決闘の果てに
ネメシアとロニ子とロニエには「絶対に守るから」などというベタなセリフを吐いたはいいものの、結果はこの様だ。
くそっ。
まったく歯が立たない、とはこういう状況を指すのだろう。さすがは帝国騎士団所属の騎士だ。
「ハッハッハ、やっぱり勇者どのは弱いですなぁ」とアドルフは集まって来た観衆にも聞こえるように、大きく声を張りあげる。
「3対1は……卑怯だぞ、騎士は一騎打ちじゃないのか」これもベタなセリフだ。
倒れたまま、バレないように砂を握る。目くらましにはなるかもしれない。余裕の笑みで油断している隙に――
――今だ!
「うぐっ……」
簡単に躱され、僕が斬りかかると同時にみぞおちを突かれた。
「そんな姑息な手に引っかかるわけがないだろう」
「ゴブリンじゃあるまいし」
観衆からも笑いが起こる。
もうどのくらいの時間が経ったかわからない。
木剣とはいえ、打撲、突き指、皮膚がぱっくり割れている箇所もある。
結構痛い。かなり痛い。
唇も切れているな。血の混じった唾を吐く。
しかもさっきのは危なかった。間一髪で回避できたが、木剣での目潰しは確実に失明する。
さて、ずっと戦略を考えているが、全く勝てる気がしない。剣技なんて、基礎のものしかまだ使えないし、簡単に読まれてしまう。
まず、7つの頃からずっと修練している剣士に、少しばかり強くなった勇者が勝てるはずもない。場数が違うし、何より本気の対人戦を僕はほとんどしたことがない。
せめて2人だけならいい線を狙えたのにな。なんて言い訳は無用だ。
「オラオラオラ!」
「弱いなぁ!」
「そりゃ」
剣をくらってまた倒される。
1人の剣を受けても、次の横槍は避けられるほど、僕はまだ強くない。
ちらりと魔女の方へ目をやる。
ロニ子とロニエは無表情、ネメシアは……
また泣いている。泣いてくれている、のか?
いや、この明らかな勝敗と自らの今夜の恥辱のためだろう。
負けられない。僕は3人を守るんだ。
集中しろ。
と、ふと、視界の隅に、アドルフの奥に立つ、ディスアキア皇女の姿が見えた。
その瞬間――――、身体が勝手に動いていた。
世界がゆっくりと動く。
動きが、見える。
まずは右手前の騎士からだ。
そして次に、斬りかかってくる2人を同時に、一瞬で、仕留める。
気づけば騎士たちは、気絶していた。
全部でおそらく数秒にも満たない、数瞬だった。
静まりかえった練兵場で僕は声で静寂を破った。
「僕の勝ちだ」
叩いて起こしたアドルフにそう言った。
すっくと立ち上がったアドルフは、
「なんだっ! なんだ今の剣技は!」
「わかったぞ、お前、魔女に援護魔法を使わせたな!」と他の騎士が言う。
「そうだ、魔女に目配せして合図したのを俺は見てたぞ!」と観衆からもヤジが飛ぶ。
「何を言って……」
僕もどうやって勝ったかはわからないが、魔法は使われていない、はず……
「使ったの……?」と僕は魔女に聞く。
「いえ、今日はマナ供給の安定性を確かめるだけだったので、まだ魔法は使えません」
だよな。彼らには魔封じの鎖が見えないのか。
「いや、俺は見ていたぞ! 正直に言え!」
「使ってないって言ってるだろ!」
「じゃあどうやって貴様なんかが勝ったんだ!」
「そもそもアドルフたちは剣技を使っていないんだ! それに魔法なんて卑怯にも程があるぞ!」
などと僕たちは見苦しい押し問答をし始めたら、見かねた皇女がやってきた。
「ふーん、キミ、やるねぇ。今のはボクのオリジナル剣技だよ。いつ覚えたの?」
え、そうだったの?
でも確かに、さっき戦いの最中、ディスアキア皇女を見た途端、パッと何かが思いついて体が勝手に動いていた。前の戦いでみた皇女の剣技を、無意識にコピーしていたのか?
さらにざわめく野次馬ども。
「じゃあさ」と皇女がみんなを黙らせる。
「キミたちが信じられないってんなら、ボクが見せてあげるよ。ボクの剣技を」となぜか僕を見ながら皆にそう言う。
嫌な予感がする。
この目は、皇女が稽古の相手をしてくれている時の目だ。
しかもかなり厳しい時の。
「ボクと一騎打ちだ」
拾った木剣の切っ先を僕に向けてそう言い放つ。
真剣すぎるその声と眼差しに、僕は答えられない。
「……」
万全の状態でも勝てない相手に、すでにボロボロのこのタイミングか。
でも彼女はやる気満々だ。木剣も構えている。何もしないでいると、そのまま斬りかかって来そうだ。
退路はない。
覚悟を決めろ。
僕は剣を構えて、目で無言の返事をした。
ぐっ――!
「これがさっき、勇者くんが使った、ボクのオリジナル剣技だよ」と実演しながら、僕は木剣でなぎ倒される。
受け切れたのは初撃だけだった。後は剣のスピードも重みもアドルフたちとは桁違いで、なす術もなく、恐怖で目を瞑ることすらも逆にできなかった。
「今のが基本剣技、第1系。で、こっちが第2系で……」
と、まるで演武でもしているかのように、延々と型の実演が続き、それに必要なマナは僕から吸われている。
「おお!」と騎士連中が騒いでいるのが、かすむ意識の中でもわかる。
「ボクは戦い方を教えてあげてるんだよ。キミ、弱いからね」
と僕の腹に蹴りを入れる。いつも通り体術も入ってきた。
「ぐっ――!」
肋骨が軋む音がした。
息ができない。できないというより、息をすると肺が痛い。
受け身なんて取れないぞ。
後ろに吹っ飛んで倒れたと同時に、思わず嘔吐し、吐血した。
どっちだろう、血の混じった吐瀉物かもしれない。
なんとか息をしようとすると、喉の奥の方で変な音が鳴る。
僕は、何のために戦っているんだっけ……?
ふと、そう思う。
地面に這いつくばって、痛みに呻いて、耐え忍ぶ。
何のためにここまで痛い思いをしているんだっけ?
今の皇女との戦いだけじゃない。魔女狩りから闇の軍勢退治に至る全般だ。
朦朧とした思考を押し退け、立ち上がる。
全然集中できていないな。
膝が笑っている。
むせびながら木剣を杖にして身体を支える。
「さぁ、今度はオリジナル剣技第2弾の演武だね」
演武だって認めやがった。
心配してくれたのかネメシアが少し前に出る。
「あの、皇女殿下様、恐れながら――」
「魔女のキミに、今ここでボクに話しかける権利はない!」
「ですが、」
「いい! いい!」僕は声を絞り出して、ネメシアに向かって首を振った。
同時に血液が気管に入ったのだろう、むせて血の咳を飛ばした。
ここで魔女が割り込んだりしたら、それこそ騎士連中の反感を買う。
また考えてしまう、この言葉の意味。
――キミは何のために剣を握っているんだい?
皇女と訓練した時にそう問われたことがあった。
僕は、何のために、誰のために剣を振るんだろう。
メフィストから魂を取り戻すためか? それはある。
勇者としてこの世界を救うためか? そんなの、正直めんどくさい。
でも、今のこの戦いの発端は、彼女たちを守るためのものだった。
僕が守りたいと思ったから、動いたんだ。
それなのに心配させて……
魔王の軍勢云々は、今はいい。
この試練に集中しろ。
「くっ――、」
肩で荒く、浅い呼吸を続けてしまっている。
過呼吸気味だから、痛くてもまずは息を吐き切らないと。
ゆっくり、大きく息を吸い、もう感覚のない手に鞭打って、剣を構える。
この間皇女は攻めてこない。
待ってくれている、のか?
皇女は案外優しいのかもしれないな。いつもならこう言うはずだ。
――敵は待ってくれないんだ。
だから稽古では休む暇も与えず容赦無く襲いかかってくるが、今はわざわざ待ってくれている。
さあ――、
「来い!!!」
地面を蹴って飛んでくる皇女の口もとには、微笑みが見えた。
おいおい――
前言撤回だ。
この場面で笑える皇女は、怖すぎる……
その後僕は、何度か気絶したがその度に木剣で殴り起こされ、駆けつけたローランの嘆願があるまで、死ぬ思いで死にかけた。
この世界流の洗礼だ。
仰向けに倒れて、死にかけのあの黒い虫の様に全身を痙攣させる僕の横で、皇女は静まり返った観衆に問いかける。どうやら騎士達は僕の外見の変わりようにさすがに引いていたらしい。
「今の剣技を見て、まだキミたちはボクの剣技を魔法呼ばわりするのかな?」
「いえ、滅相もございません」
「そうなの? 残念だなー。もう少し試してみたかったんだけどね」
木剣をいじりながらそう言う。
こっちはこれ以上、本当に御免被りたい。
さらに続ける。
「で、キミたちはボクの剣技で彼にやられたわけだけど、何か不満かな?」
「そ、そのようなことは。先ほどは少しばかり驚いただけでございます、副団長」
「そう? じゃあもう負けは認めるんだね?」
「まだまだ修行が足りないと痛感いたしました。負けを認めます」
「そう、話がわかってよかったよ」
今度は、皇女は僕に向かって言う。
「ボクは弱い奴が大っ嫌いなんだ。そして勇者のキミは弱い。だから嫌いだ。……嫌いだった」
もっともな意見だ。
「伝説の英霊が復活したと聞いて探しに行ってみれば、魔女1人に殺されそうになってるし、即戦力になんか全くならない。なんだい、それ? 正直、騎士団のお荷物だ」
騎士達の、帝国の総意を代弁している。
「でも、根性はあるね、キミ。うん、悪くない。根性があって弱いってことは、育て甲斐があるってことだ」
とさっきまでとは打って変わって、可愛いらしい笑顔で手を差し伸べてくる。
飴と鞭じゃあないけど、このギャップには正直抗いきれないところがある。
「キミは今日からボクのモノだ。キミはボクが育てる。異論はないね?」
いや、モノって……
とりあえず差し出された手を掴むが、
「じゃ、決まり! イェーイ!」
異論を唱える間も与えずに、この調子だもんな。
痛い。全身が痛い。息をするのも痛い。
恐らくあらゆる部位の骨が折れていて、思うように立てない。
そこを優しく、力強くディスアキア皇女は肩を貸して支えてくれる。
「今後、ボクのモノに手を出そうって言うのなら、キミの相手はこのボクだ、アドルフ君。みんなも異論はあるかい?」
「「「「ありません!」」」」
「他の騎士たちにも伝えておいてね」
「「「「承知いたしました」」」」
良かった。文字通り身体を張った甲斐があった。
魔女は僕が守ったというより、皇女が守った、に近い。
でもこうして無事魔女3人を守れたし、これからこういう事件は起きないだろう。
安心だな。
定まらない意識の中でそう思うと、血で染まり、ぼやけた視界は真っ暗になった。
「やっと男の顔になってきた」
ディスアキアの声だ。
「ありがとう、ファウスト」
そしてそう、ネメシアの声が聞こえた気がした。