2019/7/18
なんていうか、最近ぐちゃぐちゃだ。
やりたいことはうっすらと見えたんだけど、消耗しすぎたのかちょっとしんどい。
私は、多分怖がりだ。色んなものが怖いし、一番怖いのは取り返しのつかないことだ。
例えば、何だ。
人が死ぬ、ということ。
大きな失敗をすること。
見限られて、追いつけなくなること。
追いつけなくなる?何に。
私は一体前に誰を見ているのか。
同級生、友だち。
多分それか、同年代。
けれど私は、ちょっと疲れた。
心が悲しいし、辛い。
多分負のエネルギーが蓄積してしまって、疲れ果ててしまっている。
最後の最後でガス欠か、笑えない。
もうちょっとで、少し長い休みが見えているので頑張らないと。
終わったらそうだ、少し一人で旅でもしたいな。
遠い所で一人何のしがらみもなく歩きたい。
ただ、人が少ない所で腰を下ろしてボゥッと心にくる景色を眺めていたい。
そしたらまた歩いて、ちょっと美味しいものを食べて、最後はゆっくりと寝たい。
何に怯えることなく、ゆったりと3~5日くらい。
いや、1週間くらい心のゆくままに、気ままに行動したい。
回復したらそうだな、英語の勉強をするのもいいかもしれない。
TOEICで良い点数を取って、単位を加算してもらって、こつこつと単位を稼ぐ。
海外の人とも軽く世間話できるようになりたいな。
なんか少しコンプレックス、というのかな、がある。
ずっと抱えてたけど、やっぱり何とかしたいよな。
自分は皆とは違う、毎日大学に通ってて、ちょっと少しそう感じて悲しくなった。
けれど私が選んできた道で、何か問題があるならそれは全て私の自己責任で。
けれどやっぱり、ちょっと何とも言えない感じが私のなかにある。
ショーウィンドウの外側から色々な商品を眺めながら通り過ぎる毎日、言い得て妙かもしれない。
なんて書いているが、私は多分上手くいかないこのよくわからない感情を見ないために、彼らに焦点を当てているだけだ。
何を見たくないのか、具体的にそれが何なのか。私にはわからない。
わかっているのかもしれないが、私は、顕在意識の私は捉えていない。
私はそれが何なのか知りたいけれど、同時に知ることを拒絶しているのかもしれない。
焦り、という感情よりも疲れた、の方が私の現状に即している。
完全にガス欠だ、一人になりたい。
なんてまた書いてる。
私はなんでか人の評価とか私に対する意見、とかそういうものを意識してしまう。
私は私。けれど頼んでもないのに私の内面に踏み込んでくる人から大きな影響を受ける。
良いことも、悪いことも。
私の中に土足で上がってきて踏み荒らして去って行った人たち。
その跡をせっせと元通りに修復するために力を使うのはちょっともう疲れた。
私はゆっくりと、安心できる場所で好きなことをして自分を回復させたい。
この世界に生まれてきて、良かった。
けれど少し疲れてしまった。
だから休憩している。
今までずっと走ってきたんだと思う。
走って、走って、走って…。
歩いていても、私は走っているつもりでいた。
けれどもうここが限界みたいだ。
走れ、そう命令しても、もう動けない。
頭じゃなくて、心だ。
心が理解してしまった以上、もう無理だ。
書いてて思うのは、他人のこと。
他人から見た自分。否定的な言葉を想像して自分を奮い立たせようとしても、もう私は駄目だ。
本格的にガタがきてるかもしれない。
今まで私はずっと走ってきた、そう思っていた。
けれど失速は誰の目にも明らかで。
けれど私は私のために必死に走ってきた。
誰かに否定されるのが、叱責されるのが、停滞していると思われるのが、何より自分が弱いと認めるのが恐かった。
私は、いつから間違ってしまったんだろうか。今までも一生懸命に生きてきた。
けれど今の自分に胸を張れるか、というとそれは張れないだろう。
私はただ、自分を認めて他人も認めて、世界を楽しみたかっただけだ。
けれど私は、今の私にはそれができていない。