第三話 鬼龍寺鉄馬は輪の外である
さて、と。
ここはこの村で一番大きい、テッドの家。
外観もそうだけど、中の造りも俺の家とは全然違って小綺麗になっていて、調度品なんかも飾られているちょっとした貴族のお屋敷のような印象だ。
まあ、貴族のお屋敷になんて行ったことが無いんだけど。
窓には白いレースのカーテンがあるし、テーブルにはクロスが敷かれている。椅子も高級そうなもので、床には絨毯。
流石にシャンデリアまではないけれど、花瓶には花が活けられている。
……豪華すぎてちょっと居心地が悪い家――というのが、テッドの家に対する感想だ。
さて、そんなテッドの家にお邪魔している理由は、先ほどテッドが村の入り口で拾ってきた女の子。
彼女を休ませるためだったんだけど、その女の子はすでに意識を取り戻していた。
「それでは、貴女様は――」
「貴女様なんてよしてくれ。背中が痒くなっちまう」
ソファを簡易ベッドにして休んでいた少女が体を起こし、困ったように頬を掻いていた。
その理由は、そんな彼女の前に頭を下げている男女――テッドの父親であるアロンソさんと母親のエイミーさんが原因だった。
二人が片膝をついた恭しい仕草はその女の子がやんごとない身分なんだと容易に想像させるけど、当の本人まで困っているのが印象的だ。
「誰か知ってるか?」
「さあ?」
とりあえず、俺よりこの世界の情勢を勉強しているであろうテッドに聞いてみたが、返事はこんな感じ。
まあ、知らないから村の入り口で拾い、そのまま背負って家まで運べたんだろうけど。これがすごい有名人だったら、俺なら背負うことも恐れ多くて大声を出して助けを求めていたと思う。
二人揃って椅子に座り、背もたれに顎を預けながらエイミーさんが用意してくれた冷たい水を飲んで喉を潤す。
『二人とも知らないんだ……まあ、私もほとんど見なかったから忘れてたけど』
「あ、アルフォニカさんも知ってるの?」
『坊ちゃんも、幼い頃に一度お会いしていますよ』
アルフォニカと同じように、頭の中に直接響く声。けれど、アルフォニカとは違って、どこか恭しくて、こちらに敬意を払っている印象を受ける深い男性の声だった。
視線を上げると、空中には見慣れた金髪碧眼の美女と、もう一つは大きな猫のような獣の姿がある。
アロンソさんが契約しているという精霊、フィオカ。
その姿は虎柄模様の大きな猫で、俺やテッドどころか大人のアロンソさんとあまり変わらない大きさだ。
ここまで来ると猫というより豹と言った方が近いかもしれない。
雷猫と呼ばれる精霊の種族らしく、その格の高さはしっぽの数で決まるそうで、フィオカの尻尾は三本。
俺の前世の記憶だと、日本で猫又とかいう妖怪だったはずだが、三本だとまた別の妖怪に分類されるのだろうか、と初めて見た時は考えたものだ。
精霊とは人間のような容姿をした存在だけでなく、こうやって獣に似た容姿をした存在も居る。
その違いは、生まれた状況にあるらしい。
人の輪の中で存在を得たらアルフォニカのような人間体に。逆に、人間がほとんどいない自然の中で存在を得たらフィオカのような獣の姿になるんだとか。
「お前、会ったことがあるらしいぞ?」
「覚えてないけど……知り合いかな」
『あの時はまだ幼かったですからな。物心もついていたかどうか怪しい時分でしたし』
そんな昔かよ。
そう心の中で突っ込みながら、俺はアルフォニカの方を見上げた。
「んで、彼女は誰なんだ?」
『この国のお姫様』
「は?」
『あの方はカリーナ・フォン・セルベリド。この国の第一王女……つまり、王の長女であられる方です』
「お姫様……」
そう呟いて、テッドを見た。
こっちも驚いているようで、俺と同じように呟いてこっちを見ている。
「なんでお前、お姫様と顔見知りなの?」
「さあ?」
そのまま、いまだに頭を下げているアロンソさんの背中を見た。
貴族が田舎に越してきただけでも驚きなのに、息子を王女に合わせる事が出来るなんて……本当に謎な人だ。
そもそも、この人たちが引っ越してきて一年が経つけど、ほとんど何も知らないんだよなあ、と今更ながらに気付く。
いや、気付いていたけど“気にしていなかった”という事に気付いたというのが正しいのか。
「お姫様、なあ」
そんなことを言われても、いまいちピンとこない。
そもそも、そのお姫様という女の子だって、なんだか現状に困惑しているようにしか見えないからだ。
「本当にお姫様なのか、あの子?」
『おや。精霊の記憶力をお疑いで?』
宙に浮いている二メートル近い大きさの虎柄猫が心外だと言わんばかりに俺の目の前に降りてきた。
怒っているって感じじゃないけど、こう、そこはかとない威圧感を覚えて背筋を伸ばしてしまう。
「そうじゃなくて……なんていうかな。こう、向こうも驚いているみたいなんだけど」
「そう、そうだよっ!」
俺達の会話を聞いていたのか、女の子が大声を上げてソファから立ち上がった。
その勢いで、熱冷ましの為に頭に巻いていた簡易の氷嚢が滑り落ちる。俺が即席で作った、氷に布を巻いただけのやつだ。
「どういうことだよ。なんで俺をカリーナ姫と間違えてるんだ、あんたら!?」
「……どういう意味でしょうか?」
「勘違いしてるみたいだけどな、俺は……俺は誰だ?」
知らんがな。
勢いよく言った割には、最後の方が尻すぼみになってしまっていた。
「なに。記憶が無いっていうの?」
「ちょっと待て。思い出す――おいそこのガキ」
ガキ、と呼ばれたテッドは周囲を見回して、その後に自分を指さした。
「そうだよ、お前だよ。俺が倒れて居た場所に、何か落ちていなかったか?」
「ううん。何も」
「……マジかよ」
「何か大切なものでもあったの?」
「ああ、そうだ。そのはずだ……」
けれど、その大切な物が何なのかは思い出せないらしい。
熱中症で、記憶が混濁しているだけかもしれない。
「少し休んだら思い出すんじゃない?」
「それよりも……なんで俺はここに居るんだ? そもそも、どうしてあんたたちは俺なんかに頭を下げてるんだよ?」
「どうしてと言われましても……カリーナ姫、ではないのですか?」
「違う――どこからどう見ても、俺は男だろ!?」
……いやいやいや。
「えっと」
エイミーさんが困ったように頭を上げ、アロンソさんを見た。
アロンソさんも困っているようで、どうしたものかとエイミーさんを見ている。
「鏡を見たら?」
「そ、そうだな。エイミー、鏡をお持ちするんだ」
「わかりました」
俺の言葉を聞いて、テッドより少し濃い栗色の髪と若草色のスカートを乱しながら慌てて退室するエイミーさん。
いつも落ち着いている印象だったけど、あの人も慌てる事があるらしい。
そんな様子に不安を覚えたのか、テッドもエイミーさんを追って退室していった。
『なんだか変な雰囲気ねえ』
だって、女の子が「俺は男だ!」なんて叫んでるからなあ。
あり得ないだろ、と。心の中で思っていると、すぐに二人が戻ってきた。
「ど、どうぞ」
「…………」
女の子の手が震えていた。今までの流れから事の真相を予想し、その予想が真実だと認めたくないと体が拒否反応を示しているのだろうか。
というか、美少女で中身が男性って……前世の記憶だと、なんだかそういう娯楽小説が沢山あったような気がして、それは娯楽小説だから楽しめるのであって当人からすると不安以上の恐怖を覚える出来事なんじゃなかろうかという気になってくる。
だって、女の子は顔を蒼白にしていたのだから。
「あ、ありえない……どういうことだ?」
右手で鏡を持ちながら、左手で頬や顎、髪に手を触れる。
寝起きで乱れていたけれど、それでも十分美少女を際立たせていた銀髪が、乱暴に乱された。
「……どうなってる。俺は誰だ?」
うーむ。
『どういうことなのかしら?』
「こっち……というか、あっちが聞きたいだろうな、それ」
『ですな』
フィオカが俺の言葉に頷き、アロンソさんの傍へ移動した。
『ご主人、奥方様。どうやらお客様はお疲れの様子――寝室のご用意をして、休んでいただいた方が良いのでは?』
「ん――そ、そうだな。エイミー、寝室を片付けてご案内して差し上げるのだ」
「わかりました、あなた。テッド、貴方も手伝ってちょうだい」
「は、はいっ」
んー……空気が重い。
テッドとエイミーさんが居なくなったから、余計になんだか雰囲気が重くなったような気がする。
あと俺、思いっきり蚊帳の外。
よくよく考えると、俺が知っているこの世界は村の中だけだし、この国の歴史も、現状も、何も知らないのだ。
だから目の前にお姫様……らしい人が居ても驚きよりも「どうして?」という困惑しかないし、顔を真っ青にして震えていても大丈夫かな、くらいしか思えない。
どうにかしてあげたいとか、何かできる事はないかな、とか。
そういう気持ちとはちょっと違う……文字通りの蚊帳の外。アロンソさん達との間に線が一本あって、向こうとこっちで認識が乖離している――ような。
『テツマは深く考えすぎなんだよ。でも、物事を浅く捉えすぎているんだね』
「どういうことだ?」
『内緒。でも、そういうテツマだから一緒にいて楽しいというか……まあ、何をするか分からなくて面白いんだけどね』
どういう意味だろう。
アルフォニカがおバカな事を言うのはよくあるけど、こういう謎掛けみたいな物言いは初めてだった。
それに……。
「なんでお前、お姫様の顔を知っていたんだ?」
アロンソさんがお姫様をソファで休ませているのを横目で見ながら、そう聞く。
だって、こいつは彼女を始めてみた時に「どこかで見たような気がする」と言っていたのだ。
俺がそう聞くと、アルフォニカは一瞬だけ驚いた顔をして、次にいつものように柔和な笑みを浮かべた。
『内緒』
「おい」
結構シリアスな場面のように思うんだけど、こいつはいつも通りだったようだ。
自分でも睨みつけていると分かる視線を向けるが、アルフォニカは困ったように視線を逸らし、そのままふよふよと宙に浮いて、まるで風に流される木の葉のように移動していく。
『秘密があると、女の子って魅力が増すでしょう?』
「アルフォニカがどう思っているか知らないけど、お前には女の子としての魅力はあんまりないよ」
聞きたいことを教えてもらえなかったことの苛立ちを言葉に乗せると、そのままアルフォニカは姿を消してしまった。
怒ったというよりも……たぶん、本当に聞かれたくなかった事なんだろう。
「アロンソさん、何か手伝える事はあるかな?」
「ん? ああ、ありがとうジミー君。それじゃあ、新しい氷を用意してくれるかな。まだ少し熱が高いようなんだ」
「うん」
これ以上アルフォニカからは話を聞けそうにないので、アロンソさんの手伝いをすることにする。
といっても、氷嚢の氷を新しいものに変え、女の子の頭に乗せるだけだけど。
……それにしても、近くで見るとすごい美少女だ。アルフォニカはこの村で一番綺麗だと思っていたけど、幼い以外は――なんというか、アルフォニカに負けず劣らずといった印象を受ける。
きっと、成長したら物凄い美人になるに違いない。不謹慎だが、そんなことを考えてしまった。
だって、ジミー……ジェームズの人生でも、鬼龍寺鉄馬の人生でも、こんなにきれいな女の子を見たのは初めてだったのだ。
前世の記憶にあるテレビの中に映っていた有名人たち。彼らよりもずっと綺麗で、神秘的。
そんな印象を受けた。
「なんだよ?」
どうやら起きていたらしい。
女の子が目を開けて、俺を見上げていた。
「大丈夫?」
「ああ……氷が冷やっこくて気持ちが良いよ」
自分のことを男だと言っていたからか――女の子の高い声で男の喋り方をしている違和感が残る。
不思議な感じだった。
「熱を出して倒れたんだから。少し休んだら忘れている事も思い出せると思うから」
「だといいがな……はっ」
自嘲するように笑って、女の子は目を閉じた。
まだ体調が万全ではないんだろう。
「それじゃあ、俺。家に帰ります」
「ああ、すまないね。助かったよ」
いつもなら俺の顔を見るとテッドのことを聞いてくるけど、今日はその余裕もないらしい。
それも当然なのかな。
そんなことを考えながら、テッドの家を出た。
まだ太陽は高い位置にあるけれど、今からまた魔法の訓練――という気分でもない。
「今日は一日、家の手伝いをするかな」
そっちの方が良さそうだと思い、家に帰る。
アルフォニカは――たぶんまだテッドの家だ。気配のようなものを近くに感じない。
分からないことが沢山増えた……そんな一日だった。