第六話 鬼龍寺鉄馬は努力をしなかった凡人である
『あ、今日も伝書鳩』
午前中、畑仕事の手伝いをしていると、アルフォニカがそんな事を言った。
太陽熱で温まった地面からの照り返しで流れる汗を服の袖でぬぐい、視線を上に向ける。すると、アルフォニカが言ったとおり、青空の中を黒い点が移動していた。
……普通は飛んでいる鳥の姿なんて見えないよな。人間の視力じゃ。
「あれから二週間くらいか。ここんところ毎日だな」
『それだけ大変な事が起きているんでしょうね』
そういうアルフォニカは、どこか他人事だ。
まあ、実際に俺達ではどうしようもない事なんだろうから、他人ごとになってしまうのだろうけど。
テッドがカルサのおっさんを見つけてから約二週間。一向におっさんの記憶が戻る気配もないし、俺たちにできる事もない。
精々が、会話をして、魔法や剣術の訓練を一緒にするくらい。
分かったことと言えば、おっさんにはその両方の才能があるという事だ。
剣術はテッドと同じくらい使えて、魔法だってアルフォニカが傍に居れば使う事が出来る。まあ、精霊が見えているんだから、この世界の常識で言えば魔法が使えるのは当たり前で、精霊が見えるのに魔法が使えないテッドが不思議なんだけど。
「大変な事かあ」
『カヤの外ね、私たち。カヤって何か知らないけど』
じゃあなんで使ってるんだよと思ったけど、俺が偶に使っていたからだろう。
そんな事を考えながら、たった一週間程度で見事に成長した雑草を魔法を使って抜いていく。
のんびりとした日常。
いつもと同じ毎日。
日課の畑仕事の手伝いが終わればテッドの家に行き、昨日は魔法の訓練をしたから今日は剣術の稽古かな、と漠然と考える。
『テツマはさ』
「ん?」
『結構のんびり屋さんだよね』
いや、空中にふよふよと浮いているお前に言われてもなあ、と。
地面に胡坐を組んで座ったまま、深呼吸を一つ。
記憶の中にある前世の記憶ほどではないけれど、夏の日差しで浮いた汗が頬を伝い、顎から滴り落ちた。
「そうかな?」
『そうだよ。才能を無駄遣いしてる』
それとのんびり屋が、どう関係しているんだろう。
ふと思ったけれど、なんだか聞くのも面倒くさかった。暑いからだ。
こうも暑いと考え事をするのも億劫になってくる。ただ――アルフォニカはそんな俺の反応が面白いのか、ケタケタと明るく笑っている。
本当にもう、おばちゃんである。
井戸端会議をして大声で笑っている人そのもの。
そんないつも通りのアルフォニカに少しだけ癒されながら、水汲みから帰ってきた両親と交代して畑仕事の手伝いを終えて、テッドの家へ。
ここ最近の日課。
いつも通りの毎日。
ただ違ったのは、テッドの家の前に見慣れない馬車が居たことだ。
『あらま』
アルフォニカも驚いた声を上げる。
珍しい、と。こいつが驚いたところを見るのは、ずいぶんと久しぶりのような気がした。
『王家の紋章。ほら』
「いや、知らないよ……どれ?」
『これこれ』
いつものように浮いたまま、アルフォニカが馬車の傍へと移動して、その荷台の扉に刻まれている紋章を指さした。
竜……じゃない、一角の獣ユニコーンと、その後ろに一本の剣が描かれた盾の紋章だった。
『ユニコーンの角と剣を一対に見立てて、それを防ぐ盾って意味ね』
「ふーん。それだと、攻めるより守る法に主眼を置いているわけか」
『そういう事』
さて、そんな王家の紋章が刻まれた馬車が、どうしてテッドの家の庭にあるのだろうか。
その疑問が頭に浮かぶと、答えより先に威圧感が肌を震わせた。
ぞくりと鳥肌が立つ。
――その威圧感の原因は、馬車の奥。テッドの家の玄関脇に立つ、重装備の――兵士と思われる人物。
初めて見る鎧兜に身を包んだ人型。頭部はアーメット、もしくはクローズと呼ばれる可変式のバイザー付きのヘルムに、全身は金属板で構成された鎧。板金鎧、プレートアーマーと呼ばれるもの。
手には木製の柄の先端に刃が取り付けられたスピアを持ち、腰には鞘に納められた剣を吊っている。
そのどれもが田舎の村では見ないものであり、そしてその鎧の胸元にも馬車に刻まれているものと同じユニコーンが描かれた盾の紋章が描かれていた。
「…………」
『怖いわねえ』
そんなに軽く言うようなことじゃないと思うだけど。
ヘルムのバイザー越しなのでその表情は読めないが、その視線は確実に俺の方を見ているのが分かる。
これはあれか。
紋章が刻まれた馬車に近づくなという合図なんだろうか。
そう思いながら、恐る恐る、馬車から一歩離れる。すると、感じていた威圧感も薄くなった。
「今日は近づかない方がいいみたいだな」
『そうね。さっきの伝書鳩は、この馬車が今から来るっていう合図だったのかも』
それって伝書鳩の意味があるのかなあ、と思いながらその場を後にする。
何とはなしに、窓越しに家の中を見る。当然だけど、そこからテッドやおっさんを見ることはできない。ここで見つける事が出来ていたら、それこそ奇跡みたいなものなんだろう。
『間が悪かったわね』
「だな――なあ、アルフォニカ」
『なあに?』
「これって、おっさんのところに来たのかな?」
『だと思うわよ』
「……簡単に言うよなあ、お前」
いやまあ、他に言いようがないんだろうけどさ。
「たしか、この国のお姫様と瓜二つの顔なんだっけ?」
おっさんが始めてテッドの家に行った時に、アロンソさんとエイミーさんが言っていたことを思い出した。
たしか……。
「か、カリーナ様?」
『そうね。カリーナ・フォン・セルベリド。この国の第一王女様』
「そういえば気にしていなかったけど、第一ってことは、次の女王様ってことなのか?」
『いいえ。上に兄が二人くらい居るはずよ。三人だったかしら?』
うろ覚えだなあ……。
その感情が顔に出たのか、アルフォニカは少し怒ったように頬を膨らませた。ああ、いや。どっちかと言うと、拗ねているのか。
『私だって長い間見ていないんだから、うろ覚えなんですう』
「変なところで可愛い子ぶらなくていいから。似合ってないから」
『おい』
夏の日差しに目を細め、流れる汗を腕でぬぐう。
のんびりとした、田舎の光景。風景。
その一幕。
ただ違うのは、都会から引っ越してきたテッドの家族と、記憶を失くした王族と同じ顔を持つ女の子。
特別な人達と、凡人である俺達の違い。
前世の記憶と精霊が見える目を持っていても、生まれは変えられない。
物語の中心は生まれも育ちも、その人生も特別な人でなければいけないのだろう。
それとも、ある種の才能にかまけて努力を怠った俺が悪いのか。
ただまあ。
「今日は久しぶりに俺一人か」
『私も一緒だよね?』
「そういえばそうだった」
『ひどいっ』
うるさいなあ、と。
耳を穿るような仕草をすると、怒ったのか空中を移動するスピードが上がった。
置いて行かれて、視界にはアルフォニカの後ろ姿が映る。まあ、姿を消さない辺り、怒っているというよりも拗ねているだけなんだろう。
「ありがとうな、アルフォニカ」
なんとなくそう言うと、アルフォニカは振り返って物凄く驚いた顔をした。
……その反応はちょっと失礼じゃないだろうか。
『テツマが素直にお礼を言うなんて、明日は雨かしら』
「俺だって素直にお礼くらい言うさ。最近はあんまりテッド達とも一緒に居られないし――独りぼっちっていうのは結構寂しいもんだな」
『私も一緒だって、言ってるでしょ!』
今度は怒った口調だった。
少し先に進んでいたのに戻ってきて、頬を膨らませたまま俺を可愛らしく睨んでくる。
『それよりも、ようやく独りぼっちが寂しいって思えるようになったのね』
「それだと俺が何も感じていなかったみたいに聞こえるんだけど」
『っていうか、自分と周りに線引きをしていたでしょ?』
そうかな?
まったく自覚が無いので首を傾げると、アルフォニカが思いっきりため息を吐いた。
『引いてたの。どうせ、成長したら村を出るから、周りに付き合う必要もないとか思ってたんでしょ?』
「そんなことは思ってなかったけど」
……でも、村を出ようとは考えていた。
出て、この魔法の才能を生かせる仕事をしたいと。
特別な能力を持っているのだから、その能力を生かせる生き方をしたいと――考えていた。
けど今は、そんな不確定な未来の話より、カルサのおっさんがどうなるのか。
王家の紋章が描かれた馬車が現れたテッドの家がどうなるのか。
そっちの方ばかりを考えている。
……そういう意味では、少しは変わったと言えるのかもしれない。
「どうなるのかな?」
『さあ……ただ、あまり良い事にはならないでしょうね』
どうしようもない。
そう言われれば、きっとそれまでなんだろう。
俺はまだ子供で、俺もアルフォニカも部外者で、そんな俺たちに出来る事は何もない。
もし、俺がもっとアルフォニカや前世の記憶の知識を生かして活動して、少しでも有名になっていたら――何かできる事があったのだろうか。
……それこそ、考えても無意味な事か。
イフ、もしもの話は考えても意味が無い。
それは、変えようのない、どうしようもない、もしかしたらの物語の話なのだから。
「なあ、アルフォニカ」
『なあに?』
「俺がもう少しテッド達と親しくなっていて、もっと上手に魔法を使えていたら――俺は部外者じゃなくて、当事者になれていたのかな?」
『さあ? でも、今よりは後悔していなかったんじゃないかしら?』
「そう、だな」
後悔。
きっと、俺が今感じている感情を言葉にするなら、一番正しい感情だろう。
どうしようもない。
カルサのおっさんの今後は、俺の知らないところで決められるのだという、予感があった。
もしかしたら、俺がもっと努力して、もっとテッド達と親しくなっていたら……さっきは入れなかったテッドの家、あの中に入れるくらいには、現状が変化していたかもしれない。
それも、もしも、の話だ。
本当の事は分からないし、もしかしたら全く違う未来になっていたかもしれない。
ただ。
「後悔、か」
この感情が、気持ちが『後悔』だというのなら……気持ち悪いな、と。
「アルフォニカ」
『んー?』
「お前は――」
テッドの家に、カルサのおっさんの傍に、行かなくていいのか。
その言葉を口にしようとして、飲み込んだ。
カルサのおっさん――この国のお姫様の顔を知っている精霊。どうして、と。まだ聞けていない。
いつかアルフォニカから話してくれるかもという気持ちと、子供の頃から一緒に居る姉のような相棒も田舎育ちの凡人とは違う『特別』だと考えると、自分が今以上に惨めな気分になってしまいそうだったから。
だから言葉を飲み込んで――けれどアルフォニカは俺が何を言おうとしたのか悟って、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
『大丈夫よ。私は貴方の傍に居るから……ね、相棒?』
「そうか」
『そこはもっと嬉しそうにしなさいよー!』
すぐにいつものように明るい声で、唇を尖らせて、アルフォニカはオレの傍に来てくれた。
甘えているのだと自分でも理解している。
それでも――アルフォニカの優しさは、凄く……本当に凄く、嬉しかった。