小さな巨人 一
この旅を始めるに当たって、私達の足跡をここに記そうと思います。
恐らく、多くの苦難と恐怖が私達を襲うでしょう。
無事帰る事は叶わないかもしれません。
何も成せぬまま終わるかもしれません。
それでも、これが誰かの道しるべとなるのであれば、この旅は意義あるものになると。
私はただ祈ります。
ー『エマ・ステムリドラの日記』序文よりー
☆☆☆☆☆☆☆
モンスター達に追いやられ、身を寄せ合う人類の中から唐突に、流星の様にその男は現れた。
その男の名は立花墨。後に英雄と呼ばれ、もう一人英雄、エマ・ステムリドラと人類を救った男。
それまで脅かされていたのが嘘の様に、英雄はそれを蹴散らしていく。
人々は問うた。何がそこまで君を強くさせ、憎きモンスター共を打ち倒せる程になったのか。
ーー『オレ達には魂がある。それを強く想うだけだ』
彼曰く、自分達には魂がある。それこそが立ち向かう為の術だと彼は語った。
抽象的な彼の言葉に人々は困惑したが、彼の言葉を聞いた者から一人、また一人と、彼の後ろに続くに足る者が現れ始めた。
そうして、月日の流れに沿う様に英雄の言葉は啓蒙され、魂という概念は根付き始めた。
それは戦士。
己が身を盾に、武器にし、真正面からモンスター達を打ち砕く英雄の似姿。
それこそが欠けた男、ヒョウが目指すモノである。
☆☆☆☆☆☆☆
ヒョウは静寂の中に精神を沈ませていた。
瞑想。
英雄が齎した概念を実感するのに最も基本的で、最もありふれた方法である。
英雄の後ろを進むに値する才能ある者は、主にこれにより己の魂を知覚する。
この学園に在籍する者ならば、誰もが通った道である。
「オイ」
不意に響いたその声を浮力に、ヒョウの精神は急速に浮かび上がる。
横を見れば、半年の学園生活により非常に見知った顔がそこにある。
「んなガッツリ目閉じるな。俺まで睨まれる」
「ああ、悪い」
見れば既に講義は始まっている様である。
教壇の上ではサングラスをかけた屈強な男ーー学生にとっては遥か遠い目標である先駆者の一人が、その風貌に似合わない知的な語り口で話し始めている。
「つーかちょい汗臭いな。くらえ」
「おい、おい。止めろ」
半年がたった今でも慣れることの無いそのギャップ。
茶髪を背中に垂らすほどに伸ばし、整った顔つきを見れば誰もが女と見間違うであろう男。
顔を歪め自前の香水を引っ掛けようとしてくるのは、学園内において数少ないヒョウの友人、天若千だった。
天若の香水攻撃をなんとか凌いだヒョウが前を向くと、そこには饒舌に語りながらもある一点を見つめる講師の姿。天若も気がついたのか、呆けた顔で前に向き直っていた。
「では、そこの二人に答えて貰おうか」
「「あ」」
「我々に最も必要なものとは。どちらでも良い。君たちのベストを教えてくれ」
どうやら、騒いでいたところに目をつけられた様である。
大人しく質問に答えようにも、どうにもヒョウとこの手の質問は相性が悪い。
(適当にそれっぽく答えるか……)
どう答えたものかを思案していると、代わりに天若が立ち上がった。
天若はヒョウの事情を十分に理解している。
無言の配慮にヒョウは内心で感謝する。天若はこういう事が出来る人間であり、友人の少ないヒョウにとっては有難い存在だった。
「モンスターに対する恐怖に屈さない事、だと」
「素晴らしい。僕の言わんとすることもそれに近い」
天若の解答が求めていたものだったのか、満足したようで流れる様に自らの講義へと繋げてゆく。
他の生徒達は皆、至って真面目に講義を拝聴している。
むしろ、貴重な先駆者の話を前に騒いでいたヒョウ達は珍しい。
前線で戦う者への敬意は、同じ道を志す者ならば持ち合わせていない方が異端である。
「魂という概念の知覚によって、僕達は戦う術を得た。しかし、奴らが与えてくる恐怖はそれを阻害する。魂気を発生させるのに、純然な恐怖はノイズだということだね。そんな感じで、魂術の発現には感情によってその規模がーー」
どうにか自分達への注目は剥がれた様だと、ヒョウは内心で息を吐いた。
見れば天若も安心している様で、脱力した様に座っていた。
講義は続く。二度目を避ける為に眼前の講師の話に耳を傾けながらも、ヒョウの頭には先程の質問が頭に残っていた。
ーー自分に最も必要なものとは。
そんなものは、ヒョウには分かりきっていた。
☆☆☆☆☆☆☆
モンスター達の侵略により人類の活動領域が狭まって以降、当然の様に人が生きていく為の物資の確保も難しくなった。
近年になって可能になった既存の物資の代わりとなる物をモンスター達に求める事も当然行われ、その中には新たな可能性を生み出した物もあるが、やはり完全な代替となるものはそう多くない。
その中の一つである食ですら、学園では高水準の物にありつける。
「さっきのはまずったな」
「あの人が相手で良かった。多分一番寛容だ」
「本人はともかく、あの講義を聞いてた連中のがこええよ」
先程の講義を終えたヒョウ達は学園に備え付けられている食堂に来ていた。
学園で唯一にして、全生徒が利用する事を考えたこの施設は非常に大きい。
大規模で喧騒が絶えない食堂の隅の席で高品質な食を味わいながら、恐らくこの施設の恩恵を一番受けているのはこいつだろうなとヒョウは考えていた。
「今日も上限まで食うつもりか?」
「お前が食わなさすぎなんだよ。もったいね」
今では一般人がほとんど見る事の無くなった食材を惜しみなく使った料理を口内に詰め込みながら、半ば憐れむような視線を送ってきた。
天若はかなりの健啖家だった。決して大きいわけではない体と華美な顔に料理が吸い込まれていくのは非常に痛快だ。
人類が運用できる物資は決して多くは無い。その中でこんな事が許されている事から、この場所に向けられる期待がどれほどかが伺える。
それ程に、前線でモンスターと戦う者達の存在感は大きい。
(まあ、こいつは間違いなく大成するだろうな)
「良い食べっぷりだ。僕もご一緒していいかな?」
「……どうも、ザルグ先生」
食を進める二人の席に声をかけたのは、先程まで同じ場所にいた講師。
前線で闘い続け、人類の領土拡張に貢献し続ける現役の戦士、名はザルグ・ハイドレイン。
サングラスと金髪オールバック、筋肉質で鍛え上げられた体は見間違えようも無いほどに特徴的だ。
周囲に気を配れば明らかにざわついている。事実、この人はこんなところで遊ばせていい人材ではないと、教えを受けられる事を喜びながらも思っている生徒は多いだろう。
喉を詰まらせたのか苦しげにもがいている天若の隣にザルグは座った。すでに食事は済んだらしく、机に置かれた食器は綺麗に片付いていた。
「講義中の事は、申し訳ないです」
「いいよいいよ。あの後はちゃんと聞いてくれてたみたいだし」
「では、なぜ俺達に?」
「君には聞いてなかったでしょ、あの質問。あ、これ美味そうだな」
「ちょっと」
天若の皿から幾らか料理を拝借しようとするザルグのその飄々とした態度は、その肩に人類を背負っているとは思えないほど軽く、自然体だ。
隔絶した差がある事を感じさせつつ、ある程度の親しみやすさをも与えてくるこの男に、ヒョウは純粋な尊敬の念だけを抱けないでいた。
「あの、先生。こいつは……」
「知ってるよ、ヒョウ君。ここにおける君の異質さは。その上で聞きたい」
我々に必要なものとは、何だ。
先程と同じ質問。しかし今度は逃げられない。相手はヒョウの事情を理解した上でこの質問を突きつけている。天若がどことなく心配そうな目つきでこちらを見ている。
少しの間の後、ヒョウは答えた。
「魂を知覚できる事。だと、俺は思います。」
「……まあ、君ならそう言うか」
ザルグにとって、ヒョウの答えは想定内だったらしい。
どことなく気落ちした様子で空になった食器を手にザルグは立ち上がった。
「今はそれでいい。だけど、君には気づいてほしい。君にこそ気づいてほしい。僕が求めるのはもっと単純なことだよ」
肯定しつつも意味深に、ザルグは立ち去って行った。
ザルグが求める答え。ヒョウにはこれといって思い浮かばない。今ヒョウが感じている事は、先程答えた自分の主張でしかなかった。
僅かな静寂な後、入れ替わる様にこちらに近づいてくる者がいた。
短く整えられた鮮やかな赤い髪が特徴的で、良くも悪くも目立つ風貌といったその女子生徒は、大層気に入らないといった表情をしている。
「あんたらさ、何言われたかは知らないけど、あの人の手を煩わせるのは止めなさい」
「んあ?さっきの授業にいた奴か?騒いだのは悪かったな」
「……ほんとに見た目と合わないのね」
「よく言われる」
「ちょっと、止めとこうよエリちゃん……」
天若はこういう状況に慣れているのか、敵意とも取れる女子生徒の態度には全く動じていない。
言いたいことは言い終わったのか、友人らしき人物に窘められ舌打ちをしながら、女子生徒が身を翻し去っていく直前、二人の会話をただ見ていたヒョウと目が合った。
「そもそも、そこのそいつは何でここに居れるのでしょうね」
「エリちゃん!」
「……分かったわよ」
「もう、課題任務の打ち合わせもあるんだよ」
「分かったって」
周囲の注目も相応に集まっている。宥める女子生徒に折れたようだった。見下す様な目でヒョウを一瞥し、赤髪の女子生徒は去って行った。
天若は気まずそうな顔をしている。
「まあ、気にすんなよ。色々と」
「分かってる」
食事をしながら発せられた天若の気遣いの言葉を受け取りつつ、先程よりも濃くなった静寂の中で、ヒョウは幾分か悶々とした気持ちの中食事を再開した。
☆☆☆☆☆☆☆
ヒョウの解答は間違ってはいない。
謎掛けじみた答えだが、魂気を扱えなければまともに戦う事が出来ない。モンスターと真正面からぶつかりあえない。
だが、その解答はヒョウ自身の存在を否定させる。
中央学園の入学試験には魂が生み出す力、魂気を扱う事を求められる。逆に言えば、それが出来ない、魂の知覚が出来ない者は選定の場にすら立てない。
だが、それが出来ず魂気を扱えないただの人間がその年は残った、残ってしまった。そして、あまつさえ試験を突破してしまった。
その男の名はヒョウ。
女子生徒の最後の言葉は決してヒョウにとって否定できるものではない。
つまるところ、モンスター達との命のやり取りに必須である筈の魂の知覚と魂気の扱いが、ヒョウには出来なかった。