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オパールへ手を伸ばす

 子らよ、衣を与えよう。一枚、二枚、三枚……。


 これはサンパギータの口上。

 神秘的なサンパギータの声は、口上を唱える際同じ抑揚と高さを狂わせません。

 対して、


 島の女神へ贈ります。


 ロキ様の声は、物語に適した抑揚と高さです。

 わたしはどちらも好きです。

 もしもわたしが人前で口上を唱える事になったなら、どんな風かしら。

 


 最期の勝負という事だからでしょうか。

 皆ロキ様を囲み、残念そうな顔をして、いつもよりも更に前のめりになっています。

 わたしも、もうこれで彼が物語る声を聴けないと思うと、胸が張り裂けそうです。

 しかも、彼の語りが終わったらサンパギータは負けてしまいます。

 ですから余計に、彼の話がずっと続けば良いのにと願わずにはいられませんでした。

 

「皆様もうお馴染みの、語り部の島にロキという少年がいました。最後の宵はこの少年の冒険物語です」


 わたしはハッと息を飲みました。

 ロキ様は珍しく言葉を途切れさせ、喉仏を上下させてから語り始めました。


「さて、語り部の島では毎夜交代で語りをします。そうする事で昼は勿論のこと、夜にも物語が途絶えないのです。満月を迎える日は特別で、日の出から次の日の出まで語り尽くします。これは島の近況報告と実りへの感謝、平和の祈りといったものを、女神から神様へ届けていただく大切な語りとなります。とても名誉な語りですので、島の者たちはこの役に憧れを抱いているのでした。もちろん、ロキもそうです。けれどもロキはまだ小さすぎて、満月以外の夜ですら、語った事がありませんでした。そんな幼いロキが憧れていたのは、キタルファという若い女性の優れた語り部でした」


 絹の様な黒髪に、輝く大きな瞳を持つ美しいキタルファは、ロキだけではなく島中の尊敬と愛情を集めていらっしゃる様です。

 ロキ様はキタルファを讃え、それを聞いた聴衆たちにも憧れを抱かせました。

 わたしは最初、抵抗しました。

 ロキ様が、あまりにも慕わしそうに彼女の話をなさるからです。

 けれども、キタルファという方は、聞けば聞くほど慕わずにはいられない女性でした。それに、どこか切ない懐かしさを感じます。

 この世には、時々そういう方がいらっしゃいます。神に愛されている方です。

 

「語り部は十六になると、女神の加護を受け、物語とインスピレーションを集める旅に出ます。キタルファも旅に出ました。ロキは彼女にどこまで旅をするのか尋ねました。なるべく近くをまわり、早く帰って来て欲しいな、と思いながら……すると彼女はこう答えました」


 ロキ様は少し顔を上げ、虚空にその人の面影を見ている様な表情をされました。


「誰も行ったことのないような遠くまで」


 ロキ様の声は低い男性のものですが、不思議な事に、しっとり優しい女性の声に聞こえます。


「全く新しい物語があるというの?」


 今度は、あどけない少年の声。

 サンパギータと同じく、変幻自在でいらっしゃいます。


「いいえ。私は物語を出来るだけ広く遠くへ届けたいの」

「帰って来て女神様へ届けるよりも、そっちの方が大事なの?」

「……選べないでいるのよ……けれど、島の外は争いや飢えや他にもたくさん辛い事があるのを知っているでしょう? 私はそこへ希望や慰みとなる物語を届けたいの。ロキは自分の心の中に神様がいる?」

「女神様ではなく?」

「ええ。勿論、女神様を統べる神様の事でもないの。心から聞こえるたくさんの声……神々が、告げなさいと言うのよ。物語を広めなさいと……」


 ロキ様が演じられるキタルファの言葉を聞いて、わたしは胸がざわめきました。

 あまりにもしっとりと美しい女性像を声で表現されるので、嫉妬をしたのかもしれないと、わたしは恥じ入りました。


「キタルファは志高く旅立ち、そのまま何年も帰って来ませんでした。女神の加護はとうに届かぬ所にいってしまったではないかと、皆心配していました。それからもう少し時が経ち、ロキは十六歳を迎え、旅に出ました。彼は、最初に辿り着いた国で聞き覚えのある物語を耳にしました。その物語が始まると、大人も子供もニッコリと笑います。それは、島でキタルファが語った事のある物語でした。しかし、キタルファはその国にいませんでした。残念に思いながら放浪していると、またキタルファの物語が聞こえて来ます。今度はジンと心が温まる物語です。しかし、キタルファはその土地にもいません。そしてまた別の場所でキタルファの物語を聞き……ロキはキタルファの残り香を追う様に、彼女の物語の痕跡を辿る旅をしていました」


 恋しい憧れの女性の為、遠く慣れない異国を巡り探し続けるとは、なんて健気な少年なんでしょう。

 わたしは心底、キタルファという女性を羨ましく思いました。聴衆の半数を占める女性全てがそうではないかと思われます。

 女達の母性本能を刺激しながら、少年はロキ様の舌の上で様々な国を巡ります。

 初めはキタルファの物語ばかり追っていた彼でしたが、その内、知らない物語に出逢うようになり、物語を生み始めました。それはどれも素晴らしいものばかり。

 想像した事のない素晴らしい建物や絶景の物語に胸を膨らませ、珍しい食べ物の物語に唾をのみ、恐ろしい動物と愛らしい動物の知恵比べ。たくさんの悪い人々と少しの善い人々との触れ合い。行く先々で出会う美姫に酔いしれ……物語をたくさん蓄え、語り部としても成長していくロキの活躍に、聴衆たちは夢中です。

 わたしも……少し心穏やかではない部分もありましたが……ロキ様の声を一句も漏らさず聞いて覚える事に必死でした。


「そうして様々な経験を得て、ロキは少年からすっかり大人になりました。相変わらずどこまで行ってもキタルファの物語は足跡を残しており、人々を笑顔にしています。いつしかロキは、こんな風に思う様になりました。『キタルファは温かな島へ帰る事も出来るのに、心の声に従いこんなにも遥か遠くまで旅をし、人々へ物語を広め笑顔にしている。もうこれ以上の追跡はやめよう、彼女は彼女の神のもの。そしてそう在るという事は、いくつかある正解の中でもとんでもなく自由で幸福な事なのだろう』」


 ロキ様は、ふ、と短い息を吐かれました。

 それは、長年旅した老人の様なため息でいらっしゃいました。


「ロキはようやくキタルファを諦め、自分の歩むべき路を探す事にしたのでした。もう、彼の歩みの先にキタルファの物語はありません。その代わり、彼の歩みの後には物語が残るのでした。キタルファの様に――――」


 成長と気づきの物語。

 聴衆から満足のため息が上がりました。

 男達はかつて少年だったロキが己の路を見つけた事に深く頷き、危なかしい場面で何度もハラハラさせられた女達は、立派になったロキに目尻を湿らせていました。

 ロキ様が「すぅ」と息をお吸いになられる音が、微かに響きます。 

 ああ、仕上げにかかられる、そう感じました。


「皆さま。もしも何処かで、とある口上から始まる物語を聞いたなら、キタルファが届に来た物語なのだと思いを馳せてください。こうです―――神々が告げよと仰りますゆえ広めましょう――――」


 ロキ様はそう述べて、皆の顔を見渡し麗しく微笑みました。

 皆はいつかその口上を聞けるのではないかと夢想したり、ぺちゃくちゃと話のどの部分が特に好きかを喋り合っています。

 けれど、わたしはロキ様が何故こうも麗しいお方なのか、理由が分かった様な気がしていました。

 そのせいなのでしょう、胸がざわめき、心臓が身体の中で音が漏れそうなほど鳴りました。

 

「それで、ロキ少年は島へ戻ったのかね?」

 

 ラアヒットヒャ様がお尋ねになられました。

 この国から離れることが出来ないラアヒットヒャ様は、ロキ少年の長い長い旅路が羨ましいご様子で、続きを催促していらっしゃるのでしょう。

 それにしても、好ましい結びをした物語に続きを迫るなんて……理解に苦しみます。

 しかし、ロキ様はわたしなどとは器が違います。

 歯を見せて、快く話の続きをされました。


「ロキはまだ旅を続けております。そろそろ帰ろうかと思っている様子なのですが、今はとある国で自分の島の女神を見つけ、さてどうやったら島にお戻りいただけるのか、と、思案しているところでございます。しかし、なかなかお戻り頂けないようなので、代わりにサンパギータ様をお連れし島の皆を納得させようかなどと、悪巧みをするかもしれませんね」


 ロキ様は冗談ぽくそうおっしゃって、サンパギータへ平伏して見せました。


「女神の名はクワンレレンタ様と申します。どなたか、見つけたら私にお知らせくださいませ」


『我らがサンパギータ』を、物語絡みでおだてられたと感じたのでしょう。

 ラアヒットヒャ様も聴衆たちも、心地よく笑いました。


「ハハハ、なるほど。そなたはサンパギータの宝石を島へ持ち帰り、土産話の種にしようと考えているのだな」


 ラアヒットヒャ様の言葉に、ロキ様は応えずに頭を下げた後、真っ直ぐにラアヒットヒャ様を見ました。


「さて、次の物語はありますか?」

「うむ」


 自信たっぷりに、ラアヒットヒャ様がサンパギータを見ました。

 聴衆もサンパギータに注目しています。

 しかし、サンパギータは虚空を見つめるばかり。

 ラアヒットヒャ様が眉をひそめ、宴の間にヒソヒソ声がさざめきます。

 

「どうした、サンパギータ。語れ、語らぬか。ロキラタに宝石を奪われてしまうぞ」

「奪うとは……人聞きが悪うございます」

「す、すまぬ……。しかし、サンパギータ! コレ、サンパギータ!!」


 ラアヒットヒャ様の呼びかけ空しく、宴の間はシンと気まずく静まり返りました。

 

「……お父様、もうお止しください。ロキラタ様の勝ちですわ。サンパギータの宝石など、どうして惜しいのです。ご褒美に差し上げてくださいな」

「ううむ……しかし……」


 ファティマ姫がロキ様の味方をしましたが、ラアヒットヒャ様は渋い顔をなさっています。


「誰か、誰か他に語る者は?」


 誰も答えません。

 もしかしたら、一人くらいは物語を持っていたかもしれませんが、この流れで手を上げる者はいませんでした。

 ヒバリの卵ほどの宝石は確かに高価ですが、ここに居合わせたお方がたにとって、身を捩って惜しがる程のものではなかったのです。

 ほとんどの者が、見事な語りで数多の夜を楽しませてくれた語り部へ、褒美として与えてあげて欲しいという気持ちの様でした。

 わたしだって、ロキ様の味方をしたい。

 ロキ様は長い長い旅をして、島へ持ち帰る宝物を見つけたのですから。


―――けれど。


 わたしは横にいるサンパギータを見ました。

 サンパギータは名前を模すかの様に、静かに美しく佇んでいます。

 わたしは、この美しい人の、ただ一つの傷を見つめました。

 あの痛ましい傷を塞がなくては。

 完璧な姿で、女神として皆に膝を折らせなくては。

 美しい住居、煌びやかな衣装、高貴な装飾、銀の器いっぱいの食事が、生涯サンパギータに約束されなくては。

 ロキ様が語ったキタルファと同じ様に、わたしの心の中から声がしました。


―――サンパギータは語らない。お前が語るのよ。


 人知れず、わたしは浅く荒い息をして、胸を押さえました。

 震えが止まらず、口の中はカラカラ。耳鳴りがして、気が急くばかり。 


―――何を語ればいいの。何も思い浮かばない。


「ラアヒットヒャ様。ファティマ姫の仰る通りです。私めも、ロキラタ様へ褒美が必要と思います」

「わたくしも」

「彼の勝利だ、素晴らしかった」

「ロキラタ様へ―――」

「ご褒美を―――」


 人々の声がグルグル耳の中で回ります。

 ラアヒットヒャ様が頷いてしまいそう。

 

「ううむ、仕方が無い―――」

「待ってください!!」


 何処からどう出したのでしょう。わたしは大声を上げていました。

 皆が驚いてわたしの方を見ました。わたしも、自身の行動に胸をヒュッと窪ませました。

 ラアヒットヒャ様のギョッとしたお顔も、ファティマ姫の醜く歪んだ顔も、ロキ様の呆れ混じりの驚き顔も、とても受け止められません。

 宴の間に集う全ての人が、奴隷以下の娘がこの場で口を聞いた事に衝撃を受け、一瞬で怒りを沸点まで持ち上げました。わたし(こんなもの)に驚き、注目してしまった腹立たしさは、彼らにとって耐えがたい屈辱なのでした。


「ちょっとお前、何を考えているの!?」

「穢らわしい娘が、この場で口をきくなど!」

「わきまえよ!!」

「出て行け!」


 罵詈雑言がわたしの身に降り注ぎます。


「お止めください!!」


 ロキ様の緊張した声が響きました。

 言葉だけでは足りず、誰かが煙管を投げたのです。

 固い煙管は、前髪の生え際に当たって床に落ちました。

 先の方が勢いよく当たったので、血が一筋流れました。


「ラタ!」


 ロキ様が駆けつけるよりも早く、誰かがわたしの傍らにかがみ込みました。

 そして、小さな声で言いました。


「可哀相なサンパギータ。傷の手当てをしましょうね」

「……え」

「もう勝手に動き回っては駄目よ。こうして怪我をしてしまうから」


 わたしの傍らにかがみ込み、小さな声でそう言うのはサンパギータでした。

 彼女はわたしの傷をサリーでそっと押さえ、「痛くない、痛くない。大丈夫よ、サンパギータ」と、囁きます。それはかつて、わたしがサンパギータへ言った言葉でした。


「サンパギータ……」


 わたし含め、皆が呆然とする中、サンパギータはわたしの頭を優しく撫でました。


「サンパギータ、髪を梳きましょうね。なんて綺麗なんでしょう」

「……」

「サンパギータ、今夜はどんな物語にしましょうね?」

「……サンパギータ……」

「サンパギータ、鳥の鳴き真似、とっても上手よ」

「ああ……サンパギータ……」


 わたしは立ち上がりました。

 皆が不可解そうに、わたしから目を逸らしました。

 けれど、わたしは声を上げます。


「ラアヒットヒャ様、わたしが物語を語ります」

「な、なんだと……お前が……いや、しかし……」

「許されないわ!!」


 ファティマ姫が金切り声を上げました。


「お前! お前お前お前っ!! どうしてロキラタ様の邪魔をするの!? 誰か、この穢らわしい下僕をどこかへやってちょうだい!!」

「い、いやいや待つのだファティマ姫。面白いではないか、主の真似をするというのだな?」

「お父様!!」


 ラアヒットヒャ様は、よっぽど手の届くところに宝石を置いておきたいのでしょう。

 旅人のロキ様ではなく、わたしの手に渡るかもしれない方をお取りになられました。わたしからであれば、簡単に取り上げる事が出来ると分かっていらっしゃるのです。

 わたしは望むところでした。

 宝石は、サンパギータの傍になくてはなりません。

 そして多分、ラアヒットヒャ様はわたしと同じ考えでいらっしゃいます。

 余程の馬鹿でなければ、宝石をサンパギータの在るべき所へ与え、見栄えを良くしようとお考えでいらっしゃる筈です。

 

「では、語れ。数に入れよう」


 わたしは頷き、口を開きました。

 最初に思い浮かんだ口上は、慣れ親しんだものでした。


――――神々が告げよと仰りますゆえ、広めましょう。


 ああ、何故そこにいるのキタルファ。

 わたしは違うの。

 わたしの心に、あなたに宿った神々はいらっしゃらない。

 わたしに大儀などありません。

 わたしに広めたいことなどありません。

 身を案じて追ってくれる者などいませんでした。

 わたしにはサンパギータしかいませんでした。


「ど、毒に犯された娘の物語を、お気になさって、お、おられましたので、それを語ります」


 駄目だ、か細すぎる。

 声が太く出ません。

 サンパギータもロキ様も、一体何処から声を?

 足が震えます。


「歯が鳴っているじゃないの」


 笑い声が、胸に突き刺さります。

 嘲笑が、わたしを一回りも二回りも小さくしていきます。

 ロキ様が静かな瞳でわたしを見つめていらっしゃいました。

 ああ、ロキ様。わたしは足跡を残して追わせたり致しません。

 わたしは自分の心から出る声を上げました。


「わたしの女神と、あなたへ贈ります」

 

 贈りますから、どうかそれだけ連れて行ってください。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 語ることが許された! ラタがサンパギータに語るように、この場でも語れるといいのだけど……きっと何かが変わるだろうから。 サンパギータも応援してくれてるはず! キタルファはもしかして、とも思…
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