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諦めない気持ちが呼び寄せたもの

 勢いの良い音楽とともに、ロッカールームで各チームの監督の指示を聞き終えた選手達がピッチに戻ってきた。試合開始前とは反対の位置に集まって円陣を組む。後半は攻める方向がお互い逆になるためで、フォレザン花峰も桑穂エレクレールも、両チームのサポーターは味方のゴールを目の前で見ることが出来る。

 円陣を解いてそれぞれのポジションに選手達が着くと、後半開始の笛が鳴った。フォレザン花峰の選手がボールを蹴り、桑穂エレクレールゴールに迫っていく。

『花峰の男達 拳突き上げろ 今こそ奪い取ろうぜ 花峰の勝利』

 今宮は覚えたばかりのチャントを相変わらずフルパワーで歌い、前半よりパワフルに跳ね続ける。この小柄で華奢な身体のどこにそんなパワーがあるのか不思議になるほどだった。

 試合展開はというと、後半が開始してしばらくはフォレザン花峰がボールを持って相手ゴールへと攻め入るシーンも見られたが、その後は桑穂エレクレールが一方的に攻める展開に戻ってしまった。フォレザン花峰の守護神、ゴールキーパーの笹岡選手の好守もあり失点こそしないものの、じりじりと時間だけが過ぎていく。このままでは逆転勝ちどころか同点に追いつくことすらままならない。

 後半開始から十五分ほど経過し、フォレザン花峰が選手交代を行った。今日スタメンでプレーしていた守備の選手を下げ、攻撃を担うサブメンバーの選手を投入したのだ。とにかく点を取らないと、このままでは負けが確定する。守備を捨ててでも点を取りに行く監督の覚悟が見えた。

 これで試合展開が変わるのかと思われた。しかし、フォレザン花峰が防戦一方の今の状態では、交代で投入された攻撃の選手までボールが渡らない。そもそも桑穂エレクレールの選手からボールが奪えない状態が続いているので、点を取りに行く姿勢を見せることすら出来ないのだ。

 いくら俺達サポーターが必死に応援をしても、どうにもならないこともある。選手個人の能力が非常に高く、さらに「名将」と呼ばれる監督が率いている桑穂エレクレールが相手なら、なおさら無力感にさいなまれる。今宮の応援で一時は反撃ムードだったこの花峰のゴール裏も、今は全力で応援を続ける今宮だけが目立ってしまって周囲に諦めムードが漂い始めている。西浜さんのドスの利いた歌声も今は弱々しい。

「また負けるのか」

 ふと俺の口をついて出た言葉。思ったよりハッキリと言ってしまって俺自身も慌てた。

 右隣の今宮を見ると、今宮は俺の方など見ず、半泣きの状態で死にものぐるいで歌い跳ねていた。流れ落ちる汗を首に巻いたタオルマフラーで拭い、時に声がかすれるほど全力で歌っている。というより最早叫んでいる。

 初めてのサッカー観戦で、なぜここまで全力で応援するのか。これまで興味も関心も無かったであろうフォレザン花峰を、なぜ俺達より勝たせたいと思っているのか。俺には分からなかった。


「皆さんの仲間になりたいから」


 今宮の言葉が脳裏に蘇る。

 今宮はハーフタイムに言っていた。高校卒業まで仲良しグループに入れず誰とも触れ合えない学生生活を送ってきた、大学デビューも失敗した、と。今宮から詳しく聞かなくても、女子特有の仲良しグループに入れないという、移動教室も昼休みも一人で過ごすみじめさは男である俺にも分かる。そして、高校卒業まで辛い学生生活を送ってきた分、大学生活に懸ける思いは俺よりずっと強かったはずだ。誰かと触れ合いたい、誰かの仲間になりたい。そんな思いが今まさにあふれ出ている。

「タルくん」

 左隣の西浜さんが拳で俺の背中をトンと軽く叩く。

「梓乃ちゃんのためにも、私達が今ここで諦める訳にはいかないわ。絶対に逆転するわよ」

 西浜さんは俺の返事も聞かず、今宮に倣うように声を張り上げて応援に加わった。

 そうだ。俺も今ここで諦める訳にはいかない。フォレザン花峰を勝たせるために。そして、今宮のために。今宮にもう一度ハイタッチの喜びを味わわせてやりたい。

 俺も全力で声を張り上げる。俺達三人が声量を上げても、この状況下では俺達について来るように声量を上げる人はいなかった。コールリーダーのハチローさんが応援を煽っても、なかなか応援の熱量が上がらない。

 試合は四十五分を過ぎ、三分のアディショナルタイム(追加時間)に入った。ここで点を決めなければ、フォレザン花峰の敗北が確定する。依然、桑穂エレクレールが攻め込んでいる状況、これをどう打開するのか。

「もう一度みんなと喜びたい、みんなの仲間になりたい……」

 今宮の振り絞るような声が俺の耳に入る。その切実な声音は俺の胸をぎゅっと締め付ける。

 直後、スタジアムがにわかに盛り上がる。フォレザン花峰の選手が、ボールをドリブルで運んでゴールに向かい独走していた。桑穂エレクレールがダメ押し点を狙って攻め込んでいる状態だったために、フォレザン花峰がカウンターを発動したのだ。

 ゴールへと突き進むフォレザン花峰の選手をサポートしようと、味方選手が最後の力を振り絞って懸命に走る。桑穂エレクレールの選手達も同点弾を決めさせまいと懸命に守備に戻る。

 フォレザン花峰の選手は誰にもパスを出さず、そのまま一人ゴール前で右足を振り抜いた。強烈なシュートがゴールネットに突き刺さる。

「ゴォォォル!」

 スタジアムDJの叫ぶような大声とともに爆発的な歓声がむぎやスタジアムを揺さぶる。フォレザン花峰の同点ゴール。俺達がいるフォレザン花峰のゴール裏も今までの諦めムードが嘘のような歓喜に包まれ、俺は歓声を上げ、西浜さんは雄叫びを上げ、今宮は目を見開いて固まっていた。

 同点ゴールを決めたフォレザン花峰の選手は歓喜に沸くことなく、ゴールネット内のボールを拾ってピッチ中央へ走り、試合再開のためボールを置く。俺達はハイタッチをする間もなく、応援に戻る。まだ同点、そしてまだ勝った訳ではないからだ。

『いざ立ち上がれ 紫の戦士 共に戦おうぜ フォレザン花峰』

 ゴール裏にいるフォレザン花峰サポーター達は先ほどまでのやる気の無い応援から一転、意気揚々とチャントを歌い始める。それでもなお、応援の中心には今宮がいた。

 桑穂エレクレールの選手がボールを蹴り、試合が再開される。同点弾で一気に勢い付いたフォレザン花峰の選手達は、ボールを持つ桑穂の選手にガツガツと食らいつき、ボールを奪おうとする。

 技術で勝る桑穂エレクレールの選手達はそれを何とかかわした。しかし、試合終了間際の同点弾を食らって動揺したのか、後ろにいる味方選手に中途半端なバックパス――。そのボールをフォレザン花峰の選手が奪い取った。

 再び猛然とゴールへ迫るフォレザン花峰の選手達。スタジアムのボルテージはさらに上がる。

 ボールを持ったフォレザン花峰の選手は、今度は近くに走ってきた味方にパスを出した。ボールを受けた味方選手は思いっきり右足を振り抜いた。

 先ほどの同じような強烈なシュートだったが、ボールは相手ゴールキーパーの手に触れる。

「あ……」

 相手キーパーの手に当たったボールは軌道が変わる。

 軌道が変わったボールはゴールポスト(ゴールの枠)に当たる。

 ポストに当たったボールは――ゴールへと入っていった。

 コマ送りのような光景に、スタジアムの時間が一瞬止まった。そして。

「ゴォォォォォォォォル!」

 スタジアムDJの絶叫と同時に、ゴール裏も他の席種のサポーターも全員立ち上がる。フォレザン花峰がついに逆転したのだ。花峰サポーターは皆して両手を挙げて喜びを爆発させ、前後左右斜め誰彼構わずハイタッチを交わす。むぎやスタジアムのボルテージは最高潮に達した。

 この光景を一番欲していたであろう今宮は、先ほどの同点弾と同じように微動だにせず、状況を飲み込むのに精一杯という様子だった。

「今宮!」

 俺の呼びかけに今宮はハッとする。泣きそうな顔がだんだん泣き顔に変わっていき、震える声で「は、はいたっち……」と俺の方へ両手のひらをゆっくりと向ける。

「よっしゃああああ!」

 俺は勢いよく今宮と手のひらを合わせる。今宮は眉尻を下げて口をへの字にし、ハイタッチした俺の手を握って上下にぶんぶん振った。

「良かった……。皆さんの仲間になれた……」

「今宮はもう仲間だって言ったろ」

 今宮は息をのみ、潤んだ目で俺を見上げる。俺の頬がカッと熱くなった。

「やったわよ梓乃ちゃんタルくんんんん!」

 直後、西浜さんのたくましい腕が俺と今宮に回され、力の限りハグされた。あまりの力に死ぬほど苦しかったし、ちょっとは空気を読んでくれと思ったが、この際もうどうでもいい。歓喜の渦にしっちゃかめっちゃかにされるこの感覚も本当に久しぶりだ。西浜さんから解放されると、今宮も西浜さんも俺も周囲の人とハイタッチを交わす。その後、両隣の人と肩を組み、歌いながら左右に揺れた。

 あまりに喜びすぎて気が付かなかったが、フォレザン花峰の逆転弾の直後に試合終了の笛が鳴ったらしく、ピッチには死力を尽くした両チームの選手が座り込んでいた。特に逆転負けを喫した桑穂エレクレールの選手達は、皆一様にがっくりとうなだれていた。

 それからしばらくして両チームの選手はピッチの中央で整列し、審判からのピッという短い笛の音を合図にお辞儀をする。フォレザン花峰を応援しているサポーター達からは拍手が送られ、桑穂エレクレールのゴール裏からはブーイングが聞こえた。

 歓喜の熱が冷めやらないゴール裏で、今宮は目を閉じて胸に両手を当て、歓喜の余韻に酔いしれていた。

「今宮、ありがとな」

 俺が声をかけると、今宮は紅潮した頬を緩めてくしゃっと笑った。

「こちらこそ、ありがとうございました。篠沢さん、西浜さん、ここにいる皆さんのおかげです」

 今宮の表情も声もかなり疲れの色が見えていたが、充足感もまた十分に伝わってきた。

「勝てたのは応援を頑張った君のおかげだよ。君が頑張ったから、俺達も諦めずに応援して選手を後押しできたんだ。今日は本当にありがとう。サッカー観戦は初めてみたいだけど、またむぎスタに来てね!」

 これが俺の言いたかったこと、しかしそれを言ったのは俺ではなかった。前の席で応援していた背の高い若い男性が、今宮に声をかけていたのだ。よく見ると、かなりのイケメンだった。

「なっ……」

 俺はなぜか無性に悔しくなったがどうすることも出来ず、今宮が何とも嬉しそうな表情を浮かべて「私もハイタッチできて良かったですっ!」などと男性と話している様子をただ見ていることしか出来なかった。

「タルくん、ドンマイ」

 西浜さんが俺の肩をポンと叩いた。せっかく勝ったのに、何このみじめな気持ち。

「むぎやスタジアムへお越しの花峰サポーターの皆さん! これよりヒーローインタビューを行います!」

 スタジアムDJの高揚した声が響き、大型ビジョンにフォレザン花峰の選手一人が大写しになる。勝利後の恒例、選手のヒーローインタビューが始まった。

「決勝ゴールを決めた刈谷光晶(かりやみつあき)選手にお越しいただきました! 後半アディショナルタイムの劇的逆転勝利、今の率直な気持ち、お聞かせください!」

 女性インタビュアーが刈谷選手にマイクを向ける。

「ここ最近ふがいない試合が続いていて、サポーターの皆さんになかなか勝利を届けられへんかったので、今日は皆さんに勝利を届けられてほんまに嬉しいです」

 関西訛りの入った非常に落ち着いた口調。しかし額から流れ続ける汗が、刈谷選手がいかにハードワークしたかを物語っている。

「試合終了間際の劇的逆転ゴール、振り返っていただけますか?」

 女性インタビュアーが再び刈谷選手にマイクを向けると、刈谷選手は少し困った顔をした。

「無我夢中であんまり覚えてへんのですけど、たしかシュートした時ボールがキーパーの手とゴールポストに当たったと思います。あの時はひたすら『入れ!』って思っていましたね。俺だけやなくて他の選手もサポーターの皆さんもみんなそう思っていたと思うんで、あれはみんなのゴールです」

 会場から大きな拍手が送られる。隣で西浜さんが「みっちゃん、神……」と呟いた。

「次節もまたホームゲームです。次節への意気込みと花峰サポーターへのメッセージ、お願いします!」

 インタビュアーから振られると、刈谷選手は視線を俺達がいるゴール裏にちらっと移した。

「今日は特に応援が響いていました。逆転された後もずっと応援が聞こえてきて、僕達の背中を押してくれました。厳しい戦いが続きますけど、次も熱い応援よろしくお願いします!」

 ゴール裏のサポーター達は皆、刈谷選手へ拍手をすると同時に今宮に視線を向ける。今宮は一身に受けた視線に、目をぐるぐる回して困惑していた。俺もとっさに何と言葉をかけていいのか分からず、ただおろおろするだけだった。ゴール裏からの「ミ・ツ・アキ! ミ・ツ・アキ!」という刈谷選手へのコールが終わると、コールリーダーのハチローさんが「お疲れ様です!」といつものタイミングより早くトランジスタメガホンで声を上げた。

「今日は新しい『紫の仲間』が最後まで選手を後押ししてくれました! 花峰がどんなに攻め込まれていようと、彼女は覚えたてのチャントを必死に歌って、全力で跳びはねていました! 刈谷選手も言っていた通り、選手達は彼女の声援に本当に勇気づけられたと思います!」

 ハチローさんはそこでいったん区切り、トランジスタメガホンを置いて今宮へ拍手を送る。それに倣うようにゴール裏のサポーター達も今宮へ拍手をした。今宮は頬を赤く染め、ぺこぺこと頭を下げた。

「俺達も最後まで諦めず応援しましょう! 俺達の声援は選手達に必ず届くと今日改めて証明されました! 次もみんなで応援して、絶対に連勝しましょう!」

 「ウオォォォォイ!」という野太い返事と拍手の中、ハチローさんは今宮に向けて笑顔で親指をグッと立てた。紫色のマフラーを風にたなびかせるハチローさんの爽やかスマイルに、今宮も俺も思わず見惚れてしまった。ただその中で俺は、結局カッコいいことは何一つ言えずじまいで心の中でうなだれていた。

 俺は今宮をちらりと見る。気弱そうな垂れ目、ゆるいおさげ髪、小柄で華奢な身体。どこにあんなパワーがあるのか、その原動力は何なのか。孤独な学生生活を送っていたと聞いたが、他のことは何も知らない。俺はいつの間にか、今宮梓乃のことがもっと知りたくてたまらなくなっていた。

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