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泥船と鳥のさえずり

 夜咲いて朝花びらを閉じる花の様に、宴の日々は次々と過ぎてゆきました。

 宮殿の多くの人が、続く夜更かしのせいで睡眠不足となり、健康に支障をきたす様になりました。

 ぼんやりした頭で聞く物語は、本来の半分も面白くありません。

 そして語る方も支離滅裂、空中で泡のように消えるあくび語りをしてしまいます。

 語り部とサンパギータだけが、しっかりと物語っていましたが、やはり覚めた頭で聞くのとそうでないのとでは、素晴らしさに雲泥の差がありました。

 ラアヒットヒャ様に至っては、食欲を落とされてしまい、主治医に宴を控えるよう注意をお受けになられたご様子でした。

 ラアヒットヒャ様は語り比べに夢中でいらっしゃいましたが、渋々主治医の進言を飲み込むと、「一夜に語るのは一人一話まで」と決められました。

 寝不足だった多くの人が、その取り決めにホッとした様子でした。

 ……わたしは、少し不満でした。

 だって、たくさん物語を語れる語り部とサンパギータが悪いみたいではありませんか。

 それに宴の時間が短くなるという事は、語り部とお会いする時間が減ってしまう……。


 木の実とお菓子でわたしの手を捕まえたあの晩から、語り部は機会を見つけては同じ事を繰り返されました。

 エサの木の実とお菓子は、彼が身につけていらっしゃる装飾品に変わっていきました。

 ターバンの端を縁取る小さな赤珊瑚の一粒、銀のピアスの片方、トルコ石のビーズ一粒を夜ごと……。

 そしてその度にわたしの手を取って、誰かが夢中で語っている間お放しにならないのでした。

 サンパギータのサリーとストールに隠れて、彼は手でわたしに語ります。

 その短くて熱い、心蕩けるような語りの最中、サンパギータは自分が語ろうとしてふいに立ち上がったりせず、静かに座っていてくれるのでした。

 そういう時間が短くなってしまうのは、悲しい事でした。

 しかし、賢い人なら……そして誠実な人ならば、そんなやましい事を考えたりしないでしょうし、そもそも彼の手に手を伸ばしたりしないでしょう。

 彼は流浪の人。

 わたしは繋がれた家畜同然。

 お互いにとって、随分残酷な戯れではありませんか。

 けれど。

 愚かで卑しいわたしは、彼の手に触れたいという欲求を抑えられずにいました。

 木の実もお菓子も、彼の装飾品も要りませんでした。

 震える指先を熱い手のひらの中にしっかりと包み込み、親指で手の甲を優しく撫でていただきたかったのです。

 そうして、わたしはもう、彼の手の形と温度を覚えてしまいました。

 サンパギータが眠った後、暗がりでまどろんでいると彼の手を感じる事ができるくらいです。

 彼もそうだと良い、何処にも行かないでほしい、と、幻の手を握って眠りに落ちます。 

 

 この僅かな日々が夢でもいい。

 どうせ覚める夢なら、最期まで泣きませんから。



 長引いた雨がいよいよキッパリと止んで、湖が青空を映す美しい時期となりました。

 せっかくの湖ですが、雨が上がると同時にゆっくりと水が引いてゆきます。

 宮殿の人々はそれを惜しみながら水面を愛でて、乾期に桶で育てて用意しておいた浮き花を浮かべます。

 色とりどりの浮き花は、退屈な湖上生活を彩る癒やしでした。

 更にこの天国の様な眺めは、ぬかるんだ陸に暮らす下々の者達から宮殿への敬意と愛着を集め、彼らの僅かな誇りとなるのでした。


 サンパギータのお世話係で良かった事はいくつかあって、この景色を観られる事がその一つでした。

 わたしと同じ身分の無い者は、別邸からとはいえこの美しい景色を観る事が出来ませんから。

 彼らは宮殿に近づく事も許されません。

 今頃ぬかるんだ地面を家畜と共にペタペタ歩き、人の嫌がる仕事をもくもくとしている事でしょう。

 それなのにわたしときたら、労働はもの言わぬサンパギータのお世話だけ。

 最初はサンパギータの様子に恐れを抱き戸惑い、お世話に手間取りましたが、慣れれば赤ん坊よりも楽です。

 木偶のサンパギータのお世話は、不気味がって誰もやりたがらない仕事でしたが裏を返せば良い仕事だったのです。


 ―――食べ物が満足に得られない事や虐められる事は、何所にいても同じなのだから。……でも。

 

 わたしサンパギータに日光浴をさせる為、彼女をバルコニーへ連れ出しました。日に日にサンパギータへの贈り物が増えて、部屋は少しだけ窮屈でした。

 外には水面がキラキラ輝いて、浮き花を揺らしています。

 ルルルルル、とバルコニーの側の木から小鳥の囀りが聞こえて、サンパギータがそれを真似しました。

 最近サンパギータは喉と唇を使い慣れて来たのか、時々こうして美しい音を真似するようになりました。


「上手ね、サンパギータ」


 わたしは微笑み、サンパギータを座らせ寄り添いました。

 サンパギータは湖に浮かぶ花々を、静かに美しい瞳に映しています。

 わたしはその横顔を見て、こうして一緒に浮かぶ花を眺められるのは、今期で最期だろうと思いました。

 それは予感ではなく確信でした。

 ラアヒットヒャ様は彼女を宮殿に戻そうとお考えになられている、という噂を聞いたのです。

 彼女から宮殿に相応しい神性を見い出されたのか、側に置き物語を語らせようとお考えなのか……。

 一番有力な見解は、生き神のように祀って人々に知らしめ、マハラジャの兄や他の兄達へ「神のいる宮殿だ」と権威を誇示されようとなさっている、と、いうものです。

 そしてそうなればわたしは役目から弾かれ、見栄えの良い高貴な娘達がサンパギータに侍る事となりましょう。


 わたしは一番最初の宴の夜に、サンパギータを連れに来た召使いの男の顔を思い出していました。

 自分の方がマシだと思っていた相手が、自分よりいい目に合う事が面白くない顔です。

 わたしは、そぅっとバルコニーから乗り出して、湖面に映る自分の顔を覗き込みます。

 ルルルルル、と、サンパギータが囀っていました。




 それからまた幾夜か過ぎ、ある夜からサンパギータは語りをしなくなってしまいました。

 一言も発そうとせず、ただ座り込んで瞳を虚空に向けているだけの姫に戻ってしまったのです。

 一夜くらいならそういう日もあるだろうと、ラアヒットヒャ様は寛大でいらっしゃいましたが、三日続くと眉をひそめられました。

 宴の間に集まった人々も、ひそひそとサンパギータを怪しみ始めています。

 お喜びになったのはシヴァンシカ妃とファティマ姫です。


 ファティマ姫はお昼に、何人かのお嬢様と語り部を乗せたお船に乗って、サンパギータの別邸前へやって来ました。

 わたしはその時、髪を風に晒し、チョリ(丈の短い上衣)とペチコートだけという姿で、お部屋の絨毯をバルコニーの柵に干していました。ですので、ファティマ姫と共に語り部がやって来た事に大いに慌てました。

 一瞬目が合った語り部も、気まずそうに顔を伏せられています。

 わたしは急いで干した絨毯の影に身を隠しました。

 それを見て、ファティマ姫は笑い声を響かせます。


「ふふふ、ご覧になってロキラタ様。あの人たちはここに住んでいるの」


 ファティマ姫の弾む声と、お嬢様方の笑い声が響きます。

 わたしは絨毯の影で身をいっそう小さくさせました。

 

「そうでしたか。教えて頂きありがとうございます、姫」


 語り部の穏やかな声がします。

 その声の中に姫達の様な嘲りはありませんでした。

 けれど、ファティマ姫は満足そうな声を上げています。


「そうなの! あの汚らしい絨毯をご覧になって。ああ嫌だ」

「この辺りの伝統的な模様ですね」

「あら、そうなの? ロキラタ様は物知りでいらっしゃいますこと!」


 そんなやりとりが、お船を漕ぐ音と共に近づいて来ます。

 もしかして、部屋へ上がるつもりではないだろうかと、わたしは震えました。


「木偶に戻った語り部はどこ?」


 ファティマ姫たちのお船はどんどん近づいて、飛び移れる程の距離で止まりました。


「お……お部屋の中にいます」

「んまぁ、わたくしが来訪しているのに、出てきて挨拶もないのかしら?」

「はい、ただいま連れてまいります……」


 わたしはなるべく姿が見えないようにほとんど四つん這いで部屋へ入り、ぼんやりしているサンパギータを連れ出しました。

 途中で急いでストールをかぶります。

 部屋から出てきたサンパギータの姿を見て、ファティマ姫は小猿の様な笑い声を上げました。語り部以外の方々も、それに合わせて笑い声をあげます。

 辺りで休んでいた小鳥たちが飛び去る音が、あちらこちらでしました。

 わたしはサンパギータの髪や衣服が乱れているのかと心配になりましたが、彼女たちはただサンパギータを見るのが可笑しい様子です。

 語り部だけが、静かにわたし達を見つめていました。


「物語らなくなって、お父様が大変ガッカリしていてよ、サンパギータ。また木偶に逆戻りね、可哀相に残念だわ~」

「これでいいのですよ、ファティマ姫様。語っている時も、薄気味悪かったわ」

「あの宝石はロキラタ様のものになりますわ!」

「きっと姫様のロキラタ様を思う心が、神様に届いたのですわ」

「物語の在庫がなくなったようでなによりでございますわ」


 キャアキャア鳴きながら、お船がバルコニーすれすれまで近づいて来ます。


「贈り物を贈っていた者達も、損をしたと嘆いていたわよ、サンパギータ!」

「泥棒よ、詐欺だわ」

「姫様の地位を奪おうとして失敗したのに、まだ懲りないのね!」

「そうよ、でも今回も駄目だったのだから、もうこれからは大人しくしていなさい!!」


 彼女たちは口々にそう言って、召使いからオールを奪い、絨毯をつついて落とそうとしてきます。

 絨毯が落ちないように咄嗟に押さえると、水をかけてきました。

 飛んできた水に目を閉じる瞬間に、語り部が船底に屈んでいらっしゃるのが見えました。

 

―――そうよね。姫相手に止めてはくれない……。


 絨毯が水に落ち、沈んでいきます。

 わたしとサンパギータはこれから、ささくれた床と直接付き合わなくてはならなくなりました。


「なんでお前達は頭を上げているの!? ひざまずきなさい!!」


 ファティマ姫が、どうして今ここへ訪れたのかよく分かります。

 わたしはサンパギータを優しく跪かせ、その少し斜め後ろに跪きました。

 姫は、サンパギータがもう語らないと思い「元に戻った」事を叩き込みに来たのです。


―――そんな事をしたところで、サンパギータには響かないのに……。


 それでも、自分が上だと納得したいのでしょう。

 自分以上に父や語り部の関心を引いたサンパギータが許せないのです。

 そして、元の木偶に戻ったとなると余計に腹立たしく、以前より憎くなるのでしょう。だって、少しでも自分の上へ行きそうだったのですから。

 自分が生まれるより先に、両親の元へ大鬼蓮に乗って現れた美しいサンパギータ。

 膝には宝物を乗せ、額に宝石をいただいて……。

 ファティマ姫は、サンパギータが自分を脅かすのではと怖いのでしょう。


「語ってみなさいよ! フフ、もう出来ないんでしょう?」


 ファティマ姫がそう言うと、サンパギータが顔をふいっと上げました。

 皆がハッとして彼女を見ました。

 しかし、サンパギータは沈黙の中「ラララララ……」と、囀っただけでした。

 ファティマ姫達は大笑いです。

 悔しくてじっと額を床につけていると、また水が掛けられました。

 その時でした。


「ああ、姫様大変です」と、今まで静かだった語り部の声がしました。

 

「あら、どうしたのロキラタ様」

「船の底が抜けております」

「ええ!?」


 驚いて思わず首を伸ばして見れば、確かに語り部が座っている辺りの船の底から、水が入ってきている様子でした。


「これは沈むやつ。私は泳げますけど、姫たちは泳げますか?」

「き、きゃー!?」

「ちょっと、早く宮殿へ戻りなさい!!」

「ひ、オールを返してくださいませんか」

「ほら!! 早くしなさい!!」


 ファティマ姫もお嬢様方も悲鳴を上げて、召使いに早く宮殿へ戻る様に指示しました。もう、サンパギータどころではありません。

 騒がしい沈みかけのお船は、浮き花をかき分け急いで宮殿へと戻って行きます。

 途中、大混乱のお船の上から、語り部がこちらへ振り返られました。

 そのお顔は楽しそうに笑っていらっしゃいます。

 そして、小さく手を振ってくださいました。


 わたしは堪えて堪えて、サンパギータのサリーの端に顔を埋めると、肩を震わせました。笑ったのは、何年ぶりだったでしょうか。

 サンパギータが、ラララララ……と囀っています。

 わたしはその囀りを聞きながら、ふと胸騒ぎがしました。

 ファティマ姫達の罵り声が、頭の中に響きます。


―――物語らなくなって、お父様は大変ガッカリしていてよ。

―――薄気味悪かった。

―――在庫が……。


「在庫……」


―――物語の在庫が無くなったようで……。


 わたしはハッとして、サンパギータを見ました。


「物語の在庫」


 きっとそうです。

 サンパギータは、わたしの寝物語を語り尽くしまったのです。

 新たに物語を聞かせてやらなくては語る事が出来ないのだと、わたしはようやく気づいたのでございます。


 



  



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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いです!!(いきなり最初の一言がこれですみません…) 文章から、異国特有の香りとかムッとする湿気とか緑の濃いにおいとか、彩度の高い色などなどが感じられて、毎話読むたびにどこか知らない土地…
[一言] ロキラタ様ナイスぅ!! そして、サンパギータにはわたしの語りが必要ですね(*´ω`*) 秘密の手の逢瀬が艶めかしくて好き。
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