人を殺める感触
召喚されて2週間が過ぎ、僕はいくつか剣技を覚えた。相変わらず騎士達からの嫌がらせは受けているが、奴隷魔女も1人手配してもらえるようにまでなった。
そして、事件は起こった。
皇女のパーティーで魔女狩りに出ている際、僕はいつも通り十分注意しているつもりだった。
「そっち。左から魔法攻撃来るよ」
実戦でも訓練のように面倒を見てくれる皇女は強くて優しい。皇女の補助のおかげで僕でも魔女を気絶させ捕縛することができる。
「ハッ!」
僕は剣で光の矢を弾き返す。魔法を跳ね返せるのは高レベルな剣だけで、特殊な鋼からできているらしい。普通の剣で魔法を斬っても、魔法の威力が強いとそのまま折れてしまうこともあるそうだ。
「あとはそっちの2人だね。大丈夫だ、キミなら倒せるよ」
「はい!」
結構実力もついてきたと慢心があったのかもしれない。
教わった通り、残った2人をいつもの手順で気絶させ、神官のサヴォナローラに拘束してもらう。
――はずだったのだが、2人とも気絶したかどうかの確認をせず、サヴォナローラに合図を送るべく、そのまま背を向けてしまった。
それが命取りだったんだ。
その瞬間、背後で魔法の呪文を唱える声が聞こえた。
まずい。
一気に鼓動が倍以上に速まった。
まだ間に合うか……
振り向きざまに1人は気絶、1人が詠唱を開始しているのを確認する。そのまま突進して剣先を、魔女の掲げる右手の方へと体重を乗せて振り下ろす。
魔法が発動する前に、斬り落とさないと。この状況で気絶させる余裕も技量も僕にはない。
皮膚と筋肉を斬り裂き、細い骨を断つ感覚が、刀身と柄を通して手に伝わってくる。
「あああああああああああああ!」
耳を覆いたくなるほどの悲鳴。
「このぉぉぉ!」と後ろから甲高い声がして、走ってくる音。
――――っ! まだいたのか!
振り向くとそこには、僕と奴隷契約を交わした魔女が立っていた。
「え……」
主人に逆らうような行動は取れないんじゃ……?
と思うのも束の間、ずぶりとした、鈍くて気持ちの悪い感覚が手を覆い、思考は中断した。
条件反射的に、僕は彼女の心臓に剣を突き立てていた。
「かはっ」
魔女の口から血が飛び、僕の顔にかかる。
大きく見開かれた目は、異様なほどに力強く、光を失ってもなお僕を威圧してくる。
なんだ、この感覚…………動けない。
心臓が脈打つのが速い。それに苦しい。過呼吸気味になっている。
そうだ、この目だ。初めて殺したゴブリンと同じ目をしている。
「あーあ、1人、殺しちゃったね。サヴォナローラ、この魔女止血してあげて。ねぇ、早く剣を抜きなよ」と皇女が言う。
そう言われて僕は自分がまだ剣を差しっぱなしなのに気付く。
動かなくなった肉塊はその重さを全て、やや下から心臓を貫く僕の剣1本で支えられ、もたれかかってくる。
重い……血で滑る。
剣を伝って流れてくる血が僕の両手を赤く染めていた。温かい……
ゆっくりと死体を倒して、剣を引き抜いた。
僕は一体、何を刺したんだ……?
馬車の揺れのせいではない。帰りの道中、僕の手は、身体は震えるのをやめてくれなかった。
珍しく、ディスアキア皇女が何か言って、励ましてくれているようだが、僕の耳には入ってこない。
僕は魔王軍のモンスターを殺したんだ、問題ないじゃないか。
呪いのように頭から離れない魔女の眼差しを振り払うように、僕はそう思うことにした。
僕の日常は、この日から少しずつ崩壊していった。
昼食の後、僕達は肩を並べて、日曜日でもいつものように慌ただしい帝都の大通りを歩く。僕がこんなに悩んでいるのに、世界はどんどん進んでいく。
「ファウスト、そろそろお祈りに行こう。ファウストは今日が初めてだよね?」
「うん、まだ行ったこと無いんだ。そうか、今日は日曜日か。でもこれから毎週行くの面倒だな」
召喚されて忙しかったから、今まで教会に行く時間がなかった。
定食屋を出て、にこにこ笑うローランにそう誘われたけど、正直今は魔女を殺してしまったことに頭がいっぱいであんまり行く気になれない。罪の意識から気が引ける。
でも、歩きながらローランは面倒がらず、生真面目に教会に行く理由を説明してくれる。ローランとディスアキア以外、他の人は誰もこの世界のことを教えてくれないから、
2人にはかなり助けられている。
「神聖帝国の国教は神聖教の新教だからね。旧教とは違ってぼくたち新教徒は個人の中には『内なる神聖』は無いと考えているんだよ。だから毎週きちんと教会に行って、神父さんを通してこそ、神と繋がることができるんだ」
「ふーん。じゃあ今悩んでいても、教会で懺悔すれば少しはマシになるかな?」
「うーん、そういう訳でもないんだけどね。自分の気持ち次第で問題が解決できるっていうのは旧教の考え方に近いかな。旧教徒は『内なる神聖』が乱れると病気にかかるって思ってるんだ。全ての病は心的なもの、病は気からって思想だね」
「そうじゃないの?」
「そうとも限らないよ。彼らは健全な思想と信念を持つことで病は根絶できる、この世俗に影響を及ぼすことができる、念じれば幸せになれるって思ってるんだ。ファウストは本当にそうだと思う?」
「確かに、念じて、思うだけで幸せにはなれないと思うな」
「でしょ。思えばなんでも実現するなんてことはないんだ。だから新教徒は罪を犯したのであれば、教会に行って神父さんを通じて神に許してもらうことが必要なんだ。そうすれば神の御加護を受けられて悩みも無くなるし、魔物にやられた傷も病も、呪いだって治るんだから」
「そうか……じゃあ今日は懺悔室に行って、許してもらってみようかな」
「うん、それが良いよ。でもファウスト、最近副団長……皇女殿下と一緒にいることが多いよね……今も楽しくなさそうだし。ぼくのことは……嫌いになっちゃったの
……?」
「い、いや、そうじゃないんだ。だけど……」
「けど……?」
うるうるした目で、上目遣いで見てくる。平生ならそれでイチコロだったかもしれないけど、今は気が滅入っていて冗談を言う気にもなれない。
懺悔室じゃないけど、打ち明けてみるか。
「実は、自分の魔女を刺し殺しちゃって……」
「え、奴隷契約を結んだ魔女を?」
「そう……それにもう1人の腕も切り落としてしまって、後で死んじゃったらしい……」
「そっか」とローランは続ける。
「でも、魔女を捕縛するのって難しいからね。ぼくも殺す方が多いし、そんなにファウストが気に病む事でもないよ。むしろ、できるだけ殺さずに奴隷にするっていうルールを敷いている皇女殿下の方がすごいんだって」
とローランは小さい肩を上下に揺らしながらいつものように励ましてくれる。こんなに華奢な外見なのに、僕よりもよっぽど強靭な精神を持っていて、いつも頼りになる。ただ、頼りっぱなしなのは気が引けるけど。
魔女は奴隷戦力として必要なので、実績のある皇女ばかりが魔女狩りに出ているのにも納得できる。先日、諜報部隊が魔女の集落を発見したそうで、皇女は昨日から遠征に出ている。
「そう、かな?」
「そうだよ。そんな時は体を動かして、気分転換が一番だよ。後で追加練習する?」
今は剣を握りたくないのが本音だった。手と顔に付いた血を思い出して、洗いたい衝動に駆られる。
しかし、練習しないわけにもいかないので日課の修練は欠かしていない。さっきもローランと稽古をしてきたばかりだ。
「いや、今日はもうやめておこうかな。夜も1人で練習するよ」
「そっか、もうかなり根詰めて頑張ってるもんね」
話しているうちに教会に着いた。帝都にはいくつも教会があって、僕達のいる教会は格式高く一番大きい、貴族のみ入ることが許された教会だ。
ここも人で溢れていた。新教徒は住む地区によって集まる時間が違うらしい。
僕とローランは2人分空いている椅子を探して座る。教会の長椅子は硬くて長時間座るとお尻が痛くなって嫌だ。
この頃ずっと疑問に思っていたことをローランに尋ねてみる。
「魔女ってさ、どんな系統のモンスターなのか知ってる? 元は人間でしょ?」
「そうだね、魔女は人間とほとんど変わりないけど、やっていることは間違いなく悪だよ」と答えてくれる。
「魔王軍の手先なんだよね」
「そう。悪魔と契約して、病を流行らせたり、子供を拐って生贄にしたり、ここ数10
年の寒波や、そうした天候操作の影響で農作物の収穫も減っているのも魔女の仕業だよ」
そうだったのか。
メフィストって確か悪魔だよな。勇者の僕も悪魔と取引しているけど、バレたらまずそうだな。他人事かと思っていたが、地味に関係があったことに驚く。
「なるほど」
「やっぱり気になる……?」
「いや、まぁそうだね。魔女を殺した時の目が忘れられなくてさ。なんか、ゴブリンの目に似てたから」
「同じモンスターだからね。似ているところもあるのかもしれないね」
思い出したら気分が悪くなってきた。
「じゃあ、今日は魔女の魂の安らぎを祈ろうかな」
そう言った瞬間、周りに座っていた人達が一斉に話すのをやめた。
――僕達を見ている。
また忌諱ききに触れちゃったのかな?
「それはダメだよ」
「え……?」
「あ、いや、魔女は異教徒だからね。それは許されていないんだよ」
「そう、なんだ……」
すぐに修道士と市民代表が前に立ち、朗読の時間が訪れた。新聖書を朗読するらしい。
「あなたの大事な人が危篤にあります。そして床のそばに魔女がいて、耳元で囁いてきます。魔女の魔法で助けてやろうかと。では敬虔な神聖教徒であればどう対応しますか?」
朗読が終わり、修道士が市民代表に尋ねる。説教みたいな感じなのかな?
「魔女に神の鉄槌を、と言い返します」
「その通りです。神の御加護があれば危篤にあっても、死後の未来は保証されております。ですがここで異端に成り下がると、神の慈愛を受けることができません。くれぐれも――」
とりあえず異端者の手を借りるな、貸すな、という教えらしい。教会はこうした教育の役割も担っているのか。
「ね? ファウストが気に病むことじゃないよ」
「うん……」
お祈りした後、懺悔室に行ってみたが、サヴォナローラさんは居なかった。そういえば皇女と遠征に出ているんだった。でも、日曜日に自分の教会に居ないって、神父としていいのかな。
「そうだローラン、城の中でどこか静かに邪魔されず、1人で考えられる場所ってあるかな?」
最近の城内は少し騒がし過ぎて、ゆっくりできないんだよなぁ。
「うーん、ファウストは字は読めたよね?じゃあ、図書館とかはどうかな?毎年どんどん本も増えていっているし、静かだよ。それに、帝国7不思議が1
つ、喋る本がどこかに隠されてるって噂もあるしね」
図書館か。言われて思い出した。その存在を知っている。
悪くないかもしれないな。それに喋る本……面白そうだな。
読み書きは全く問題なくできる。
「わかった、ありがとう」
「そうそう、ついでに新しく出た剣術の本を借りて来てよ」
「そうそうって、まったく、勇者使いが荒いな」
「うん! やっといつものファウストになってきた」
やっぱり心配してくれていたのか……
軽口を言い合った後、ローランに図書館の場所を教えてもらい、早速向かってみた。