4話
雫はカランというドアについた鈴の音と共にお店の中に入ると、すぐに目的の人物を見つけた。店の中は外のざわめきは消えて、恐ろしいほどの静寂が支配している。ウィリアムがこの店を一時間ほど貸し切りにしたのだなと雫は考えた。
「おまたせ。待たせたかい?」
「たいして待ってないぜ?それとも今来たところだよ、とでも言ってほしかったか?」
「冗談」
二人は笑みを浮かべると席に着いた。メニュー表を開くことなく、ウィリアムは店員にコーヒーと店長のおすすめスイーツを注文する。雫も同様のものを注文した。
「本題に入ろうか。今朝の件だけど大体は調べ終わった。結論から言うと、犯人につながりそうな手掛かりはない」
「詳しく頼む」
「………問題が二つある。監視カメラにはほぼ姿が映っていなかったというのが一点。辛うじて映っていたのはローブを着た人影だけ。それから、50番より上の学生を洗っても絞り切れないのが二点目。正直、情報が少なすぎる。電撃も拘束もある程度のレベルに達した魔術師には朝飯前だからね」
テーブルに無言で運ばれてきたコーヒーを口元に運びながら、雫は少し申し訳なさそうに困り顔をした。
「やっぱり、現行犯しかねえか…」
それは雫も考えていたことだった。囮で誘い出して自分とウィリアムで拘束する。これが一番確実で手っ取り早い気がしていたのだ。ただ、誰を囮に使うのかという問題が出てくる。相手が釣られなければ意味がない。
「今日のところは夜間の警戒を引き上げることと黒猫にも巡回を強化してもらうことで手を打つ。囮に使えそうなやつは俺がリストアップする」
「悪いね」
「気にすんな。持ち掛けたのは俺だ。ほんとは竹虎にも声をかけるつもりだったんだけどよ、都合がつかなくちまったからな」
「なんかあったのかい?」
「この間から後をつけていた女生徒が《黒猫》に通報して、今謹慎処分を喰らってる」
「………バカだね」
「相手に指一本も触れていないこととあいつの今までの名声、そして女生徒の心が広かったからあれくらいで済んだ」
呆れながらケーキを頬張る雫。ウィリアムは外に視線を向けて、遠い目をしている。二人の席に面した透明のショーウィンドウの向こうにある歩道は店と同様無人で、午後のきつめの日差しがアスファルトを照らしているだけだった。
「そう言えば妖精メイドちゃんは元気かな?」
「ああ、リリアか?相変わらずだ、バイト三昧してるぜ」
「相変わらずか…。私も依頼をして部屋の掃除をしてもらおうかなぁ」
「やめとけ。仕事は確かだが、金はふんだくられるぞ」
二人は小生意気で可愛げのある後輩の顔を思い浮かべながら、コーヒーを口に運ぶ。ひどく苦いコーヒーに雫が僅かに顔をしかめると同時に大きな声を上げる。
「あ!」
そして思い出したように、雫はウィリアムに伝言を頼んだ。それを聞いたウィリアムは顔色を変え、驚愕と焦り、そして怒りを感じた。信じたくないといった感じに首を横に振る。しかし、それでも彼の理性はその可能性を否定できない。
「…そういうこと…なのか?」
「相変わらず頭の回転が速いね。あくまで私の推測だ。勘と言ってもいいかもしれない。それを検証するための伝言だよ。ちゃんと反応と返事は記録しておいてね」
若干不満そうにしたウィリアムだったが、雫の言うことなら信じてみようと考え伝言を預かった。
「まあ、推測が正しければ………次に犯行が起これば証拠が出てきそうだけどね?」
雫の浮かべる笑みはあまりにも鋭く、冷酷なものだった。
十六夜と音々、そして明立は夕暮れ時の街を歩いていた。ことの発端は2時間前、明立が転校生の二人にこの島の案内をすると誘ったことだ。しかし、ここで一つ問題が起こった。明立は二人にお互いが来ることを連絡していなかったのである。十六夜と音々は仲が良くなかった。結果、どうなるかというと………。
「あのぉ、二人とももう少しコミュニケーション取りませんか?」
「取っていますよ、明立先輩」
「取ってるよ、明立センパイ」
首に掛けてあるヘッドホンに手をかけてそっぽを向く音々とポケットに手を突っ込んでそっぽを向く十六夜はどちらも明立の方を向いているものの、お互いの顔を見ようとはしなかった。
「私じゃなくてお互いで話しましょうよぉ」
「「無理」」
「………何でそんなに仲が悪いんですかぁ?」
「才能の無駄使いがうざい」
「なんか気に食わない」
取り付く島もない二人の返答に、明立は溜息を吐く。二人に忠告をしようとしたところで、明立は声を漏らした。
「え―――――?」
二人は何事かと明立に視線を向けるとそこには刃物があった。明立の腹に深々と刺さっている黒い柄のナイフ。じわじわと制服のシャツを赤く赤く染めていく。
「ッ!」
明立の判断は正確で明快だった。二人を突き飛ばし、庇うように前に出る。彼女の瞳はただに一か所を見ている。その何もない空間から現れたのはローブを着た男だった。
「君たちは逃げてください!」
血相を変えて叫ぶ明立に突如強烈な電撃が襲いかかった。魔術を使用すると魔力の残滓が周辺に奔る。それは、魔力を持って現実に幻想を作り出す際に、生じる摩擦のようなものだ。魔術の発動とその瞬間にはこの魔力の残滓が発生する。故に、感覚が研ぎ澄まされたものは発動を感知できる。明立は強さこそそこそこだが、感知においては追随を許さないほどの才があった………例外を除いて。
「う、そ…」
その言葉を最後に明立が魔術の発動を感知することなく、雷撃にその身を焼かれた。彼女は驚愕と共に意識を失う。
十六夜は流れを感じていた。過去の体験から類推される勘に近い何か。それが警鐘を鳴らす。
流れはそこでは止まってくれない。ロープの隙間から、垣間見える愉悦の笑み。その口角がより上がる。
「ッ!」
男が十六夜に肉薄する。十六夜はその動きが見えていたが、それでも動けなかった。躱せるはずの攻撃は恐怖によって、致命的な凶刃に変貌する。
それを防いだのは音々だった。懐から取り出した金属製の警棒で、男の振るったサバイバルナイフを防ぐ。
「戦う気がないんなら下がってろよ!」
「あ――っ!」
「キヒッ!」
男が笑う。たった一本のナイフだというのにそこから繰り出される、凄まじい速さの攻撃。それは言い表すのであれば凶刃の嵐。金属のぶつかり合う嫌なの音が響き、音々がバランスを崩したのを見て男が強烈な斬撃を食らわせる。
辛くも音々は殺意を受け止めるも、相手の膂力を殺しきれずそのまま吹き飛ばされた。
「ぐっ!」
「グッ!!!!!!!」
十六夜は悲鳴を上げる身体に構わず音々に飛びつき抱きとめる、だが吹き飛ばされた勢いに押され派手な音を立てて公園の遊具に衝突した。
日が完全に落ちかけ薄暗くなった公園へそのシルエットが近づいてくる。慌てて、十六夜は周囲を見る。自分が庇った音々にはどうやら怪我はなかったらしく安堵のため息をつく。
「どいて!」
「ッ!!!!」
十六夜は瞬時に状況を理解。音々を抱えてその場から距離を取った。接近する男の刃が十六夜たちがいた遊具を切り倒す。
「なんだ!?あのナイフ!」
「ナイフだけじゃない………あのローブも。あいつ魔術を使ってるのに魔力の残滓が感じられない」
「あ!」
十六夜はそのことに気が付き、そして襲撃の理解した。姿を隠す魔術を使った男は、あのローブのおかげで感知されずに、明立を刺した。明立を襲った電撃は魔術の残滓を感じられた。つまり、あれはナイフに仕込まれた魔術だ。
「あの男のナイフに触れるのはやばいってこと」
音々は同じ結論にいたり、十六夜の背中を押した。
「何を?」
音々は先ほどまでの嫌悪感を持ったまま、心底邪魔だという殺意と守り切れないから離れろという心配を言葉に乗せて、罵った。
「邪魔だって言ってんだよッ!あたしはあいつと戦える。でもあんたは違う。あんたはあたしと決闘しているときもビビりながら戦ってた!邪魔なんだよ!目障りなんだよ!そんだけ才能があるくせに、無駄遣いしやがって!」
それは悲鳴だった。単純な怒りの情ではない。もっと複雑で歪んだ衝動。それを受けて十六夜は呻き声をあげる。それは否定しようのない事実である。十六夜は命のやり取りが怖い。相手を攻撃することが怖い。そして才能を乗りこなせないのが怖い。だから、動けないのだ。
「キヒッ」
男が音もなく音々に接近する。振るわれる凶刃は空を切るが、それは囮。本命の攻撃が右側から放たれる。音々はそれを受け損ない白い肌から鮮血が飛び散り、次の瞬間細い顎を蹴られ音々は公園の門へと吹き飛ばされた。
十六夜が駆け寄ると痛みに歪む顔を見せる音々。太ももに走る切り傷からとめどなく血が流れ出していた…。それは十六夜との決闘で見せたような速さを身の上とする音々にとって最大の武器を殺されたも同然といえる。しかし状況がより絶望的になったことで 、逆に十六夜の頭を冷静にさせていた。
(逃げ出すだけならできる。この公園ごと吹き飛ばす勢いで、あれを振るう。周囲に人はいない。今なら――――――)
拳を固める自分の持てる最強の一撃のために。十六夜が構えを取った瞬間—————この場に似つかわしくないチリンという澄んだ鈴の音があたりに響いた。
気がつけば一人のメイド服の少女がその場に立っていた。灰橙色の髪に灰色の瞳。その顔は人形のように無表情だ。あまりに場違いな少女の存在に、ローブの男すらも一瞬固まった。瞬間、メイドはローブの男の懐に現れそのがら空きの胴体に強烈な蹴りを放った。
「ガッ!?」
ローブの男は吹き飛ばされる。
「まだ」
鈴が転がるような声がその場に投げ出される。次の瞬間、男の目の前に少女がいた。
「一瞬で、あの距離を………?ま、まさか」
メイド少女の拳がローブの男の胸部に押し当てられる。魔力の防護の上から強引に投打を叩き込む。男は悲鳴もなく悶絶し吹き飛んでいった。
轟音と共に土煙が舞う。土煙に交じって赤い霧のようなものが侵食していく。その様子を見た後十六夜は強烈な眠気に誘われて、意識をなくした。