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3.守るべき故郷

 客人の部屋を出ると、そこで待ち伏せていたノーザラストと目が合った。他人の目から見ればそれなりに似通っているらしい顔に目一杯の不快と不審を浮かべているのを見て、分かり易いことだなと心中に呟くと実弟は噛みつくように声をかけてきた。


「姉上、本気であれを客人とするのか」

「そう言った。──客人をあれと言うな」


 無礼者と苦笑するように諌めて歩き出すと、その後を追ってきながら姉上と語気を強められる。


「あんな人外を館に招いただけでも信じ難いのに、客人だなどと! 姉上ともあろう方が、正気を失したか!?」

「ノーズ、お前は外見的特徴を論われて何か楽しいのか。馬鹿だ阿呆だは本人のせいだ、幾らも言えばいい。けれど本人にどうにもならんことをとやかく言うな、お前の品性を疑うぞ」

「っ、品性を疑われてもあれを追い出せるならば別に構わないっ」


 頑なに頭から反対するノーザラストに、彼女は深く溜め息をついて相手にするのをやめた。とりあえず主張は最後まで聞いてやらないと後々煩いので、後ろからついてくるのは止めないまま執務室に足を向ける。


「姉上、あれはとても危険だ。見たんだろう、あの惨状を。絶命していたシュグナの連中の傷は、どれも同じだった。それはつまりあれがやったということだ、あの人数をたった一人で!」

「お前はこの前の稽古で、十五人との乱戦を勝ったと報告していたではないか。あの客人はもう十数人増えたところで勝てる腕をしている、それだけだろう」

「それだけではない、それがどんなに大変なことか……、姉上は分かってない!」


 地団駄を踏みかねない勢いで怒鳴りつけられ、分からないわけがあるかと心中で呟いた。


 弟ほどにも剣は使えないが、サウスリザにもそのくらいは理解できる。第一あの惨状を目の当たりにした時の衝撃と、それが彼一人の剣だけで齎されたと気づいた時の戦慄は今も忘れられない。冷たい物が胃に落ちていくのが分かるような、薄ら寒い恐怖。けれどそれを生き延びた彼に、確かな女神らの親愛が見えたのも確か。


「あれがシュグナの手の者だったなら、どうする。怪我をしている今なら、楽に止めを刺せる。姉上が嫌なら俺がしてもいい。命令はしなくていい、ただ俺に行動する権利を許してくれ」


 姉上と必死に呼びかけてくるノーザラストが、本気で自分の身を案じてくれていることは分かる、知っている。けれどだからこそ愚かを行わせたくなくて、やめろと顔を顰めた。


「客人には女神らの加護がある。それを死に至らしめようなど考えるな、お前にもどんな災いが降りかかるか。それに、言ったはずだな。彼は私の客人だと。私の客人に害を加えようとすることは私を害するに同じだ、知って楯突く気ならば好きにしろ。弟だとて敵に回るなら容赦はせんが」


 それでもいいならなと皮肉に唇の端持ち上げると、ノーザラストはぐっと言葉に詰まった。そのまま口惜しそうに唇を噛み締めるので、軽く振り返って高い場所にある短い黒髪を少し乱暴に撫でた。


「客人に害をなそうなどとしてくれるなよ、お前は私の大事な弟だ。怪我さえ癒せば彼は出て行く、それでよかろう?」


 違うのかと重ねて尋ねると、ノーザラストは海の底みたいに深い蒼を少しだけ彷徨わせて溜め息をついた。


「俺は姉上に背く気などない、姉上が絶対にそうしろと言うなら従うさ。だが……、」


 言い淀み、ノーザラストは小さく頭を振ってそれを打ち消した。


「俺はあいつを信用しない。それは俺の勝手だろう? だが、姉上のことは信用する」


 それ以上は譲れないと固く告げられて、好きにしろと小さく苦笑したところで執務室に辿り着いた。けれど扉を開けるに至らなかったのは、律儀に扉の前に控えていた優秀なる補佐官が気づいて声をかけてきたから。


「長、お待ちしておりました」

「相変わらず律儀なことだな、ウォルト。何か報告か」


 突っ立っていないで入ればどうだと促すのに、ウォルトは肩までの金髪を困ったように揺らすだけ。ノーザラストと同じほどの身長をした補佐官を見上げて、彼女は何だと軽く腕を組んだ。


「清めがどうかしたか? 終了の報告なら喜ばしいのだがな」

「滞りなく、とお答えしたいのですが。申し訳ございません、生憎と難航しておりまして」


 何とも不甲斐なくと恐縮して大きな身体を縮込めるウォルトに、気にするなとひらりと片手を振った。


「あれだけの血が流れたのだ、そう容易く澄むとは思っておらんさ。……ふむ。そうだな、ついでだ、私も行こう。お前は通常執務に戻っていいぞ」


 執務室の扉を開けてしまえば、そこには決済を待った書類が山と積んである。もうしばらく見なかったことにして足を伸ばそうと踵を返すのに、ノーザラストが先ほどよりも声を尖らせて詰め寄ってきた。


「姉上、まさかまた一人でのこのこ行く気じゃないだろうな!? この状況下で長が一人で出歩くなど、それこそ姉上曰くの愚かだろう!」

「何を大袈裟な。ここは私の治める場所だぞ、そこを一人で歩けんとは何事だ」

「いいえ、長! ノーズ様の仰せの通りにございます。確かにフォンセイは長の治められる地なれど、シュグナが何を仕掛けてくるか。大体、穢れの原因はそのシュグナの馬鹿どもではありませぬかっ。それを分かってまだお一人で行かれようなどと、」


 以っての他と目を吊り上げて迫ってくる口煩い男たちに、サウスリザは面倒そうに片手をひらひらと揺らして言葉を遮った。


「分かった分かった、煩い連中だ。お前たちも連れていけばいいのだろう、勝手にしろ。ウォルト、お前も来るなら急ぎの書類は持ってこい。後ろで読み上げろ」

「また難しいことを仰せに……」


 嘆くように頭を抱えた補佐官は、けれどもう一度口を開く前に御意と短く返して執務室に引き返していく。彼女は館を出る為に階段を降りながら、後ろをついてくるノーザラストにちらりと振り返った。


「今回の穢れがシュグナだと、もう皆知っているのか」

「客人を迎えに行った連中に、口止めもしていないだろう。その時に転がっていた死体がシュグナと気づかん馬鹿は、幸いフォンセイにはいない」

「……民が聡いことを嘆く愚かには、なりたくはないものだが」


 今回ばかりは仇よなと呟き、溜め息を殺して階段を降りきると、長と声をかけて館に仕える数人が駆け寄ってくる。


「長、シュグナが仕掛けてきたとは本当ですか?」

「今回は長もご無事だったからよいものの、これ以上の横暴を許すことなどできません!」

「長、どうぞご決断ください。我らに故郷を守れと。そう仰せになってください……っ!」


 お願い致しますと詰め寄ってくる人々を、落ち着けと片手で制して小さく苦笑した。


「それについては、追って知らせる。皆が心配してくれるのは嬉しいし有り難いがな、私は悲しいかな身体を一つしか持ち合わせん。一つずつ片付けていくのは許してくれないか」


 だめかと肩を竦めながら揶揄するように尋ねると、詰め寄って来ていた全員がいいえまさかと首を横に振る。


「ありがとう、それではまず一つ目を片付けるとしよう。今二階にいる怪我人は私の客人だ、決して失礼のないように丁重にお持て成ししてくれ。少し変わった見映えをしておいでだが、私の客人であることを忘れぬように。大体の怪我は塞がっているが、まだ医者の手がいるだろう。悪いが、二人ほど彼の手当てに派遣してくれ」


 直ちにと答えて一人がすぐさま踵を返して出ていくのを見送り、サウスリザは心配そうに見てくる複数の瞳に笑って答えた。


「彼は私を救ってくれた恩人だ、あらぬ嫌疑をかけて邪険にしないように。いいな、私を救ってくれたのだと忘れてはいけない」


 くれぐれもと言い含めたそれに全員が生真面目に頷くのを確認すると、ノーザラストが解散を促す。


「さあ、納得したなら皆は仕事に戻れ。姉上はこれから森にて清めを行われる、邪魔をしないようにな」

「それは申し訳ありません、お邪魔致しました。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」

「ノーズ様、くれぐれも長を宜しくお願い致します」

「早のお帰りを、お待ち申し上げております。行ってらっしゃいませ」


 すぐそこの森に行くだけだというのに、まるで子供が初めてのお使いに行く時のような過保護さで心配してくる彼らに苦笑を禁じ得ない。けれどその優しい人たちの暮らす場所は間違いなく心地好い居場所であり、守るべき故郷だった。

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