最悪のスタート
「いや、これは無理だって……」
だめだ、身体がさっさと逃げろと言っている。
恐怖で動きたがっている。
僕は今、帝国騎士団に見守られて、魔王軍のモンスターであるキュクロプスという目が1つだけの怪物と対峙している。復活早々、僕は伝説の勇者の力がどの程度かを示すために騎士達とともに森へ魔物を狩りに向かうことになったのだった。
見れば見るほど変なモンスターだ。目が1つしかないし、大きな牙もあるが、人型だ。臭いは、そんなに臭くない。まだマシか。
相手も僕を警戒しているのか、僕の身長ほどある棍棒を右手に携えたままでいる。
このまま剣で攻撃しても、大丈夫かな……
と思った瞬間、棍棒がふっと動いたように見える――。
左腕全体に激痛が走った。そのまま右へ大きく吹き飛ばされ、2、3度地面を跳ねる様に転がり木に衝突した。
「いって……」無意識にそう声が漏れていた。
棍棒で殴られたのは確かだけど、見えなかった。
殴られた左肩も、ぶつかった右肩も、頭も痛い。心臓が速く脈打っているのがわかる。視界がぼやけていて相手の様子はわからないが、血がべっとりと手についていて、まずい状況なのは理解できた。
左腕――折れたのかな……?
強い。僕なんかよりも圧倒的に強い。動きが速すぎる。
奴が走ってきている。蹴りが飛んできた――ように見えた。
動けっ……!
反射的に右へ飛んで回避する。
もたれていた木が、蹴りの勢いでミシミシと音を発し、さっき僕がいた場所あたりが少し縦に裂けている。
あの蹴りをまともにくらっていたら、死んでいた……肩が痛むが、回転してそのまま起き上がり、剣を探す。
あれ……剣は?
さっき殴られた場所で知らない間に落としてしまっていた。
少し遠いが、隙を見て取りに行かないと。
と思うが、お見通しのようで塞がれる。
「グフフフフ」
笑っているのか? ニヤニヤしやがって。
まずいな、左肩、脱臼してそうだ、腕全体に力が入らない。
というか、もう立っているのもやっとだ。口の中で鉄の味がするし、フラフラする。
「くっ――、」
あいつの足がふっとぼやけて動いた。さっきと同じだ。蹴られるのだろう。
――っ!?
怪物の動きが、僕の周囲が少しスローモーションになった……
なんだ、この感覚……見える。わかるぞ。
こいつ、このまま右足を伸ばして僕を蹴ろうとしてるんだ。
避けろ! 動け、僕!
――でも、身体が追いつかない……動きが、重たい……
目では見えているが、自分もスローモーションだった。後ろへステップを踏んで回避行動に移るが、遅すぎる。
鎧なしにまともに蹴られると背骨まで折れそうだ。
「うわっ……」
何かに引っかかり足を滑らせた。直後、胸部に感じる衝撃と鈍い痛みとともに、肺から空気が強制的に吐き出される。
僕はそのまま蹴られた勢いで地面に何度も叩きつけられる様に後ろへ背中から倒れた。
頭を何度も打ったけど、まだ意識がある。土が衝撃を吸収してくれたのか?
息を吸い込み、仰向けのまま、空へと高くそびえる木々を見る。
苦しい。でも、死んでない……鎧を着ていてよかった。
視界の下の方で確認できた。あいつが近づいてくる。地面が足音とともに響く。
立たなきゃ……でも、立てない……
金縛りにあった様に、全身が動いてくれない。
本当に――力が、入らない……
いたぶるつもりか、モンスターが僕の首を掴み、持ち上げる。
僕の顔の近くにある1つの眼球がは見れば見るほど不気味だ。笑っているのか……?
腕も足も重力に従い、だらんと力なく垂れ下がる。抵抗なんて、もう無理だ。
息が……視界が、霞む。
あいつが棍棒を振り上げて――――、
「かっ――――」
僕は地面に転がった。溺れている様に空気を喘いで吸い込む。
助かった……?
気づけば、そのキュクロプスという怪物の、棍棒を握った腕と首が地面に転がっていた。
「大丈夫ですか、勇者どの? おそらく復活後間もない為に力がまだ完全に戻っておられないのでしょう」
「そ、そうかもしれません……」
騎士団長が助けてくれたのか。
話すと肺と喉が痛み、むせる。戻ってくる感覚に、鳥肌が立つ。
しばらく大の字に寝転がっていたが、頑張って立ち上がる。
まずはお礼を言わないと。
「ありがとうございました」
「いえ、少し休憩してから、また別のモンスターに挑みましょう。ゴブリンなんて手頃かもしれませんな」
「は、はい……」
まだやるのか……
正直、ここまでキツイとは思っていなかった。もう、かなり疲れたし、痛いし、何より怖い。まだ膝がガクガク震えていて、立っているのがやっとだ。
それに聞こえてくる騎士達のヒソヒソ声。
僕が目をやると慌ててそれきり黙るが、あまりよく思われていないかもしれない。
僕はしばらく休憩して、今また、帝国騎士団に見守られながら1匹のゴブリンと対峙している。相手の頭の上の方に浮かんでいる数字は5、つまりレベル5ということらしい。ちなみに僕はレベル1だ。
戦闘を始めてからほんの少ししか経っていないだろうがかなり長く感じられる。
無駄に動いて逃げ回り、額に脂汗が浮かぶ。しかも睫毛にかかって前が見にくい。鎧にもさっき助けられたが、今はかなり重くて脱ぎたくなる……
まぁ、さっきのデカいやつに比べたらまだマシか。
「おい、まじかよ」
「本当に勇者なのでしょうか?」
「見習いの子供以下だな」
などと、同行している騎士たちがヒソヒソと話しているのが聞こえる。
当たり前じゃないか。召喚?復活? どっちでも良いや。
召喚され初日から早々、勇者としてどの程度なのかを見せて欲しいと言われ、言われるがままにしてみるが、こちとら恐らく人生で剣を振ったことはまずない。まぁ前世の記憶はほぼ無いんだけど。
おかげで剣をどう握ってどう振れば良いのかもさっぱりわからない。言語や食器の扱い方等と違って、剣の扱いは行動が思考に先行していないからだ。無意識に身体が理解なんてしてくれていない。
ヒュン、とゴブリンが左からナイフを振ってくる。
「おわっ」とよろけながらもお腹を引っ込めて、かろうじて避ける。いや、ちょっと鎧を掠めたかも……?
「ギヒヒヒヒヒ」
気味悪く笑いやがる。
ゴブリンも状況は理解しているのだろう。騎士たちに囲まれて逃げられないが、騎士は手を出してくる様子もなく、目の前の腰抜けファウストと戦わされている。
僕が剣を振っても簡単に避けられるし、何より重たい。普通のロングソードらしいが、持ち上げるだけでも精一杯だ。すでに息切れしてきた。汗ばんだ手のひらにぴったりと貼り付く革手袋が気持ち悪い。
まずいな、モンスターを1匹も倒せないなんて勇者失格だ。職務怠慢以外の何物でもない。
ゴブリンが突っ込んできた。反射的に慌てて、籠手でナイフを受けてしまう。でも……傷1つ付いていない。かなり高級品なのだろう。
押し返せたが、ゴブリンが突進してきたその勢いでお尻から倒れてしまった。
見上げると、ゴブリンと目があう。
「ひっ……」
唾を飲みこむ。
思わず身震いしてしまうような、餓鬼の鋭い視線。
僕を見下ろしてよだれを垂らし、引きつった笑みを浮かべている。
まずい。
あの目、アイツも必死だ。
殺される。
剣を持つ手が、足が震える。
怯むな、動け!
動け……動け、動け!
くそっ――、
握った土を、ゴブリンの眼球を目掛けて投げつける。
「ウウウワァウ!」
よし、目に入った!
意外と怯んでくれるものなんだな。
――チャンスは、今しかない。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
などと、ここで怒声をあげられれば良かったが、無言で息を切らしながらゴブリンに向かい、両手で剣を握って乱暴に、乱雑にそのまま突き刺す。
柄が短くて握りづらい。焦る気持ちでブレてしまった。
ガッ――、
硬くて鈍い、気持ち悪い感触。
剣は肋骨に刺さったのだろうが、かなり浅く致命傷には至っていない。濃い緑色の皮膚は人間よりも数倍厚くできていて、そこから骨が少し見えた。かなりグロテスクだ。
ゴブリンは「キィイイイイイイイ!!!」と奇声を発する。
構うものか。僕もかなり興奮しているらしい。
息を切らしながら、僕はそのまま傷口に前蹴りを入れる。
背の低いゴブリンには効いたようで倒れた。
喉だ、首元を狙うんだ。
そして間髪入れず、そのまま喉へ、地面を目指して目を逸らさずに剣を突き立てる。
グシュ、と音がして、血液が流れ出てくる。
声を出そうとしているのか、喉の震えが剣を通じて手に伝わってくる。
命の宿っている、動く肉を切る感覚。背中に寒気が走った。
――ゴブリンの眼から光が消えた。死んだのか。
気分が悪いし、足がガクガクだ。力が抜けてそのまま尻餅をついてしまった。
「おめでとう、勇者殿。初めての戦い、見事であったぞ」
と他にも騎士団長がお世辞を投げかけてくるが、耳に入ってこない。
はっきり言って、怖かったし、めっちゃ疲れた。
そのまま伸ばされた手を掴み、息も絶え絶えに立ち上がる。
「剣を」と言われ、刺さったままなのに気が付く。
「刺したままだと、筋肉が固まって抜きづらくなりますぞ」
「は、はい」
失敗した。
皇帝や貴族たちは、遠くにいてもその場にいるかのように会話ができる、「魔法鏡」という魔法道具で城から僕の戦いぶりを見ているらしい。
最悪だ。
失望している顔は、周りの騎士達の反応から、直接見るまでも無く想像できるだろう。
しかしだぞ。
だって配属いきなりは無理だろ。うん、流石に無理がある。
弁明の機会を貰おう。
「あ、あの、すみません。僕、実は戦ったことがなくて、今回が初めてだったんです。だからその、これから努力して強くなります。よろしくお願いします」
と頭を下げた。
一瞬、空気が凍った。
そして騎士達がどよめく。
ヒソヒソと話す声が聞こえてくる。
「どうやら、勇者様はこの世界のことを何も覚えていないようだぞ」
「英霊の召喚に問題があったんじゃないか?」
「別の魂を召喚したのかもしれんな」
「偽物の可能性も」
「なんだ、あのポーズは?」
騎士団長が取り繕う。
「そうでしたか。では、これから我々と共に闘っていきましょうぞ」
この時、僕は理解した。僕はこの世界に必要とされていないことを。
僕はこの世界をかつて救った英霊なんかじゃない。メフィストから送られてきた普通の魂だ。
森へ来るときはあれほど色々と質問責めにあったが、帰りの道中は誰1人として僕に話しかけてこなかった。
うわ、なんか僕、嫌われたっぽいな。
憂鬱だな……これからどうしよう……
僕は勇者として最悪のスタートを切った。