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遠くで鳴る銀のシルク

 宮殿で宴が始まった時分の事でした。

 サンパギータが自ら動き、ふらりとバルコニーへ出て行きました。

 そんな事は初めてで、わたしは驚いて彼女の後を追いました。

 サンパギータは何を見るでもなく、ぼんやりと宮殿の方へ顔を向けています。

 夕闇に浮かぶ宮殿は、いつにも増して煌びやかに輝いておりました。


「宴に出たかったの、サンパギータ?」


 わたしはサンパギータの横に並んで尋ねました。

 サンパギータはもちろん何も答えません。

 瞳の中に輝く宮殿を映してはいるものの、恐らく見てはいないのでした。

 それでも、宴に招かれない寂しさを感じないわけではないのでしょう。現に、こうしてバルコニーに佇んでいるのですから。

 それに、サンパギータはきっと物語が好きなのです。

 わたしなどの下手くそな語りより、語り部と名のる者の語りを聴いてみたいと思っても仕方がありません。

 サンパギータが中々部屋に戻ろうとしないので、わたしは自分のストールをバルコニーの床に敷き、彼女をそこへ座らせました。 

 視界が下がった柵越しからでも、宮殿は十分明るく輝いて見えます。

 宮殿からは、音楽も微かに流れ出てわたしとサンパギータへ音の残り香をよこします。

 銀色のシルクの様なシタールの湾曲する旋律と、水中で聴く鼓動の様なバヤの捉えどころの無い律動です。カンジーラの音もシャンシャンと楽しげに響いて滲んでいきます。

 

 わたしはそっとサンパギータの横に座って、小さな声で呟きました。

 

「語り部という人は、どんな物語を語るのかしら」

 

 噂が本当であれば、語り部は今夜、きっと富を得る事でしょう。

 そしてそうなのだとしたら、やはり、一体どんな物語を語るのだろうと思うのでした。

 

 宮殿の主や妃、大勢の高貴な人々の前で語りをするのは、どんな気分だろうか。

 わたしはせいぜい眠るサンパギータの耳元で、小さく囁くように語るくらい。

 人々を夢中にさせ、王宮にまで呼ばれた語り部は美しい人なのだという。


 ……川でわたしを助けてくれたあの方よりも?


 わたしは小さく首を振って、湧き出る様々な気持ちを追いやりました。

 宴に招かれないサンパギータとわたしには、何をどう想像を膨らませた所で結局何の関係も無い事です。

 美男子も、朗々と美しい声で語られる物語も、それらに酔う心の権利も、わたしとサンパギータにはないのです。


「可愛そうなサンパギータ」


 わたしは隣に大人しく座っているサンパギータの髪を指で梳きました。世にも稀な美しい髪だとしみじみ思いながら。

 雨が降り出して、わたしとサンパギータの滑らかな頬を水滴が撫でていきます。


「そろそろお部屋へ入りましょう、サンパギータ。わたしが語り部で申し訳ないけれど、今夜はいつもより長い物語にしましょうね」


 その提案を気に入ってくれたのか、サンパギータはすんなり立ち上がって、わたしについて部屋へと戻りました。

 わたしは微笑んで、彼女を寝台へ寝そべらせました。

 そして部屋のランタンの灯を弱め、語り始めます……


「『神々が告げよと仰りますゆえ広めましょう』……ある所に美しい姫が」


 始まりの口上を終え、語り始めたその時でした。


「おい! ラアヒットヒャ様がお呼びである! 今すぐ宴の間へ急げ!!」


 そう叫びながら、宮殿の召使いが部屋へ駆け込んで来たのでございます。


 *


 わたしが呆気にとられていると、召使いの男が顔を歪めました。


「ふん、口もきけないか。まあいい。語り部様がその木偶娘を見たがっておられるから、宮殿へ急ぐのだ」


 歪められた顔には、あからさまに「羨ましい」と書いてありました。

 召使いの彼も、宴に出る事も見る事すら叶わない身分なのです。

 同じだと思っていた者が、同じでは無く良い目に合うと知った時、それはどんな気分でしょう。

 それにしても、「サンパギータを見たい」だなどという願いを聞き届けられるとは、語り部はどうやら宮殿の人々を魅了してしまったようです。


 後で分かった事なのですが、ラアヒットヒャ様は報われない末の弟が大活躍する物語に心酔なさり、シヴァンシカ妃は恋人の小さな裏切りに傷つき新しい恋人と幸せになる物語に瞼を押さえられ、ファティマ姫は語りの殆どを右から左へと聞き流し、語り部の端正な美貌に夢中になっていたそうでございます。

 他にも、宴の間で語り部の語りを聴いた者たちは全て、彼の話をもっと聴きたいと希い願っていました。


 語り部はたった数刻で、王宮中の心を捉えてしまったのです。

 驚いて声も出せず動きもしないわたしに、召使いは意地悪く笑いました。


「きっと、面白い木偶娘の喜劇をつくり、笑い話を語ってくださるに違いない!」


 わたしは慌ててサンパギータの方を見ました。

 サンパギータはいつの間にか起き上がっていましたが、いつも通り虚空につかみ所の無い視線を向けています。

 召使いと共に部屋に入って来た不届きな羽虫が頬に止まっても、嫌がって動く事すらしていません。


「……どうかご容赦くださいませ……」


 わたしは胸の前で手を合わせ、小さな声で懇願しました。

 大勢の煌びやかな人の前で、語り部にサンパギータが笑いものにされてしまうなど、本人は意に介さないかもしれませんが、長年お世話をしてきたわたしには堪えます。

 想像するだけで、憐れで可愛そうで、胸が張り裂けそうでした。


 召使いはわたしの懇願を無視し、乱暴にサンパギータを連れて行こうとします。


 身分の無いわたしは、一緒には行けません。

 サンパギータを守ってあげられないのです。

 

「待って、待ってください」



 連れて行かれるサンパギータへ思わず手を伸ばし、彼女の手を握りました。

 それでどうしてあげられるということでもないのですが、そうせずにはいられなかったのです。

 すると、サンパギータが強くわたしの手を握り返しました。そこには意志があり、わたしは驚きました。

 召使いが額に青筋を浮かべて急かしました。早くサンパギータを連れてくるように命じられているのでしょう。


「何をしている! 離せ!!」


 彼はわたしの顔を打ち、サンパギータから離そうとしました。

 わたしはよろめき、サンパギータの手を離しそうになりましたが、サンパギータがわたしの手をぐっと支え、離そうとしませんでした。

 こんな事は初めてで、わたしは再度驚きました。打たれた痛みすら忘れてしまう程でした。

 その内召使いの長が「遅い遅い」と現れて、わたしとサンパギータを引き離そうとしましたが、サンパギータはどこにそんな力があるのか決してわたしの手を離しませんでした。


 サンパギータは、わたしから離れるのが不安なんだわ。


 そう思いつくと、ジンと胸が焼けるようでした。

 引き離せないわたしとサンパギータはとうとう別邸内の事件になって、大勢の召使いや奴隷がやって来てなんとか引き離そうとしましたが、無理でした。

 危うく腕を切り落とされそうになりましたが、切り落とした腕を持つ姫など、客人の御前に出すわけには参りません。

 しょうがなく、わたしもサンパギータと共に宴の席へ上げられる事となったのでございます。


 大広間では、熱帯の色鮮やかな植物の鉢が飾られ、焚かれた香の香りと煙が漂い、食事用の絨毯の上には所狭しとご馳走が湯気を上げ、ずらりと並ぶ何百もの銀の酒杯が輝いておりました。


 サンパギータを待つ為でしょうか、語りは中断されていてラアヒットヒャ様が語り部と向かい合い、楽しそうにお話をされていました。

 シヴァンシカ妃は話し込む夫と語り部の脇で、ボンヤリと水たばこをのんでいらっしゃいます。

 ファティマ姫は、父の話に頷いている語り部の手をうっとりとした顔で撫で、彼の注意を引こうとしていました。


 語り部はちょうどこちらに背を向けておられましたので顔かたちはわかりませんでした。

 ですが、豊かに伸びた亜麻色の髪が、うなじの辺りで軽く分かれ鎖骨へと流れておられましたので、彼の肌が艶やかな明るい小麦色だと分かりました。

 わたしはその後ろ姿、その逞しくもスラリとした背に胸が妖しく高鳴りました。


 語り部に振り向いて欲しくない。

 わたしが何者か……いいえ、何者でもないみすぼらしい女だと知られたくない。


 そう思いましたが、宴の間に引き立てられたサンパギータに気づいたラアヒットヒャ様がこちらを見て声を上げたので、語り部もこちらへ振り向いてしまいました。

 

 凜々しさと賢明さを併せ持った額と高く整った鼻に、どこか余裕のある雰囲気を持った厚い唇。

 明け方の空気のような水色の虹彩の中で意志を放つ黒い瞳孔がわたしとサンパギータの姿をとらえます。


 視線と視線が合った時、唇から後ろめたさを抱いた魂が息も絶え絶えに立ち上っていきそうで、わたしは唇を引き結びました。


 語り部は噂に違わぬ美男子でした。

 そして、紛れもなくあの夜出会いわたしを助けてくださった方だったのでございます。


 

 

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[一言] サンパギータは何か感じているのかしら。 語り部が語る物語が楽しみ!
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