17.精霊の愛
いい加減に監禁されたままでいることにも飽いて、南京錠が開けられる音を聞きながらサウスリザは目を眇めた。
(脱走の一つも試みれば、多少の動きはあるか?)
相手だとていつまでも閉じ込めているだけでは話が進まないだろうからと、大人しくしていたけれど。ここまで何の反応もなく、一日に訪れる変化は差し入れられる三度の食事の時だけでは彼女でなくてもおかしくなるだろう。
(どこまでも私を侮っているようだし、ここから出るくらいは簡単なのだがな)
ここに案内された時に、館の見取り図は大体頭に描けた。館から町を出る道程も覚えている。そににどれほどの人員が割かれているか、パーナダムの民にとって彼女がどんな意味を帯びているかを正確に知れたなら自力で帰るくらいはできそうなのだが、とぼんやり考えていると、開いた扉の向こうに何故か今日は十人ほどの人数が群がっていた。
嫌でも目につくのは、二人の男に庇うようにされつつも中央に立つ女性。彼女より一回りは年を重ねていそうだが、華やかな化粧と派手派手しい色の服に負けない程度の顔立ちをしている。人に傅かれることに慣れたようなな物腰と、人を見下したような横柄な態度。そこにパーナダムの族長が女性である情報を付け加えれば、それが族長なのだろう予想はついた。
言葉ではなく仕種で退けと命じて中に入ってくると、それだけで鼻を刺すようなきつい香りに噎せそうになった。
(しかし、ここまで不愉快を体現されるといっそ笑えるな)
こうはなるまいと戒めとして胸に刻みつつ、組んだ足に膝を突いたままの態勢で眺めていると不愉快そうに片方の眉が跳ね上げられた。
「フォンセイの長は礼儀も知らんらしい。わざわざ出向いた者を組んだ足で迎えるか」
無駄に羽根飾りのついた扇で口許を覆いつつ吐き捨てられ、サウスリザは堪え切れず吹き出した。
「フォンセイの、ご無礼は控えられませ。こちらは我らがパーナダムの族長、ヴィルダ様にあらせられます」
「人の土地に侵略した挙句、長を浚うが無礼を働いた上に自ら名乗りもできん馬鹿に礼を説かれる覚えはない。私は生憎と女神らが如き寛大は持ち合わせん、非礼を誹るならば礼に尽くせ」
肘を突いたまま目を眇めて言い放つサウスリザに、ヴィルダは扇の向こうで唇を戦慄かせているのが分かる。部屋までついて入ることを許された二人の男と一人の女は族長の様子を窺い、なんと無礼なと口々に言い募るがさすがに手出しまではしてこない。
ただそれはフォンセイの長に敬意を払ってというよりも、龍遣いを下手に怒らせてはまずいと怯えているのだろう。目にちらつく畏れを見て取り、はったりの効き目に皮肉に唇の端を持ち上げる。
ヴィルダはしばらく激昂を堪えるようにその場で立ち尽くしていたが、やがて手近の男を扇で殴りつけてとりあえずの憂さを晴らし、燃えるような目で見下ろしてきた。
「ヴィルダ・ラダ・パーナダムだ、無礼にも居丈高なフォンセイの長よ。手荒な招きではあったが浚ったが言われようは不本意、訂正されよ」
怒鳴るような声ではあったがひとまずの名乗りと解釈して、サウスリザは裾を払いながら立ち上がった。びくりと二歩ほど後退っている男たちをちらりと一瞥してからヴィルダの目を見据え、優雅に一礼して見せた。
「お初お目にかかる、パーナダムの略奪長。私はサウスリザ・シェイルード、フォンセイが長を務める。浚われたと思われるのは私も不本意だ、無礼に礼を尽くして招きに応じた、と訂正しよう」
これでいいのかと馬鹿を見るように目を細めて顔を上げると、怒りのあまり顔を紅潮させているヴィルダに睨みつられる。いらぬ挑発をするなとノーザラストの悲鳴にも似た忠告ならば聞こえてきそうだが、いい加減彼女も頭にきているのだから仕方がない。
「口だけは達者なようだな、フォンセイの龍遣い。だがここに龍はないぞ、少しは身の程を弁えてはどうか!」
「身の程知らずはどちらか。人の領地を略奪して、楽をして豊かを得ようなどとおこがましいにも程がある。フォンセイにある緑は親父殿や、親父殿に共感して土壌と植物の研究を続けた民たちの努力によって根づいたものだ。それをする努力さえ放棄した者に、フォンセイの緑こそその身に過ぎた物と知れ」
「っ、何も知らん小娘が何をほざくか! 我らが努力をしていないだと!? この不毛の地にあって、我らが何の努力もしていないと申すか!! 先祖が精霊に何をしたかは知らぬが、何故我らがこのような目にあわねばならぬ……、手の届くところには豊かな緑があるというのに、何故この枯れた地で枯れたまま我らが犠牲にならねばならぬ!!」
必死に怒鳴りつけられるそれに、サウスリザは冷淡に目を眇めた。
「知るか」
たった一言投げ捨てて腕を組み、殴りかかりかねない勢いのヴィルダをただ睨む。
族長の魂からの叫びは多分に大陸に住む全てが一度は吐いたことのある、神をも呪った悲鳴だろう。荒廃した土地が少しでも改善されるようにと努め、報われず、どうして自分たちだけがこんな目に、と大陸の外にある豊かなる国を遠く眺めては絶望する。そんな想いを、フォンセイの民がしたことがないとでも言いたいのだろうか。
ふざけるな、とサウスリザの胸中はむかつくような怒りに満ちていた。
フォンセイは研究した情報の全てを隠匿しているわけではない。開示に高い料金を請求しているわけでもない。ただ今なお全てに根づく緑を、土壌の改善をと研究を続けていて、要求されないのに他人に手を貸す暇がないだけ。
それでも求められれば豊かを分け合うことくらいはできる、緑がどれほど貴重か身に染みている大陸の同胞にならば喜んで手を貸せる優しい人たちなのに。
「私は一度も打診を受けたことはない。フォンセイの豊かの理由を知りたいと、根づいた木を分けてほしいと。他の土地にも根づく緑はないか、共に研究しようと持ちかけられたことさえない! それをしないで何が努力だ! 頼るのが嫌でも奪うことはできるのか、それがお前たちの自尊心なのか、誇りなのか!?」
冗談ではないと怒鳴りつけるのに、ヴィルダは扇を叩きつけてくるほどに激昂する。
「何を抜かす、何をほざく!! この大陸で緑が根づくのはフォンセイだけよ、精霊の加護を受けるお前たちがいる場所にのみ豊かが約束されているのではないか!」
知らぬと思うてかと憎々しげに吐き捨て、ヴィルダはまるで全ての元凶とでも言いたげにサウスリザを睨みつけてくる。
「どんな手段を使って精霊を使役するかは知らぬが、それなくばこの地に緑は根づくまい。必死に努力している我らを見下ろして嘲け笑っておったのであろうが、無駄よ愚かよと蔑んでおったのだろうが! 頼られれば手を貸したが如き綺麗事を言うな、精霊に嫌われた我らに何の望みも無いと知っておるくせに……!」
泣き出しそうに顔を歪めて叫ばれたそれは、きっとずっと信じてきたヴィルダやパーナダムの真実なのだろう。どれだけ努力しても報われない側で、たった精霊に愛されているというだけで全ての豊かを手にするフォンセイを、どんな想いで睨みつけていたのか……。
(だが、それでもフォンセイが踏み躙られる謂れなどない。確かに親父殿も私も精霊の姿を視ることができる、だがそれだけで精霊が手を貸してくれるのではない。一つ一つ積み重ねてきた決死の努力を知るからこそ、あの風の貴婦人は親父殿に手を貸してくれたのだ。今なおそれが続くのは、皆がそれを守る為に努力を続けているからだ!)
言い聞かせるように唱えるのは、精霊の愛ほど理不尽なものは他にないと知っているから。こればかりは人がどれだけ努力しても精霊の気紛れで与えられるものであり、それを贔屓よ卑怯よと罵られるのは仕方がない。
望んだのではないのだとどれだけ訴えてみたところで、彼女は確かにその恩恵に預かっているのだから──。
黙り込んでしまったサウスリザを見て、ヴィルダはそら見たことかと嬉しくはない勝利に唇を歪めた。
「だから我らはフォンセイを攻めたのだ。北はあの地を望み、我らはお前を望んだ。シュグナの阿呆どもは、あの地さえ手に入れたなら豊かは続くと信じているらしい、ならば我らはそれをくれてやろうさ。お前さえ、お前の血さえこの地にあれば、我らはそのまま豊かになる……っ」
狂信的な目でサウスリザを見て笑うヴィルダに、周りの人間は幾らか不安な目を送っている。それでも彼女が龍さえ遣うと信じるが為にヴィルダの言葉も受け入れるのだろう、畏れの影に羨望よりは嫉妬の色をちらつかせて上目遣いで窺ってくる。
結局、と心中に溜め息をついて彼女は疲れたように寝台に座り込んだ。
「精霊の愛が不平等なのは認めよう。それで? 精霊に見放されそうな馬鹿げた考えを振り翳して、私に何の用だ」
横柄に足を組み、その上に肘を突きながら睨むように見上げて尋ねるとヴィルダは握り締めた拳を殴りつけたげに震わせた。
「精霊の加護をパーナダムにも与えよ、お前にはそれができよう。無理やり血を繋ぐが真似をされたくなければ、私に加護を授けるよう命じるのだ」
今すぐにと声を震わせるヴィルダに、サウスリザは優雅に微笑んだ。
「下衆」
いっそ優しい声音で囁くように言い放つと、ヴィルダは堪え切れずに側の男が拾い上げていた扇を投げつけてくる。それを受け止めて、ヴィルダが馬鹿げた命令や罵倒を口にするより早く、無駄だと肩を竦めた。
「精霊に誰かに加護を与えるよう指示など元よりできるわけがないし、私を誰に襲わせようと無駄だぞ。精霊の加護など、もう私にはないのだから」
「下らぬ言い逃れを、」
「こんな時に言い逃れなどするわけなかろう。大体、私に真実まだ加護があったのならば、どうしてこの状況に甘んじていると思うのだ。フォンセイに馬鹿が入り込めることもなかろうし、私はここにはいないだろう。ここにいる時点で精霊の加護など尽きたと知れ、阿呆」
少しくらい頭を使えと呆れたまま言いつけると、そんな馬鹿なとその場の全員が同様に呟く。青褪めた顔をした周りの人間は、同じく青い顔をしたヴィルダにどうなさるのですと詰め寄っていく。
「精霊の加護を受けられると聞いたからこそ、龍の遣いを浚いましたものをっ」
「それがないなどと……、それでは一体どうされるのですか族長!」
「この不毛に生きるだけでも精一杯ですのに、龍に襲われてどう未来があると仰せです!?」
「う、煩い煩いっ、黙れ!! この女の言うことを信じるな、精霊の加護を出し惜しみしているに過ぎぬのに!」
黙れと癇癪を起こして足を踏み鳴らすヴィルダを哀れむように見て、サウスリザは足を組み変えた。
「精霊は馬鹿が嫌いだ。フォンセイを守るなどとお為ごかしは精霊には通用しない、仕掛けられた争いに受けて立った時から加護など失われた。万一私に加護がまだあったとしても、理由を同じくしてお前たちに加護は与えられない。私に加護があることを嫉み、それを奪うと決めた時からお前たちは精霊に見放されたのだ」
愚かを行わねば可能性はあったものを、と小さく呟くと、ヴィルダは錯乱して彷徨っていた視線をサウスリザに固定して壊れたように笑った。
「お前に加護が失われても、お前の次代にはまた加護は与えられる! この地から逃れられると思うな、必ず私は私の国を豊かにする! 次代を生すまで閉じ込めて嬲ってくれる……っ」
「──救い難い阿呆よな」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ、何の労もなくぬくぬくと育ってきたお前に何が分かる! 何をしても報われない我らの憤りの何が……!」
悲劇の主人公を気取って頭を抱えて嘆くパーナダムの族長に、かけるべき同情も見出せずに阿呆がと頭をかいた。
「そんな馬鹿を頭に据えたお前たちを哀れんで、一つだけ忠告してやろう。お前たちが龍と恐れるものが、何れ怒り狂ってここに至るだろう。今はシュグナにその目が向けられているだろうが、そこに私がないことに気づけば大陸中を巡っても探し出すだろうな」
精々気合を入れて逃げるようにな、とどうでもよさそうに忠告すると、一気に部屋にに恐慌が訪れる。罵倒、悲鳴、懇願、絶叫、それらを落ち着かせようとして失敗した族長までが、混乱に引き摺られていく。
寝台で足を組んだままそれを他人事に眺め、サスウリザは小さな溜め息を隠した。
フェイルオンを止めろと言い残しはしたけれど、きっと誰にも無理だろう。北が今頃どんな事態になっているかと思うと、ここに来たのは早まったか、とちらりと後悔に似たものが過る。本来ならば彼女は北にいるはずで、一人乗り込んでくるだろう馬鹿はそこで止められる予定だったのだけれど。
精霊の加護を失くしたのは本当に痛い、と目を伏せながら苦く呟いた。何処にも吹く風の精霊ならば、きっとフェイルオンを正気に戻してくれただろう。彼女の言葉を伝えて、馬鹿を行わないようにと止めてくれただろうに……。
<真の月なる長。あなたが望まれるなら、それはいつでも叶えられますものを>
どこか笑うみたいな声が、左耳につけた金鎖を揺らす。思考に沈み込んでいた意識を引き戻して視線をやると、金鎖にじゃれているのはサウスリザが囚われた時からその部屋にいる風の精霊。もうとっくに愛想を尽かされたのだろうと眺めるだけだったのに、話しかけてくれた事態に目を瞠る。
何故と唇に呟くと風霊は、しゃりと金鎖を鳴らした。
<真の月なる長。あなたの嘆きも決意も全て存じ上げておりますのに、何故我らがあなたへの愛を失うとお考えでしょう。我ら全て、瞳を逸らされる長のお側にも常にありました。……ご存知でございましょう>
いつもの如くお言いつけくださいませ、と、笑うように告げる精霊に手を伸ばす。金鎖から指へと移りじゃれる姿は、子供の頃から何も変わらなくて。泣き出しそうになったのを喉の奥で堪え、風霊を撫でる。
「疾く、疾く伝えよ、あの馬鹿に私の言葉を疾く伝えよ。私はここで無事にいる。馬鹿を重ねて離れるな、と。疾く伝えてくれ……頼む」
<必ず>
柔らかく頷き、未だ恐慌の収まらないパーナダムの間をすり抜けていく風の精霊を見送っていると、透かし細工の合間から入り込んできた光の精霊が窓を指した。
<我らが愛すべき月の君、もう一つ朗報を。あの馬鹿ども、じきに黙りましょう>
うん? と眉を顰めてその精霊を見ると、嬉しそうに光を強めた彼に何か問うより早く腕を締め上げるようにして強く引かれた。




