8 ドクター一年目・六月〜エピローグ
8 ドクター一年目・六月 (四週間前)
一
翌日、一日には、約束通り秋絵との打ち合わせをした。
この間借りて行ったCDも、MDへ編集し直したものと一緒に持参して来た。 式前日までの間に、双子が揃ってもう一日、会う予定だった。
「新郎新婦入場は、この曲ね?」
音楽を掛けながら大まかに順を追って、秋絵が説明して行く。
「着席する時、一礼でしょ、それで、」
簡単に経歴も説明する。 出身学校と現在の仕事と、二人の趣味にも軽く触れると言う。
「バイクと音楽で良いでしょ? さらりと流すから」
少し考えてしまうが、嘘を言って貰っても仕方が無い。 倉真の現在の仕事の話と、将来の夢について一言、入れると言う。
乾杯、媒酌人挨拶、ケーキ入刀、祝辞が入り、暫らく時間をとってから、お色直しだ。 再入場の音楽は、利知未達の希望通りロックの、あの曲だ。
「良いのかな? 本当に」
「上手い事、言って繋げてあげるよ。 台本は冴吏に監修して貰ってるし」
「プロの作家だからな。 上手い事、仕上げてくれてるんじゃないか?」
「そうかな。 それで、祝辞の続きが入る訳だ」
「後は、キャンドルサービスと家族の挨拶、お礼の言葉。 利知未達の事だから、花嫁から母親への手紙はしないでしょう? ベターな企画だけど」
「そうだね、上っ面だけ飾ったって、どうし様も無いから……。 いらない事は、入れない方が良いでしょう?」
利知未の言葉を聞いて、倉真は少しだけ眉を潜めていた。
「で、新郎新婦退場で、お見送り」
「こうやって見てみると、思っていた程の事も無さそうだな」
「挨拶は考えてね? 本日は、若輩者の私達の為に御列席下さいまして、有り難うございますって。 気持ちを新たに頑張りますって、事で」
「それも、司会者テキストに書いてあったのか?」
「これは、スピーチ・挨拶文テキスト」
「お金、掛かっちゃったね。 レシートがあったら、清算するよ?」
「わたしだって、立派な社会人なんだから。 これ位の出費は気にしないで。 これから、それ以上にお金が掛かってくるんでしょう?」
「確かに、お金は掛かるモノだけどね」
双子にも、お礼を包んで渡す事になる。
「じゃ、他には確認する事、ある?」
「今の所は、思い付かないな。 十四日か十五日に、もう一度会うでしょう? それまでに思い付いたら、連絡するよ」
「そうして」
「色々、ありがと。 お昼、準備するから、のんびり待っていて」
利知未は笑顔でそう言って、一人、キッチンへと出て行った。
利知未がキッチンへ出てから、倉真が呟いた。
「お袋さんとの関係、何とかしてやりたいんだけどな……」
倉真の呟きに、秋絵が小さく頷いた。
「確かに、少し可哀想な感じもあるな」
結婚式と言えば、普通はもっと色々と感動や涙がありそうなものだと思う。 花嫁に行く娘は、それまでの家族から籍を抜いてしまうのだ。
書類上的にも社会的にも、家族とは違う扱いになると言う事だ。
「俺がどうにか出来る問題でも、無さそうなんだけどな」
倉真はそう言って、情けないような小さな笑顔を見せた。
「倉真君は、これから利知未の家族になる訳なんだから、……何て言うのか、利知未を悲しませる事は、しないで上げてね?」
「幸せにするよ。 色んな人達に何回、宣言して来たか解らないけどな」
小さく肩を竦めて、倉真は優しげな笑顔を浮かべた。
宣言して来た数だけ、利知未には、大切な人たちが存在している。
昼食を済ませて、今度は暫らく雑談に花が咲く。 これまでの十数年間の、二人の思い出話で面白い話を聞いた。
「ボートから、落ちちゃったの?」
いつかのツーリング先での恥かしい出来事も、今では笑い話だ。
「そう。 池の水、あんまり綺麗じゃ無かったんだよね?」
「だったな。 アン時のTシャツ、結構、匂ってたぜ」
「生臭いとか、そんな感じ?」
「生臭いって言うよりは、泥臭いって感じか?」
「そんな感じかもね。 あたしのジャケットも結局、あの後で新しくしちゃったんだ。 Tシャツ何かと違って、洗濯機でジャブジャブやる訳には行かないでしょ? あの素材は」
「合皮素材だったか?」
「そう。 で、本皮ジャケットに変えたんだ。 時期も時期だったし」
「それからは、一昨年の冬まで本皮だったな。 まだ、取って置いてあるのか?」
「モノは、良いからね」
「一昨年って、その頃、買い換えたの?」
「倉真に、誕生日プレゼントで貰ったんだ」
「あの時の事は、覚えてるぞ。 里沙さんの真似した利知未に、ジャケットをねだられたんだ」
「利知未が、里沙の真似してたの?」
「だから、冴吏のパーティーの時、予行練習は済んでいたって事になる」
利知未は思い出して、少し照れ臭くなってしまった。
「誕生日プレゼントは、今まで何を貰ったの?」
秋絵は興味半分、披露宴台本のネタ探し半分だ。 どんどん突っ込んで行く。 雑談の中からいくつかエピソードを拾う方法も、司会者テキストには確りと記載されていた。
「始めは、一粒真珠のネックレスだったね」
「お前から、ライターをお返しで貰ったな。 すっかり愛用品だぜ」
「そのライターが、そうなんだ。 他には?」
「あたしから倉真には、実用品が多いんだよね。 靴下とか、部屋着とか、靴とか。 毎回、安く済ませてごめんね?」
「俺の欲しい物を上げてったら、安物か高過ぎる物かの、どっちかになっちまうからな」
「高過ぎる物って?」
秋絵に聞かれて、倉真はチラリと利知未を見る。
「寄越せとは、言わないからな?」
断ってから、答えてくれた。
「バイクが、そろそろ寿命かも知れねー。 良く整備して、誤魔化し誤魔化し走らせてる感じだよ。 ……ただ、もしも今のバイクを止めたら、次は普通車にした方がイイかと思っているんだ。 そうすると中々、廃車にする決心がつかねー」
そう言って、小さく肩を竦めていた。
「バイクか車じゃ、確かに誕生日プレゼントレベルじゃ、ないね」
秋絵は納得してしまった。
「利知未は、他には何を貰ったの?」
「洋服も貰ったね。 後、花束」
「花束? 倉真君が、お花屋さんで買って来たの!?」
「……他に、如何すりゃ良いんだよ?」
あの時の気恥ずかしさを思い出して、倉真は照れ臭くなる。
「後ね、お色直しの入場で使いたいって言った曲が入った、アルバムがあったでしょ? アレも、倉真からのプレゼントなんだ」
あの誕生日の思い出は、利知未にとっては大切な宝物だ。
「ま、良いだろ? お互いに何を贈ったか何て言うのは、どうだって」
照れ臭い表情のまま、倉真は話を変えてしまった。
「じゃ、最後の質問。 お互いに、どれが一番、嬉しかったの?」
「俺は、ライターだな」
「利知未は?」
「うーん……、全部! かな?」
利知未は少しだけ考えて、飛び切りの笑顔で、そう答えてくれた。
二
秋絵からの中間報告を終え、次の予定は二次会の最終打ち合わせだ。
その他にも、雑多な用事は増えて行く。 そちらは倉真の母親が、良く協力をしてくれた。 当日、駅から式場までは徒歩五分の距離でも、タクシーを使う人も居る。 その配車も、倉真の母親が引き受けてくれた。
新婚旅行の準備も当然、入ってくる。 パスポート申請は無事に終えた。 旅行先の計画も、国内旅行と違って出来る限り綿密に立てて置かないと、困るのは自分達だ。
倉真は、語学力に問題有りだった。 利知未は日常会話レベルならば、何とかなる程度に使える。
城西中学へ通い始める前、約二ヶ月間、あちらで生活をしていた時、殆ど毎日、朝から晩まで勉強をさせられていたお陰だ。
旅行先を決めた頃、利知未が言っていた。
「十代の始めだったから、覚えも早かったんだと思うけど。 最近は英会話とは、縁が無かったからな。 少し、勉強し直しとこう」
「俺は、お前に任せる」
倉真はそう言って、頭から勉強する気など無さそうだった。
最近、そんな倉真に向かって、偶に利知未は英語で話しかけてみる。
「任せるって言ったって、どっかではぐれたら如何する気?」
利知未から言われて、二、三言だけは無理矢理、覚えさせられた。
「案内役は、由香子と和尚が引き受けてくれるって、言っていたけど」
「助かるよな、いいダチを持ったぜ。 イザとなったら、和尚に頼る」
言い捨てて、それ以上はどうしても覚え様としてくれなかった。
式本番までの間、予定では十四日の土曜日に、昼間は館川家、夜はライブハウスへ向かう。 FOXとの二次会の相談は、ライブ後が丁度良い。
そこで最終打ち合わせをして、翌日にはまた双子との約束がある。 最近の利知未の休日は、全て式準備に充てられている。
仕事は相変わらず忙しい。 利知未もそろそろ疲れ始めて来てしまった。
九日、月曜日。 利知未は夜勤明けの休日だった。 今日も一人で式場迄、出掛けていた。
明日は、また遅出だ。 夕食中に、軽く溜息をついてしまった。
「どうした?」
何気なく、倉真が問い掛ける。
「どうかした?」
自分が溜息をついた事さえも気付かない様子で、利知未が問い返した。
「溜息、ついてたぞ」
「そうだった? ごめん、気付かなかった」
「最近、忙しかったからな。 平気か?」
利知未の様子が気になって、倉真が珍しく箸を止める。
「大丈夫。 式まで後、三週間だ。 幸せな筈の花嫁が溜息ついてちゃ、いけないよな。 うん、平気だよ」
軽く笑顔を作って、利知未はそう言った。
けれど、その笑顔もやや疲れ気味な笑顔だ。 倉真の飯茶碗を見て、手を差し出した。
「お代わり、注ぐよ?」
「ん? ああ、頼む」
自分の飯茶碗に一瞬、視線を落とす。 最後の一口を口にほおり込んで、倉真は利知未に茶碗を渡した。
「サンキュ。 …そう言えば、髪、伸びたな」
お代わりを受け取って、倉真が利知未の顔をじっと見る。
「和装だからね、伸ばして来たけど……。 似合わない?」
「いいや。 何ツーか、……イイと思うぞ」
少し照れた顔をして、倉真がそう言ってくれた。 照れ隠しに利知未から視線を逸らして、お代わりを勢い良く掻き込み始めた。
「…ありがと」
倉真の照れた様子に、利知未は小さく微笑んだ。
『倉真、可愛い』 改めて、そう思ってしまった。
今夜は少し、のんびりとした方が良いかも知れない。 気分を切り替えて、利知未は食事の続きを取り始めた。
その後、ゆっくりと風呂へ浸かり、うたた寝をしそうになってしまった。 入浴時間をのんびり取る時、利知未は半身欲で三十分以上は湯船の中だ。
偶には雑誌を持ち込んだりしている。 仲良く言葉を交わす若いナースから勧められて、時々、疲労回復にアロマオイルを垂らしてみたりもする。
利知未が脱衣所へ向かう時に雑誌を手に持っているのを見ると、倉真はそのつもりで呑気に晩酌をして待っている。
風呂場から、オイルの良い香りが漏れて来る時は、長風呂になる合図みたいなものだった。
今日も風呂場からの匂いで、倉真は利知未の体調を知る。
『かなり、疲れが堪っていたみたいだな。 ……無理も無いか』
色々と利知未に任せ放しだった事を、反省した。
反省した倉真は、利知未が風呂を上がる迄に、摘みを一皿、用意して見た。 いつか利知未が作ってくれたのを、覚えていた簡単な物だ。
風呂上り、人心地ついた利知未がリビングへ入り、目を丸くした。
「ごめん。 摘み、足りなかった?」
「いや、そうじゃねーよ。 何と無く、だ。 ロックで、良いよな?」
酒まで倉真が準備してくれる。 利知未は何と無く倉真の気持ちを察して、頬が緩んでしまった。
「ありがと」
お礼に頬っぺたへキスをして、倉真からグラスを受け取った。
何時も通りの姿勢になって、何時もよりも倉真に体重を預けてしまう。 照れ臭そうな苦笑いをして、倉真が利知未の肩へ手を回した。
「乾杯」
利知未にグラスを差し出されて、グラスを打ち合わせた。 一口、口をつけて、利知未は安堵の息を吐く。
「……何か、漸く落ち着いた感じだな」
利知未が呟く。 倉真は改めて、ここまでの利知未の頑張りに礼を言った。
「悪いな。 お前も仕事が忙しかったのに、任せっぱなしだった」
「ま、良いんじゃない? こうやって、労ってくれたんだし。 …許してあげる」
「…有り難う」
「珍しく素直だな。 何か、考えてる?」
「何も考えちゃいねーよ」
「そう?」
利知未が小さく首を傾げて、軽い笑顔を見せる。 肩に回されていた倉真の手が、利知未の頭を優しく撫でてくれた。
「……気持ち良くって、好きだよ」
ほっとして目を閉じて、頭を倉真の肩へ凭れる。
穏やかな空気に包まれて、倉真も気持ちが安らいだ。
「……一生、俺のモンだ」
呟いた声に、利知未は小さく頷いた。
「一生、放さないでよね? ……倉真も、どっか行っちゃ、嫌だからね……?」
利知未の、その言葉には、色々な意味が込められている。
浮気しないでね。 傍にいてね。 ……絶対、あたしより先に、死なないでね。
幼い頃、母親に置いて行かれた。 大叔母夫婦は小学校の頃に亡くなった。 そして、中学の頃。
一番、信頼していた長兄・裕一が、亡くなった。
……由美も真澄も、若過ぎるまま、利知未の前から永遠に姿を消した。
哲と、あの人には……。 ……愛しい人が居たのに、浮気をさせてしまった。
優は、早くに自分の、大切な家庭を持ってしまった……。
大切な人に置いて行かれる事は、利知未にとって一番、怖い事だ。
利知未の言葉に、確りと頷いてから。
「取り戻した方が、良いモノもあるぜ?」
倉真は、ここ最近、思っていた事を利知未に伝えた。
利知未は軽く顔を上げて、倉真の顔を覗き込んだ。
「……けど、今は、いいよ」
その額にそっとキスをして、倉真はそう、優しい声で言った。
目を伏せて、利知未は思う。
倉真の言いたい事は。 恐らく。
『家族との、絆……』
自分自身の経験を通して、倉真はきっと、そう感じているのだろう。
「……倉真が居てくれれば、あたしには、それだけで良いよ……?」
悲しげな目をして、利知未は倉真に、そう呟いた。
その夜、利知未から求めて、二人は抱き合った。
今、ここに居る、この人が。 自分にとって、これから先まで、ずっと、一番大切な人だ。
……その想いを、改めて知った。
身体を離して、キスを交わす。 繰り返し、その唇を求める。
「あたし、キスが大好きみたい」
自分の体を、倉真の体の上に重ねる。
唇と唇が触れる擦れ擦れの近さで、利知未がそっと囁いた。
「どうして?」
「……するのも、愛情の確認行為だけど。 ……キスの方が、気持ちが伝わるみたいだから」
再び、唇を重ねる。 長い間、そのまま止まってしまう。
「その意見も、解る気もするな」
軽く離れた唇の隙間から、倉真の言葉が、漏れて聞こえる。
もう一度、長めのキスを交わして、漸く身を離した。 倉真の腕に縋るようにして、ピタリと寄り添った。
倉真の、鼓動が聞こえる。 それは利知未にとって、一番安らぐ音だ。
ふと、利知未が呟いた。
「……これから死ぬまでの間に、倉真と何回キス出来るんだろう……?」
頭の中で計算してみた。
「お早うのキス、行ってらっしゃいのキス、お休みのキス。 一日、三回キスしたとして、一年365日、1000回ちょっと。 ……十年で11000回、二十年で22000回、……六十年で、65000回。 ……挨拶じゃなくても、キスしたい時にはするから、100000回は、出来ないかな?」
利知未の計算に、倉真は少し目を丸くしていた。
「年食っても、続けるのか?」
「皺皺のおじいちゃん、おばあちゃんになっても、キスし続けるんだから。 今際の際も、キスしてあげる。 毎日、リップ塗っておかなくちゃね。 カサカサの唇でキスするのは、嫌だから」
悪戯っぽい笑みを見せて、利知未が倉真を見つめる。
「ガキの前でも、するのか?」
「するよ?」
「それは、照れ臭くないか?」
小さく、利知未が笑った。
「子供達の前でも、するの。 あなた達は、お父さんとお母さんが、愛し合って生まれて来たんだから、望まれて生まれて来た子供なのよって、教えてあげるんだから」
そう言って、利知未は目を伏せた。 ……思い出してしまう。
「……だから、ちゃんと、生きて行くのよって……。 伝えて、上げないと……」
裕一、由美、真澄の顔が、脳裏へ浮かんで来る。
……三人とも、若過ぎた。 悲しみが、湧き上がって来てしまった。
利知未の目から、ポロポロと、涙が零れ出してしまう……。
「……ごめん」
その涙を、倉真は確りと受け止めてくれた。
利知未の頭を、確りと抱き寄せて、優しく囁いてくれた。
「謝るな。 ……我慢、しなくて良い」
「うん。 ……ありがとう」
また、涙が零れ落ちる。 手で拭って、再び倉真の唇を求めた。
「これから、数え始めるか?」
軽く唇を離して、倉真が小さく微笑んだ。
「……まだ、一回」
繰り返し唇を重ねて、離して、数を数えた。
「…二回、…三回」
七回まで数えて、数えるのを止めた。
利知未を抱きしめる倉真の腕に、力が篭もった。
「復活した」
小さく呟いて、倉真の唇が利知未の唇を離れて、耳元、首筋へと移動して行く。
利知未は素直に、その行動に身を委ねた。
「……明日、仕事は、平気?」
漏れる息の狭間で、小さく問い掛ける。
「我慢した方が、影響あると思うぞ?」
そのまま、倉真は利知未の身体へ没頭して行った。
……抱かれて、思う。
『もしも、今、子供が出来ちゃったら……?』
お金が貯まる前に、出産になってしまう。 けれど。
『……良いのかな?』
利知未の大切な人、倉真。 二人の大切な宝物が、また、増えて行く。
『それは、幸せな事……』
大切な人に置いて行かれるのは、もう嫌だけど。
『大切な人が、増えて行く事は……』 掛け替えの無い、幸せだから。
再び身体を離して、キスを繰り返した。 利知未の伸びてきた髪が、唇に絡まってしまう。
「…ちょっと、邪魔だな」
髪を掻き上げながら、利知未が言う。
「映像的には、艶があって良いけどな?」
「ドラマや映画なら、そうなのかも知れないけど」
再びキスをして、掻き上げた髪が、また落ち掛かって来てしまった。
倉真が手を伸ばして、その髪を後ろへ流す。
「艶はあるが、お前の顔が良く見えなくなるのが、難点だな」
じっと見つめられて、利知未はくすぐったい感じがしてしまう。
「……何と無く、恥かしい」
顔を倉真の肩へ隠す様にして、倉真の首筋へ確りと腕を回した。
沈黙が落ちる。 倉真は利知未を、確りと抱き締めてくれていた。
暫らくして倉真が、囁く様に言った。
「……俺は、利知未を産んでくれた、お前のお袋さんには感謝してるよ」
その一言で、利知未の中から、何かが生まれる。
「……私は、倉真のお母さんに感謝してるよ?」
「そう言う事、なのかも知れないな。 家族が増えるって言うのは」
「……いつか、私達が産んで育てた子供が、また、大切な誰かに、巡り会う為?」
「それが、幸せの構図……、ってヤツじゃ、無いのか?」
倉真の言葉で、利知未は考えた。
「……その、誰かの為に、人は生まれて、生きて行く……」
「だったら、……気持ちも、変わらないか?」
倉真の言いたい事は、利知未にも伝わった。
けれど、その言葉は、それ以上の真実も利知未に教えてくれた。
「……貴方が居るから、私が居る……」
「お前と出逢う為に、俺は生まれて来た」
「……愛しい人が居るから、巡り会えたから……」
だから、私の世界が、在るんだ……。
自分を取り巻く物全てに、愛しい人の存在が、色を与えてくれている。
……そして、その心は。
これから先にも永遠に受け継がれて行く、真実なのかも知れない。
三
結婚式まで、約、二週間。 利知未達は、最終的な打ち合わせと準備に、忙しくなった。
月頭の予定通り十四日にFOX、十五日に双子と打ち合わせをした。 FOXのライブへ行く前には、館川家でも、本番前の確認だ。
優宅にも、確認を取らなければならない。 優の家にはファックスもある事だ。 資料を送って、電話で取り敢えず簡単に済ませてしまう事にした。 本番前日には、改めて顔を合わせて最終確認をする。
その前に、エステにも予約をしておいた。
「何か、ここへ来て大忙しだ」
館川家へ向かう前、朝食を取りながら利知未が言った。
「そろそろ、カウントダウンか?」
「そうだね。 あと、今日を入れて、十六日だ」
「旅行の準備も、しなきゃならないんだろ。 …バタバタするもんだ」
「って、もう出ないと。 倉真のご家族、お待たせしちゃうよ」
慌てて朝食を済ませて、準備をした。
最近、倉真のバイクは寿命が近い。 今日は利知未のバイクで、タンデムをして館川家へ向かった。
「ライブハウスへ周って、その後、簡単に最終打ち合わせして…、戻るのは、また十二時近く成っちゃうかな?」
「どっかで飯、食ってきゃ良いだろ」
「そうするしか、無いかな」
館川家の前でバイクを止めて、玄関へ向かう間に話をした。
館川家では、今日も母親が晴れ晴れとした笑顔で、二人を迎えてくれた。
ここまでの式場との連絡は、利知未の平日休みを利用しながら終わらせていた。 今日は残り少ない準備を、全て片付けてしまうつもりだ。
「受付の道具は用意しておいたわよ」
倉真の母親がそう言って、筆ペン、ボールペン、サイン帳など、細々とした物を見せてくれた。
「これは当日、一美が責任持って持って行きますからね」
家族間でも、細かい役割分担まで終わっているらしい。
「済みません。 本当に、何から何まで」
利知未は深々と頭を下げる。
「良いのよ。 利知未さんは、お仕事も忙しいのでしょう? 倉真の方が暇みたいだものね、どんどん使ってあげて」
倉真の母親は、実の息子以上に、利知未が可愛いと感じているらしい。
母親と顔を合わせる度、倉真は槍玉に上がってしまう。
「マジ、嫁・姑・小姑連合組合になっちまってるよな」
倉真が少し仏頂面をして、ぼやいていた。
「平和的な事で、何よりでしょう?」
母親はニコリと笑って、そう言っていた。
披露宴・司会進行の内容と、音楽についても報告をした。
「そう、良いお友達が居て、良かったわねぇ」
音楽まで細かく相談に乗ってくれていたと聞いて、母親は言う。
「けど、利知未さんの為に、そうやって良く協力をしてくれるのだから、利知未さん自身の人柄の賜物なんでしょうね」
館川一家は揃って、すっかり利知未びいきになっていた。 倉真は立つ瀬が無い様な気分だ。
けれど、この関係その物には、安堵の息が付けると思う。 それでも一応、憎まれ口だけ叩いてみる事にした。
「偶には、息子の事を褒めても良いんじゃないか?」
「褒める所があれば、いくらでも褒めてあげるわよ?」
母親は一言で、倉真の言い分を打ち消した。 親子の仲の良い会話を聞いて、利知未は小さく笑ってしまった。
メニュー表は会場が用意してくれる。 料理の打ち合わせは終わっている。 会場のレイアウトと時間割についても、非番の樹絵を伴って行き、平日の休みを利用して終わらせてしまった。
二人は本日の館川家での相談を終え、早めに暇した。 途中の店で夕食を済ませてから、FOXのライブへと向かう。
ライブ後、ライブハウスからファミレスへ場所を移し、相談を進めた。
FOXは、利知未の古巣だ。 リーダーと拓はアキに連絡をして、当日の会場レイアウトなども、一緒に引き受けて貰ったと言っていた。
「こう言うのは、男だけじゃイメージまとめられないからな。 どうせ相談するなら、アキがいいかと思ったんだ」
「アキも、随分と張り切ってるよ?」
拓がリーダーの言葉を聞いて、ニコニコしながら言っていた。
「リーダー達にも、お世話になりっぱなしだ」
話を聞いていて、利知未は呟いた。 あの頃の事も、思い出してしまった。
「アキは、元気にしてるの?」
「ああ。 子供の世話にテンテコ舞いしながら、元気にやってるよ」
日曜の練習時間、アキが子供を連れて遊びに来ながら、協力をしてくれていると言う。
「主婦は日常生活に刺激が少ないから、偶にはこういう事をするのも張り合いがあって楽しいわ、……何て、言いながら」
あの頃の、元気で明るいアキを思い出した。
「バンド、また始める時に、アキにも声を掛けてみたんだよ。 三人目の子供が大きくなって、手が掛からなくならないと無理だって、言ってたけどね」
「じゃ、その代わりで、おれにお鉢が回って来たって事なのか」
現・ヴォーカル宇佐美が、ぼやき半分で突っ込んだ。
「そう言うこと。 ヴォーカルがアキだったら、どんなFOXが復活していたんだろうな?」
拓が言って、少し想像してみた。
「ファン層、変わってたんじゃない?」
利知未の言葉に、リーダーと拓が頷いた。
「だろうね。 相変わらず綺麗にしてたよ、アキは」
「世話も大変だけど、綺麗なお母さんで居てあげたいからって言ってたな」
「アキらしいかな」
「利知未も、旦那の為に頑張るか?」
リーダーに言われて、チラリと倉真を見る。
「そうしようか? 浮気防止の為に」
「瀬川さんみたいに綺麗な奥さんを貰って、浮気なんかしたら罰が当りそうですね」
現ドラマーが、珍しく話しに加わった。 FOXのドラマーは、無口なタイプが多いらしい。
彼は昔のFOXのファンとして、利知未のヴォーカル時代にも、何度かライブに来ていた事があったと言う。
歴代メンバーの中、ミュージックシーンでの一番の出世頭、敬太の事は尊敬していると言っていた。
披露宴は、午後四時には終わる。 二時間半後、六時半には二次会の受付開始だ。 会費制で、男性三五〇〇円、女性三〇〇〇円に設定してあった。
七時からライブが始まり、七時半には終わる。 八時になると寿司の出張カウンターが準備を始め、八時半には寿司が出る。 それまではオードブルと宅配ピザを摘みに、宴会となっている予定だ。
ステージでは生演奏BGMを少しの間、流していてくれると言う。 生演奏が無い時間はCDを流しながら、FOXのメンバーもパーティーに参加して貰う話しになっていた。
お開きは十時を予定している。 その後、利知未と倉真はホテルへ一泊して、翌日の午前中には機上の人だ。
「企画として、やって貰いたい事があるんだけどな?」
リーダーが一端、話を終えてから、利知未に言った。
「二人の思い出の曲があれば、一曲、演奏してくれないか?」
行き成り言われて、目を丸くしてしまった。
「丁度良いお披露目になると、思うんだけどな?」
「これから練習しないとならなくなっちまうぞ?」
倉真が言う。
「って事は、思い出の曲は勿論あるって、事になる」
すかさず、リーダーが突っ込んだ。 利知未と倉真は顔を見合わせる。
「やる?」
「お前がやりたいんなら、努力はするぞ?」
二人の脳裏に浮かんでいるのは、当然、あの曲だ。
「やっちゃえ!」
宇佐美が軽く発破をかける。 ニコニコしていた。
「当然、バックは引き受けます」
ドラマーも何気なく発破をかける。
「ギター、貸すけど?」
拓はベーシストだが、ギターも持っている。 二人の当日の荷物を増やさない、提案をした。
「その間、俺はのんびり休憩でもするかぁ?」
リーダーが面白そうに笑って、そう言った。
メンバーに促されて、利知未と倉真も気持ちを決めた。
「んじゃ、明日から二週間、特訓だな」
倉真が言って、利知未も言う。
「ギターのチューニング、覚えていれば良いけど」
小さく肩を竦めて見せた。
「決まりって、事で」
「…はい。 お願いします」
二人で、ペコリと頭を下げた。
「俺達のライブが終わって、始めのお披露目って事で」
「その頃には、遅刻してしまう招待客も揃うだろう?」
リーダーと拓が頷いて、メンバーと乾杯をした。
翌日は午前中から、優宅との連絡を取った。 電話とファックスを使って、昨日までに決まった事の報告をする。
「変更点、ある?」
利知未に聞かれて、大丈夫だと答えた。 席次表の最終的な判断は終っている。 受付の方は、倉真から克己に連絡済だった。
それは利知未が夜勤明けの仮眠を取っている間に、倉真が一人でバイクを走らせ、挨拶代わりに、お願いをしに行った。
「利知未は夜勤明けだから、一人で来ちまった」
そう言って久し振りに現れた倉真を、克己達は喜んで迎え入れてくれた。
「お前の頼みじゃ、断れないだろ?」
克己はそう言って、昔から変わらない笑顔を見せてくれた。
昼になり、今日は秋絵と樹絵が揃って、利知未達のアパートへ来た。
「もう、再来週なんだ。 何か、緊張して来た」
樹絵が、情けない顔を見せる。
「わたしだって」
秋絵も言って、二人でチラリと、視線を合わせた。
リビングを使って、利知未と倉真の動きに合わせて、号令のタイミングや話の内容を、確認した。 最終打ち合わせを終えて、ゆっくりと雑談タイムを取った。
樹絵と秋絵は、利知未がキッチンへ消えている内に、倉真と頭を突き合わせて一つの相談をしていた。
「利知未には知らせるなよ」
「解ってる。 ちゃんと文章、考えて来てね?」
「…思った事、言うだけだよ」
話が纏まってから、今日も利知未が双子の為に用意したケーキと紅茶を持って、リビングへ戻って来た。
「何の話、してたの?」
「何も、話してないぞ?」
倉真のすっとぼけに合わせて、双子もとぼけておいた。
10 ドクター一年目・六月二十九日 (ジューンブライド)
一
二十三日までには、忙しい時間を縫って、利知未のエステも終了していた。
式前日の二十八日。 式場に最後の挨拶へ、二人揃って出掛けて行った。 今回は、倉真の母親は抜きだ。 明日は自分達の結婚式だ。
係りの女性に直接会い、明日はよろしくお願いしますと、二人で揃って頭を下げた。 来る前に館川家へ寄って、明日の引き出物を運んで行った。
その後、優宅へ周り裕一の墓参りをして来た。 優達とも最後の確認をし、夫妻を前にして、長い間お世話になりましたと、利知未が三つ指を着いた。
朝、借りて行った車を準一へ返してから、アパートへ帰宅した。
夜、改めて、二人で簡単に乾杯をした。 旅行の準備も何とか纏まった。 明日の朝七時半には、タクシーが迎えに来る。
ここから式場まで、余裕を見て入り時間予定の二時間前の出発だ。
「本当は家族と過ごすべき日、何だろうけど……」
「仕方ない。 優さんには昼間、会いに行っただけだったけどな」
「……でも、これで、良いのかな? 今までだって、ずっと一人だったんだから」
家族と共に暮らした思い出は、小学校卒業までだ。
「お前は、一人じゃ無かったよ」
倉真は、優しく言ってくれた。
「下宿に沢山、妹分が居ただろ? 仲間だって居た」
「……この三年間は、倉真が居てくれたモンね?」
「そう言うことだ」
「ありがと。 ……これからも、ずっと一緒だよね?」
「当たり前だ」
笑顔を見せてくれた利知未を、そっと引き寄せた。
「これからも、宜しくね」
「こっちこそ、宜しくな」
二人は顔を見合わせて、軽いキスを交わした。
早めに寝室へ引っ込んでから、ベッドの上で、利知未がふと呟いた。
「……明日になれば、館川 利知未だ」
「そうだな。 瀬川 利知未、最後の夜だ」
「……名前が変わって、あたしは変わるのかな……?」
「立場が変わるな。 婚約者から、カミさんになる」
「そうじゃなくて。 あたし自身は、何か変わってしまうのかな?」
今まで、そんな事を考えた事は無かった。 どうしてそんな事を考えてしまったのか? 自分でも、良く解らない感慨だ。
「変わる訳、無いだろ? お前は、お前だ」
「…そう、だよね」
「俺の態度は、変わるかもしれないけどな」
「どういう風に?」
「釣った魚には餌はやらないって、世間一般では言われてる」
少し冗談めかした言葉に、利知未も軽く膨れて見せる。
「そう言う事、言う訳? 倉真がそうなったら、如何してあげよう……?」
少し、怖い思案顔を見せてやった。 倉真が小さく吹き出した。
「アンマ怖い事、言ってくれんなよ? ……大丈夫だ、変わらねーよ」
利知未を引き寄せて、額へキスをする。
「一生、俺が守る」
「ありがと。 ……けど、守って、くれるだけ?」
「お前も何時か生まれる子供も、キッチリ守り通してやんぜ?」
「……愛し続けては、くれないの?」
ピタリと寄り添った姿勢のまま、利知未が小さく首を傾げた。
「……愛し、続けるよ」
やや照れ臭い顔をして、倉真はそう約束してくれた。
「……うん。 あたしは一生、倉真の事、支え続けてあげる」
利知未からも約束をして、もう一度キスを交わした。
寄り添ったまま二人、明日に備えてゆっくりと眠った。
朝が来て朝食を確り取ってから、利知未たちは迎えに来たタクシーへ乗り込む。 本日の荷物を部屋から運び出しながら、話をしている。
「流石に、凄い荷物だよ」
「旅行の支度も、一緒だからな」
「披露宴まで終ったら、明日香さんが要らないものは預かってくれるって」
「それでも、スーツケース二つか。 三泊四日の旅行にしても……」
「仕方ないでしょう? パスポートは確認した?」
「入ってるよ」
自分の荷物をポンと叩いて、倉真が答える。
タクシーの運転手が、車の外へ出て深く一礼をした。
「本日は、おめでとうございます」
「有り難うございます」
荷物を置いて二人で礼を返した。 利知未がウエストポーチから、祝儀袋を取り出した。 中身はそれ程入れてはいないが、いくつか準備をしてあった。 倉真の母親の助言による。
「些少ではございますが、私共の気持ちでございます。 今日は宜しくお願い致します」
祝儀袋を運転手へ渡すと、彼は押し頂いて、利知未達の荷物をトランクへ運んでくれた。 その利知未の所作を見て、倉真は感心していた。
『やっぱ、俺にはコイツじゃなきゃ駄目だな』
式を控えた朝。 改めて、これから自分の妻となる女性を惚れ直した気分だ。 気分良く、晴れの一日をスタートさせる事ができた。
式場へ着いて、運転手は荷物をフロントへ運ぶのまで手伝ってくれた。
去り際に再び一礼をして、良いお式をと言って、二人を送り出してくれた。
「いい運転手さんに当ったね?」
その後姿を見つめて、利知未が笑顔を見せる。
「そうだったな」
倉真も笑顔で、頷いていた
フロントへも祝儀袋を出して、宜しくお願い致しますと頭を下げた。 荷物を預け終わると、一足先に到着していた媒酌人夫妻が、二人を見つけて声を掛けた。
媒酌人夫妻にも頭を下げて、二人と共に、其々の控え室へと引っ込んだ。
「じゃ、後でね?」
「おお」
部屋へ分かれて入る時に、利知未と倉真は、短く言葉を交わした。
これから利知未は、控え室で着付けをして貰う。 新郎側の家族は、新郎側の控え室だ。 倉真の母親は、少しハラハラとしてしまった。
「利知未さん、綺麗に着付けして貰っているんでしょうねぇ。 式の途中で具合が悪くなったりは、しないかしら……?」
館川家が到着したのは、二人が会場へ入ってから三十分後位だった。
倉真の方も普段着ない和装で、表情はやや、うんざり気味だ。
「お袋、着くなり利知未の心配か?」
「あんたは、多少の事でどうにかなったりしないでしょう? 結婚式と言うのは、花嫁の方が緊張するものなのだから」
「…ったく」
首を竦めてしまう。
着付けの女性は、この結婚は素晴らしい物になるだろうと、長年の勘に教えられていた。 新郎の母親、花嫁の姑が、息子よりも花嫁の心配をしているのだ。
良い縁のあった両家なのだろうと、心の中では感じていた。
一美も、ワクワクとしている。
「早く、ウェディングドレス姿の利知未さんが、見たいな」
「色直しまでお預けだ。 ザマミロ」
倉真が花婿らしくない、憎まれ口を叩いた。
自分だって早く見たいのは、ウェディングドレス姿の利知未だ。
「お前は。 こう言う厳粛な日に、何を浮かれているんだ」
倉真の父親が、息子を短く窘めた。
瀬川家の控え室には、早々と優夫妻が到着して利知未を待っていた。
「もう、着いていたの?」
「お互い、初めての事だから、緊張してしまって。 朝、早く目が覚めてしまったのよ」
明日香が小さく笑って、答えてくれた。
両親の気が急いている事に引き摺られてしまった子供達は、大欠伸だ。
「真澄と裕一は、眠そうだね。 そこのソファ借りて眠ったら?」
利知未に優しく言われて、子供達は素直に従う事にした。
優夫婦は、媒酌人夫人に改めて頭を下げる。
「着替えは、こちらの部屋で済ませますから、良いですよ。 幼い子供達には、退屈な時間ですものねぇ」
言われて、恐縮してしまった。
二部屋続きの隣へ、利知未と媒酌人婦人、梅野が引っ込んだ。 着付けは媒酌人婦人が、木目細かい気配りをしてくれる。
優達は早くに着き過ぎてしまった事で、式場から出して頂いた桜湯を飲み過ぎてしまった。
新郎新婦が早めに到着してくれた事で、準備は滞る事も無く進んだ。
利知未の支度が出来る頃、ロビーへ準一と師匠が到着した。
「ここのスタジオを借りるんだから、準備しないとな」
準一が、真面目に本日の予定を確認している。
フロントへ声を掛け、スタジオの場所を聞いて、二人は移動して行く。 機材を置いて一度、本日のクライアントへ挨拶に向かった。
式の始まる三十分前、利知未の準備は既に整っている。
控え室へ現れた準一が、利知未を見て目を丸くしていた。
「利知未さん、和装も中々、似合うんだな」
子供達も目を覚ましていた。 両親の写真を撮ってくれた時に、二人とは顔見知りだ。 準一には、子供たちは二人とも懐いている。 裕一が早速、準一に纏わり着き始めた。
「本日は、おめでとうございます」
挨拶を受けて、優夫婦も頭を下げる。
「有り難うございます。 あの拙には、お世話になりました。 本日も宜しくお願い致します」
優が挨拶をして、利知未も椅子へかけたまま軽く会釈をした。 着崩れない為だ。 鬘が重くて、上半身の自由も余り利かない。
「素晴らしい花嫁さんですね。 腕が鳴ります」
角隠し、純白の花嫁衣裳。 襟元の赤は、すっきりと映えている。
「…有り難うございます」
利知未は少々、照れてしまった。
「倉真に自慢してやろう、先に見て来ちゃったぞって」
準一がにやりと笑って、そう言った。
「こういう席で、失礼な発言をするんじゃない」
師匠に窘められて、小さく舌を出してへへ、と笑う。
「倉真の準備は、終っているのかな?」
利知未が、小さく呟いていた。
次に館川家の控え室へ入り、同じく挨拶を交わす。 こちらは倉真以外は初対面だ。 畏まった準一を見て、倉真が笑った。
「今日は、有り難うございます」
和装の倉真は中々、貫禄があるように見える。 頭を下げた倉真を見て、準一の師匠は感心していた。
「こちらも、良い花婿さんだ。 いい写真が撮れそうです」
言われて倉真は照れ臭い。 母親は嬉しく感じて、微笑んだ。
「本日は、お世話になります」
館川家とも挨拶を交わして、準一達はスタジオの準備へ戻って行った。
利知未の母親は、時間の十五分前にギリギリで到着した。 花嫁姿の娘を前に、ポーカーフェイスを貫いていた。
『……綺麗な、花嫁さんだわ』 内心だけで、そっと感動している。
じっと、利知未を見つめていた。
「……今日は、有り難う」
利知未は重い唇を開き、それだけ漸う口にした。
「お母様。 本日はおめでとうございます。 花嫁様は少々、緊張しているようです。 本当に、お綺麗なお嬢様で……」
梅野夫人は年配者らしく、にこやかに利知未の態度をフォローしてくれた。 母親は微笑して、改めて初対面の挨拶を交わした。
「本日は、お世話になります」
それだけは、確りと伝えてくれた。 優は少しだけ安心した。
式場内の祭殿へ、時間で移動した。 式は厳かに、無事に進んで行った。
始めに列席者入場・着席。 斎主一拝、お払い。 神饌奉献・祝詞奉上。 それから三三九度の杯を交わして、誓詞奉上、指輪の交換。 新郎新婦、玉串奉奠・媒酌人夫妻、玉串奉奠と進んで、豊栄の舞、親族杯の儀。 斎主挨拶・斎主一拝。 それで、一同退出だ。
一時間ほどで全ての式を終え、これから写真撮影の後、親族顔合わせを経て披露宴へと移行して行く。
写真撮影をして、新たに両家が一つになった控え室へ移動する。
そこで漸く、利知未と倉真は顔を見合わせる事が出来る。
撮影まで終えた頃、双子と、受付を手伝ってくれる約束の、朝美と新藤一家が到着した。 ロビーで、克己は双子と朝美を見つけた。 妻、響子は、初対面だ。 夫の後へ従って子供の手を引く。
久し振りの再会の挨拶を終え、克己は自分の家族を改めて紹介した。
「わたし達が、披露宴の司会をするからね」
「聞いてるぜ。 一度、顔出して置いた方が良いんだろう?」
「その、つもり。 克己さんも一緒に行く?」
響子を振り向くと、妻は笑顔で頷いた。
「子供は、お邪魔になるといけないから。 ここで待ってます」
妻の言葉に従って、双子、朝美と連れ立って控え室へチラリと顔を出す事にした。
其々の親族紹介を終え、披露宴が始まるまでの間、歓談時間が設けられていた。 ここで改めて、お互いの家族通しこれから始まる付き合いの為に、お互いの家庭を良く知る機会が生まれる。
子供達と一美は、直ぐに打ち解けてしまった。
利知未の母親は、控えめにしている。 優夫婦が主立って両家の橋渡しとなる。 利知未は、なるべく館川家と言葉を交わす。
反対に倉真は、優夫妻と相変わらず仲良く雑談などしてしまう。 利知未の姪っ子・甥っ子を挟んで、和やかに時間が流れた。
午後二時から披露宴だ。 一時半には受付を開始する。 親族紹介が終えて直ぐに、双子と克己、朝美が挨拶へ現れた。
「克己、さん、お久し振りです」
館川家の目を気にして、利知未が言葉を直した。 克己は軽く頬が緩んでしまった。 ……あの、利知未が。 綺麗な花嫁姿だ。
「おめでとうございます」
挨拶を交わして、双子は、本日は宜しくお願い致しますと、頭を下げた。
「本当に、そっくりなのねぇ。 今日は、宜しくお願い致します」
頭を下げた双子を見て、倉真の母は感心していた。
「一卵性だ。 そっくりで当たり前だよな?」
倉真に言われ、双子は計った様に、ぴったりとした呼吸で笑顔を見せた。
朝美と克己も改めて挨拶をして、受付グッズを一美から渡され、控え室を後にした。
二
定時で、披露宴は始まった。
予定通り、入場から乾杯、ケーキ入刀、祝辞と進んで、前半の祝辞を終えてから、二人がお色直しへと立った。
披露宴中の写真は、師匠から言われて、準一が撮ってくれていた。 企画中の写真だけ有れば、良い事だ。 途中の光景も何枚かフィルムに収めたが、ケーキ入刀の後、暫らくしてスタジオの準備へと戻って行った。
衣装換えを終えた頃、倉真はこっそりと克己を呼んで貰った。
披露宴の途中と始まる前の一瞬の挨拶だけでは、昔からの兄貴分、克己と砕けた言葉を交わす事も出来なかった。 このタイミングだと思った。
利知未のウェディングドレス姿を見て、倉真は見惚れてしまった。
「……似合う?」
恥かしそうに、利知未が問い掛ける。
「……綺麗だ」
係りの女性が気を利かせて、利知未が軽く済ませた食事の食器を片付けに立ってくれた。
暫らく見つめ合ってしまう。 倉真が近付いて、利知未の頬へ手を伸ばす。
そっとベールを後ろへ流して、改めてキスを交わした。
ノックの音がして、ゆっくりと唇を離した。
「倉真、口紅、ちょっと着いちゃったよ?」
ティッシュを一枚取り出して、口紅の後を拭ってやった。
「サンキュ。 チョイ、待ってろよ?」
言って、倉真が控え室のドアを開いた。
「何だ?」
克己が出て来た倉真へ、眉を上げて問い掛けた。
「ま、取り敢えず入ってくれ」
倉真に促されて、克己が控え室へ足を踏み込んだ。
「克己!」
利知未が、少し驚いた声を上げる。
「倉真に呼ばれたんだ。 何だと思ったんだが……。 コイツを、俺に見せびらかしたかったのか?」
綺麗なウェディングドレス姿の利知未に、少し見惚れてしまう。
「そう言う訳じゃ、ねーんだけどな。 親戚の前じゃ、普通に話せなかっただろう? 俺も利知未も」
「……そうだね。 ありがと。 気を利かせてくれたんだ」
昔に戻ったような、気楽な笑顔を利知未が見せてくれた。 克己と気楽に言葉を交わした事で、少し緊張が解れた。
利知未のドレスは、すらりとしたデザインの物だ。 その長身とプロポーションが、余す所なく発揮されている。 ブーケには、カサブランカのアレンジした物を用意した。 花の白は、葉の緑に。 葉の緑は、ドレスの白に良く栄えていた。
「克己にも色々、世話になったからな」
「行き成り受付お願いしちゃって、ごめんね。 有り難う」
利知未は、克己にニコリと笑顔を見せた。
「そろそろ再入場だな。 また、ゆっくりと会う機会を作ろうぜ?」
倉真が言って、克己は一足先に披露宴会場へと、戻って行った。
お色直しのドレス姿を、先に写真へ納めた。 思い出の曲がノリの良いテンポを作る中、二人は再び招待客の前へ、姿を現した。
「お二人の思い出の曲に乗り、お色直しを済ませた新郎新婦が入場されます。 皆様、どうぞ拍手でお迎え下さい」
秋絵が言って、拍手が聞こえ始める。 係りの人が扉を開いて、洋装の二人が披露宴会場へと、戻って来た。
祝辞の続きが始まり、終えてから、キャンドルサービスだ。 準一もカメラを構えている。 師匠もカメラを構えて、一つ一つのテーブルの招待客達と一緒に、二人の姿を納めてくれた。
披露宴の終盤になり家族の挨拶が始まる前に、利知未の聞いていなかった企画が挿入されていた。
「新郎から、新婦のお母様へのご挨拶です」
樹絵が、さらりと進行して行く。
利知未はビックリしてしまった。 館川家には先に一言、断っておいた。
倉真が改めて進み出て、利知未の母親の前へ立った。 深く一礼をして、たった一言。
「……利知未を、この世へ生み出してくれた事を、深く感謝しています」
母親は、目を見張ってしまった。 利知未の目から、涙が溢れ出した……。 梅野夫人がハンカチを出して、そっと利知未の涙を拭ってくれた。
倉真の母親も、薄っすらと涙を流した。
「必ず。 利知未を幸せにします。 どうぞ、ご安心下さい」
そう言って、倉真は再び定位置へと戻った。
招待客から、拍手が聞こえ出した。
利知未の母親の目にも、ライトの明かりを受けて光る物が、浮かんでいた。
家族の挨拶と、新郎新婦からのお礼の言葉が続き、新郎新婦退場だ。
宴会は予定の時間通りで、お開きとなった。
招待客を見送る。 利知未は沢山の人達から、お祝いの言葉を改めて戴いた。
二次会へ進むメンバーとは、簡単に挨拶を交わした。 披露宴で帰宅する親族一同へは、丁寧な挨拶をした。 忙しい時間を縫って出席して下さった、塚田医師にも、倉真の会社の社長夫妻にも。 二人揃って深く頭を垂れた。
全ての招待客を送り出してから、媒酌人夫妻と式場の係りの人達へも丁寧に礼を述べて、両家の家族にも、改めて感謝の気持ちを表した。
着替えを済ませて、式場への支払いを終え、漸く二人は一息ついた。
「先に、今夜の宿泊ホテルへチェックインしてから、二次会ね」
これからの時間割を、二人で確認した。 夕方五時半になろうとしている。
「ホテルまで、片道三十分くらいか?」
「それ位? 六時過ぎにはチェックインして、七時前にはライブハウス」
「寿司屋にも、確認の連絡しないとな」
「披露宴が終ったら、連絡入れる約束だったね。 倉真の携帯、貸してくれる?」
利知未に言われて、携帯電話を手渡した。 連絡を入れている時に明日香が、利知未の余計な荷物を引き取る為に姿を現した。
利知未は、今日は宜しくお願いしますと伝えて、直ぐに電話を終えた。
「お疲れ様。 良い、お式でした」
明日香が、利知未の電話が終るのを待って、微笑んで声を掛けた。
「有り難うございました。 荷物、ごめんね、明日香さん」
「良いのよ。 あちらのご家族には今日の式について、お世話になりっぱなしだったし。 少し位は家も役に立たないとね?」
荷物を受け渡す。
「よろしくお願いします」
「お願いされます。 婚姻届も、責任持って提出して行くから。 これから、二次会ね。 始まる前には連絡をするから。 羽目外して飲み過ぎて、明日の出発、寝坊したりしないようにね?」
「解ってます。 ……母さんは?」
「今夜の飛行機で、とんぼ返り。 ……利知未さん、本当に良かったわね」
「え?」
「良いお婿さんに、巡り会えたと言う事。 倉真君、利知未さんの事、宜しくお願いします」
頭を下げられて、少し照れ臭くなってしまった。
優が館川家の面々と、ロビーへ向かって来た。 利知未の母親は、既に会場を出て行った。 最後に挨拶だけは、して行ってくれたらしい。
館川家とも少し話をして、時計を見て、行って参りますと挨拶を交わして、急いで二人は式場を出て行った。
三
二次会が始まる前に、滑り込みで利知未達は到着した。 明日香からは、無事に婚姻届を提出し終わった旨の連絡が、先ほどあった。
ライブハウスの受付で、宏治が迎えてくれた。
「全員、揃ったか?」
「後、一人。 遅れて来るって、連絡があった」
「そうか。 始めちまっても、構わないのか?」
「リーダー達は、もうステージ?」
「五分前ですからね。 改めて、おめでとうございます」
宏治に、頭を下げられて、倉真と利知未はくすぐったい気持ちになった。
利知未はワンピース姿だった。 この格好でギターを弾く事になる。 少し照れ臭いのと、上手く出来るのかと言う不安とで、また緊張し始めてしまった。
裏の扉が開き、アキが顔を出した。
「利知未! 久し振り!」
「アキ! 色々と協力してくれて、有り難う」
「おめでとう。 二人の準備が整ったら、私がGOサイン出す事になっていたから。 もう、平気?」
「ギリギリで、ごめん。 …倉真、平気?」
「俺は、大丈夫だぞ?」
「緊張は、していない?」
「朝から緊張しっぱなしで、どれが緊張なのかも解りゃしねーよ」
倉真の軽口に、利知未も宏治も、アキも笑った。
笑った事で肩の力が抜けて、利知未の表情も少し変わった。
「じゃ、久し振りのステージだ。 先ずは、FOXのBGMで入場」
「ステージ上から、出るのか?」
「違うわよ。 入り口から入ってステージへ上がって、二人が挨拶をしてからライブ開始。 倉真君も久し振りだけど、相変わらずそうね」
余り細かい事を考えない様な性格は、昔通りだと感じた。
「変わりよう、ないっすよ。 宜しくお願いします」
倉真からも挨拶をした。 アキが、ステージ上へ合図を送った。
アキの合図を見て、リーダーが照明へペンライトをちらつかせた。 それを合図にして、ステージ上が薄っすらと浮かび上がる。
「お待たせ致しました! 新郎新婦が到着しました。 入り口へ、注目!」
軽いノリは相談通りだ。
FOXの思い出の曲をBGMにして、開かれた扉から、利知未と倉真が入場した。
「熱々の二人へ、盛大な拍手を!」
音楽と拍手に迎えられて、照れた表情の二人が、手を繋いで観客の中を抜けて行く。 ステージ上へ着くまでに、ライブのノリで皆と握手を交わしながら進んで行った。
ステージに上がった二人を確認して、リーダーがもう一声。
「今日から新しく誕生した家庭へ、祝福の拍手を!」
拍手の中で、新郎新婦、礼! と、号令を掛けられた。 思った以上の軽いノリの二次会になりそうだ。 それは嬉しいと思った。 挨拶も簡単で良い。
「ご来場の皆様に、新郎新婦が、ご挨拶をさせて頂きます」
リーダーから振られて、倉真がマイクへ向かう。
「……何か、こう言うの、照れ臭いな」
呟きまでマイクが拾い、会場から笑い声が起こる。
「頑張れ! 倉真君!」
披露宴会場から、先に到着していた秋絵の声が上がった。
「どーも。 今日は忙しい時間を割いて、この会場へ足を運んでくれて有り難う。 ここに居るのは皆、堅苦しい事のないダチばっかりだ。 最後まで確り楽しんで、腹一杯食ってって下さい」
「八時半頃から、お寿司の出張カウンターも出ます。 ピザ、食べ過ぎないでね? 今日は、私達の為に、本当に有り難う! 先ずは、あたしの所縁バンド、FOXのライブで盛り上がって下さい!」
利知未も言って、リーダーへ舵を任せた。
「サンキュ。 では、新郎新婦も、先ずは観客としてお楽しみ下さい」
大袈裟な礼をして、リーダーが、ステージ隅に用意された階段を指し示す。 促されるまま二人がステージを降りて、FOXのライブが始まった。
三十分のミニライブは、あっと言う間に過ぎて行った。
利知未が作った曲も、今のFOXアレンジで何曲か演奏された。 会場は盛り上がった。 FOXの演奏が一端、終了する。
「さて、本日のスペシャル企画。 新郎新婦が思い出の曲を、このステージで演奏してくれる運びとなっております。 利知未! 倉真! 準備は?」
問われて、拓がギターを準備する中で、二人が再びステージへ上がる。
観客達から、拍手と歓声が上がった。
「待ってました!」
声に送られて照れながら、二人は演奏の準備を始める。
その時、会場の入り口扉が、静かに開いた。 扉付近で待機していた宏治が、その遅れて来た客を見て目を丸くした。
「間に合った見たいだな」
聞かれて、宏治は頷いた。
「お久し振りです。 ……敬太さん」
「利知未達は?」
「もう、ステージに」
「有り難う。 君は、利知未の?」
宏治の顔を見て、敬太が目を丸くする。
「いつか、補導された警察署から敬太さんの車で、母と一緒に送って貰いましたね。 ご活躍は、拝見しております」
ステージ上の準備が整って、二人は話を止めた。
「……利知未、綺麗になったな」
ライトの中の利知未は、あの頃、セガワとしてステージに立っていた頃に比べて、すっかり大人の女性へと変わっていた。
ステージ上から、宏治と話をしていた人物を、利知未は演奏の途中で目に入れた。 一瞬、驚いて、手が止まりそうになった。
利知未の変化に、倉真は気付いた。 演奏をしながら利知未へ近寄って、その視線の先を確認した。
「……敬太」
呟いて、利知未の表情が、くるりと変わる。
飛び切りの笑顔を見せながら、間奏の僅かな間を使って、倉真の頬へキスをした。
『……あたしは、今、凄く幸せだよ……』
心の中で呟いた。 その思いを、改めて歌へ込めた。
演奏が終わり、会場から割れんばかりの拍手と歓声が、二人のステージへ送られた。
ステージ上へシャンパンが運ばれ、無事に演奏を終えた事に、会場全体と一緒に乾杯をした。再び拍手が巻き起こった。
敬太は、この後まだ仕事が有った。 利知未のステージを見終わり、乾杯をした。 暫らくステージ上の二人を眺めてから、目が合ったリーダーへ会釈をして、静かにライブハウスを後にした。
現在の利知未の事は、今のステージを見れば十分だった。
『……幸せに』 心から、二人を祝福した。
八時になり、寿司の出張カウンターの準備が始まる。
ステージ上では飛び入りヴォーカリスト達が、FOXの生演奏をバックに、自慢の喉を披露していた。 透子も飛び入りした。 透子に手を引かれ、朝美と双子もステージへ上がった。
寿司の出張カウンターが始まると、そちらも大人気だ。 その中で利知未は、再びステージへ上げられてしまった。
二、三曲、久し振りに、FOXと共に演奏と歌声を披露した。 中学時代の後輩も、倉真の悪ダチ達も、その歌声と姿に見惚れ、聞き惚れた。
「ナイスヴォーカル! FOXは、何時でも利知未の復活を待ってるぜ?」
「チョイ! それって、おれは、お払い箱って事か?」
「そうなるな」
宇佐美とリーダーの会話に、会場が沸いた。
賑やかに、楽しい雰囲気の中、二次会は大盛況の内に幕を閉じた。
エピローグ (これから先の未来へ)
二次会を終え、二人はチェックインをしてあったホテルへと、到着した。
部屋へ落ち着き、漸く人心地ついた。
「……終ったね」
「ああ」
顔を見合わせて、呟き合う。 改めて今の想いを込めて、唇を重ねた。
「これで、本当の意味で、俺の物だ」
倉真が言って、利知未を確りと抱きしめた。
「これから、本当に宜しくね?」
「こっちこそ」
ニコリと笑顔を交わして、倉真は、利知未を抱き上げてしまった。
「ちょっと、倉真?!」
「大人しくしてろ。 壁、蹴っ飛ばすぞ?」
「だって、倉真だって疲れてるでしょ?! …重くない?」
「これから新婚初夜だってのに、疲れていられるか?」
「あたしは、クタクタだよ」
「だから、こうしてベッドまで運んで来た」
「シャワーくらい、浴びさせて」
「仕方ないな」
ベッドの上へ利知未を横たえて、改めてキスをした。 利知未の手も倉真の首筋へ伸びていた。 そっと唇を離して、利知未が言う。
「先に、浴びて来てよ?」
「そうするか」
頷いて、倉真はゆっくりとバスルームへと向かった。
倉真がバスルームへ消えてから、利知未は何時もの様に、彼の着替えを準備した。 それから自分も、のんびりと荷物の整理を始めた。
ふと手を止めて、さっきキスを交わした唇を、指でそっと辿った。
『……これから、倉真は私の、旦那様だ』
照れ臭い感じがして、小さく肩を竦めた。 結婚指輪の嵌められた左手を、じっと見つめる。
『ここまで、本当に色んな事が有ったな……』
初めて倉真を異性として意識した、あの夏から。 思い出が沢山、蘇って来た。 あの夏を共に過ごした由香子とも、明日、久し振りに会える。
『飛行機の中で、うたた寝しちゃうかもな』
今日までの数ヶ月間と今夜の事を考えて、利知未はそう思った。
シャワーを浴びながら、自分の左手の薬指の違和感に、ふと視線が動く。
『……結婚指輪、か』
お互いに、これから長い人生を共に歩んで行く事の、約束の象徴だ。
『……随分、長い事、掛かったモンだ』
倉真も、そんな感慨に浸ってしまった。
利知未を始めて見たのは、今日の二次会会場にした、あのライブハウスだ。 あの頃の事から、今までの思い出が、凄い速さで頭の中を駆け巡った。
『過ぎてみれば、あっと言う間だ』
これから、長い長い人生。 利知未と共に、歩く未来。
その生涯を終える時も、同じ様な事を思うのかも知れない。
倉真がシャワーを終え、直ぐに利知未もシャワーを浴びる。
再び、部屋へ戻り、二人で顔を見合わせる。
ルームサービスで、ワインが運ばれて来た。 運んでくれたボーイに祝儀袋を渡して、改めて二人切りで乾杯をした。
日付が変わる前には、ベッドへ入った。
二人は、これから先の明るい未来を思い描きながら、確りと、お互いの温もりを確かめ合った。
翌朝、朝食を済ませてチェックアウトをして、空港へ向かった。
お互い、館川家には利知未が、瀬川家には倉真が。 これから旅行へ出発する事を、連絡しておいた。
電話口で其々に、倉真を、利知未を、宜しくお願いしますと伝えられ、畏まりました、解りました、と答え、顔を見合わせる。
「同じ事、言われたな?」
「倉真もね」
アナウンスが入り、利知未達は搭乗口へと向かって、歩き出した。
機内では、昨夜の疲れが手伝って、二人とも熟睡してしまった。
目を覚ましていられたのは、機内食が出された時間と、珈琲を飲んでいた間だけだった。 熟睡中も倉真の片手は、利知未の肩へ止まっていた。
空港へ着くと、和泉と由香子が出迎えてくれていた。
「由香子! 久し振り!」
「利知未さん! お元気でしたか?!」
つい、久し振りの再会に、抱きついてしまう。
「こっちの生活には、慣れたのか?」
「何度か、長期滞在していたからな。 意外とスンナリと馴染んだよ」
倉真と和泉は、男同士で挨拶を交わした。
「新婚旅行だから、あんまり観光は詰め過ぎない様に考えましたよ? 倉真さんのご希望通り、グランドキャニオンは観光しましょう」
利知未との抱擁の挨拶を終え、由香子が二人へそう言った。
「こっちでの予約や何か、全てお任せしちゃったんだよね。 有り難う」
「どう致しまして。 久し振りに二人に会えるから、嬉しくって張り切っちゃいました」
由香子は、チャーミングな笑顔を見せてくれた。
「行きましょう?」
促されて歩き出した。
会話は、殆ど和泉と由香子が引き受けてくれた。 利知未は相手の言っている事は、解る事も有り、解らない事も時々ある。 解る範囲では二人の通訳を待たずに、自分で積極的に答えて会話に参加した。 倉真は、すっかり感心してしまった。
和泉と由香子のお陰で、始めての海外旅行は、滞りなく進められた。
夜、ホテルの部屋へ引き取ってからは、利知未がホテル側との通訳、兼、連絡係だ。 その点でも、倉真は楽をさせて貰った。
由香子達も、どうせだから二人の時間を、思い切り楽しんだ。
和泉は、白木家の居候だ。 やはり、由香子の家族の前では遠慮が出る。 その意味でも、この旅行は楽しい時間になった。
大自然の観光は、グランドキャニオン一本に絞った。 利知未の興味で、ブロードウェイミュージカルなども観劇した。
期間も短い事だ。 その他は移動時間へ充てて、丁度良い感じだ。 白木家の牧場にも、チラリと遊びに行かせて貰った。
最終日に、土産物を準備した。 それから由香子達に見送られて、再び機上の人となる。
日本へ戻って、先ずは館川家へ土産を持って伺った。
空港からの直行だ。 土産はなるべく小さな物で、纏めて来た。 それでも紙袋四つ分だ。 館川家、瀬川家、媒酌人・梅野夫妻。 披露宴の司会をしてくれた双子や、受付を手伝ってくれた朝美と克己一家に、FOX。
準一、宏治にも勿論、買って来た。 ここまでに上げた家庭には、旅先から絵葉書も、簡単な挨拶を添えて送っておいた。
他にマスター一家と、里沙。 倉真の工場の社長一家と、其々の職場への土産。 利知未は、個人的に香や透子、貴子と、アダムへも準備した。
慶弔休暇、最後の一日は、あちらこちらへの挨拶回りに忙しい。
全ての用事を終らせて、七月四日の夜。 二人は漸く、本当の意味での人心地がつけた。
「流石に、疲れたな」
「そうだね。 後は由香子達へ、お礼の手紙を送れば、完了だ」
ソファに凭れて、思い切り伸びをした。
「晩酌、する?」
「それよりも、のんびり風呂へ浸かって、一休みしたい所だな」
「じゃ、お風呂、準備してくるね」
時計を見て立ち上がる。 夜九時前だ。
今日は朝から、あっちこっちと忙しかった。 アパートを出たのは八時前だった。 それから丸々、十二時間。
風呂を簡単に洗い、スイッチを入れてリビングへ戻った。
「もう少し落ち着いたら、温泉にでも、行こうか?」
「金、掛かるだろ」
「日帰りで」
「そうだな」
久し振りに、ツーリングも良いかも知れない。
「俺のバイクでの、最後のツーリングにするか」
倉真が、そっと呟いた。 利知未は、耳を疑ってしまった。
「……廃車に、するの?」
「そろそろ、寿命だ。 次は車にするよ」
「……倉真は、それで良いの?」
「仕方ない。 ……思い出は、山ほどあるバイクだけどな」
少し目を伏せてから、倉真が顔を上げる。 隣へ静かに、利知未が腰を下ろした。 倉真は、利知未を引き寄せる。
「これから先、車の方が良いだろう? その内、陣痛が来たお前を急いで病院へ運ぶ様な未来も、直ぐソコだ」
「……でも」
「お前を守るって、約束しただろう?」
「車が無くても、守って貰えるよ? きっと」
「お前だけじゃねーよ。 …ガキが出来たら、その子の為にも、足は車の方が便利だろ?」
「バイク、乗りたくなったら、どうするの?」
「お前の、貸してくれ」
「…それは、構わないけど」
利知未が、寂しそうな顔をしてしまう。 倉真は自分の寂しい感慨を抑えて、優しく笑いかける。
「意志表明だよ。 あのバイクも確かに大事だが、お前は、それ以上に大事な俺のカミさんだ」
利知未の目が、一気に熱を持つ。
瞬きをした瞬間、温かい物が流れ落ちてしまう。
「お前が泣くな」
「……だって、……凄く、嬉しくて……。 倉真の、言葉が……」
手を上げて、顔を覆って、涙を隠した。
倉真は、その利知未を確りと抱き寄せ直した。
「準備が整ったら、早いとこ俺たちのジュニアを、産んでくれよ?」
倉真の言葉に、利知未は小さく、けれど確りと一つ頷いた。
「……お金、貯めないと、ならないけど」
「頑張って稼ぐ。 子供育てながらだって、どうにかして金は貯められるだろ? ……俺は、一日も早くに、お前の夢を叶えてやりたいんだ」
「……倉真の夢より、先になっちゃうね」
「順番なんか、どっちだって構わないだろ? 俺の親父が店を持ったのも、俺が生まれた頃だ」
「…うん」
涙を流したままで、利知未は小さな笑顔を見せた。
時が流れて、一年後。
倉真が二十七歳。 利知未が、二十八歳の誕生日を迎えて、間もない頃。
産婦人科の病棟へ、嬉しそうな顔をした訪問客が、引っ切り無しに現れる。
「この子は、利知未さんに似ているのかしら…?」
新生児の顔を覗き込んで、義母が、心から嬉しそうな笑顔を見せる。
「お義姉さんは、倉真に似てると言ってましたよ?」
母親となった、利知未が。
愛しげな笑顔で、隣で安らかな寝息を立てている長男を、見つめている。
「そうかしら? 倉真はもう少し、腕白そうな目をしていたけれど」
「私も、かなりヤンチャそうな顔を、していたそうです」
「そうなの? ……でも、本当に、まぁ……」
まさか、これ程早くに、初孫の顔を見つめる日が来てくれるとは……。
「小さな手を、確りと握り締めて……」
義母は幸せそうな笑顔を浮かべて、初孫を見つめている。
仕事を終えた倉真が、夕方になって、やって来た。
「予定は、明日だったんだけどな」
渋い顔をしている。 ……明日ならば、休日だったのに。
けれど子供の顔を見た途端、その強面の顔が一変してしまった。
大切な、宝石に手を伸ばすように、そっと。 その大きな手のひらを、息子の頬へと近付けた。
「凄く、元気なの。 さっきまで大泣きして、大変だったんだから」
起こさないでね、と、利知未に小声で注意された。
子供からそっと手を引いて、利知未を改めて見つめた。
「……有り難う」
一言、そう言って、身を屈めて利知未の額へキスをした。
「……あたしこそ、有り難う。 一番嬉しい、プレゼントだよ」
利知未からも倉真の頬へ、軽くキスを返した。
子供が生まれたのは、結婚の翌年、六月二十六日の事。
一年目の結婚記念日には、親子が三人。 揃って、ささやかなお祝い。
息子の名前は、二人で相談をして、『一真』と、名付けられた。
それから暫らくの間、倉真の館川家では。
新しい命の誕生を、心から祝ってくれる友人達が大勢、遊びに来てくれた。
賑やかに、日々は過ぎる。
これから先には、まだまだ、やらなければならない事も、沢山ある。 倉真の夢を実現する為に。
利知未は育児休暇を終えてから、再び外科医として、働き始める。
今、アパート外の駐車場には。
昔から変わらない、利知未のバイクと……。
……倉真の、普通車が一台、止まっていた。
二人の、長い、長い、未来への夢は。
たった今、始まったばかりの、新しいStoryだ。
二〇〇六年 十一月十三日(2008.5.13 改) 利知未・番外 5 ラスト・ストーリー
《そして、結婚へ……》 あなたは私の世界 了
長らくのお付き合い、本当にありがとうございました。 心から、お礼申し上げます。 <(__)>
利知未と倉真の物語は、ここで一端、幕を閉じます。 この子達を追いかけ続けて、早二年三ヶ月が、経とうとしております。 その間に、作者自身の環境や考え方も、色々と変化をして参りました。
この、長い長いストーリーを書き上げた根性と努力を、自分自身で労ってあげたい気分です。
また、いつか。 もしかしたら、子供達のストーリーを書くかもしれません。(まだ分かりませんが) その時は、また、可愛がってあげていただけたら、嬉しく思います。 では、また別のお話しでお会いいたしましょう。
本当に、ここまでのご愛顧、ありがとうございました。