プロローグ
その男は自分が及ばない事を誰よりも理解していた。
しかし、歩みを決して止めようとはしない。
その背を押すのは使命感か、矜持か、蛮勇か、それともーー。
☆☆☆☆☆☆☆
そこは部屋だった。
無機質な白の壁を四方に張り巡らせ、十分な光量と動き回るための広さを確保したこの塔には幾つもある部屋だった。
その部屋に人影が二つ。
一人は尋常な人間。短く、大した手入れをしていない事を隠そうともしないガサツな黒髪。
そしてその身を包むのはどう見ても学業に勤しむもののそれ、制服そのものであり、その手には黒く先端が丸みを帯びた無骨な棒が握られていた。
対するのは同じく人ーーではない。
姿形は似かよれどもその背丈は人の半分程。肌は薄い緑色に覆われており、背丈の代わりに発達した筋肉、手足に伸びる鋭利な爪は人間のそれではない。
ーー『小鬼』
とあるタイミングで地球上に現れ始め、人類の生息領域を瞬く間に縮めていった異形共、人に対し熱烈な敵意と殺意を向ける怪物。この小鬼はそんな幻想から這い出てきた者達の一人だった。
『ガアッ!』
動く。
ゴブリンが軽快に前へと飛び出す。小柄ながらも引き締まった筋肉に裏づけされた俊敏性は、気を抜けばすぐにでもその尖った爪を標的に向けるだろう。
常人であれば間違いなく恐怖するであろう剥き出しの凶暴性を前にしても、男の思考に揺らぎは無かった。
あるとすれば、闘争に対する僅かな熱だ。
ゴブリンが振り下ろした腕に対し、男は慌てた様子も無く横へと回避。
決して早いステップではない。振り下ろされた腕とも十分に余裕のある安全な回避。
すかさず黒髪の男はゴブリンの左足へと手に持った棍棒で殴りつけた。
『グギャッ!』
足の砕ける音と共に体制を崩すゴブリン。崩しつつも再度腕を横に振るうも男は軽く後方へと身を引いた。
崩れたゴブリンの残った右足を同じように殴りつけ、倒れこんだところで間髪入れずに頭を砕いた。
「よし」
「一年、ヒョウ。対象の討伐を確認しました。戦闘終了です」
無機質なアナウンスが部屋に響き、そこで行われた戦闘行為が終了したことを告げた。
このような命のやり取りはここでは全く以って珍しい事ではない。むしろ積極的に行われ、推奨さえされるような行為であった。
戦闘による興奮で僅かながらに上気した様子の男は、溶けるようにその場から消滅するゴブリンを見ることも無く背を向けた。
男の後ろ手にあったドアのロックが解除され、先程まで行われていた血生臭いやり取りが嘘であったかのような静寂に包まれる中、男は足早に部屋を去っていった。
☆☆☆☆☆☆☆
数百年前のモンスターの出現後、人類は瞬く間に領土と人口を失い追い込まれていった。
既存兵器が何故か通じない敵。通じたとしても人類がまともな抵抗をすることができなかったとある理由。
一箇所へと身を寄せ合うように集まりだし、追い込まれた人類から生まれたのは後に英雄と呼ばれる二人と、彼らの武器。
ーー魂を知覚せよ。
奇跡とも呼べるそれらによって人類はモンスターに対する抵抗を続け、そしてついには一定の領土を確保した。
僅かな安寧を得た人類だったが、彼らはその安寧に身を浸し続けることを良しとしなかった。
彼らは口を揃えて、呟いたという。
ーー英雄に続け、と。
それら先人の思いは途切れる事無く現代まで託され続け、やがて一つの巨大な教育機関として結実した。
確保された領土の中心に構えられたそこは、自分達を追い込んだ敵の事を良く知り、人類が得た武器を鍛えその身に刻み込み、いつしか人類の領土を取り戻す事に燃える若人達の集まる場所だった。
それこそが黒髪の男、ヒョウが通う場所。
人類の希望そのものである『中央学園』だった。