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2.一陣の風

 ひどく柔らかい手に撫でられたような気がして目を開けると、すぐ隣に位置している窓から目を刺すような光が刺し込んでくる。咄嗟に庇うように伏せて顔を顰め、重い気のする右手を持ち上げて目の上に翳してから恐る恐るもう一度目を開ける。


 まず視界に入ったのは白。自分の手のそれよりも物質的な白さに上手く働かない頭をそれでも巡らせて、どうやら包帯が巻きつけられているのだと気づいた。誰かに治療の施された自分の手をぼんやりと眺めながら探れば、どうやら自分は柔らかい寝台に寝かされているらしいと分かる。多分に全身にも包帯が巻きつけられており、僅か動くだけで走る痛みで自分がどういう状態なのかを悟る。


 そうしてつらつらと記憶を辿り、前回の仕事で怪我を負ったまま気紛れで踏み込んだ場所で、どこかの部隊と行き会ったのを思い出した。ただでさえ機嫌のよくなかったところに相変わらずお決まりの悲鳴と罵倒を受けて、切れたような覚えはなくはない。

 怪我を負ったまま三十人弱と渡り合い、最後の一人にも止めを刺した。けれどさすがに疲れ果て、その戦闘で重ねて負った傷はあまりに多くの血を彼から奪っていった。眩暈がするまま血溜まりの中に崩れるようにして倒れ、このまま目を閉じればようやく死も訪れるのかと期待さえして目を伏せたのに。


(──風が、吹いた)


 倒れてから、どのくらい経っていたかは分からない。最初に剣を抜いた時はまだ夜の闇の中、月光を鈍く反射しただけだったように思う。それからどのくらい戦っていただろう、倒れたのは夜だったか昼だったか。

 彼の人にはあらざる目は時に不便で、夜の中でさえ全てをとても鮮明に映し出す。温く生臭い血の中で見た光景は、月光を頼りに見たのか陽光だったか定かではない。ただ風が吹いて目を開けた時、辺りにはあんまり優しい木漏れ日が踊っていた。


 目を背けたくなるような惨状に差す、柔らかな陽光。何て場違いに長閑な光景だと皮肉に唇を歪めたけれど、最後の風景にしては気が利いている気がしてまた目を閉じたのに。無造作な足音が近寄ってきて、ひどくぶっきらぼうに生きているかと尋ねられたのではなかったか。


(精霊、使い……)


 かつては神と契約し、精霊を使役することを許された存在がいたのは知っている。けれど今の世の中では、最早その存在は稀有。世界中を巡る彼の一族でさえ、誰も実際にお目にかかったことはないと聞いた。


(どうしてそれに私が遭遇しなくてはいけない……)


 助けてくれなくてよかった。そのまま死なせてほしかった。不思議と包み込んでくれるような緑と陽光、そして柔らかな風の中、今ならこの血みどろから救い上げてもらえるような錯覚もしていられたのに。

 よりにもよって今彼を助けることができるだろう唯一を、その奇跡を。一度も彼の祈りなど聞き届けてくれないくせに、こんな時ばかり与えてくれなくていい。それとももう人を見放したと言われる神々は、中でも彼を一層嫌っているのだろうか、憎んでいるのだろうか。彼の願いなど何一つ叶えてはやらないと、固く決めてでもいるのだろうか──。


 遣り切ず溜め息をつきながら上身を起こした時、計ったように部屋の扉が開いた。


「ああ、目を覚ましたか」


 起きても大丈夫なのかと尋ねながら入ってきたのは夜──否、夜にも勝るだろう射干玉の髪。先ほどまで恨めしく思い返していた恩人その人だった。こちらの事情はともかく生命を助けてくれたには違いないのだから、ここは礼を言わねばならないところだろう。なのに意思に反して唇は固く閉ざされたまま、声さえ紡げなかった。


 けれど夜を具現したその人は無礼を指摘するでもなく、ただ無造作に近寄ってきて鮮やかな紫水晶で覗き込んできた。軽く身動ぎしたもののそれ以上は動くに動けず、僅かに顔を顰めて見つめ返す顔はいっそ腹立たしいほど整っていた。

 健康的な薔薇色の頬、紅を引いたような薄い唇、細く吊り上りがちの目。軽く屈んだせいで肩の前に流れた射干玉は、優しい香油の匂いがした。何もかも彼とは違うのだと見せつけられているようで、耐え難く目を閉じたのだが。


「ふむ。元気そうで何よりだ。見つけた時は、いつ死ぬかと思ったものだが」


 良かったと今にも頷きながら言われかねないそれに、彼は思わず伏せたばかりの目を開けて睨みつけるように見据えていた。


「死なせてくれ、と言ったはずだが」


 何が良かったものかと心中に吐き捨てながら語気を強くすると、紫水晶を軽く瞠った後、にっこりと唇の端を持ち上げられた。予想外の反応に対応しかねていると、言葉を続ける前に激しい衝撃が左の側頭部を走った。

 どうやら問答無用で殴りつけられたらしい痛い頭を抱えつつ横目で窺うと、睨むように見下ろして腕を組んだその人は、ふんと鼻を鳴らして傲然と宣言する。


「私は、同じことを二度も三度も言わされるのが嫌いだ。だが怪我人であり、事実上の恩人であることに免じて特別にもう一度だけ言ってやる。心して聞いて、二度と愚かを繰り返すな」


 いいかとどこまでも上から確認されたそれに気圧されて小さく頷くと、鬱陶しそうに目を細めて続けられる。


「ここは私が治める土地だ、知って入り込んだかは知らんがな。だが、何であれここにある以上は私の庇護下にあると知れ。そして。私の庇護を受ける者に、自殺など認めない。どうしても死にたいのならば、さっさと怪我を治して出て行け。私の目にも耳にも届かない場所で、好きなだけ死ね!」


 阿呆がと不快も露に顔を顰められ、彼は戸惑って何度か目を瞬かせた。


 人の気も知らないでとか、何を勝手なと腹を立てる気持ちはないでもない。それでもあまりにはっきりとした自分勝手な主張に、つい毒気を抜かれて怒鳴り返す気にはなれなかった。


「怪我を癒さず追い出してくれたほうが、知らないところで死ねると思うが……、」


 とりあえず気になったことを威勢弱く突っ込むと、眦を上げて睨みつけられる。


「貴様には耳がないのか? それとも何か、私が客人を怪我をそのままで放り出すほど非情な人間だとでも言いたいか!?」

「いや、……いや、そういう気は少しも」


 ないと緩く頭を振ると、疑るような眼差しで散々射竦めた後にわざとらしく長い息を吐き出された。悪いことをした覚えもないのにひどく居た堪れなくなって身動ぎすると、まぁいいとあまり納得はしていないような調子で頷かれた。


「それより名乗りもまだだったな、礼を失した。だがそれも貴様の愚かが原因だ、その点は差し引いて許せ」


 謝罪というにもあまりに偉そうな態度でそう言い、彼が答えるより早くまるでなかったことにして向き直ってきたその人は小さく頭を垂れながら名乗った。


「私はサウスリザと言う。サウスリザ・シェイルード。このフォンセイの長を務める。本来ならば神聖の地を穢した罪を問いたいところだが、そのおかげで私も町もまだ無事だ。それに感謝して穢れは不問にして、客人としてお招きする。どこまでここが平穏であるかは分からぬが、客人がここにある以上は絶対の安全を保障しよう。ゆるりと怪我を癒していかれよ」


 永住はされても困るがな、とどことなく悪戯っぽく笑った姿はようやく──と言うと失礼だろうが──女性に見えた。今までは小柄で不遜な男という印象しかなかったが、意識してそう見せていたのだろうとぼんやり考える。

 けれど、と彼は呑気に認識の修正をしている自分を諌めるように呟き、紫水晶を真っ直ぐに見つめ返した。


「客人として招かれる覚えはないのだが。私は、誰かの為に何かを成した覚えはない」

「まぁ、そうだろうな。だが客人の自殺願望だか無謀だかは知らんが、その行為で我が町が救われたも事実だ。ならば私は、それに報いねばならん」


 そうでなければ死にたがるような阿呆を拾うかと馬鹿を見るように目を細めるサウスリザに、思わず言葉を無くす。どうにも彼女と向き合っていると調子が狂うと頬をかいた彼は、視界の端に改めて目についた包帯で身を硬くした。


「私に治療を施してくれたのは……、あなたか」

「そうだ。客人の傷は思うより深くてな、薬草では追いつきそうになかった。精霊の加護を下ろして、ようやく血も止まったというわけだ」

「……では、……私の身体を」


 見たのかと噛み締めるように問うと、見たとあっさり答えられる。


「何か不服か。まさか、裸の姿を見たなら嫁に取れなどと抜かさんだろうな。生憎、私は男を嫁に貰ってやるほど度量は広くないぞ」


 どこか硬い声で答えられたそれに何の冗談だと鋭く睨みつけた先では、本気でその可能性に困惑している様子の長がいる。今までにない反応に戸惑った彼はふらりと視線を外し、その紫水晶の前にいる自分を恥じるように声を低くした。


「そうではない……、そうではなくて。私の異形を見たのだろう、──この、呪わしい人ならざる姿を。私が、気味悪くはないのか。怖く、ないのか」


 震えそうな声を必死に立て直しつつ問いかけると、何を言い出すんだとばかりに見下ろされたのが分かる。


「異形だから何だと言う。人としてしか見えない身体を持っていても、獣以下の頭と心しか持ち合わせん馬鹿なら腐るほどいる。私が怖いのは、そういう馬鹿どもの暴走だけだ」


 貴様はその類なのかと嫌そうに問い返され、返す言葉に困った。けれどようやく紫水晶の前に再び人外の証拠でしかない目を晒す気になって見つめ返すと、彼女はふわりと柔らかく笑った。


「まぁ、そうは見えんから客人として招いたのだ。そう困った顔をしてくれるな」


 戯れが過ぎたなと楽しそうに笑い、養生すべきところを邪魔をして悪かったと軽く手を上げて早々と退室しかける背中に、もしもと知らず声をかけていた。


「うん? 何か言い足りんか」

「……もしも、私がその類だったならどうする。ここを救ったと見せて、それさえも全て計算だったなら?」


 その時はどうすると問いかけたそれに、サウスリザはしばらく目を見つめ返した後に小さく肩を竦

めた。


「もし仮にそうであったなら、見誤った私を呪うさ」


 仕方なかろうとどうでもよさそうに言って、彼女は揶揄するように目を細めた。


「もうないか? 私もそろそろ、執務に戻らねばならんのでな。客人は下らんことを気にかけず、養生されよ」


 私の庇護下にあるのだからと柔らかく笑うように告げると、フォンセイの長はそのまま踵を返して颯爽と出て行った。


 まるで一陣の風のようだと苦笑して、彼は促されたまま起こしていた身体をゆっくりと横たえた。


 清潔そうな寝具と、目に優しい柔らかな色の天井。窓辺に揺れる光、風を教える緑の揺れ。消毒液の匂いに混じってまだ側を漂うのは、射干玉の香油。彼の故郷にはなかったそれらを順番に数えながら目を伏せると、そのまま静かに眠れそうな気がした。




 ──毎夜待ち望んでいた切実な死を乞う祈りは、何故か今は忘れていた。

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