女性に興味のない侯爵様と聞いていましたが、嫁いだ日から好待遇で愛を伝えられました。~好きだというならもう少し大胆になってくれてもいいのですよ?~
十八を迎えた日、私は侯爵家に嫁ぐため迎えの馬車に揺られていた。
子爵家の令嬢である私が侯爵家に、と言えば聞こえはいいかもしれないが、複雑怪奇に絡み合う内心を隠しきれない。
理由は単純、この婚約が望まれていないことを知っているから。
「私は、これからどうなるのかしら?」
侯爵家の当主カルロス・イバンティ様は国中に名の知れる有力者であるが、変わり者として有名であった。端正な顔立ちで知られているカルロス侯爵様ではあるが二十八になっても色恋の噂もなく、冷徹であり周囲には侍女を近づけることさえ嫌うという。一介では男色なのではないかという噂も立てられている。
そんなカルロス侯爵が私との婚約を心から喜んでいるとは思えない。
この婚約は偽りであり、侯爵家でも私は仮の妻として扱われるものだと思っていた。
お飾りの、ただ退屈に過ごすだけの日々になると。
だからこそ驚いている。
「はじめまして、クレハ・イオン様。空のように晴れやかな蒼の髪も、新緑をそのまま映しこんだ翡翠の瞳も、女神のように美しい容姿も、本当に眩いばかりです」
侯爵家に着くなり、跪いて手の甲に口づけを落としたカルロス侯爵の行動が信じられなくて、思わず目を丸くしてしまう。この婚約は契約のはずで彼にここまでする理由はないのに、カルロス侯爵は私の手を取ったまま、告げる。
「クレハ。妻になったからには、生涯愛させていただきます。俺のことはカルロスとお呼びください」
「え、えっと?」
言葉の意味を飲み込めないまま、私の第二の人生が始まりを告げた。
侯爵家に嫁いでから半月。カルロスの宣言通り、私は偽りではなく本物の婚約者のように扱われていた。専用の居室を設けられ、多くの侍女たちに世話をされ、結婚式を迎えるまでに身に着けておくようにと侯爵家の妻としての嗜みや教育を受けた。
カルロスも噂に聞くような冷たいお方ではなく、お手隙の際には自ら私を気にかけてくれる。内心、疑念さえわいてくるほどに。噂の通りならどうして好待遇を受けるのかがわからない。想像とは真逆の様子に、戸惑いを隠せずにいた。
「クレハ様、どうされました?」
未だに解決しない問題にため息を漏らすと侍女長が心配そうに近づいて来た。
「いえ……。なんというか」
「どうされました? 何かお悩みであれば、何なりとお申し付けください。ご主人様からもそう言い使っております」
「そう、ですか……。では、失礼を承知でお聞きします。実は、嫁ぐ前にカルロスに関して噂を耳にしまして」
「噂? ああ、冷徹で色恋を嫌うなどと言った噂でしょうか?」
侍女長は表情一つ変えずに言うとふう、と息を吐いた。
「確かに以前のご主人様は色恋に興味も示さないどころか、女性にまるで興味のないお方でした。しかし、クレハ様との婚約が決まってからというもの人が変わったかのように優しくなられて。侍女一同も困惑している現状です」
「は、はあ」
言われて渋々ながら納得するが、結局のところ理由は不透明のままだ。
話を聞く限り私との婚約が決まってからのようだが、カルロスとの交流は今回の件より以前にあった覚えがない。
「もしや、クレハ様のご助言ですか?」
「いえ。身に覚えもありません」
「ふむ。ではご主人様の心変わりの真相は迷宮入りですね」
侍女長は不思議そうに首をかしげていた。
翌日、仕事を手伝ってほしいと執務室に出向くと書類の山に囲まれたカルロスが忙しく筆を動かしていた。
「すまない、最近外回りに出ていたせいか書類が溜まってしまって。申し訳ないが種類ごとに仕分けてくれると助かる」
「わかりました」
柔和な笑みを浮かべるカルロスの様子はやはり噂に聞くような冷徹な人ではないように見える。昨日侍女長が言ったように本当に人が変わったのだろうか? 彼との交流がない私には判断がつかなかった。
書類整理と急を要する案件への押印が済んだ頃、休憩も兼ね紅茶を入れて持ってくるとカルロスは顔を輝かせていた。
「クレハ、君が入れてくれたのかい?」
「はい、侍女たちから教わって。カルロスの口に合えばよいのですが……」
「合うに決まっている」
カップを受け取ると忙しい様子でカルロスは飲もうとしている。そんなに喉が渇いていたのだろうか? 「あつ、あつ」と慌てる様子は年齢に見合わず少年のようで可愛らしいとさえ思った。
「ゆっくり飲んでください。紅茶は逃げませんよ」
「そ、そうだね」
苦笑いを浮かべるカルロスの向かいにあるソファに座り同じように紅茶を飲む。思えばこの屋敷に来てからカルロスと二人きりになるのは初めてのこと。カルロスの周囲には執事や騎士が付いているし、私も夫人教育で自由になる時間は限られていた。
「今日は執事や騎士はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、クレハと二人の時間を楽しみたいからね。部屋の外に待機させているよ」
二人の時間、と言われても彼のことはあまり知らない。婚約前は噂で聞くような方だと思っていただけに目の前にいる人物が別人のように見えるから猶更だ。
互いに会話もないことが災いしたのか、気づけばじい、とカルロスを見つめていたらしい。
「えっと、どうしたのかな?」
「いえ、特には」
「そ、そうかい?」
見つめられて落ち着き払っていたカルロスはあからさまに冷静さを欠いているようだった。そんな姿が面白くて、つい悪戯心にかられてしまう。カップを置き、彼の隣へ歩み寄るとカルロスは今にも音を立てそうなほどに震えていた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんともないよ」
「本当ですか?」
「本当さ」
「震えていますが?」
「え? あ、えっと……」
動揺を隠しきれていないカルロスに悪戯心はすっかり消えていた。もしかして体調が悪いのだろうか? 心配させないように気をつかっている? 熱を確かめようとカルロスのおでこに手を近づけた。
「動かないでくださいね?」
「は、はい」
熱はなさそうだが額には汗がにじんでいる。ハンカチを取り出し拭ってあげるとカルロスは顔を赤くしてうつむいてしまった。
「カルロス?」
「やはり、君は優しいな」
「やはり?」
まるで以前にもあったかのような口ぶりだが、カルロスとは今回の婚約が初対面のはずだ。しかし、先ほどまで冷静さを欠いていたはずのカルロスは意を決したように私の手を取ると勢いよく立ち上がった。
「クレハは覚えていないかもしれないが、俺は半年ほど前に城下で迷っていた時、君に助けられているんだ」
「半年ほど前に?」
言われてようやく思い出した。身なりのいい男性が城下で辺りを見渡しながら困惑していたのを。端正な顔立ちと気品のある物腰から貴族の出だろうとは思っていたが、顔をあまり見せてくれなかったし会話をおぼつかなかった記憶があってカルロスだとは考えもしなかった。
「初めてだった。恥ずかしい話だが俺は幼少期に近隣の年上の令嬢たちに囲まれてよく女の子の服を着せられたりしてね。そのせいもあって女性恐怖症になった。侍女には近づけないし、公の場では他の令嬢はなるべく避けるようにしていた。だが侯爵家の当主として妻は娶らなければならないのはわかっていた。そんな時だった、君に出会ったのは。案内をしてくれているというのに、ぶっきらぼうだった俺に君は優しく町の様子や人々の生活様式なども織り交ぜて会話を続けてくれた。気づけば惚れていたんだ。決して君の美しい容姿にだけ惹かれたわけじゃない。佇まいも雰囲気も、まるで俺を包み込んでくれるような優しさに、俺は心を奪われてしまった」
「こ、心を」
直接的な表現に思わず頬が赤くなる。ストレートに好意を示されたのははじめてでどう対応していいかわからないのに、カルロスは私の手を取ったままブレーキが利かない様子だ。
「その日から俺は変わろうと思った。すぐにイオン家に婚約を申し込み、侍女たちを避けず、どうすれば女性に優しい人間になれるのかを考えた。俺は君に優しく出来ているだろうか? クレハから見て、俺は魅力的に映っているか?」
十も年の離れた男性からの純粋な好意にどう返していいかわからず、あわあわしてしまう。魅力的かと言われれば銀の髪も吸い込まれるような琥珀の瞳もお世辞抜きに整った顔立ちや体躯も、女性から見れば魅力的と形容するほかない。
「もし、足りないというなら何をしてほしいか言ってくれ。すぐに用意する」
真剣な眼差しで私を見つめるカルロスの言葉に偽りはないように思える。
この人は、ただ純粋に私に好意を向けている。本当なら子爵家の末っ子としてどこかの顔も知らない貴族に娶られるだけの存在であった私を好きだと言ってくれる人は後にも先にもいないかもしれない。カルロスのことが知りたい、と思った。でも、私は彼のことをまだ知らない。もっと、一緒の時間を過ごしてみたい。
「なら、一つだけ」
「なんだい?」
「貴方との時間を、二人で過ごす時間をもっとください」
彼のことを知りたくて何気なく出た言葉だが、翌朝からカルロスの行動に驚いた。普段通り朝の身支度を済ませて広間に顔を出してからというものどこへ行くにもカルロスが付いてくる。教育を受けている間、花壇の世話を行う時、食事の時。付かず離れずといった距離を保ちながらカルロスは笑顔で付いてくるのだ。
「二人で過ごす時間をとは言いまいしたが、どこまでついてくる気ですか?」
「行けそうなところはどこへでも」
爽やかスマイルを崩さぬまま、夜の私室で二人きり。
二人で過ごす時間を、とは言ったけれど私は距離を縮めたいという意味も込めたのに、この人は理解していない。というより、何をすればいいかわかっていないのかもしれない。
男らしい一面とか、胸が躍るような展開を望んでいたのが間違っていたのだろうか?
おそらく、カルロスは待遇が良く優しくすればいいと思っているのかもしれない。
女性恐怖症だったことを考えれば女心が理解できないのは仕方ないが、せめて二人きりの時は好きだというのなら少しくらい大胆になってほしい。言葉だけでは、わからないことだってある。
両親からも、兄弟からも、男性の地位が強いイオン家では末の妹であった私の存在意義はあまりなかったから、少し愛に飢えているのかもしれない。だから、カルロスが私を好きだというのなら、期待してしまう自分がいる。
彼を見るが、変わらずのイケメンスマイルが返ってくるだけだった。
もどかしい、もっと彼のことが知りたい。立ち上がり、カルロスの方へ歩み寄る。
「クレハ?」
ぐいぐい、と迫るも彼は後方に下がるばかりで何もしてこない。
婚約者なんだから、抱きしめるくらいしてもいいのに。興味は好奇心へ、壁際まで追い込むもカルロスはそわそわした様子のままだった。
「カルロス」
「な、なにかな?」
「私のこと、本当に好きなんですよね?」
「好きさ」
「なら、抱きしめてください」
「え?」
「え? ではなく。ほら」
彼に手を伸ばし、無防備な態勢で受け入れようとするがカルロスは一向に動かない。
触れたいという気持ちが先行して、彼に恐怖を与えてしまっただろうか?
「やっぱり、怖いですか?」
「怖くはない、けど」
「けど?」
「どうしていいか、よくわからないんだ。クレハのことは好きだけど、女性に不慣れな俺が君を傷つけてしまったらと思うと……」
カルロスの言葉を聞いて、私は思わず吹き出してしまった。私に好きと伝えられるのに、婚約も迫っておいて、目の前にいる私にはどうしていいかわからない。どうしようもなく、愛おしく思えた。一月ほど、この屋敷で過ごす間に見た彼の姿しか知らないが、私以外には完璧であるカルロスが私の前ではいじっぱりな子供のようになってしまう。
たまらず、自分からカルロスを抱きしめていた。
「く、クレハ?」
「傷つけるかもしれないとか、考えなくてもいいんです。貴方を知りたいと思った時点で私の負けなんです。だって、もうカルロスに心を奪われているようなものですから」
「本当に?」
「はい。というより、心配になってしまいます。好きと言いながら行動で表してくれないのは、気持ちが本当なのか疑ってしまいます」
「それは、すまなかった。これからはもっと努力するよ」
「お願いしますね?」
カルロスが背中に手を回してくれる。何気ないハグかもしれないが、私たちにとっては大きな進展のように思える。彼に包まれて感じる安心感は、好意を向けられていることが感じられて嬉しくなる。
「女性恐怖症とか、言っていられない。俺はもう、君の虜なんだから」
「期待していますね」
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