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10.一族

 竜子りゅうしと呼ばれる彼らは、一族間の絆が強い。それは通常の郷土愛や郷愁と呼ぶよりも、縄張りと群れを死守する獣のそれに近いかもしれない。

 敬意を払って接してくる者には礼儀で以って迎える。無礼で遇する者は容赦なく噛み殺す。それで上手く世界と付き合う為には常に一定の距離を保たなくてはならず、その分だけ余計に一族間の絆は深まったと言えるだろう。


 彼らの故郷は、成人男性の足で一日もあれば一回りできるほどの小さすぎる島だった。けれど実際にそこに住むのは精々が五十人強といったところで、後は世界中を渡り歩いている。一族郎党全てが顔を合わせることはないに等しく、一族全員の顔を知っている者は族長以外にはないとも言われているが、それでも彼らは世界中どこで行き合おうとも一族をそうと見極められた。

 一族は全て家族であり、そして何より自分自身なのだから、それは彼らにとってとても自然なことだった。己に剣を向けることなどないように一族の誰かに剣を向けることもなく、例えそれまで名も顔も知らなかったとしても一族の受けた屈辱は我が事として受け止めて報復した。助けを求められれば誰であれ惜しみなく手を貸したし、困難に立ち向かう時はどれだけ遠く離れていても必ず一族に助けを求めた。


 どこまでも深く、根底で一であるとさえ信じたかのような固い絆は今も竜子の血そのものに受け継がれている。ただ彼女たちの代になって初めて、そこに異分子が紛れ込んだ。


 ──否、異分子というのは相応しくない言い方だろう。彼はどこまでも竜子の一であったのだし、何よりも龍の子である容姿と性質を兼ね備えていた。異分子というならば人の血を交え、人の血だけを色濃く持つ彼女たちのほうがよほど竜子としては異分子だろう。彼は、誰よりも正当にして生粋の竜子と呼ばれるべきだった。


(それが、彼を独りにさせた原因なのだけど)


 かつて島にあった頃のように憧憬と畏怖を込めて彼を見る隣の双子を一瞥して、彼女はそう皮肉に呟いた。


 フェイルオン・リアン、それが竜子の中の竜子に与えられた名前。人では有り得ない特徴を幾つもその身に持ち、戦う為に生まれてきたとも囁かれる素晴らしい戦闘技術と才能を持つ彼は、十三になって島を出て以来一度も島に戻ったことのない唯一の竜子でもあった。


 彼女も以前は思慕すら込めて、彼を仰ぎ見たものだった。いつも面白くなさそうな顔をして、笑みらしい柔らかを浮かべることない仏頂面をしていた。竜子という一族の中に生まれたが為に仕方なくそこにいるといった風情で、いつも一族に溶け込めない様子で立っていたのを覚えている。


 今ならば、彼もそこに馴染む努力をしたのだろうと見当はつく。何しろ竜子は一族の絆が強い分だけ閉鎖的であり、そこを逸れたならば本当に一人になってしまうような錯覚を、彼女でさえ覚えたことがあるのだから。一族の誰とも違う容姿を持ち、明らかに異形と嫌でも思い知っていた彼はせめて一族の中に溶け込もうとしたはずだった。


 けれどそれを受け入れなかったのは、彼女たち一族のほうだった。彼の異形を神聖として受け止め、龍の子と仰ぎ奉った。それは一族全てがそうであるように己として認識するのではなく、象徴として一線を引いたということ。どれだけ彼が皆を己と思おうとも、皆がそれを柔らかく拒絶した。龍の子と呼び、自分とは違うものとして受け入れたのだ。


(彼は、竜子であろうと努めていたのに)


 どこまでも自分だけは受け入れない一族に、彼がどれだけ絶望したかなんて彼女には想像もつかない。ただ一族でありながら上手く溶け込めずに浮いていた彼は、自然と島から遠ざかり連絡の一つも寄越さなくなった。戦場で時折見かけられ、元気にしていることを確かめただけ。素晴らしい武勇の数々を聞き、まだ竜子であってくれることに安堵しただけ。

 ただ彼は望んだように竜子であって竜子でなかったから、族長ですら彼がどこにいるのかを把握できずにいた。その彼と、まさか戦場で向き合うことになろうとは。


「久し振りだ、ワングのツアイリィン。私を覚えているだろうか」

「当たり前でしょう、リアンのフェイルオン。まさかこんなところであなたに会えるとは……、息災でしたか」

「無論、と言いたいところだが。先頃まで生死を彷徨っていた身では、そうは言えないのだろうな」


 そちらも息災だったかと尋ね返してくるフェイルオンがひどく穏やかに笑うのを見て、ツアイリィンは思わず目を瞠った。死に場所を求めているのではないかと思う戦い振りを重ねていた彼が、ここまで満ち足りたように笑うなんて想像もしていなかった。

 無礼に気づいてそっと目を伏せるとフェイルオンは声を立ててまで笑い、相変わらず白すぎる手を軽く持ち上げて制止と謝罪にかえた。


「失礼、私はそんなに変わったのかと思うと面白くなっただけだ。自分でも驚いている──、一族を前にして笑える日がこようとは。だが、これはいい変化なのだろうな」


 揶揄するように目を細めて問われ、ツアイリィンは滲むように苦笑して頷いた。


「ええ、とてもいい変化でしょう。それを我が一族の誰かがあなたに与えて差し上げられなかったことを、ただ悔やみます。それでもあなたのご両親に代わって喜びましょう、あなたが龍の縛から逃れられたことを」

「嬉しい言葉痛み入るが、私はこれから真の龍となろう。私は私の守るべきものにかけて、大陸に災いと死を撒く。フォンセイに仕えし龍として。まだ私を一族と思ってくれるのならば、お前たちが引いてくれ。竜子の流儀に則って」

「龍の子フェイルオン、あなたはフォンセイに雇われたのですか?」


 静かな警告に驚いた声を上げたのは、今まで呆けたように彼に見惚れていた双子の内の一人でリイのイエンだった。弟のチエンが服の裾を引いて諌め、はっとしたイエンはフェイルオンの眼差しが自分たちに向く前に慌てて頭を下げた。


「いきなりお声をかけるなどご無礼を致しました、どうぞお許しください、龍の子フェイルオン! 私はリイのイエン、今年の光輝こうきに剣を賜りました」

「その弟、同日剣を賜りましたリイのチエンと申します。兄のご無礼は重ねてお詫び申し上げます、何卒お許しくださいませ、我らが始祖の子フェイルオン!」


 お会いできて光栄ですと喜びに震えた声で続ける双子は、確か今年で十四だったはず。島を出てもう十四年になるフェイルオンと直接会うのは当然これが初めてで、彼を目にしたことのある全てから喜びと幾許かの自慢を込めて語られる龍の子と見えたことは、言い尽せないほどの喜びと感動を与えるのだろう。

 けれどそれはまたしても彼を独りにするのだと諌めようとした時、フェイルオンは島にあった時のような形容し難い表を浮かべることもなく、穏やかな目をしたまま二人に頭を上げるよう促した。


「私はリアンのフェイルオン、ハクイン族長より剣を賜りし七だ。新たに島を出でし戦士に、竜樹の祝福が多からんことを」


 憧れの戦士からの言祝ぎに、双子はすっかり舞い上がっている。何をしにここへ来たのかも忘れているだろう様子に溜め息をつくと、手近のイエンの襟首を捕まえて引き摺り戻した。


「名乗りは許容の内です、けれどそれ以上は場を弁えなさい。シュグナに雇われた竜子と、フォンセイにつく竜子。どちらが引くかを決めるべき時でしょう」

「けれどツアイリィン師、龍の子が引けとの仰せです。我らが引くべきでしょう」

「イエンの言う通りです、我らはシュグナに何の恩義もない。それなのに始祖の子と剣を交えるが無謀は、行いたくありません。ツアイリィン師とてそれは同じでしょう?」

「一度雇用されると定めたものを覆すのに、相手についた竜子が怖いから、とでも言う気ですか? 納得でき得る理由が必要に決まっているでしょう」


 いくら島を出たばかりの雛でもその程度の見当はつけなさいと諌めると、フェイルオンに会えて昂揚していた双子はさすがにしゅんと項垂れた。どこか面白そうにそれを眺めている彼に、それでと軽く腕を組みながら促す。


「あなたにはフォンセイから引けない理由があるのですか、リアンのフェイルオン」


 凡その見当はつきながらも敢えて尋ねるとフェイルオンは誇らしく姿勢を正して穏やかな微笑を湛え、そうだと凛とした声で答えた。


「ようやく見つけた、守りたい者と契約を交わした。今後私の剣は、如何なる時も彼女の為だけに振るう──そう決めた。例え何を敵に回しても、私は彼女の願いに尽くす」

「その為に、真の龍となることも厭わないと?」

「そうだ。今ならば、呪わしいこの身体をも誇らしく思える。全ては彼女の為であったのだと思えばこそ」


 迷いなく断言した彼は、多分に両親にさえ見せたことがないだろうと思われる優しい微笑を湛えている。いつもどこかしら疎外感や孤立感を漂わせていた彼の、初めて故郷に戻れたかのような安らいだ柔らかい表情に痛いほど締めつけられた。


「──契約を結びし同胞の前に立つ愚行を、竜子がするはずもありません。シュグナの雇用は断りましょう、元より何の義理もない仕事です」

「そうしてくれると助かる。決めた以上は誰を殺すことになろうとも躊躇う気はないが、竜子を捨てるとなると彼女が嘆く。それはさせたくない」


 にこりとして空恐ろしいことを平気で言うフェイルオンに、本当は竜子であることを心の底から疎んじていたのではないかと初めて不安になった。それはどうやら双子たちも同じくだったのか、話を邪魔しないようにと引いていたはずが詰め寄りたげに身を乗り出している。気づいてそれを軽く手で制しながら、ツアイリィンは殊更眉根を寄せて彼を見た。


「雛が怯えるようなことを言わないでください」

「竜子が柔なことを言う。事実をそうと知らねば、対処もできないだろう」


 ふ、と唇の端を小さく持ち上げる笑い方は何度か見たことがある。自分ごと周りの全てを嘲るような、哀れむような。皮肉めいたその笑みは、彼女たち竜子全てを拒絶しているようにも感じられる。


 思わず強く拳を握り締めると、しゃりと触りのいい音が耳を突いた。まるで帰りたげに泣いたそれで存在を思い出し、決して落とさないように鞘と革帯を繋ぐように身に着けていた革の小さな袋を取り上げた。

 いつ会えるとも知れない彼に、それでも手渡したいからと自ら望んだ責務。重く託されたそれを幾らか暗い心境ながら丁寧に扱い、丈夫な革の袋から掌に取り出した。その掌をゆっくりと差し出すと、深紅はそれを見下ろして静かに瞠られた。


「これは……」

「葬儀に参列されなかったから、私が預かりました。ご両親があなたに、と遺されたものです」


 取れと促すでもなく手を引くでもなく囁くように告げて待っていると、しばらくして手が伸びてきた。剣を使う無骨さと不自然な白さを併せ持つ指がツアイリィンの手から取り上げたのは、一組の耳環。ほっそりとした長い金鎖が揺れるそれは彼の両親が片方ずつ、ずっと離すことなくつけていた物だった。


「──これを、私にと遺してくれたのか。あの人たちは」


 淡々とした声で確認され、そうだと頷くことはひどく辛かった。


 考えてみれば実の両親であるにも拘わらず、彼の口から父母という言葉は聞かない。いつでも誰からも一歩引いていた印象の彼は、両親に対してさえ最後までそうだったのだろうか。

 苦い物が込み上げてくる気がして目を伏せたツアイリィンは、しゃりと彼の手の中で泣いた金鎖に意識を引き戻され、フェイルオンを認めた途端に胸が押し潰されそうになった。


(ああ、どうして私はこうも彼を独りにするのだろう……!)


 彼が両親を愛してなかったなどと、何故勝手に思い込んだのか。こんなにも懐かしむように、愛おしむように、惜別と哀惜に目を細めて優しく手の中の金鎖を見る彼も知らず。言わないから、戻らなかったからとそこにある事実だけで判じて、見つけなくてはいけなかった彼を遠ざけていただけ。


 言えなかったのだ、彼は。両親をその異形に巻き込めなくて、竜子たらしめる為に自分とは違うものとして一線を画さねばならなかった。

 戻れなかったのだ、彼は。彼が戻ればしめやかなる葬儀は龍の子の帰還に紛れてしまうから、遠く離れた場所で送るしかできなかった。


 何より誰より両親を愛していたはずだった。異形の自らをそれでも受け止め愛してくれた親を愛さないでいられるほど、彼は人であることを放棄していたわけではないのだから……。


「──彼らは、穏やかだっただろうか」

「ええ、とても。これをあなたにと託されて、そのまま眠るように息を引き取られました」

「……そうか」


 よかったと、聞こえない安堵の声が聞こえた。柔らかく金鎖を握り込んで悼むように目を伏せ、項垂れるようにしたフェイルオンを見てツアイリィンは溜め息を噛み殺した。


 彼が島に戻れない理由なんて、彼女たちの中にしかない。ならば今ここで彼が契約したい相手を見つけられたことを、心から喜ぶべきだろう。そうしてもう二度と彼が独りにならずにすむように祈る。


 フェイルオンが黙祷を終えて目を開けたのを確かめ、ツアイリィンは左手に軽く拳を添えると小さく一礼した。


「確かにお渡ししました。それでは、私たちはこれで。今日の間に大陸を出てしまいます」

「ツアイリィン師、何もそんなに急がれずとも……っ」

「そうです、龍の子と共に戦える機会なんて、もうないかもしれないではありませんか! 雇用など関係なくお力になることも、」


 必死に縋ってくる双子の雛の言葉を最後まで聞かないで、ツアイリィンは声を尖らせた。


「お前たちが、彼の足手纏い以外の何になれるというのです? 契約せし竜子の邪魔すると言うのなら、私がこの場で斬り捨てることも厭いません。──お前たちとて、契約の意味は分かっているはずでしょう」


 双子の言いたいことは分かる。彼女だとて彼の役に立てるのならば、この紛争に手を貸すことくらい構わない。久し振りに戦う彼の姿を見たいのも確か。けれど彼女たちが手を貸すことによりこの戦いは早く決着するとしても、ようやく見つけた彼の居場所を叩き壊してしまうだろう予想もついた。

 対峙しているこの短い間だけでも、どれだけ彼を独りにしているか分からない。一族から離れ、それでもその名を捨てることなく竜子として息をつける場所を探し出せたのに。これ以上彼の邪魔をする権利など、彼女たちに有り得るはずがない。


「安心してください、雛は私が責任を持って引き上げます。そして他の竜子にも、大陸には寄るなと伝えましょう」

「痛み入る」

「あなたには不要かもしれませんが……、ご武運を」


 雛の襟首をしっかり両手で捕まえながら言うとフェイルオンは僅か目を瞠り、多分にここに来て初めて覚えたのだろう柔らかい様子で微笑った。


「女神らと戦神の加護を祈っておいてほしい。私の為ではなく、私の契約する彼女が泣かずにすむよ

うに」

「龍の子の前に立ち、無事ですむ者などありません!」

「始祖の子に竜樹の祝福と全ての神々の加護がありますように!」


 先を競って言祝ぐ双子に、フェイルオンは小さく苦笑した。


「龍の子も始祖の子も、私には過ぎた名だ。もし次に会うことがあるならば、双剣そうけんと。──私にはその名こそが誇りだ」


 それは竜子としての通り名。どこまでも彼を拒絶し続けてきたのに、その一族としての名を誇ってくれると聞き、ツアイリィンは双子の襟首から手を離すと深く深く拱手した。


「双剣のフェイルオン、あなたの契約が永久にあなたを救うことを祈ります。竜子の……、」


 今までの仕打ちを詫びたかった。けれどそれをして楽になるのは彼女の感情だけ。双子は自覚して落ち込み、彼は嫌な記憶を刺激されるだけだと分かっていたから何とか堪えた。


「竜子の始祖に違わず背かず、守るべき剣を貫かれることを」


 必死に告げられたのは、そこまで。それ以上は涙が落ちそうで唇を噛み締めると、空気が和らいだ気がした。


「……聡賢そうけんのツアイリィン、師にも竜樹の祝福を。そして、その剣の曇りを晴らしてやるといい。リイの双子、お前たちの心意気はとても有難かった。また何れ手がいる時は助けを乞おう、そして必要な時は呼ぶといい。私の契約する彼女の害にならないなら、喜んで手を貸そう」


 笑うようにからかうようにそう告げて、フェイルオンは軽く手を上げて踵を返した。後を追いかけて賢明にも足を止めた双子は、拱手して叫ぶ。


「双剣のフェイルオン、お会いできて光栄でした!」

「どうか、……どうか再び見えることがありますように!」


 ご尊敬申し上げますと、声を揃えてまるで悲鳴みたいに言う双子に、彼は少しだけ呆れた様子で顔だけ振り返った。深紅を細め、久し振りに出会ったのだろう一族を見納めるように焼きつけるほどの時間だけ眺め、持ち上げた手をひらりと揺らすと足を止めることなく離れていく。



 長い藍がさざめくように靡いて、それはもう振り返りもしない彼の最後の挨拶のように見えた。

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