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昊天に往く(前編)

天賦の才に恵まれながら、なおひたすらに剣の道を追い求める沖田総司は強者を求めのぼった京で、運命的な出会いを果たす。

だが皮肉なことに運命は、同時に死病をも総司に与えた。


新撰組一番隊組長として、そして夭折した天才剣士として有名な沖田総司の人生を描いた物語。

前・後編の2編でお楽しみいただければ幸いです。

 沖田の突きは三段構え、といわれている。


 どん、と力強い踏み込みで間合いを詰めたかと思うと身体を沈み込ませ、やや下方からいち、に、さん、とひと息に突く。その突きが、どう目を凝らしても一動作にしか見えず、あまりの速さから、誰がいうともなく『三段突き』と呼ばれた。


 この突き技は、総司が自然じねん会得えとくしたものである。


 それは、元服げんぷくしたばかりの、まだあどけなさの残る十二歳の春のことであった。幼い頃から天然理心流三代目宗家、近藤周助こんどうしゅうすけの内弟子として、試衛館しえいかんで剣術の腕を磨いていた総司は、日々の努力とその天賦てんぷの才によって、めきめきと頭角を現していった。


 その日、久しぶりに門下生に稽古をつけていた周助は、道場の隅っこで一人突き技を繰り返す総司に目を留めた。黙々と突きを繰り出しては盛んに首をひねっている。どうにも気になり、声をかけた。


「どうした総司、なにをしている?」


「先生、それが、少し気になることがあるのです」


 そういって、総司は周助の前で、どん、と力強く踏み込むと、宙空に穴を穿うがつような突きを繰り出した。


「良い突きだ」


 そういってうなずく。門下生のなかに、これほどの突きを放つことができるものはそうはいない。いったいなにが気になるのか。


「ですが先生、突きは出した後に身体が伸びきってしまいます。これでは二の太刀が出ないのではありませんか?」


 総司の言葉に、周助ははっとした。


 確かにその通りなのだ。


 突きは、一般に『死に剣』といわれている。ひとたび繰り出してしまえば、当たろうが外れようが姿勢が崩れ、いわゆる死に体となり、次の動作が遅れてしまう。そのため、天然理心流には突きをかわされた際、素早く横なぎへと変化させる『平突き』と呼ばれる技法が存在するのだが、総司にはまだそれを教えてはいないはずだった。


「総司、誰にそれを教わった? 勇か?」


「いえ、稽古を見ていて気づいたのです」


 屈託のない笑顔で答える。


(……天才かも知れんな)


 総司がもつ剣術の才能は、すでに十分知るところではあったが、わずか十二歳でそこに思い至るとは、やはり並大抵の天稟てんぴんではない、と周助は喉を鳴らした。


 だが、周助が真に目をむくことになるのは、次の瞬間のことだった。


 総司はどん、と踏み込むと、目にもとまらぬ速さで突きを繰り出した。それも、どうやら普通の突きではない。


「総司、もう一度やって見せなさい」


 きょとんとした表情で頷くと、総司は再び同じ動きをしてみせた。


 強く踏み込み、突く。その刹那せつな、竹刀を引き、再び突く。


 ほとんど一動作にしか見えなかった。


 このとき周助は、総司がやがて宗家を継ぎ、天然理心流を新たな段階へと引き上げるだろうことを確信した。


 周助は義息子むすこいさみを呼び、今後、総司の指導にもあたるようにいった。


「厳しくな」


 ふだん勇の指導に滅多に口出しをしない周助が、珍しく注文をつけた。それだけの逸材だということだろう。実のところ、総司のもつ天稟は自分よりも遥かに高いところにあると、勇自身も思っていた。


 事実、総司は乾いた砂が水を吸うように、勇が教えることを次から次へと吸収していく。稽古は厳しかったが、総司にとっては苦ではなく、むしろ剣術が楽しくて仕方がなかった。


 勇の熱心な指導のもと、総司はその天稟を加速度的に開花させていく。その剣腕けんわんは、並いる大人たちでは相手にすらならず、ときに師範代である勇すらたじろがせるほどのものだった。そうして十五歳になるころには塾頭じゅくとうを務めるほどになり、やがて手足が伸びきる頃には、道場内で総司とまともに打ち合える人間はほとんどいなくなっていた。師である勇、北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうの免許皆伝をもつ山南敬助やまなみけいすけでさえ、三本のうち、二本は取られる。かろうじて互角の腕を持っているといえたのは、食客として居候する永倉新八ながくらしんぱちだけであった。


 永倉は、神道無念流しんとうむねんりゅうの達人である。七歳の頃より撃剣館げきけんかんで剣術を学び、十八歳で本目録ほんもくろくを得た。その後脱藩し、剣術修行の旅に出ていたとき、本所亀沢町にある百合元道場ゆりもとどうじょうで神道無念流の免許皆伝を受け、その後、勇の人柄に惚れ、試衛館に居候している。剣の腕は、そこらの剣客などおよびもつかない。


 総司が永倉と初めて立ち会ったのは、日差しの強い夏のある日のことだった。剣術修行のため江戸中の道場を訪ね歩いてた永倉が、試衛館へと訪れた。


「当道場で塾頭を務める、こちらの沖田総司がお相手仕る」


 師範代である勇がいった。永倉の立ち居振る舞いから只者ではないことを見抜いたのだろう。未熟なものをぶつけ、


「天然理心流とはこの程度か」


 と、軽んじられるわけにはいかない。


 総司の腕は、勇が誰よりも理解していた。


 この頃、すでに門下生で総司とならぶものはおらず、ある意味仕方がないことではあるが、総司はわずかばかり天狗になっていた。ここで永倉と対峙たいじさせ、初心を取り戻させようという狙いもあった。すでに自分よりも劣る兄弟子たちとの立ち合いに飽いていた総司は、永倉の姿を見たときから、密かに胸がときめいていた。


 互いに礼をし、構える。


 次の瞬間、総司は息をのんだ。


 打ち込む隙がない。正眼に構えられた竹刀の切っ先が小刻みに揺れ、それが、総司の打ち込もうとする気を巧みにはぐらかすのだ。


(うーん、なんだか嫌な感じだなあ)


 総司はゆっくり息を吐きながら、密かに舌打ちした。どう打ち込んでも、さばかれるような気がした。


 永倉の刺すような視線が、まっすぐ総司に突き刺さる。


(仕掛けてみるか)


 息を止め、大きく踏み込み、面を狙った一撃を放つ。


 竹刀と竹刀がぶつかる乾いた音が、道場内に響いた。


 永倉はぱっと飛び退って間合いを開ける。大きく息を吸い、ふー、とひと息に吐いた。


 総司もまた、驚きを隠せない。


 ほとんどのものは、総司の力強く速い踏み込みに対応できず、なすがままに面を打たれてしまうものを、この男はいともたやすく——少なくとも総司にはそう感じられた——捌いてのけたのだ。


 ——強い。


(もしかしたら、近藤先生より?)


 総司は、全身が歓喜に震え、粟立あわだっていくのを感じた。


 こぼれそうになる笑みを抑え、再び対峙たいじする。


 永倉が、下段に構えた。


(……なにかあるな)


 打ってこい、と言われているような気がした。


 周囲で見ている者たちも、みな一様に押し黙り、二人の一挙一動に視線を注いでいる。


 総司は、全身を駆け巡る熱気が、竹刀の先から陽炎かげろうを揺らめかせるのではないか、と思えるほどに充実しているのを感じた。


(ああ、楽しいなあ)


 口の端があがろうとするのを懸命に堪える。永倉の、面の下に隠れた顔も、きっと同じように笑みがこぼれるのを堪えているに違いない。


(いったいなにを隠しているのだろう)


 我慢の限界だった。


 獣が獲物に飛びつくように、いや、子供が玩具おもちゃに飛びつくように、総司は永倉の懐に飛び込んだ。


 目にも留まらぬ速さで距離を詰め、再び面を狙う。


 それを待っていたかのように、下段に据えられていた永倉の竹刀が、総司の竹刀を跳ねあげた。

 まるでなにかが破裂するかのような音が響き、刹那せつな、天井に向いていた切っ先が、総司に襲いかかる。


 神道無念流の秘技、龍飛剣りゅうひけんである。


 身を投げるようにかわし、距離を取る。永倉の竹刀が、わずかに面に触れた。


(——危なかった)


 なにかある、という警戒心が、ほんのわずかに踏み込みを甘くした。それが、かえって功を奏した。

 再び正眼に構える。


(次はこっちの番ですよ!)


 呼吸を整える。


 ゆっくりと吸い、ゆっくりと吐く。それを数度繰り返し、気を充実させていく。


 じりじりと間合いを詰め、やがてお互いの竹刀の切っ先がわずかに触れるかどうかというところまで詰まったとき、総司が動いた。


 どん、と床板を踏み抜かんばかりに強く踏み込むと同時に、突きを繰り出す。


 総司の三段突き。


 竹刀を弾く音が二度、響いた。


 が、三度目の突きをかわせず、永倉は後方にたたらを踏んだ。


「一本! 勝負あり!」


 審判を務めていた山南が、総司の勝利を宣言する。同時に、総司が大きく息を吐いた。面を外し、肩で息をする。永倉も咳き込みながら面を外し、息を整える。


「いやあ、まいったまいった。まさか龍飛剣りゅうひけんがかわされるとは思ってもみなかった」


「こちらこそ、私の突きをふたつまでも捌いたのは、近藤先生以来ですよ」


 二人は目を見合わせて笑った。


「またやりましょう、永倉さん」


「いや、俺は根無草ねなしぐさの修行者で、明日の行くあても——」


 そういう永倉に、総司は微笑みながら、目顔めがおで勇の方を見るように促した。勇は、満足そうに頷きながら手を叩いている。その隣では山南と藤堂も、上気じょうきした顔で二人の立ち合いについて話していた。


「隣にいる山南さんや平助も、もともとは北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうの人間ですけど、今はうちで寝起きしてます。原田さんなんて宝蔵院流ほうぞういんりゅうの槍つかいで、なにもしないくせにうちで一番飯を食うんですよ」


 うちはそういう場所なんですよ、と総司は笑う。事実、このあと勇からの申し出を受け、永倉は試衛館道場にて、食客として勇や総司らとともに寝食を共にすることになった。


 

 時は流れ、総司は勇、土方、井上、永倉、山南、藤堂、原田らとともに京へのぼり、浪士組を結成することとなった。攘夷じょういの先駆けとして夷狄いてきを払わん、という旗印を掲げてはいたが、正直なところ、総司にはあまりよく分からない。攘夷やまつりごとの話になると、いつのまにか消えてしまう。ただ、浪士組が関わる争闘のなかには、必ず総司の姿があった。


 ——もっと技を磨きたい。


 ——もっと剣を極めたい。


 総司の頭のなかは、常にそればかりだった。


 剣術には、実践を重ねることでこそ真の理合りあいが身につくという『斬り覚え』という考え方がある。京にきてからというもの、幾たび人を斬ったのか。総司の剣は、江戸にいたころとは比べ物にならないほど研ぎ澄まされていった。


 だが、京での日々が深まるにつれ、総司の心はどんよりと曇っていく。はじめのうちこそ、見るもの聞くもの、触れるもの全てがみやびやかな京の町や人々に心躍らせ、子供のようにはしゃいでいたが、それらもやがて、せてみえるようになった。


 総司は退屈していた。


 京に上ってきて以来、人を斬り続ける日々が続き、隊名が壬生浪士組みぶろうしぐみから新撰組しんせんぐみに変わってからは、さらに人を斬った。人を斬ることに恐怖や葛藤はなく、むしろ命のやり取りを経るたび、壁をひとつ越えるような感覚すらあった。


 だが、近頃ではそれすらも感じなくなった。


 隊のなかには幾人かの猛者もさがいる。永倉は言わずもがな、先日加入した斎藤一さいとうはじめに至っては、加入したその日に一度だけ手合わせをしたが、いまだ底が見えなかった。


 とはいえ、彼らとは命のやり取りをするわけではない。隊務をこなすなかで起こる斬り合いでは、命のやり取りと呼べるほどの手練れと会うことはなくなっていた。


「それでは、市中巡察に行ってきます」


 いつものように隊士らを連れ、京の町を歩く。


 市中巡察は、一隊を二手にわけて行う。


 それは、巡察を開始してから一刻ほどが過ぎてからのことだった。伍長を務める大石鍬次郎おおいしくわじろうが率いていった隊の若者が、総司のもとへと駆けてきた。


「た、た、た、大変です! 大石伍長が——」


 若い隊士の慌てぶりは尋常ではなく、話を要約するとどうやらこういうことらしい。


 巡察の際、どうもこちらをちらちらと見ている奴がいる。それがまた小柄な男で、しかしながら腰にはしっかり二本を差している。気になった大石が声をかけた。なんと声をかけたのかは分からないが、次の瞬間、大石は二間以上飛び下がり、刀に手をかけ、そのまま動かなくなったのだという。


「あまりの緊張感に周囲のものも動けず、一番遠くにいた私だけがかろうじて——」


 とにかく助けを呼ぼうと総司のもとへと駆けてきたといった。


「へえ、大石さんが」


 総司は目をみはった。


 大石鍬二郎とは京にきてから加入した男で、小野派一刀流おのはいっとうりゅうの達人である。性格は激しく歪んでいるが、剣の腕は、隊内において上から数えたほうが早い。一種の殺人嗜好者で、勇や永倉などは毛嫌いしているが、その残忍性と、強者におもねる性向から、土方が総司の下につけた。とにかく、剣の腕は確かだ。


 その大石が、睨み合ったまま動けないでいるという。


 俄然がぜん、興味をそそられた。


 急いで現場に駆けつけてみると、すでに野次馬が集まっていた。興味深げに眺めるもの、恐ろしげに見つめるもの、おおよそ半々といったところだが、その視線は同じ先を見ている。


 かき分ける人の隙間から、刀の柄に手をかけ、今にも斬りかからんと腰を落としている大石が見えた。対峙する男は大石とは反対に、両手をだらりと下げたまま、刀の柄にさえ手をかけていない。笠をかぶっているせいで顔は見えないが、大石より一回りと少し小さい。だが、現場にただならぬ緊張感をもたらしているのは、間違いなく目の前のこの男だった。


 ——強い。


 総司の直感が、そう告げる。


(もしかしたら、これまで見てきた誰よりも?)


 そう思うと肌が粟立ち、自然と笑みがこぼれた。


「大石さん、そこまでです」


 総司の言葉に、大石はびくりと肩を震わせ、次の瞬間大粒の汗を額に浮かべ、大きく息をついた。


「こちらの御仁がなにかしたんですか?」


 総司の問いに、大石は首を左右にふって答えた。声を出せぬほどに疲労しているらしい。


「こちらの御仁は抜いてさえいません。相手になにも非違がないのに刀を抜けば、それは私闘です。私の闘争を許さず。局中法度にふれれば、切腹は免れませんよ」


 そういって、大石と男の間に割ってはいる。


 男の目を、真正面から見据えた。


 ひどく冷たい目をしている。大石とよく似た、人を斬ることが好きな目だ。


(……斬り合ってみたいな)


 そんな考えが、かすかに脳裏をよぎった。


 束の間見つめ合う。


 やがて男はふいと視線を逸らし、身をひるがえした。


「私は会津藩お預かり、新撰組の沖田総司といいます。あなたの名は?」


「……熊本藩士、河上彦斎かわかみげんさい


 背中を向けたままぼそりと答えると、河上彦斎は野次馬の間を縫い、そのまま消えた。


 総司はひとつ深呼吸をすると、隊を率いてそのまま屯所へと帰った。


 屯所に帰ると、総司はその足で道場へと向かった。


 日が傾き、暗くなった道場で、総司はひとり木刀を手に、正眼に構えて目を閉じた。まぶたの裏には、河上彦斎がいる。いったいどれほどの使い手なのか、得意な技はなんなのか、様々なことが浮かびあがり、次から次へと消えていく。


 どれだけそうしていたのか、総司の全身はしとどに濡れている。やがて心のなかから全てが消えたとき、総司はつっと踏み込み、突きを三度繰り出した。


 汗が、床板を濡らす。


(あの男は、果たしてこの剣をかわしてくれるだろうか)


 総司は、焦がれるように日々を過ごした。


 後に監察の調べで分かったことだが、この河上彦斎という男は相当に危険な男らしい。酒の席で、どこからか、だれそれを斬るべきだ、という声が聞こえれば、誰にもなにも言わずふらりと出ていく。そうしてしばらくすると、そのものの首を抱えて座に戻り、またなに食わぬ顔で酒を飲み始めた、などという噂まである。剣の腕も凄まじく、あの日、もしも大石が抜いていれば、まず間違いなく、その首は胴から離れていたに違いない。

 


 京における時勢は、風よりも早く流れていく。


 六月、新撰組は幕府転覆を企む過激尊攘派の一派を池田屋での死闘の末捕縛した。彼らは京の都を火の海にし、その混乱に乗じて天子を奪うという、ほとんど暴挙とも思える計画を企んでいた。


 都を大火から救ったとして、一躍名を馳せた新撰組の隊士たちは、今や倒幕派の志士たちから、蛇蝎だかつのように忌み嫌われている。


 総司は、病の床にあった。池田屋での死闘の最中に倒れたのである。


 その日、朝から食欲がなく、今まで感じたことのないような倦怠感けんたいかんがあった。だが、総司はそれをいっときのものだと思い、誰にもいうことなく無視した。元来、身体は弱くない。


 いざ戦いが始まると、むしろいつもよりも剣が冴えた。


(やはり気のせいだ)


 そんなことを思いながら剣を振るっているとき、突如視界が揺れた。景色が歪み、立っていられなくなった。襲ってきた刀をかろうじてかわし、なんとか敵を斬り下げたが、その場に膝をついた瞬間、大量の血を吐いた。


 労咳ろうがいだった。


 そこから先は、どう戦ったのかは記憶にない。次に覚えているのは、勇と土方が心配そうに自分を見下ろしている顔だった。


 総司は戸板に乗せられそうになるのを拒み、自力で歩いて屯所まで帰った。勇と土方からは安静にしていろといわれたが従わず、翌日から隊務に復帰した。


「もう治りましたから」


 それが、総司の口癖になった。


 事実、その後も総司は隊の活動に精力的に取り組んだ。市中巡察はもちろん、『八月十八日の政変』以降京を追われ、池田屋での出来事をきっかけに暴発した長州の過激尊攘派が中心となって引き起こした反乱の鎮圧にも出動していた。


 時代の風は、確実に新撰組に吹いていた。


 池田屋や先の反乱での働きから、幕府や朝廷、会津藩より報償金を下賜かしされ、京においてその名は雷鳴のように轟いている。過激尊攘派にとって、新撰組はもはや無視できない存在になった。それどころか、最大の脅威になったといっていい。


 沖田総司という名も、京では知らぬものはいなくなっていた。


 だが、病魔は確実に総司の身体をむしばんでいた。なんでもない日が続いたかと思うと、ある日とつぜん微熱が続き、気怠けだるさがつきまとい、剣を持つことすら辛くなる。労咳は死病である。いずれは剣を振ることはおろか、布団から身体を起こすことさえままならなくなるだろう。総司自身、遠からず己の命が終わることをどこかで覚悟していた。


(そうなる前に、あの男と立ち合ってみたいな)


 河上彦斎と出会って以降、総司は巡察に出るたび密かにその姿を探していた。非番の日や、体調が優れず隊務に着けない日も、巡察にあたる人間に人相を伝え、見かけたら知らせるように頼んである。


 いつか対峙する日がくるかもしれない。


 そんな思いを胸に、心気を研ぐ日々が過ぎていった。


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