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昊天に往く(後編)

 九月になってすぐの頃のことだった。


 その日は非番で身体の調子も良かった総司は、自室で愛刀、大和守安定やまとのかみやすさだの手入れをしていた。


 打ち粉をかけて拭い紙で拭きあげる。


 最後に研ぎに出して以来一度も抜いていないため、刃こぼれひとつしていない。


 自嘲気味に笑う総司のもとへ、足音が近づいて来るのが聞こえた。


「沖田先生、例の男が」


 襖のむこうから発せられた言葉に、総司はどきりとした。


「今、密かに四人ほど後をつけさせています。光縁寺こうえんじそばの、廃寺の方にむかって歩いていました」


 総司は立ち上がると、手入れを終えたばかりの刀を腰に差し、飛ぶように駆け去っていった。残された男は、呆然ぼうぜんと総司の背中を見送っていた。


 光縁寺そばの廃寺といえばひとつしかない。


 総司は風のように駆けながら、初めて河上彦斎と出会った日のことを思い返し、かすかなときめきを覚えていた。


 ようやく会える。


 そんな、恋にも似た感情が、総司を突き動かしている。


 ふと、争う声が聞こえた気がした。


(まさか——)


 果たして廃寺にたどり着くと、そこには返り血を浴びて、全身を真っ赤に染めた男が立っていた。背をむけているため顔は見えないが、醸し出す雰囲気から、彦斎に間違いない。


 彦斎の周りには、倒れ伏し動かなくなった死体がみっつ転がっている。後をつけていたという四人の隊士たちであろう。最後のひとりは年若い隊士で、刀を構え、震えながらも懸命に彦斎に対峙たいじしていた。


 恐怖に引きっつた顔が、彦斎の背後に見える総司の姿をみとめる。それに気づき、彦斎は背後に目をやった。


「確か……沖田総司だったか」


「お久しぶりです、河上さん」


 対峙する相手から目を逸らすなどよほどの剛担ごうたんだが、恐怖に囚われた隊士はそれでもなお動けなかった。


 総司は彦斎の動きに注意をはらいながら、ゆっくりと隊士のそばへと歩み寄る。


「お……沖田……せん……せい」


 言葉がうまく出ないらしい。歯の根が合わず、かちかちと鳴っている。


 総司は軽く微笑むと、若い隊士の腕にそっと手を乗せ、ゆっくりと刀を下させた。


「ご苦労様、あとは私がやりますから、屯所に戻っていてください」


 総司の言葉に安堵あんどし腰が抜けたのか、若い隊士はほとんど地面を這うように走り去っていった。


「さて……と」


 総司は彦斎の周りに倒れ伏す隊士たちの死体に目をやる。


「……憎かろう?」


 彦斎が静かに口を開く。


「わしが憎かろう、沖田総司。仲間の仇をうちたかろう? だがな……わしの憎しみ、今の貴様の比ではないぞ」


「……やはり貴方、わざと見つかり、ここに誘い込んだんですね。狙いは新撰組わたしたちですか?」


 幕府に追われる身でありながら、なぜわざわざそんなことをするのか。


「知れたこと。貴様らが池田屋で斬った我が師、宮部鼎蔵みやべていぞうの仇をうつためよ」


 彦斎は、底冷えのするような冷徹な目で、総司を睨み据えた。


「さあ、怒れ、わしの怒りと憎しみを、わずかでも知るがいい」


 だが、総司は彦斎の怨嗟えんさを受け流すように微笑むと、


「貴方は思い違いをしています」


 といった。


新撰組わたしたちは、京の治安を守り、維持するという責務があります。その過程において闘いは避けられず、未熟であれば命を失うは必定ひつじょう。誠の旗に殉じた彼らを誇りに思いこそすれ、恨みや憎しみなどありません」


 総司は左手を腰にやり、そっと鯉口を切った。


「私はただ、一介いっかいの剣士として、貴方と立ち合いたかったのです」


 そういって、たおやかに刀を抜くと、そっと正眼に構えた。切っ先から、凛気りんきが立ち昇らんばかりの静けさであった。


 彦斎は右足を前に出し腰を落とすと、右手を柄に乗せ、下からめあげるように総司を見据えた。


居合いあい——)


 居合、あるいは抜刀術ばっとうじゅつともいう。


 刀を鞘に納めたまま構え、間合いに入ったものを抜き打ちに斬る、という剣術で、この術理じゅつりを極めた達人が放つ初発刀しょはっとうの速度は、他のいかなる剣術のそれをも上回る。加えて鞘の内に納められた刀身は間合いを読み辛くさせ、不用意に刃圏はけんに踏み込めば、たちまちのうちに斬って落とされることになるであろう。


 迂闊うかつには動けなくなった。


 風が吹き、境内の木々を揺らす。


 居合は待ちの剣である。必然、彦斎からは動かない。


 にらみあいが続くかと思われたとき、こずえのさえずりに、砂利を踏む音が混じった。


 総司が、正眼に構えたままじりじりと間合いを詰める。このまま睨みあいを続ければ、先ほどの隊士が遠からず援軍を連れてくるだろう。永倉や斎藤、原田らで取り囲めば、いかにこの男が強いとはいえ、ひとたまりもない。


(それでは意味がない)


 総司は、彦斎を捕らえたいのではない。あくまでも、ひとりの剣士として立ち合いたいのだ。

 彦斎の気が、ぴんと張り詰めていく。周囲の空気が凍りついたかのような、冷たい緊張感が総司の肌を刺した。


(ああ、これこそ私が求めていたものだ)


 いつか永倉と立ち合ったときには、全身に燃えるような高揚感があった。それとは真反対の、吐き出す息さえ白くなりそうな空気。ただ、久しく忘れていた、命のやり取りをする緊張感に、総司は背筋が粟立っていくのを感じていた。


 さらに間を詰める。あと一歩、もう半歩。


 次の瞬間、彦斎の剣が光った。


 総司は反射的に飛び退り、さらに下がって二間の距離をとった。羽織の袖が、ぱっくりと切れている。


(速い。いや、それ以上に……遠い)


 彦斎の剣は、総司が想定したよりも遥かに伸びた。居合の使い手と対峙したことがないわけではない。だが、彦斎が見せた一太刀は、それらの使い手がみな凡庸ぼんように思えるほど、次元の違うものだった。


「よくぞかわしたものだ。だが、二度目はないぞ」


 刀を鞘に納め、彦斎は再び構えた。


 不意に、笑みがこぼれる。


「……なにを笑っている」


「嬉しいんですよ」


 総司の言葉に、彦斎は怪訝けげんな眼差しを向けた。


「あれ? 不思議ですか?」


 意外な、といった風に目を丸くする。


「貴方は、私が京にきて剣を交えた誰より強い。そんな猛者と剣を交えることができる、これまでの鍛錬のすべてをぶつけることができる、剣士として、これ以上に嬉しいことはないでしょう」


 そういって、その言葉が嘘偽りのない、心底からのものであることを示すように、口もとから、白い歯を微かにのぞかせた。


 彦斎は、笑わない。これまで数多の男たちを葬り去ってきた必殺の一撃がかわされたことに対し少なからぬ動揺があったのは確かであろう。だが、それ以上に、目の前にいる男の異質な存在感に、目を奪われているようであった。


 彦斎は、これまでに何度か、およそ猛者と呼ぶに値する男たちに会っている。その誰もが、まるで抜き身の刀のようなぎらついた気配をまとっていた。男たちの持つ思想や野心がそう見せたのであろう。京に集まる男たちは、多かれ少なかれそういうものを持っている。彦斎自身、己が苛烈かれつな攘夷主義者であることを隠さない。


 総司はどうか。


 抜き身の刀には違いない。ところがその刀身がひどく薄い。まるで天にかざせばその青さが透けて見えるのではないか、と思えるほどに透明な印象を受ける。だがその一方で、それほど薄く透明でありながら、底の見えない深さも感じる。


 彦斎は、今までに会った男たちの、どの類型にも属さない総司の器に、かすかな戸惑いを感じていた。


 静けさのなかで再び砂利を踏み鳴らし、総司が間合いを詰めはじめる。


 彦斎もまた腰を落とし、気を集中させ、総司の一挙一動を見逃すまいと、射抜くような視線を向けた。


(……ここが切所せっしょだ)


 身体が熱を帯びていくのを、総司は冷静に感じ取っていた。池田屋のときもそうだった。死の存在をかたわらに感じながら剣を握るとき、身のうちに燃え盛る炎を感じるのだ。そしてそれと相反するかのように頭の芯は徐々に冷え、やがて凍りついたかのようになっていく。


(己の全てを、剣に乗せる)


 小細工はなかった。総司は気息きそくを十分に整えた彦斎に向かい、真正面から踏み込んだ。

 二間の間合いを瞬時に詰め、突きを繰り出す。


 火花がふたつ散った。


 彦斎は抜き打ちに一の太刀をさばくと、かえす刀で続く二の太刀も弾き返した。だが、総司の突きの鋭さは、彦斎の刀を鞘から誘き出し、さらにその体勢をも奪った。


 体勢を崩した彦斎に、三の太刀を見舞う。


(——入る!)


 そう確信した刹那、熱い炎の塊が、喉の奥から迫りあがってくるのを感じた。


 視界が揺れ、意識がそこにあることを拒絶しようとする。


 総司は懸命に意識をつなぎ止め、最後の突きを繰り出す。その手に、微かに手応えを感じた。


 彦斎に視線を向ける。表情はよくわからない。ただ、頬から流れ出た血が、着物の襟から胸元にかけてを赤く染めていた。わずかに乱れた突きは、彦斎の頬を裂くだけにとどまった。


 彦斎は飛び退さり、間合いをあけた。


(ああ、届かなかったか……)


 力が抜け、崩れる落ちるように膝をつくと、同時に血を吐いた。真っ赤な血の塊が、やけに美しかった。


 もはや顔をあげる力もない。視界の端に、刀を抜いた彦斎が、ゆっくりと近づいてくるのが見える。なにごとかを口にしているようだが、朦朧とした意識のなかでは聞き取ることができない。ただ、その先に待つのが死であることだけは確実だった。


 あるいは病を得ていなければ、三の太刀が彦斎の喉を貫いていたかもしれない。だが事実として、総司は労咳を得た。


(悔いはない。私は、剣士として生き、剣士として死ねるのだから)


 最後に頭によぎったのは、師である勇や兄のような土方など、試衛館時代の仲間たちの顔であった。


(近藤先生は許してくださるだろうか? 少なくとも、土方さんにはまた怒られるだろうな)


 くすりと笑い、仰向けに倒れた。


 天が、抜けるように青かった。



 

 次に意識を取り戻したとき目に入ったのは、見慣れた自室の天井だった。


(……生きてる?)


 ぼやけた視界の端で、誰かが動くのが見えた。人影は襖を開け、飛び出していった。


 ばたばたとした足音が遠ざかり、やがてさらに慌てた足音が近づいてくるのが聞こえた。


「総司! この……馬鹿野郎!」


 部屋にくるなりそう怒鳴ったのは、土方だった。


 総司の顔を覗きこみ、罵詈雑言の限りを尽くしている。だが、その顔は今にも泣きそうだった。


 総司は口もとが緩みそうになるのを懸命に堪える。


「トシ、もうその辺にしてやれ」


 そういって勇が土方をなだめる。


「そうやって勝っちゃんが甘やかすからつけ上がるんだ。たまには厳しく言わねえと」


 ふん、と鼻を鳴らす土方だが、懸命に演技をしていることは明らかで、背後にいる永倉や原田らも、口もとに手をあて、笑いを堪えていた。


「総司、あまり無茶はするな。今回は運よく助かったが、次も同じとは限らねえ。まずは静養し、身体を治すことに専念しろ」


 穏やかに諭す勇の言葉に、総司は頬を濡らした。


 後に聞いたところによると、総司に助けられた隊士が屯所に戻り事と次第を説明すると、勇と土方は血相を変えて飛び出したという。現場にたどり着いたとき、その場にいたのは意識を失い倒れていた総司だけで、河上彦斎の姿はどこにもなかったという。おそらく、気配を察知し、その場から逃走したのであろう。土方は素早く追手を出したが、遂に見つけることはできなかったらしい。


 勇は総司の涙を拭い、


「とにかく総司、お前は身体を治すことに専念しろ。まだまだお前には働いてもらわねばならんからな」


 といった。


 なんでも近々、江戸で隊士の募集を行おうというのだ。新撰組の名は、江戸でもかなり知られているという。江戸中の剣術道場を周り、有為の人材を探そうというのだ。


「平助の知り合いに伊藤(なにがし)という男がいて、これがかなりの人物だというのだ」


 興奮気味に話す勇に、総司は頬を緩めた。


「どれだけの猛者が集まるか、是非とも手合わせをしてみたいものですね」


「まったく、お前の頭のなかは剣のことばかりだなあ」


 そういって勇が笑うと、総司の居室は笑い声で溢れた。


 勇が話していたとおり、あくる十月、藤堂平助の推挙すいきょもあり、伊藤甲子太郎以下、新たに江戸で募集した者たちが京にて合流した。隊士の数は二百人を超えるほどに膨れあがり、新撰組は、まさに絶頂期を迎えようとしていた。


 だが、年が明けた二月、総長である山南敬助が脱走し、『局ヲ脱スルヲ許サズ』という隊規に触れ切腹した頃から、新撰組は凋落ちょうらくの一途をたどっていくことになる。


 総司の病も、衰えいく新撰組と足並みをそろえるように悪化していった。


 試衛館で共に過ごした藤堂平助が伊藤甲子太郎とともに脱退し粛清されたときも、薩長軍との戦いの火蓋が切って落とされたときも布団のなかにいた総司は、思うように動かない己の身体に歯噛みする。


(最後に剣を握ったのは、確か切腹する山南さんの介錯かいしゃくをしたときだったな)


 総司は細くなった己の腕を持ちあげ、山南の最後の姿を思い浮かべた。


 脱走した理由も告げず、恨みがましいことも言わず、もっとも苦しいとされる十文字腹をもって果てた。あの凄絶せいぜつなる最後の姿は、山南の、武士としての矜恃きょうじの現れだったのだろう。


(あのときの山南さんは立派だったな。武士として、立派な最後だった)


 自分も武士として、剣士として、このままでは終われない。総司は天井を眺めながら、そんなことを思った。



 

 京における時勢の流れは風よりも早く流れていく。


 鳥羽・伏見での戦いに幕府軍として参戦した新撰組は、敗戦とともに江戸へ逃れた徳川慶喜とくがわよしのぶを追い、幕府が所有する軍艦で江戸へと撤退することになったのだが、多数の脱走者もあり、この頃には隊士の数は半分以下になっていた。


 船には総司も乗っていたがすでに参戦できる状態にはなく、江戸に戻ると、千駄ヶ谷(せんだがや)にある植木屋の屋敷にかくまわれることになった。姉が、総司の世話をしている。


 千駄ヶ谷では、京にいた頃とは比べものにならないほど平穏な日々が続いた。京に上って以来感じたことのない穏やかな日々は、実はもうとっくに自分は死んでしまっているのではないか、という不安になって襲ってくることがある。そんな総司をかろうじてつなぎとめていたのが、ときおり見舞いに訪れる土方の存在だった。


 総司は土方が持ち込む勇からの手紙を読むたび、


「私ももうすぐ治りそうです。早く近藤先生や土方さんとともに戦場に立ちたいですよ」


 と破顔はがんした。


「土方さんは相変わらず戦ばかりですか」


 勇からの手紙をたたみ、土方へと視線を向ける。


「ああ、今度は甲州でひと戦だ。見てろ、新政府軍なぞと名乗っていやがる薩長の奴らに一泡吹かせてやる」


 笑って答える土方の顔には生気がみなぎっている。その目は、まるでなにかから解放されたかのように生き生きとしていた。


「早く身体を治して帰ってこい、総司。近藤さんも、お前の復帰を心待ちにしている」


「次の戦には私も参加します。一番槍は私が受け持ちますよ。何せ私は、新撰組の一番隊組長なんですから」


 土方の激励に、総司は笑って答えた。


 だが、時勢の風は、二度と新撰組に追い風となって吹くことはなかった。


 甲州では惨敗し、永倉、原田は方針の違いから勇、土方と決別。再起をかけ、新たに隊士を募集した下総しもうさの流山では新政府軍に囲まれ、土方以下隊士らを逃すため、勇は新政府軍に投降し、処刑された。


 捕縛された勇は武士として切腹することは許されず、罪人として斬首され、その首は三条河原に三日間晒された。その最後は一分の見苦しさもなく、その場にいる誰よりも、武士としての威厳と誇りに満ちていたという。


「まったく、旧幕臣の連中は腰抜けばかりだ。戦はこれからってときにまるでねばり腰がねえ」


 そう毒づいたのは、見舞いに訪れた土方だった。総司はくつくつと笑っている。勇の死は、総司には知らせていない。


「それで、次はどこで戦ですか」


「ああ、次は会津に行こうと思ってる。お前はもうしばらく留守番だ。会津で薩長どもを追い返せば俺たちは再び江戸に戻る。そのときには復帰してもらうからしっかりと養生しておけよ」


「分かりました。実は以前と比べるとかなり良くなってきているんです。もしかしてもう治ってるんじゃないかな? そろそろ剣も触れそうですよ」


 以前よりさらに細くなった腕を持ち上げ、総司は拳を握って見せた。


「ところで、近藤先生はどうされてますか? 最近手紙が届かないんですが」


 総司の言葉に土方は、


「ああ、この前の戦で利き手をやっちまってな、筆が持てねえんだ。なあに、飯を食うのに難儀してるがぴんしゃんしてらあ。虎徹こてつも左手一本で振り回してやがる。書くことを溜めてると思って待ってな」


 と、笑って総司の肩を叩いた。


「そうですか、やっぱり近藤先生はすごいなぁ。そうだ、今度久しぶりに先生に稽古をつけてもらいたいな」


「よせよせ、あの人は竹刀を握ったらからっきしだからな。お前が一番知っているだろう」


 二人は顔を見合わせると、声を上げて笑った。


「それじゃあそろそろ行くとするか。またな、総司」


 そういって立ち上がると、土方はくるりと背を向け、それきり振り返ることなく、総司のもとを去っていった。


 

 二ヶ月後、その日は朝から体調が良く、総司はどうにも無性に剣が振りたくなり、床の間にかけてあった刀を取り、縁側から庭に降りた。


 鯉口をきり、ゆったりとした動作で刀を抜く。


 刀が陽光を反射し、きらりと光った。


 総司は刀に意識が吸い込まれるような錯覚を覚えた。


 正眼に構え、振り上げ、宙空を斬る。


 刀の重さが、かつてないほどに伝わってくる。同時に、総司の脳裏に電流が走った。


(ああそうか、私は今まで剣を振っていたけれど、剣は振るものではなかったのか)


 己の意思が刀を振るのではなく、刀の意思が身体を動かす。


 頬を緩め、さらに振るう。


 いち、に、さん、し。


 振るほどに、刀の意思が腕を通して伝わってくるような気がした。


 つっと踏み込み、三度突く。


 静寂が、耳の奥で鳴っていた。


 総司はそっと刀を鞘に納め、大きく息を吐いた。


「腕をあげたな、総司」


 声をかけられ振り向くと、そこには勇が立っていた。目を細め、穏やかな微笑みを見せている。


「先生、来ておられたのですか」


 声を弾ませ足早に歩み寄る。


「先生、私はつい今し方、剣の声を聞きました。剣は、とても雄弁なのです。今なら斬れぬものなどないかもしれません」


 目を輝かせ、頬を紅潮させる総司に、勇はただ頷いて応えた。


 総司は勇とともに縁側に腰掛け、試衛館時代のこと、京でのこと、これからのことを、いつ尽きるともなく勇に語り続けた。


 

 昼、見舞いに訪れた姉が見つけたのは、穏やかな陽光が射す青空のした、縁側で刀を抱き抱え、嬉しそうな微笑みを浮かべて息を引き取っている総司の姿だった。


 享年、二十四歳。

 

 慶応四年の夏の日のことであった。

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