第五話 鬼龍寺鉄馬は親友を得たり
「あ、帰ってきた」
いつものように森のはずれで魔法の訓練……のようなものをしていると、ふと空を見上げたテッドがそう呟いた。
その声につられて俺も顔を上げると、目が痛くなりそうなくらい眩しい青色の空に、黒い点が一つ。
最初はそれが何なのか分からなくて、しかし視界が明るさに慣れて眼を細めると、それが高い位置を飛んでいる鳥なのだと気づく。
「伝書鳩だな。そう言えば一昨日、アロンソが飛ばしていたはずだし、その返事か」
「よく知ってるな」
「見ていたからな。内容はオレの事だろ」
そう言って、テッドと一緒に居たカルサが自嘲するように口元をゆがめて肩をすくめた。
そういう仕草が癖になっているんだろうけど、可愛い女の子がすると違和感があると思う。
極力気にしないようにしながら、魔法を使う。簡単な、今日まで毎日のように使ってきた『物を浮かせる』事と『浮かせた物を動かす』魔法。
今日はいつもより多く、小石を十個。
「見事なもんだ」
「そうなの? 他の人に見てもらったことが無いから、分からないや」
「アロンソは? アイツは結構な魔法の使い手なはずだぞ」
「アロンソさんは忙しいし……っていうか、分かるんだ。そういう事」
「ま、なんとなくな。たぶん、そういうのに詳しかったんだろ。木刀を振るのにも違和感が無かったし」
覚えていないけど知っている。そんな感じなんだろうか。
記憶ではなく体が覚えているみたいな。
表現として正しいのかは分からないけど、この女の子がその事を気にして、そして悩んでいるという事だけは分かった。
ただ、やっぱり女の子が胡坐を組んで膝に肘をつきながら背中を丸めているというのは、正直――。
「それ、似合ってないよ」
「ちっ――うるせえ。ったく」
自分でもそう自覚していたのかもしれない。少し恥ずかしそうな顔をして、カルサは視線を逸らした。
少し離れた場所でアルフォニカとマンツーマンで魔法の訓練をしていたテッドがそれに気付いて、声に出して肩を震わせながら笑う。
あと。
「女の子が胡坐を組むのは止めない? 目のやり場に困るんだけど」
「あん?」
まず本人に女の子としての自覚が無いので、ワンピースに今日は動きやすい黒の薄い生地で作られた下履き――いわゆるスパッツ姿。
そりゃあ下着は見えないけど、そんな姿で胡坐を組まれると、男としては目のやり場に困ってしまう。中身が男の人だったとしても、だ。
俺がそう言うと、恥ずかしがっていた表情は形を無くし、代わりに出てきたのは厭らしい……悪いことを思いついたと言わんばかりの意地悪そうな顔。
「マセてんなあ、子供のくせに」
胡坐を組んだ足はそのままに、膝の上に肘を立てる様子は、記憶の中にある映画のワンシーン。三流の小悪党が強がる場面によく似ていると思った。
こう、最後じゃなくて真ん中あたりのシーンで銃撃されるなりゾンビに食べられるなりする、そんなキャラクター。
けれどやっているのは絶世の美少女なので、結局最後まで主人公と一緒に生き残るんだろうなー、と。変な事を考えてしまった。
「そうじゃなくて、女の子がそんな恰好をするのははしたないよって言いたいだけど」
「気にするなよ。っていうか、女扱いするな。オレが困る」
「そりゃあそうだろうけど――」
そう言われてもなあ、と。
真面目に悩んでいると、日差しが暑かったのか、カルサはワンピースの裾を使って顔を扇ぎ始めた。
俺はため息をついてアルフォニカを見ると、自称お姉さんキャラの彼女はテッドへ魔法の使い方を教えていた。
……肝心なところで役に立たないなあ、お姉さん。
「そんな顔をしてどうした?」
「分かってて聞くなよ……おっさんか」
「くく――そうだな。中身はそんなもんなんだろ、お前らをからかってるのが妙に楽しいし」
親戚のガキを揶揄う叔父の心境かね、と。カルサはぼそりと呟いた。
たぶん、精神年齢は俺が思っているより高いんだろう。
「じゃあ、アンタの事はおっさんって呼んでやるよ」
「は――そりゃあいい。そうすれば自分が女だってことを忘れる事が出来そうだ」
怒られることを覚悟で言うと、逆にうれしそうな声が返ってきた。
……俺は、記憶の件はどうあれ、肉体も精神も男だから、カルサの悩みは分からない。
けれど、どうやら俺が思っている以上に、この数日でカルサの精神は参っているようだった。
外見は女で中身は男というのは、相当な精神的ストレスになっているのかもしれない。
「まあ、怒らないならそう呼ぶよ。俺も、女の子を相手にしていると考えないようにする」
「ふは――お前は物分かりが良いな、ジミー。いや、テツマ? 本当のお前はどっちなんだ?」
「さあ? 俺も分からないよ」
どこまで気付いているのか、それとも聞き出したいのか。
ただ、アルフォニカだけが呼ぶ『前世の名前』を聞かれて、それを気にしているのはカルサ……このおっさんだけなのも事実で。
それは、こう、心の奥にある『話したい』という欲求を刺激するには十分すぎた。
「まあ、いいか。テッド、話があるから魔法の訓練は中止だ」
『はいはーい』
「……なんでお前が返事をするかな、アルフォニカ」
「だって、テツマの事を話すんでしょ? 聞こえてたし。いつ話すのかなあ、って気になってたから」
『……なんだかなあ』
どこまで本気で、何を考えているのやら。
俺の相棒は、本当にどういう存在なのか分からなくなる。
少し離れた位置で訓練をしていたテッドは何の話なのかと興味津々で、それが表情に現れていた。……アルフォニカもこれくらい素直ならなあ、と。
「こほん。では、これから俺の事を話そうと思う」
「おー、いいぞ」
おっさんはどこか楽しそうに茶化しながら、けれど表情は少し強張っていた。
もしかしたら、自分の現状と俺の内情に共通点があるかもと期待しているのかもしれない。いや、たぶん全然関係ないと思うけど。
「最初に行っておくけど、おっさんの現状と俺の状況は関係ないと思うから。期待しすぎないでね?」
「……マジか」
『そだねー。まあでも、外見と内面が乖離しているっていう意味じゃ似てるかもね』
「そっちか」
「???」
唯一話についていけていないテッドだけが、俺たちの会話を聞いて首を傾げていた。
もう一度、コホンと咳払いを一つ。
「それじゃあ、俺ことジェームズ……と、あと鬼龍寺鉄馬の現状を教えるよ」
そして、俺は軽い気持ちで話し出した。
難しく考えるのは苦手だし、ここまで言って隠し事をするっていうのも気が引ける。
なにより、この特別な状況を誰かに話して、心を軽くしたいという気持ちがあった。
と言っても、話すことは単純で、簡単で、そう多くない。
俺には前世の記憶があって、その時の名前が『鬼龍寺鉄馬』だということ。前世はこことは全く違う未知の世界で、沢山の人間が住んでいて、ずっと文明が発達していて、楽しいこともたくさんあって、けれど辛くて苦しいこともある。
そんな世界。
俺はそんな世界の記憶をもって産まれたんだと。
「それ、お前の妄想じゃねえの?」
話を聞いた第一声は、おっさんのそんな身も蓋もない言葉だった。
「俺もそう思う。でも、うちの両親に聞けばわかるけど、物心がつく頃には会話が出来ていたし、その時からの記憶だって鮮明に残ってる。文字の読み書きだって自分で覚えて……なんだろうな。妄想だといいなって思うたびに、この記憶は本物なんだって気付かされるっていうか」
「すまん、よくわからん」
「説明しづらいんだ――おっさんと同じ。自分がどうしてこうなっているのか」
「ああ……だから話したのか。お世辞にも似てるっては言えないけど、オレみたいな男女を見つけちまったから」
そう。
きっと、そうだと思う。
『こんなこと、ご両親にも言えないしね。自分の息子に前世の記憶があるなんて知ったら、人間の社会だと悪魔憑きか狂人だと思われるだろうし』
「テッド達が村に来る前は、アルフォニカと話しているだけでも変人扱いだったからなあ」
俺も精霊っていうのを信じていなくて、アルフォニカの事をお化けか何かと思っていた時期もあるし。
田舎の村じゃ、精霊っていう存在を信じない人も居る。
そうなると、『お化けと話せて自分で作り出した妄想を信じる変人』でしかないのだ。
それも、テッド達が村に引っ越してきて、精霊の何たるかを教えてくれたから助かったけど――やっぱり、『前世の記憶』っていうのは、テッドもおっさんもどう信じればいいのか分からない様子だった。
「まあ、記憶が無いけど自分を男だって信じているオレが言うのもなんだけど……変わってるな、お前も」
「おっさんにだけは言われたくないな」
「違いない」
二人してからからと笑った。乾いた笑いだった。
……そして、ひとしきり笑うと、はあ、と溜息。
「オレたち、これからどうなるんだろうな」
「ほんと、それ」
どうなるのか、どうすればいいのか。
それが全く分からない。
いや、俺の場合はこの『前世の記憶』を利用して村を発展させるなり、都会に出て成り上がるなり、冒険者として有名になるなり。いろいろな選択肢がある。
ここから先は、俺の気の持ちよう次第なのだ。
けど、おっさんは違う。
本当の意味で、これからどうなるのかが分からない。
どうして今の状況なのか、その手掛かりすらないんだから。
「えっと。間違えて居たら教えてほしんだけど、ジミーはアルフォニカさんが呼ぶテツマって人の記憶も持ってるってこと?」
「……ああ。この世界じゃない、別の世界の記憶もな」
「そっか」
そう考えている間に、テッドもテッドなりに、俺の話を咀嚼して、受け入れたようだった。
うん、と。声に出して頷いて、まっすぐ俺を見る。
「なんだか難しい事ばっかりで、まだよく分かっていないんだと思う」
「そりゃそうだよな、うん。それが普通の反応だと思うよ」
ただ、その瞳には恐怖とか嫌悪とかの感情が宿っていなくて、少しだけほっとしてる。
この村で数少ない――というか、唯一の友人と呼べる人物なんだ。
ひとまず、嫌われなかったことに安堵する。
「でも、よかったよ」
「うん?」
「大事な事を話してくれて。なんだか、やっとジミーから信頼してもらえた気がするし」
それどころか、笑顔を浮かべ、俺以上に安堵した声を出していた。
……お前、本当に、そういうところだぞ?
一世一代の告白をしたこっちより嬉しそうな顔をされると――こっちもこれから先の不安とか何とかより先に、受け入れてもらえて嬉しいって気持ちになってしまうじゃないか。
「なんだ、照れてんのか?」
「おっさんがこの前、テッドに説教されたって話をしていただろ?」
「あん?」
「その時の気持ち、なんとなく分かったよ」
「は――なるほど。お前も大概だな」
受け入れられたこと、拒絶されなかったことを喜ぶ気持ち。
そして、なんだろう。
テッドが簡単に、何気なく、当たり前のように口にした『信頼』という言葉。
俺は今までテッドを信頼していなかったのか?
わからない。
けれど、今は……俺の事を話す前よりも、テッドを信頼していると思う。
……青臭いと笑われるかもしれないけど。
今やっと、俺とテッドは友達になれたんだな、と。そう感じていた。