……リズ、どうして私を裏切ったのよ」
『カサンドラちゃん可哀想』
『泣いてるカサンドラちゃん可愛い』
「うるさいですわね、ぶっとばしますわよ!」
涙を拭ったカサンドラが声を荒らげるが、むしろ『ぜひお願いします』といったコメントが大量に流れてくる。泣いているのがバカらしくなったカサンドラは溜め息を吐く。
『ってか、この件でカサンドラが心に傷を負うって結末、変わってなくないか?』
『たしかにw』
そのコメントを目にしたカサンドラは我に返った。リスナーは聖女の誕生に加え、後見人となる貴族を言い当て、今日リズが裏切ることまで予言して見せた。
(……わたくしが破滅するというのは本当なのですね)
だとしても、そんな未来を受け入れる訳にはいかない。
「教えてください、リスナーの皆さん。どうすれば、わたくしは破滅を回避できますか?」
カサンドラはその強い意志を秘めた瞳でカメラをまっすぐに見つめた。
カサンドラは、リスナー達から自分の破滅する未来を聞き出した。それによると、彼女が破滅する直接の原因は、嫉妬に狂って悪事を働くことだ。
『つまり、悪事を働きさえしなければ、破滅をしないと思われる』
リスナーの意見に、けれどカサンドラは眉を寄せる。
「それは……難しいかもしれません」
『……なんで?』
『ただ、悪事を働かなきゃいいだけだろw』
『悪事を働かないと死んじゃう人かなにかなの?』
リスナー達の突っ込みが入るが、カサンドラはいたって真面目だった。
「わたくしが悪事を働くのは、嫉妬に狂って、なんですわよね? 愛する婚約者が別の人と仲良くしてたら、嫉妬しない自信はありませんわ……」
ちょっぴり顔を赤らめて、ぽつりと呟いた。
一瞬コメントの流れが止まり――
『デレ、入りました!』
『可愛いかよ』
『可愛い』
『かわいい』
『カワイイ』
物凄い勢いでコメントが流れ始める。
「う、うるさいですわよっ!」
ますます赤くなった顔で怒鳴るけれど、まったくコメントが衰える気配はない。それどころか、照れるカサンドラを見てますますコメントが早く流れる。
「も、もう! いいですから! もっと別の回避方法を教えてくださいませ!」
【婚約者に裏切られるのがダメなら、そもそも婚約者にならないように立ち回ればいいんじゃないかな? 恋心的に手遅れじゃないなら、だけど】
カサンドラはポンと手を合わせた。
「たしかに、婚約しなければ問題ありませんわね。恋心的にも問題ありませんわ」
『好きなんじゃなかったのかよw』
「将来浮気されると知っては百年の恋も冷めますわ。それにわたくし、婚約する相手は、自分を一途に想ってくださる殿方と決めていますから」
『現実主義なのか乙女なのかハッキリしろw』
「そこ、うるさいですわよっ!」
こうして、カサンドラは第二王子との婚約を避けることにした。といっても、原作では第二王子に想いを寄せていたカサンドラが、自ら父に第二王子との婚約を願い出る。
カサンドラが行動を起こさなければ問題はない、ということだった。
だから、その件についてはひとまず解決。ただし、カサンドラが破滅する要因の一つに、領地経営が破綻するというものがある。
カサンドラはそれを取り除くための行動を開始した。
エクリプス子爵領の経営が破綻する要因は、領地内の貧富の差が激しすぎることだ。貧困に喘ぐ者達が集まる貧民街で疫病が発生。それが街中に蔓延して大打撃を受ける。
それが破綻の切っ掛け。
そう聞かされたカサンドラは、領地の視察をさせてもらえるよう父に願い出た。最初は難色を示した父だったが、話題作りとしては悪くないという侍女の後押しがあって承諾。
カサンドラは領地経営に目を向けるようになった。
リスナーから叡智を得て、様々な技術を公開。
それによって加速的に発展を遂げる領地。豊かになった分で孤児院を建設したり、職業訓練場を作ったり、直接的に貧民街で炊き出しをおこなったり。
その頃には、異世界の光景が配信されているとの噂が話題になり、リアルタイムでの日常垂れ流し配信でありながら、チャンネル登録数、視聴者数は爆発的に増えていった。
そうして数ヶ月が過ぎたある日の朝。
「リスナーの皆さんおはようございますですわーっ!」
『おはよう』
『おはようございますですわーっ』
「今日も街の視察に向かう予定です。ですのでリスナーの皆様、どうか今日もわたくしに知恵をお貸しください。やはり、領民が豊かになってこそ、領地が豊かになりますからね」
すっかりリスナーとのやりとりにも慣れたカサンドラが実況を開始する。
といっても、配信は切ることが出来ず、二十四時間垂れ流しだ。
そこでリスナー達と話し合った結果、普段は垂れ流し配信をして、朝や夜の決まった時間や、なにか特別なことがあったときにだけ実況をすることになった。
『カサンドラお嬢様、ここ数ヶ月ですっかり実況にも慣れてきたな』
「リスナー達のおかげですわっ! もちろん、領地が発展しているのも。先日は、お父様からお褒めの言葉もいただいたんですわよ」
『見た見た。カサンドラちゃん、むちゃくちゃ嬉しそうだったよな』
「う、うるさいですわよ」
『ツン入りましたーっ』
「わたくしのこと、ツンデレ呼ばわりは止めなさいって言ってるでしょ!」
こうして朝の実況を終え――と言っても、配信はそのままなのだが、カサンドラは侍女を呼んで朝の準備を始める。もちろん、着替え中はカメラを壁に向けることも忘れない。
朝の準備を終えたカサンドラは、護衛や侍女を連れて視察に出掛ける。
「カサンドラ様、今日も視察に来てくださったのですか」
「ありがたや、ありがたや」
「カサンドラお嬢様、こんにちは~」
街を歩けば、最近のカサンドラの貢献を知っている住民達が話し掛けてくる。ここ数ヶ月で、彼女はすっかり住民達に慕われていた。
「カサンドラ様~。――ひゃうっ」
こちらを向いて手を振っていた男の子が足元の小石に躓いて転んでしまう。それを見たカサンドラはすぐにその男の子の元へと駆け寄って手を差し伸べた。
「ボク、大丈夫?」
「あいたた……あ、カサンドラ様、ありがとうございます」
男の子は涙目になりながら、気丈にカサンドラの手を取って立ち上がる。その健気な姿を目にしたカサンドラはぽつりと一言。
「……やはり、道の整備は必須ですわね」
『すっかりいい子やん。悪役令嬢どこいった』
『カサンドラちゃん、マジ天使』
『聖女より聖女をしてる件についてw』
「皆様、うるさいですわよーっ」
カサンドラは、側に浮かんでいたカメラを引き寄せて囁きかける。周囲に人がいるときに、怪しまれずにリスナーに話し掛ける方法として、カサンドラが思い付いた手段だ。
ちなみに、リスナーには耳元で囁かれるような声が最高と大好評である。
「それじゃ、もう転ばないように気を付けなさいね」
「うん。――じゃなくて、ボク、カサンドラ様に話があるんだ! あのね、さっき身なりのいいお兄ちゃんが、あっちの路地裏に入っていっちゃったんだ!」
「……あっち? あそこは、たしか……」
カサンドラが視察をしているのは、元々は治安の悪い地域である。再開発によってずいぶんと治安はよくなったが、それでも通りを一つ外れるとこの街の闇が見える。
身なりのよい青年が紛れ込んだのなら、たちまちにカモにされることだろう。
「よく知らせてくれましたね」
カサンドラは立ち上がって、護衛に付いてきなさいと声を掛ける。
「危険です、カサンドラお嬢様。確認なら我らがいたします」
「自分の目で確かめたいのです。その代わり、侍女達はここで待機なさい」
護られる対象は少ない方が安全だと、一番護られるべきカサンドラが言い放つ。そうして護衛の一部を引き連れて、カサンドラは路地裏へと足を運んだ。
『これが俗にいうスラム街か……』
『初見です。これ、何処の国ですか?』
『国というか、乙女ゲームを元にした異世界。定期』
『カサンドラお嬢様、気を付けてっ!』
コメント欄を横目に、カサンドラはずんずんと路地裏を進む。ほどなくすると、ガラの悪い声が聞こえてきた。いままさに、誰かを強請っている、そんな声だ。
カサンドラが護衛に目配せをすれば、頷いた護衛が先導を始める。ほどなく、角を曲がった護衛が「おまえ達、そこでなにをやっている!」と声を荒らげた。
蜘蛛の子を散らすような声。
カサンドラが遅れて足を運べば、そこには一人の青年がたたずんでいた。ブラウンの髪と瞳。この国では平凡な見た目ながら、そのたたずまいには何処か気品が感じられる。
「そこの貴方、怪我は……なさそうですわね」
不幸中の幸いというべきか、青年は危害を加えられるまえだったようだ。
「ええ、おかげさまで。ところで……貴女は?」
「申し遅れました。わたくしはカサンドラと申します」
あえて家名は名乗らない。
相手を威圧するつもりも、家名を笠に着て威張るつもりもないからだ。だが、相手はカサンドラという名前からピンときたようで、「貴女が噂の令嬢か」と呟く。
身なりは比較的裕福な平民――といった感じ。情報に精通している者、たとえば商人なんかであれば、カサンドラの名前を知っていてもおかしくはない。
それをたしかめるため、カサンドラは口を開いた。
「わたくしのことをご存じですの?」
「ええ。最近、噂の聖女に対抗するかのように、街の改革を始めた子爵令嬢でしょう? よい噂も多々聞こえてきますが……見えないところは、ずいぶんと杜撰なようだ」
「――無礼者っ!」
「控えなさい!」
護衛の一人が青年に詰め寄ろうとした瞬間、カサンドラが鋭く命じた。
「護衛が失礼いたしました」
「ほう? 貴女は私の言葉を許すのか?」
「許すもなにも事実ですから。貴方のおっしゃるとおり、目に見えるところにしか手を入れられていないのが現状ですわ。……いまはまだ」
「いずれは、見えない部分にも手を差し伸べる、と?」
「当然です。領民のための再開発ですから」
カサンドラが微笑めば、青年は呆けたような顔をする。
『落ちたな、確信』
『チョロイ』
『カサンドラちゃん、最近険しさがなくなって、ますます可愛くなったからなー』
最近、多少はリスナーの妙な言い回しも理解できるようになったカサンドラは、なに馬鹿なことを……と呆れながら青年に視線を向けた。
「安全なところまでお送りいたしますわ、付いてきてください」
こうして、領地の視察を続ける日々。その功績を父親に認められたカサンドラは、少しずつ大きなことを任されるようになる。
ときにリスナーの知恵を借り、領地の難問を解決していった。
この調子なら、領地が破綻して破滅することはない。後は王子と関わらないようにするだけだと安堵したある日、カサンドラの元へ王宮からの招待状が届いた。
「なぜ、王宮から招待状が……」
『カサンドラお嬢様が、もう大丈夫とかフラグを立てるから……』
『これが乙女ゲームの強制力か……』
「不吉なことをいわないでくださいまし!」
とは言ったものの、カサンドラは不安に思っていた。それでも、王宮からの呼び出しを無視することはできず、正装のドレスを身に纏って登城する。
迎えの侍女に案内されたさきは、城にある中庭だった。
「どうぞ、あちらでございます」
侍女が示したさきは、薔薇の園に囲まれた憩いの場。お茶会の席が設けられたその場には、ローレンス王子――この国の第二王子が腰掛けていた。
「やあ、カサンドラ嬢、今日はよく来てくれたね」
「ロ、ローレンス王子、お目に掛かれて光栄ですわ」
カサンドラが破滅する原因となる相手。全力で避けていた相手が招待の相手だと知り、カサンドラは激しく動揺しながら、それでもカーテシーをする。
そうして招かれるままに席に座り、勧められるままに紅茶を口にする。
(な、なぜ、ローレンス王子がわたくしを? 正直、生きた心地がしませんわ)
カサンドラの憧れの王子様。将来、婚約者である自分を差し置いて、他の女性と結ばれるという未来を知らされてからは、そのほのかな想いもなりをひそめていた。だが、その相手と不意打ちの再会というシチュエーションに、カサンドラは完全に取り乱していた。
『カサンドラお嬢様、動揺しすぎw』
『やっぱり破滅しちゃう運命かw』
『俺のカサンドラちゃんが寝取られるうううう』
コメントの破滅という言葉を目にして、カサンドラはハッと我に返る。
「そ、それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、実はキミに話があってね」
破滅の原因となると聞かされて以来、カサンドラはローレンス王子との接触を避けていた。話をするようなことがあるとは思えないのだけど……と困惑する。
「恐れながら、わたくしに、一体どのようなお話が?」
「そうだな。まどろっこしいのは嫌いだ。だから単刀直入に言うが、俺と婚約して欲しい」
「ふえっ!?」
『カサンドラお嬢様の‘ふえっ!?’いただきました!』
『あああ、マジで俺のカサンドラちゃんが寝取られちゃう!?』
『ガチ恋勢は諦めろ。どうせ異世界じゃ手が届かない』
「う、うるさいですわよっ」
小声で呟くが、真正面にいるローレンス王子の視線を感じて、慌てて正面へと向き直る。
「そ、その……わたくしに求婚なさっているように聞こえたのですが?」
「ああ、そう言ったつもりだ。まずは婚約から、だけどね」
「そ、その、理由をお聞きしても?」
「そうだな。どこから話したものか……」
ローレンス王子は少し考える素振りを見せた。そうして彼が語ったのは、この国が徐々に腐敗を始めているという驚くべき話だった。
「……王国が長く続くあまり、という話でしょうか?」
「やはり気付いていたか」
「いえ、その……まぁ」
言葉を濁したのは、それがリスナーから教えられたこの国の事情だったからだ。
「そのため、この国には腐敗を取り除く新しい風が必要だ。僕は王太子である兄の補佐として、共にこの国の腐敗に立ち向かう伴侶を探していた」
カサンドラは相槌を打つ。
だからこそ、彼は聖女であるヒロインに想いを寄せる――というのが原作のストーリー。ゆえに、カサンドラはその事実をリスナーから聞いていた。
「聖女がこの国に現れたという噂は聞き及んでおりますわ」
「さすがだな。実のところ、彼女も候補には入っていた。ゆえに、僕は自分の目で確認するために、各々が治める領地へと確認に向かったのだ」
「視察、ですか? そのような報告は受けておりませんが」
「当然、変装してのお忍びだったからな」
意味深な顔つきで、茶目っ気たっぷりに笑う。
その様子にカサンドラは思わず息を呑んだ。
『これは、まさか……w』
『フラグ回収じゃないか?』
『なんの話?』
『先日、街の視察中にそれっぽい青年がいたんだ。髪の色や瞳を変えると、ヴィジュアルが第二王子に似てるって言うので、密かに話題になってた』
「聞いてませんわよ!?」
思わずカメラをひっつかみ、ローレンス王子には悟られないように問い詰めた。
『確証がなかったからな。というか、印象的な出会いではあったけど、実際には毎日すごい数の人と会ってるし、顔立ちが似た奴くらい……って結論になったんだ』
「ぐぬぅ……」
言われてみればその通りだ。
あの視察の日だけでも、カサンドラは百人近くの人々と接している。そのうちの一人の顔立ちがローレンス王子に似ていたからといって、本人の変装を疑う理由にはならない。
だが、ここに来ては、その可能性は高くなった。
「あの、ローレンス王子、もしやあの路地裏でお会いいたしましたか?」
「ああ、あのときは助かったよ」
やっぱりあのときか! と、カサンドラはお嬢様らしからぬ悲鳴を上げた。
「あのときはキツいことを言ってすまなかった。カサンドラ嬢が、僕の言葉にどのような反応を示すのかたしかめたかったんだ」
「そ、そう、ですか。もちろん、気にしておりませんわよ」
嘘だ。
カサンドラはいま心から安堵している。
(あ、危なかったですわ。あのとき、無礼者と詰め寄る護衛を止めておいて、本当によかったですわ! そうじゃなければいまごろ……っ)
無礼者と罰せられていたのはカサンドラのほうだったかもしれない――と。
もちろん、相手はお忍びだったのだから、普通はそのようなことにはならないだろう。だが、彼が原因で破滅する運命を知っているカサンドラは気が気じゃない。
「そんな訳で、僕の伴侶はキミしかいないと思ったんだ」
「わ、わたくしは……」
元々、カサンドラはローレンス王子に惹かれていた。
彼が自分をなんとも思っておらず、将来は別の女性に想いを寄せると聞かされていたからこそ蓋をしていた思いが、彼から求婚されたことであふれ出しそうになる。
だが、彼と結ばれれば破滅する。
それを知っているカサンドラは視線を揺らした。そうして答えに窮するカサンドラを見かねたのか、ローレンス王子はふっと笑みを零した。
「急に言われて驚いただろう。返事は後日でかまわないよ。その代わり、キミが手掛ける領地開発の考えについて、色々と教えてくれ」
「きょ、恐縮ですわ」
求婚された状態でテンパりながら、それでもカサンドラは必死に質問に答えていった。なんとか王子とのお茶会を乗り越えたカサンドラは、部屋に戻るなりカメラをひっつかんだ。
「リスナーの皆さん、どういうことですの!?」
『焦りすぎワロタw』
『まああれだ、あれだけ天使みたいにしてたら無理はないw』
「笑い事じゃありませんわよっ!」
カサンドラは声を荒らげ、それから深呼吸をして再び口を開く。
「というか、ローレンス王子と婚約したら、破滅するといいましたわよね?」
『正確には、嫉妬に狂ったら、だけどな』
「ローレンス王子が噂の聖女に想いを寄せるなら同じことですわっ!」
『嫉妬しちゃう宣言可愛い』
『カワイイ』
『かわいい』
「黙りやがれですわー!」
叫んで、肩で息を吐く。
なぜこんなことになったのか――と、カサンドラはわりと真面目に落ち込んでいた。
『というか、いまのカサンドラちゃんなら大丈夫じゃない?』
『そうだよな。王子も、聖女に会った上で、カサンドラお嬢様を気に入ったみたいだし。一途に思ってくれるんじゃないか?』
『いや、これが原作ストーリーの強制力だとしたらヤバくないか?』
『まあたしかに。でも分かんないから、試しに婚約してみたら?』
「わたくしの命が懸かっているのに好き勝手に言うな! ですわ!」
コメントに『www』と笑いを示す草が大量に生えるがが、カサンドラは至極真面目だ。それを察したのか、リスナーの意見も少し違うのが流れるようになった。
『まあ実際、避けられるなら婚約は避けた方がいいよな』
『でも、断れるのか? 相手は王子なんだろ?』
「難しい、ですわね。王子に直接求婚されて、子爵令嬢でしかないわたくしが断るのは、かなりリスクのある行動だと思います。お父様にも反対するなと言われるでしょうし……」
『で、本音は?』
「憧れの王子様に求婚されて、ちょっぴりときめいていますわ」
『ワロタw』
『カサンドラお嬢様、婚約しちゃうの?』
『末永く破滅しろ!』
「破滅はしたくありませんわよ!?」
コメント欄は阿鼻叫喚である。
だが、一番テンパっているのは他ならぬカサンドラだ。
「というか、どうして求婚なんて……」
『そりゃ、あれだけ聖女みたいに振る舞っていたら、目を付けられてもおかしくないだろ。本人も言ってたけど、聖女に惹かれるようなキャラだし』
「では、やはり街の改革が原因だと?」
『そうなるな』
『カサンドラお嬢様が最近綺麗になったのも原因だと思うけど、やっぱり一番の原因は、街での聖女っぷりだろうな。庶民に大人気だし』
おおむねそんな意見ばかり。
カサンドラは沈黙して、それから責めるような視線をカメラへと向けた。
「皆様、破滅を回避するには、街の改革が必要だって言いましたわよね?」
『言ったな』
『言った』
『言った気がする』
「なのに、それが原因で求婚されるなんて、本末転倒もいいところではありませんか! さてはリスナー達、私を騙しましたわねーっ!?」
カサンドラの悲痛な叫びが響き渡った。
その後、カサンドラは王子の求婚を受け入れ、彼と共に国の改革に取り組んだ。民を愛し、ときに革命的な意見を口にする。彼女はもう一人の聖女として国民に愛された。
時折、虚空に向かってリスナーと呼びかけるその様子から、彼女はリスナーなる神の声を聞くことが出来る聖女だとも噂されているが、その真偽を知る者はいない。
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