《そして、結婚へ》 1 《研修医・二年 十一月》
時代背景は、2000年ごろです。本文中、実在の地名も出て参りますが、フィクションです。
利知未と倉真の物語、完結編を、ごゆっくりお楽しみ下さい。
《そして、結婚へ》
1 研修医・二年 十一月
一
十一月を迎え直ぐの土曜休みに、倉真の母親から連絡が来た。 利知未と倉真の式場探しは、早速、座礁してしまったと言う。
五月の休日で大安と重なる日は、殆どの式場で既に埋まっているらしいと言っていた。
「六月の末なら、空いている所があるのだけれど……」
倉真の母親が残念そうな声で、そう報告をしてくれた。
「そうですか。 ……私は、それでも構いませんが。 倉真さんと、もう一度、話をして見ます」
「それで決まったら、また連絡を頂戴ね」
そう言われて、利知未は返事をして受話器を置いた。
倉真は今日も、バイク整備に精を出していた。 最近の休日は出掛ける用事が無い限り、将棋のテキストを開いているか、愛車を弄っているかだ。
偶には遊びに行けば良いのにと、思わない事も無い。
利知未も、休みの度に連絡を寄越す倉真の母親が気に掛かって、折角の休日に出掛けるのも、考えてしまいがちだ。
そろそろ、ストレス解消が必要かも知れない。
昼食を済ませに上がって来た倉真へ、早速、母親から連絡があった事を伝えた。
「また、電話が掛かって来たのか?」
倉真は、流石に少しウンザリして来た。
「自分達で、もう少し積極的に行動するべきかもね」
「お袋が乗り気過ぎて、口出し出来ねーよ」
「…それも、解る」
二人で、小さく溜息をついてしまった。
「けど、そこまで色々して下さること自体は、有り難い事だから……」
「お前は、俺以上に口出し出来ないんだろ」
「解ってるなら、もう少し考えようよ?」
利知未にもストレスが溜まり始めているのは、見ていて気付いた。
「もうチョイ、本性を出して見るか?」
「どう言う意味?」
首を傾げた利知未に、倉真がニヤリと笑みを見せる。
「考え無し同士で、突っ走って見るとか」
これまでの自分達の事を指して、倉真が言った。 軽くふざけた口調に、利知未が少々、剥れてしまった。
「他人事、過ぎ」
「頭使うのは、苦手なんだよ」
そう言って、倉真は話を変えてしまった。
「チョイ、ストレス解消が必要そうだな。 明日、走りに行くか?」
「お母さんから、また連絡が来るかも知れないでしょ?」
「俺の携帯番号、教えて置きゃイイだろ。 出たくない時は出なきゃ良い」
「あたしの番号は、余り人には教えられないからな」
「イザと言う時の連絡用だろ? 当たり前だよ。 長話していて、患者の急変に間に合わない様じゃ意味が無いんだろ」
倉真も頭が悪い訳では無いらしいと、改めて利知未は感じてしまった。
「どうして、お父さんに将棋、勝てないんだろうね?」
「何で、そう言う言葉が返って来るんだ?」
倉真は利知未の呟きを聞いて、変な顔をしていた。
翌日、出先から倉真が携帯電話を使って、実家へ連絡を入れた。
自宅に居ない時はこちらへ連絡を入れる様に言って、自分の電話番号を母親へ伝えた。 それで、利知未は少しだけ気が楽になった。
館川一家は好きだと思うが、やはり自分の立場的には、緊張してしまう。
電話を終えた倉真に、利知未が聞いた。
「お母さん、何だって?」
「判ったと言っていたけどな。 お前も携帯電話なんか持つ様になったの? って、驚かれた」
「そっか。 …じゃ、今日はのんびり花見でも、堪能して行こうか?」
「おお」
駐車場から、園内へ向かって歩き出した。
二人は昨夜の晩酌時間に、今日の行き先を思い付いた。 十一月の初旬は、秋桜の時期だ。 思い出して、久し振りに城峰公園まで行って見ようと言う話しになった。 今日も利知未手製の、弁当持参だ。
「もっと近ければ、秋の花見酒にもなるんだけどな」
「そうだな。 仕方ないだろ、ここまでは結構、長距離だ」
「軽く飲んで、酔い冷まし何かしてたら、帰るのが夜中になっちゃうもんね」
仲良く手を繋いで、話しながら歩いて行く。 弁当が入ったザックは、倉真が肩に掛けて持ってくれていた。
「けど、ここへ来たら、何時かボートに乗った公園にも行きたくなっちゃったな」
「次のツーリングは、そっち行くか?」
「そうだね。 けど、冬は止めようね?」
「また、風邪を引いちまいそうだな」
「ボート乗って、池に落ちちゃう?」
あの時の事を思い出して、二人は笑った。
「あそこへ行ったら、また蕎麦掻きでも食いてーな」
「十割の蕎麦粉があれば、家でも作れるよ? 簡単だから」
「あの公園で食うのに、意味があるんだよ」
「そう?」
「ああ」
頷いた倉真を見て、利知未も少し考えて、頷いた。
「そうだね」
あの場所で、倉真の事を、それまで以上に意識し始めた。
倉真はあの時、初めて食べた蕎麦掻きの素朴な味に、改めて利知未の素の部分を、垣間見た気がした。
「あたし達には、二人の思い出の場所が、一杯あるな」
利知未が、そう呟いた。 倉真も利知未の言葉に、頷いてくれた。
「始めは、FOXだったね」
「あの、ライブハウスだったな」
「それから、倉真が宏治と仲良くなって、あの街へ、良く遊びに来始めた」
「FOXのセガワには、すっかり騙されちまったぜ」
「…一年くらい? 正体がバレるまで」
「俺は、五月の復活ライブから、お前を見付けたんだ。 一年と三ヶ月位の間、騙され続けたよ」
「そっか。 だから、かな?」
「何が?」
「倉真が一番、あたしの事を受け入れてくれるまで、時間が掛かってた」
「憧れ方が、ジュンや和尚と違い過ぎたんだよ」
「そんなに、憧れてくれていたの?」
「おお。 男として、人生の師匠に出会った位は、思ってたぜ?」
倉真は、にやりと笑ってやった。
「今は、あの頃のお前を思い出す方が、難しくなったよ」
落ち着いた表情に戻って、そう言い足した。 少し表情が曇ってしまっていた利知未は、その言葉で笑顔になった。
「あたし達には、大事な仲間も沢山いるね」
「幸せな事だと、思うぜ?」
「うん。 …だから、考えたんだけど」
「何を?」
「披露宴に、皆に来て貰うのは不可能でしょう? 二次会で、出来る限りの友達を呼び集めたいなって」
「随分、人数が多くなりそうだな」
「場所も、難しくなっちゃうんだけど。 五月に、松尾さんと皐月の結婚式二次会で懐かしい人達に会えて、凄く嬉しかったんだ。 だから昔から仲良くしてくれた仲間達も、久し振りに会ったら嬉しいのかな? と、思って」
利知未の意見を聞いて、倉真は少し考えてから、言ってくれた。
「会場、探し始めるか?」
「うん。 結婚式と披露宴については、兎に角、慎ましく済ませて貰う話で、お母さん達の意向は、なるべく聞いて上げてもイイかな? って」
「お袋が益々、調子に乗っちまいそうだな」
「それも、良いんじゃない?」
ニコリとして、利知未が言った。 繋いでいた手を離して、倉真は利知未の肩を抱き寄せた。
「マジ、イイ嫁さんだよ、お前は」
「その呼ばれ方は、まだ少し、早い気もするけど……」
利知未は少し、照れてしまった。
それから展望台のベンチで、二度目に来た時と同じ様に弁当を広げた。 高台から見える景色は、相変わらず綺麗だった。
「次来る時は、あのダムまで行って見るか?」
「ダムの見学って、小学校の社会科見学以来だな。 させて、くれるのかな?」
「問い合わせて見りゃ、解んだろ?」
「じゃ、次の機会にでも問い合わせて見ようか」
「この年になってから行くのも、何だな……。 先の約束にしないか?」
「先の約束って?」
首を傾げた利知未に、倉真が照れ臭そうに答えてくれた。
「何時か、ガキが出来てから。 ……家族旅行でってのは、どうだ?」
倉真の言葉に、利知未は嬉しそうに微笑んだ。
「良い、約束だね。 …じゃ、後十年後くらいかな」
「出来れば、十年は待ちたくないけどな」
「……そんなに早く、子供が欲しい?」
「ガキは嫌いじゃないぜ?」
「激甘なお父さんに、成っちゃいそうだな」
「その分、お前が教育ママになってくれ。 俺はガキに嫌われない、イイ親父を目指すから」
「それ、ズルくない?」
「そーか?」
利知未に突っ込まれてしまったけれど、倉真は、すっとぼけて置いた。
帰宅して、倉真が自宅から実家へ、連絡をしてくれた。
昼間、公園で話していた事を、利知未の事を考え、気を使いながら報告してくれた。
「じゃ、結婚式と披露宴は、私と一美が、主導権を貰ってしまって、構わないのね?」
「おお。 その代わり二次会は、こっちで全部、手配する」
「そう。 それなら、もう少し良く話し合いたいわねぇ。 次は何時なら、来られそうなの? あんたは居なくても、利知未さんだけでも構わないけど」
「何だよ、それは」
「結婚式は花嫁が主役なのだから、新郎は引き立て役に徹してくれて構わないと言う事よ」
「…ま、それも一理ある」
「一理じゃなくて、それが全てなのよ」
母親は嬉しそうだ。 十歳どころか、二十歳は若返ってしまった。
「利知未に言っとくよ」
「宜しくね」
そして母親から何時も通りの言葉を貰って、電話は終わった。
近くで聞き耳を立てていた利知未が、相変わらずの親子の会話に、声を殺して笑っていた。
電話を終え、肩の力が少しだけ抜けてくれた。
「けど、本当に任せ切りにしちゃって、良いのかな?」
何時も通りの姿勢で晩酌をしながら、利知未が呟いた。
「精々、我が侭、言ってやってくれ。 その方が、お袋も張り合いが出る」
「良いの? あたしの好みだけ押し通しちゃって」
「元々、結婚式と披露宴には、あんまり拘って居なかったんじゃないか?」
「そうだけど。 でも、それなりには考えていたんだよ」
「そうなのか?」
「だって、お母さん達だけに迷惑掛ける訳には、行かないでしょ?」
「迷惑どころが、大喜びだぜ」
我が母親ながら、その点には辟易していた倉真だった。
利知未がソファから立ち上がり、付箋が着いた結婚情報誌を持って来た。
「付箋だらけだな」
倉真はその雑誌を一目見て、目を丸くしていた。
「料理、会場、ドレス、企画、金額、引き出物、って、考える事は一杯有るんだよね。 あたしも、雑誌見てみるまでは余り知らなかったけど」
「成る程」
「招待客のリスト、席順、祝辞の以来、司会者の選択。 招待状の配布時期、式場への連絡と、支払い時期。 その他、色々。 …だから昨日、言っていたでしょ? もう少し積極的に行動するべきだって」
「お前、何時の間にそんなにチェックしてたんだ?」
「夜勤の仮眠時間も、使ったよ。 あと、倉真がお風呂入ってる時とか、一人の休日とか。 料理やドレスは、お母さんに相談しながらで良いと思うけど。 招待客のリストは、自分達の仕事。 倉真の親戚関係はお母さんに聞くしかないけど、職場の仲間は何処まで呼ぶのか? とか、祝辞は何方に頼むのか? とかは、自分達しか解らないでしょうが」
全く考えていなかった倉真の様子を見て、利知未は呆れ半分、膨れてしまった。 倉真は利知未の進言に、ただ、ただ、辟易してしまっていた。
「解った。 これからは、もう少し考える。 膨れるな」
「ホントに? 倉真、協力してくれる気は、ある?」
「…ま、おいおい、少しずつ、な?」
「全くもう。 …こう言う事には、頼りがいが無いな。 男は」
「仕方ないだろ。 興味も殆どねーからな」
「興味とか、そう言う問題じゃ無いでしょ? 他人の結婚式じゃ無いんだから。 あたしだって、興味は殆ど無かったんだよ?」
「悪かった。 マジ、これから考える」
この件に関しての言い訳は、逆効果だと悟った。 倉真は戦術を変える事にした。 兎に角、謝っておくしかない。
態度を変えた倉真を、利知未はジトリと睨んでやった。
「本当に、反省してくれてる?」
「反省してます。 さて、誰、呼ぶかな?」
話を合わせてみる事にした。
倉真の態度は白々しい。 その態度を見て、利知未はまた、プッと頬を膨らませた。
その夜、利知未の膨れっ面は中々、元に戻ってはくれなかった。
二
翌週の平日休みに、利知未は倉真の実家まで一人で行った。 やはり一人での訪問は、まだ少し緊張してしまう。
それでも、式・披露宴の相談をする為には、仕方が無いと思う。 日曜日の倉真の様子を見る限り、一緒に行っても、余り役には立ってくれそうも無いとも、悟ったからだ。
倉真の母親は、一人で尋ねて来た利知未を喜んで迎えてくれた。
父親は店に出ている。 検査の結果を聞いてから、酒の量も食事も気を付ける様になり、最近では、背中の痛みを訴える事もなくなって来たと言う。
今の館川家、関心事項は、『長男の結婚式』のみだ。 母親は、手薬煉引いて待っていた。
早速、居間へ通され、一美が購入して来た結婚情報誌と、母親があちこちから集めて来た幾つもの式場のパンフレットを、目の前に並べられた。
「お金は、私達も出来る限りの協力をしますから。 余り派手にしない分、お料理や引き出物は、ちょっと張り込んでも構わないわね? 衣装も、実際に行って見てみないと解らないけれど。 それは、倉真にも行って貰わないとならないから、今日は他の事を相談しましょう? 利知未さん、考えていることや、悩んでいる事はない?」
喜々として一気にそこまで言って、利知未に問い掛けた。
「何から何まで、有り難うございます。 私が考えて来たのは、どの辺りまでご招待すれば良いのか? と言う事です。 なるべく内輪の方達だけで、質素にして頂ければと思っているのですが」
「こちらの親戚については、倉真とも話をしなければならないわね。 利知未さんは、どの辺りの方達までの検討をつけているの?」
「私は、親戚も少ないので。 これまでにお世話になった、ご家族が居ります。 そのご家族と、後は、下宿時代の大家さんご夫婦でしょうか」
マスター夫妻は是非、呼びたい処だ。 里沙と、朝美も数に入る。
「お仕事の関係と、お友達は?」
「研修のお世話をしてくれている方と、薬局に親しい友人が居ります。 後は、高校時代の友人と、中学時代の友人を一人ずつ」
「それだけで、本当に良いの?」
「はい。 後の友人は、二次会にと考えておりますので」
「そう。 それなら倉真の方も、それ位かしら?」
「倉真さんは、会社の社長さんご夫婦と、友人夫婦を考えて居るようです」
それは、この数日間で無理矢理、倉真に捻り出させた招待客だ。
友人夫婦は勿論、克己だ。 中学、高校時代の友人は、利知未と同じく二次会メンバーにする事になっている。
「そう。 それなら、後はこちらの親戚関係で良いのかしら?」
母親は、頬に手を当てて考えている。
「次回は、倉真さんも一緒に」
「そうね。 後は、何か考えている事は?」
「基本的には、お母様のご意向に出来る限り従わせて戴きたいと思います」
そこで、母親主導での相談が始まった。
その日、夕食まで誘われたが、倉真の夕飯準備をすると断って帰宅した。
アパートへ到着したのは、七時過ぎだった。 後三十分もすれば倉真が帰宅する時間だ。 簡単に出来る丼物で、済ませてしまった。
夕食時間に、今日の話をした。
「今度、行く時は、倉真も一緒に行って」
「俺は要らないんじゃないか?」
「招待客の中から、何方に祝辞を頼むの? 席順は? 衣装を探しに行く時は、二人で一緒じゃないとバランスが取れないでしょ? 引き出物や料理については、お母さんが候補を幾つも持ってるから、決定は揃ってないと」
「…面倒、」
「何?」
面倒臭い、等と言ったら、また利知未に叱られてしまう。 倉真は慌てて口を噤んだ。
「何でもねー。 今日の親子丼は、何時も以上に美味いな」
「ありがと」
倉真の言いかけた言葉に、突っ込むのは止めにしてやった。
母親の意向の一つに、引き出物の中に夫の和菓子の折を入れたいと言う意見があった。 それに合う様に、玉露も小振りな茶筒で一缶。
玉露はかなり高くつく筈だ。 その分の金額は協力すると言っていた。 お客様に供する時に仕えそうな、感じの良い湯のみや絞り置き、その辺りを器の引き出物に考えていた。
後は一美の意見も入れ、カタログの引き出物も一つの候補だ。
会場候補は十カ所以上も考えてあった。 これから何日か掛けて、一つ一つの会場を下見をして決めたいと言っている。 その時にはどうしても、倉真にも立ち会って貰わなければならない。
利知未は突っ込むのを止めにしてやった代わりに、話を進めてしまう。
「会場が決まってしまえば、貸衣装の目処も着くから。 予算はどれくらいが良いのか、とか。 改めて考えておいてと、倉真にも伝言」
「予算、ね……。 普通はどん位、掛かる物なんだ?」
「大体、百万から二百万?」
「貯金は?」
「二人の貯金なら、来年の五月には百八万は貯まる予定。 プラスαで、個人的に貯めて来た分から三十万位までは、出せない事は無いけど」
「それなら、俺から二十五万出す。 それ位が、こっちは限界だな」
「約、百六十万か。 二次会の費用もあるから、出来れば百三十万以内で収めたいな。 二次会に三十万以上は、使うでしょ?」
「会場によるな。 内容にも」
「それ、考えないとな。 今日は、そっちを進める?」
「まだ先の事過ぎる感じがして、ピンとは来ないけどな」
「半年何て、あっと言う間だよ。 それに兎に角、予算が決まらないと何も進まないし」
「……そりゃ、そーだな」
つくづく、ウンザリして来てしまった。
倉真の気持ちは、その表情で、利知未にはすっかりお見通しだ。
「自分達の結婚式って意識、ちゃんと持ってる?」
「後は、祝儀に掛けるか?」
利知未に鋭く突っ込まれて、倉真は誤魔化した。
「それしか、無いかな?」
「おお。 …お代わり、あるか?」
「そう来ると思った。 二人前、余分に用意してあるよ。 待ってて」
自分の箸を置き、五分ほどで倉真のお代わりを用意して、出してやった。
食事を終え入浴まで済ませて、のんびりと晩酌をしながら、テーブルの上には電卓とメモが置かれている。
「二次会って、何人くらい来て貰いたいの?」
「…何時ものメンバーと、職場は保坂さんや、田淵も呼んでやるか。 後は高校ン時の悪ダチが、4人居るな」
「あたしは、……多過ぎて、考えられないかも」
そして、今まで親交があった友人達を思い出した。
一番古い所で、中学時代の団部メンバーからだ。
「貴子は披露宴にも来て貰いたいけど。 アダムのメンバーも居るな。 都合が合えば、樹絵は呼びたいでしょ」
「それ言ったら、下宿メンバーで冴吏ちゃんだったか? 呼びたくならないか?」
「そうだね、冴吏には例の件で世話になったし」
世話になったと同時に、恨みも少々、あったりする。
「透子も、披露宴から出て貰いたいから。 後は、出来るなら、FOXの当時のメンバーも来てくれたら嬉しいんだけど……」
「何人、浮かんだ?」
「ざっと見積もっても、二十人以上……?」
「それで済むのか?」
「……うーん、済まないかも知れない……」
「克己達は、二次会まで出て欲しい所だが」
「学も、五歳か六歳でしょ? 遅くまでは無理じゃない?」
「俺の方は、十人程度で収まると思うぞ?」
「最低、三十五人は居るね。 …それ位なら、会場も見付かるか」
「それで、収まりゃな」
「でも、披露宴みたいに、雛壇に座っている見たいなのは嫌だな」
「確かに、どうせならワイワイ騒ぎたいよな」
其々の友人達を思い出して、その思いに至った。
「やりたい事は、あるんだけど。 ……お金、掛かっちゃうしな」
「何をやりたいんだ?」
「……お寿司の、出張カウンター」
「それは、この前の、アイツの事を言っているのか?」
「倉真は、嫌……? でも、先輩の出現で、倉真から結婚式を早めたいって、言い出したでしょ? ……特上のランク付け、してくれた訳だし。 ……最後まで見届けて貰いたいのは、あたしの我が侭かな?」
小さく首を傾げて、利知未が聞いた。
「……そりゃ、解らなくは無いとは思うがな」
「凄く、お世話になった人だから。 本当なら、披露宴でやって貰いたい位だけど……。 それは、お母さんにも悪いし」
成るべくなら、自分の母親の意向に従おうと言ってくれた利知未には、やはり感謝もしている。それ位の我が侭なら、聞いてやっても良いのかも知れないと、倉真は思った。
「……仕方ないな。 会費、高くするか?」
「それも、本当はアンマリやりたく無いんだけど……。 本番の式と披露宴を、どれくらい安く済ませられるかにも寄るよね」
「場所は、どうしたいんだ?」
「居酒屋って訳には行かないし、どっかの公民館みたいな所を貸して貰うのも、一つの手だけど」
「俺は、一つ意見があるんだけどな?」
「何?」
「お前を始めて見つけた、あの場所で」
「……ライブハウス?」
「やっぱ、無理か?」
「……貸し切りは、出来る筈だけど。 そしたら、ライブでもやりたくなっちゃうよ?」
後の言葉は勿論、冗談だ。 けれど、一つのアイディアが浮かんで来た。
「いっその事、現在のFOXのミニライブでも、やってもらっちゃったりして……?」
「二次会に、ロックのライブか?」
「今は、何やってるんだろう?」
「メタルや、へビィメタルだったりしてな」
「それは、流石にキツイな」
「聞いてみりゃ良いじゃねーか?」
「真面目に言ってる?」
「それも面白そうだ。 三十分位やって貰って、後はお前のバースデー・ライブやった時みたいに、パーティーに早代わり……、ってのも、良いんじゃないか?」
「……面白そう、ね。 …確かに、一番あたし達らしい、お披露目になるかも知れないけど」
「で、パーティー時間に出張寿司カウンターも、良いんじゃないか? アソコなら、会場費はそんなに掛からないだろ?」
「当時の音楽ライブで、七、八万って言ってたから」
「今なら差し詰め、十万くらいか?」
「そんな物なのかな?」
「出張カウンターで、二十万位だろ。 三十万。 後は、FOXへの謝礼が、やっぱ十万くらいか? 予定の三十万じゃ、出来そうにないな」
「会費制にすれば、一人三千円でも十万は入るから」
電卓を叩く。 取り敢えず、三十五人計算だ。
「四十万位か? 後、何人増えるかは解らないけどな」
「式と披露宴、どうにか百三十万以内で、組み立てて貰おう」
「FOXのリーダーとは、連絡が取れるのか?」
「自宅の番号、分かってるし。 もし家を出ていても、実家で聞けば分かるかな? まだ、あそこのライブハウスでやってるのかな……?」
「それ以前に、FOX自体、まだあるのか?」
「…兎に角、聞いてみよう」
「目処、着いたな」
「上手く行けばね」
「んじゃ、今夜はもう寝ないか?」
「そうしようか」
テーブルを片付けて、寝室へと引っ込んだ。
三日後の日曜日、昼間の内にFOXのリーダー・久元へ連絡を入れてみた。 リーダーは自宅に居た。
「セガワか? 随分、久し振りだな!」
電話の向こうで、懐かしい声が呼び掛けてくれた。 少し声は変わった感じがする。 FOXロック期の解散当時で、二十二歳だ。 現在は、三十二歳になっている計算だ。 まだバンド活動自体をやっているかどうかが、怪しい所だ。
「久し振り。 長い間、ご無沙汰でした」
利知未も、あの頃よりも女性らしくなっている。 久元は利知未の声を聞いて、こう言った。
「口調が、優しくなった感じだな。 今、…二十六か。 イイ女に、なれたか?」
「それは、自分では解らないけど。 元気にしてましたか?」
「おお。 数年前に、チョイ身体を壊したんだけどな。 今は復活したよ」
「そうだったの? じゃ、今はもう、バンドなんかやってないか」
それなら、二次会の司会でも頼めないかと、瞬間的に考えた。
「と、思うだろ? ……駄目だな、ライブハウスが忘れられなくて」
「じゃ、やってるの?!」
びっくりだ。 詳しく話を聞いてみた。
「身体壊した所で一端、止めたんだ。 三年前の夏頃か。 一年経って身体が復活したら、居てもたっても居られなくなった。 で、拓に声掛けて新しいメンバー見つけて、今はロックやってるよ」
「ロック?!」
「あの頃が一番、FOXの良い時期だったからな。 体力的にも年齢的にも、止める前までやってたメタルは、キツイ物があるだろ?」
「身体は、大丈夫なの?」
「やってないと、返って調子が狂うよ。 セガワが残した曲も、偶にやってるよ。 ……セガワは、オレ達に沢山の曲と思い出を残してくれた」
感謝しているよ、と、言ってくれた。
「そう言われると、何か、照れ臭いな」
「シャイな所は、変わらないか? で、どうしたんだ? またバンドでもやりたくなったとか?」
問われて、来年の結婚の報告をした。
「そうか! おめでとう! 相手は?」
「リーダーも、絶対覚えてる。 初対面から、あの場所で騒ぎを起こしてくれた、ヤンチャ者だから」
「初対面から?」
「その数ヵ月後、トンでもない大喧嘩を、ライブ中に起こした少年」
「……坊主頭と、モヒカンが居たな。 脱色したのも」
やはり記憶の中には、あの頭が残っている。
顔も覚えているかも知れない。 真面目そうなのが、剃髪。 釣り目がモヒカン。 タレ目が脱色。
「当時モヒカンだった、トンでもない悪ガキ」
あの頃の倉真を思い出して、利知未も小さく笑ってしまった。
「アイツが、結婚相手?!」
「そうです。 ……今は、真面目になってるよ?」
「また、何と言うか……。 トンでもない縁だったな」
「だね」
そして、二次会の相談を始めた。
「リーダーには、司会も頼めないかと思ったんだけど」
「正式に、依頼をしてくれているのか?」
「はい。 お礼も勿論、用意します。 会場費は、こちらで持ちます。 その他の費用も。 お引き受け下さいますか?」
「当たり前。 礼なんか無くても構わない位だよ」
「有り難う、リーダー」
利知未は、心から嬉しいと思った。
「改めて一度、お会いしたい所だけど。 まだ、あの場所でライブやってますか?」
「やってるよ、半年前から復活したんだよ。 毎週金曜日から、土曜日になったけどな。 メンバーの仕事の都合で」
「平均、何歳?」
「メンバーの平均年齢か? 29.5歳。 あの頃のFOXと、約十歳違うな」
「年、取ったね」
「お互い様だよ。 あの、セガワが…、いや、利知未が結婚する年だ」
「……うん、そうだね」
「今日も、午後から練習だよ。 連絡と依頼、有り難う」
「こちらこそ、即決してくれて、どうも有り難う!」
「最高のライブを、約束するよ」
「うん、期待してるよ。 リーダー!」
そうして、電話を切った。
倉真は今日もバイクを弄っている。 まだ昼前だった。 リーダーには、一通りの家事を終え、仮眠を取り始める前に連絡をしていた。
利知未はアパート外の駐輪場へ、嬉しい知らせを伝える為、急いで部屋を出て行った。
利知未からの報告を聞いて、倉真も驚いていた。
「あの人のバイタリティーには、感心しちまうな」
「ね。 今度、一度ライブを見に行こうよ? 今は土曜日だって言っていたから、二人の休みが重なる日に」
「そうだな、挨拶しに行くか」
「うん。 …ほっとしたら、眠くなって来た」
欠伸をする。 その眠そうな顔を見て、倉真が笑顔になる。
「昼は適当にするから、のんびり眠ってろ」
「そーさせて貰うね」
その時、倉真の携帯が鳴った。
「誰?」
「…お袋だな」
ディスプレイを確認して、倉真が答えた。
「あたしに用事かな?」
「俺が聞いとく。 お休み」
そう言って、電話を受けた。
利知未はそっと足音を忍ばせて、アパートの外階段を上がって行った。
FOXの現メンバーは、リーダー久元からの話を聞いて、喜んで引き受けた。
「セガワが結婚か……。 おれ達も年を取る筈だな」
昔からのメンバー・拓は、感慨深げに、そう呟いた。
「結婚式の二次会にライブって、面白い事を思い付く人だな。 その、元・ヴォーカルのセガワって」
現・ヴォーカルは、目を丸くして感心していた。
三
月末の土曜日に、二人は、現在のFOXのライブを見に行った。 当時と違って、一晩の出演4バンド中、三番目に始まった。 時間も二十一時過ぎからだ。
チケットはこの二週間の内に、もう一度、利知未から連絡を入れて取り置きにして貰った。
二人は、約十年振りにライブハウスへ足を踏み入れた。 利知未は大学受験の前に、一度だけ来た事があった。 それでも、八年振りだ。
この時間になると、当時のFOXを見に来てくれていたファン達位の年齢の客も、少なくなり始めていた。 現在のFOXファンは、社会人も多かった。
久し振りのライブハウスで、当時の事を思い出し、利知未はモスコミュールを手に取った。 それを見て、倉真が言った。
「お前、昔からそれだったな」
「うん。 倉真は、あの頃からビール?」
「酒の種類も、アンマ解らねーガキだったからな」
カウンターの隅に腰掛けて、ステージ上のバンドがFOXに切り替わる迄の時間を、のんびりと待った。
FOXのステージが始まると、リーダーはステージ上から、利知未たちの姿を探した。
カウンターに腰掛けている、様子の良い男女の二人連れを見つけた。 客席は暗くて、顔は良く解らない。
今日、利知未が来る事は解っている。 始めの曲は、懐かしいセガワ初ステージの、あの曲を演奏してくれた。
現ヴォーカルの声に合わせて、音は低めにアレンジをしてあるが、偶にこの場所で、この曲を演奏すると、数人残っている昔からのファンが、盛り上げてくれる。 そこから新しいファン達にも、浸透していった。
中学時代の利知未のピュアな感性は、今、演奏してみても新しかった。
「……懐かしいな」
「この曲は、初めて俺がセガワを見つけた時にも、やっていたな」
「うん、演奏したよ。 ……長い時間、見つめてくれてたんだ。 ……ありがと」
ニコリと、利知未が微笑んだ。
その顔は、始めてこの場所で見たセガワとは全く違う雰囲気の、女性らしい綺麗な笑顔だ。
「…今じゃ、信じられねーな。 あのセガワが、この利知未だとは」
「そう? 内面は、全く変わってないつもりだけど」
「随分、変わったよ」
曲が終わり、リーダーのMCが始まった。
今日、ここで。
リーダーは、あの頃の事を、昔からのファンと利知未本人に、謝りたいと思っていた。
相変わらず、リーダーのMCは楽しかった。 会場から笑い声が響く。 その内に、真面目な顔になったリーダーが、言い出した。
「おれ達の事を、昔から知ってくれているファンの皆には、是非とも謝らなければならない事があったんだ」
会場が少しざわめいた。
「もう、十年以上も前になる。 あの頃のFOXは、今と同じロック期だった。 FOX史上、一番、盛り上がっていた時期だよ。 覚えてくれている人、挙手!」
会場から、ぱらぱらと手が上がる。 俺も、私も、と言う声も、漏れてくる。
「サンキュ。 はい、手、下ろして! ……あの頃、FOXを一緒に盛り上げてくれていた、美少年ヴォーカル、セガワ。 覚えてる?」
肯定の返事が、客席から上がった。
「最高に、良いヴォーカルだったよ!」
女性の声が、そう言った。
利知未は、ドキドキし始めた。
「……リーダー、何を言うつもりなんだろう?」
呟いて、不安そうな顔をする。 その利知未の肩を、倉真がそっと引き寄せてくれた。
「心配すんな。 何があっても、俺が守る」
そう、囁いてくれた。
利知未は小さく頷いて、ステージ上のリーダーに注目し直した。
「彼。 イイや、彼女が。 今、この会場に来てくれている」
客席がざわめく。
え? ミスターレディ? などと言う、頓珍漢な声が上がっていた。 それに小さく笑みを返して、リーダーが続ける。
「ミスターレディじゃなくて、正しくミス、だったんだ。 彼女、セガワは、おれ達の勝手な都合で作り上げられた、虚偽の美少年。 本当は、初ステージ当時、まだ十四歳の女子中学生だった……!」
嘘だ、と言う声が上がった。
利知未はビックリして、身を竦めた。
「けど彼女が、セガワとしてこのステージに立ってくれていた二年八ヶ月は、おれ達FOXも成長出来た。 そして、素晴らしいライブの思い出を数多く、残してくれた。 おれは、言葉には表せないほどの、感謝をしている」
ざわめきながら、セガワの姿を探す客の様子が、一番後ろのカウンター席に座っていた利知未と倉真の目にも、良く解った。
「だから、謝らなければならないのは、彼女の性別と年齢を偽らせた事に対して。 それを信じ続けてくれていた、ファンの皆に対して。 ……本当に、済まない事をした」
ギターを下ろして、リーダーは最敬礼で頭を下げた。
「ただ、ライブは、夢のような空間だ。 現実に疲れた時、悩んでしまった時、あるいは、ただ騒ぎたい時。 単純にオレ達の音を、楽しみたいと感じてくれた時。 この空気の中で、音の中で、気持ちをリフレッシュさせて、あるいは歌詞に元気を貰って、また、明日からの現実に向かう気力になる。 その意味で、あの夢のような数年間を大事な思い出として、大切に心に刻み付けてくれているのなら……。 言えた事じゃないが、……許して欲しい」
顔を上げて、そう言って、会場全体とカウンター席に視線を戻す。
「彼女はFOXを止めた後、ライブ界から足を洗っていた。 ついこの前、久し振りに連絡をくれた時、新しい出発への喜ばしい報告を受けた」
ニコリと微笑んで、恐らく、あの二人だと辺りをつけて、リーダーが言う。
「セガワ、それと、そのフィアンセの二人! ……何時までも、幸せに。 今日ここで、偽りのセガワは居なくなる。 これから先の二人は正真正銘、男と女として、出来ればファンの皆の祝福も受けて貰えたら、嬉しいと思う。 ……罪は、おれにあるのだから」
暫らく、会場全体が静かになった。 利知未は動けなかった。
倉真の手に、力が篭もる。
ぱらぱらと、拍手が聞こえ始める。
「あの頃のFOXは最高だった。 あの思い出をくれたセガワにも、幸せになって貰わないと罰が当るよ」
「私達も来年、結婚式だから!」
カップルの声が上がった。 会場全体から、おめでとうの声が響いた。
「ここで、あの頃のFOXを見て、同じファン同士で付き合いが始まったから。 始めは友達だったけど。 ……だから、私達からも祝福を!」
そんな言葉が、投げられた。
「もう時効だ、時効!」
別のファンの声が上がり、肯定の拍手と、声が。 会場に響く。
利知未の目から、涙が零れた。
「……イイ、人達だな」
「……うん」
倉真の手が、軽く利知未の肩を、ポンポンと叩いていた。
「有り難う! 話が、長くなり過ぎた! 次の曲、聞いてくれ!」
リーダーが声を上げる。 今のFOXの音が、会場全体へ広がっていった。
ライブ終盤になり、利知未は倉真と共に、ステージに上げられてしまった。
ファン達から祝福の声が上がり、久し振りに一曲、聞かせて欲しいとリクエストを受けてしまった。
「セガワ、凄く綺麗ね……!」
ファンの一人から、そんな声が漏れた。
利知未は用意のコード譜を見て、懐かしい曲から一曲だけ、今の声で、会場のファン達に感謝の思いを込めて、その歌声を披露したのだった。
2 研修医・二年 十二月
一
瞬く間に、一年は過ぎてしまった。
FOXのライブを見に行った十一月の下旬を過ぎ、二次会の予定が決まり始めた事を受け、結婚式の予算の目処も、漸く着いた。
二人は月の中旬の土曜日、倉真の実家を訪ねた。
実家へ着くと母親が早速、本日の予定を二人に伝えた。
「今日は二、三の式場を見に行きたいと、思っているのよ」
電話でも言われていた。 倉真は、足に準一の車を借りて来ていた。
「運転は俺がする」
倉真が言って、三人で車へ乗り込んだ。
「お父さんのお昼は、一美に頼んであるし。 もしも今日、見てくる会場の中に気に入った所があったら、お昼を食べてみて、お料理の味も確かめて来ますから」
「気に入らなかったら、どうするンだ?」
「そうね。 どこかで、お蕎麦でも食べて来ましょう?」
「了解」
答えて、車を出発させる。 助手席に利知未が乗り、地図を片手にナビを引き受けた。
「一月中には、式場を決めてしまわないと。 予約が間に合わなくなってしまうから」
母親は大乗り気だ。 その勢いに、二人は相変わらず押されてしまう。
倉真は、これも親孝行だと割り切る事にした。
午前中にチェックした会場は、特に気に入る所も見付からなかった。 昼食に入った蕎麦屋で、倉真の電話から、もう一箇所の候補へ連絡を入れた。
「確認項目は式場の雰囲気と、係員の態度。 会場の設備と交通の便……。 どれも、今一つだったわねぇ」
「あと、駐車場もチェック項目に入れてくれ」
「車で来られそうな方、居たかしら……?」
倉真の母は、館川家の親戚筋と、夫の仕事関係の人物を考えて呟く。
「克己の所は多分、車だろ」
「里沙の所も、そうかも」
「手塚さんも、もしかして車で来るのかしら?」
「多分、宏治が送ってくる事になりそうだよな?」
「そうだね。 けど、お母様のリストに、手塚さんの名前を見た時には驚きました」
「二人のリストにも載っていたから、私もビックリしましたよ。 利知未さんも、良くお世話になっていたって、言っていましたね」
息子が、それ程気が利くとは思いも寄らなかった。 利知未も世話になっていたと聞いて、漸く納得したくらいだ。
「だけど、それを聞いて納得しました」
「それは、どう言う意味だよ?」
母親の言葉に、倉真は少し剥れてしまう。
それから午前中に見て来た式場の、係員の顔を思い出して呟いた。
「にしては、人間ってのは欲の塊だよな。 利知未の仕事を聞いた時は滅茶苦茶、愛想が良かったクセに、予算を出した途端、態度が少し変わったよな。 式場、三つとも」
「あんたも、そう感じたのね。 …もう少し、鈍感かと思っていたけど」
「お袋、何でそう、俺に突っかかるんだ?」
「そんなつもりはありませんよ、ねぇ、利知未さん」
母親に振られて、利知未は愛想笑いをして誤魔化した。
三つの式場の全てで、予算を聞いて係員の態度が悪くなった。 それは、利知未も感じていた。 医者の稼ぎや社会的地位を考えて、それぞれ、倍以上の金額を言われる事を期待していたのが、良く解った。
「余程、同業者の結婚式と言うのは、派手だったのでしょうね」
母親が息子につい突っかかる理由は、式場で嫌な思いをさせられた事の憂さ晴らしだろうと、利知未は考えた。
「あんな所で式を挙げたって、良いお式になる筈がありませんよ。 人間、仕事も大事だけど。それより、もっと大事なのは人柄と心根です。 利知未さん、嫌な思いをさせて御免なさいね」
「いいえ。 先の事があるので、余り予算を注ぎ込めないのは事実ですから。 お母様にこそ、申し訳ございませんでした」
折角、一生懸命に考えてくれたプランが……。 そう、感じる。
「まだ、二つ回るのか?」
「そうね。 そうしてしまえば後、見るのは五つに減るから、早めに決められるでしょう?」
「どの道、あと、二日は拘束されるのか……」
「明日と、来月に入ってからで見終われるかしらねぇ?」
蕎麦を食べ終え、蕎麦茶を啜りながら話していた。 時計を見て、母親が立ち上がる。
「さ、次の式場へ周りましょう」
伝票を持ってレジへ向かう。 慌てて追いかけて、利知未は自分の財布を出した。
「あら、良いのよ。 ここは、私が払いますから」
「でも、それでは、」
「あなた達は、これから先にお金が掛かるのだから、遠慮している場合じゃありませんよ。 大丈夫よ、倉真が高校を途中で止めてしまったお陰で、あの子の教育費は全部、貯金に回って来たのだから」
また、少し突っかかった。 利知未は、倉真をチラリと見てしまった。
「悪かったな」
母親に向かって、倉真は一言、そうぼやいた。
午後から回った始めの式場は、やはり今一つだった。 予算についても、係員の態度は、午前中に回った式場と大差なかった。
鷹揚な態度に変わった係員を見て、倉真の母親は腹立ちが隠せなくなってしまった。 予定通りの全てをチェックする前に、こちらから断って出て来てしまった。
その時、母親が係員に言った最後の言葉は、少し凄かった。
「心から祝福してくれるつもりの無い式場など、こちらから御免被ります。 あなた達のお仕事は、それで成り立っているのですか?」
そう、キツイ調子で言っていた。 倉真は、小さく拍手をしてしまった。
係員の上司が出て来て、慌てて取り繕おうとしていた。
式場を出て車に乗り込んで、倉真と利知未は笑ってしまった。
「お袋、良い事、言ってくれたな」
「ね、スッキリしました」
母親の腹立ちは中々、収まらなかった。 それでも笑顔の二人に釣られて、つい笑ってしまった。
「だって、あんまりな態度だったでしょう? さ、次の式場に期待しましょう。 車、出して頂戴」
母親に笑顔が戻って、倉真はほっとして車を出した。
最後に周った式場は、係員の態度には合格点を出せた。 予算を聞いても態度が変わる事もなく、最後まで懇切丁寧に、プランの相談を受けてくれた。
難点は、駐車場が少しだけ離れていた事だった。 その代わり駅には近かった。 一日、良くない係員に当って来てしまった三人は、いくらか気分が楽になった。 一美に連絡を入れて、ここで夕食を済ませて行く旨を伝えた。
式場の中にあるグリルで、料理を待ちながら、母親に本当の笑顔が戻った。
「これで、お料理が良ければ、候補の一つね」
「まだ、見るんだよな?」
「当然でしょう? ここ以上の所だったら、迷わず決めますけれど」
「設備については、納得されましたか?」
「特に、大袈裟な企画を考えている訳でもないから。 会場は少々、狭かった気もするけれど、落ち着いた雰囲気が、私は気に入りましたよ」
「そうですね。 それは、私も感じました」
「お袋と利知未に文句が出なけりゃ、俺は何も無いな」
話している内に、料理が運ばれて来た。
料理は、敏感な舌を持つ利知未としては、及第点クラスだろうと考えた。
「会場や設備の点で、新しい式場とは少し落ちる感じもあるけれど。 お料理は、良かったわね」
帰りの車の中で、母親は、そう言っていた。
その夜は、館川家に泊まる事になってしまった。 明日も二、三の下見に出掛ける予定だ。 一々、戻るよりは手間が省けるだろうと言われて、断る事も出来なかった。
両親の手前、倉真と同じ部屋へ泊まる訳にも行かない。 居間に客用の布団を出して貰う事になり、パジャマは一美が貸してくれた。
「ね、利知未さん。 どうせなら、あたしの部屋で寝なよ?」
一美に誘われ、恐縮する母親に笑顔で答えて、倉真に布団を二階へ運んで貰った。
夜遅くまで、一美と二人で話をしてしまったのだった。
翌日の下見は、やはり前日と同じ様な流れになってしまった。
倉真の母親は、今までの印象に比べて、かなりハッキリとした人柄であった事が、利知未にも解った。 係員の態度には兎に角、厳しかった。
派手な式を考えていない分、式場の雰囲気と係員の良し悪しは重要ポイントだと、考えているらしい。
企画に自信のある式場では、係員にも変なプライドがある様に見受けられた。 金額さえ張り込んでくれれば、あんな事も、こんな事も出来ますと、売りはそちらに集中してしまう。
本当の意味で、祝福をしようと言う心を履き違えていると、今日も昼食中に母親が言っていた。
その意見には、利知未にも頷ける感があった。
「こんなに質が悪いとは、思いませんでした。 気分が悪くなる様な事は、早くに終わらせてしまいましょう」
そう言って、その日も強行軍を敢行してしまった。
お陰で帰宅も遅くなったが、式場の下見は、この二日間で終えてしまった。
それでも、候補はもう一つだけ増えた。 料理はこちらの方が良かった。 係員の態度は悪くは無かったが、昨日の最後に見た所が一番、丁寧だった。
「駐車場は、少し離れてはいたけれど。 駅から近いのは、有り難い事ね」
「駅前から、それ程離れていない分、会場自体は大きく取れなかったって、感じだったな」
「けど、一番、優しく丁寧に、話を聞いてくれましたね」
「あの場所で、決めてしまう?」
「式場も、披露宴会場も整ってはいたな」
「貸衣装の点数は、他よりも少なめ?」
「そうね。 でも一応、もう一度見に行ってみましょうか?」
「そうですね」
少し考えて、利知未は頷いた。 利知未が頷けば、倉真は何も言わない。
「取り敢えず、行くなら早めの方が良いだろ。 俺抜きでも、構わないよな?」
「平日に行って来いって、事?」
「決まれば、また付き合う」
倉真の仕事の関係もある。 年内に、もう一度だけ見せて貰いに行く話に決まった。
正式に決まってからの訪問は、来年に入ってからになるだろう。
話が決まってアパートへ帰宅したのは、十二時近かった。 前日、急遽、館川家へ泊まってしまったので、風呂場の洗濯物を慌てて取り込んだ。
一通りの片付けが済み、漸くベッドへ入れた時間は、深夜一時半を回ってしまっていた。
二
十九・二十日の木・金曜休みの一日を、利知未は再び、倉真の母親との式場下見に使った。
あの日に相手をしてくれた、係りの女性が迎えてくれた。
「お待ち致しておりました」
笑顔でそう言って、今日は貸衣装を見せて貰える事になった。
「点数は、同業の式場よりも少なめでは有りますが。 デザインと仕立ては、誇れる物を集めております。 お嬢様はお背が高いので、お直しも必要ですね。 三週間あれば、完成いたします」
そう言って和装、洋装を有るだけ、全て見せてくれた。 カタログも、無料で貸し出して貰えた。
利知未はその中で、好きなデザインを見つける事が出来た。
もう少し突っ込んだ相談をして、相変わらず丁寧な対応を受けて、気分良く館川家へ戻る事ができた。
「歴史は、古い所なのね……。 大元は、明治時代の料理屋だったみたいよ」
貰ってきたカタログを見て、ゆっくりとお茶を戴きながら、母親と話をしている。
「余り派手にしていない分、係員の方や一つ一つの質は、上等なんですね。 予約も中々、多いようです」
来年、春先からの予約状況も確認して来た。
「利知未さん、生理の周期は、大丈夫?」
予定の日付を見て、母親が問い掛ける。
「はい。 月末なら、大丈夫です」
「そう。 じゃ、後はお仕事が忙しくない時期なら、問題は無いんだけど」
「その辺りは、大丈夫だとは思いますが……」
それでも来年度へ切り替わる前には、届け出て置かなければなら無いだろう。
式当日と、その前後五日から一週間は、見なければならない。 仕事を辞める予定は無いのだから、仕方のない事だ。
「それなら、後は倉真も交えて、本格的に相談をしましょう?」
「はい、伝えておきます」
「今夜、お夕飯は如何しますか?」
「済みません。 倉真さんの夕食の準備も、有りますので」
そう言った利知未を見て、倉真の母親は笑顔を見せてくれた。
「本当に、ご迷惑掛けているわね。 利知未さんを選んだ倉真を、見直しましたよ。 ……本当に、有り難う」
改めて礼を言われて、利知未は恐縮してしまった。
帰宅して、式場をあの場所に決める事を、倉真へ報告した。
「さっき、お母さんから電話が有って、二十八日に予約金を支払いに行く事になったから。 その時、改めて倉真も一緒に来て貰いたいんだけど」
「予約金、いくら掛かるんだ?」
「取り敢えず、三十万。 あの式場、結構、競争率が有るみたいだから。 手付金みたいな物らしいけど。 梅雨時期だから、何とか間に合った感じだった」
「そう言う事か。 確かに、梅雨時期は避けたかったけどな」
「ジューンブライド、何て言う人達も居るけど……。 それは多分、梅雨時期の利用者獲得の為に、何処かの結婚式場から流した、日本では余り意味の無い売り文句だよね」
「ま、仕方ないだろ。 それでも何でも、少しでも早くに式を挙げさせたいのが、お袋の気持ちだろうからな」
倉真は余り結婚式・披露宴に関しては、乗り気でないのが本音だ。
本来なら、利知未と二人で何処かの教会でも借りて、形だけの式を挙げて済ませてしまいたい位だった。
今、話が進んでいる結婚式は、親孝行の一つに他ならないと感じている。
「ま、そう言うことなら、二十八日、もう一度ジュンから車を借りて来るとするか」
「そうしてくれる? ジュンにも何か、お礼、考えないとね」
車を頻繁に借りている事に関して、そう思った。
予約金は利知未から出した。 元々、自分の個人的な貯金から出せる範囲が三十万だ。 この分は、当日の支払いから差し引かれる計算だ。
二十八日、改めて倉真を交えて、三人で例の式場へ向かった。
プランを考えて、貸し衣装代や会場費等の見積もりを出して貰って、予定の金額を二十万は超えてしまった。
そこから相談を重ねて、もう少し値引いて貰い、それでもオーバーになる分は、母親が引き受けてくれた。
「倉真に掛かる筈だった貯金が、かなりあるのよ。 心配しないで」
帰り道に言われて、恐縮しながら、有り難く申し出を受ける事にした。
誰にも明かしていない、利知未のオペ手当て貯金は百万を超えている。 内心では申し訳ないとは思っている。 それでも、これから先の事を考えた時、その事は胸の内に秘めておく事にした。
取り敢えず現時点では、赤字は無しだ。 当日、披露宴に出席してくれる人達からのご祝儀は、恐らく九十万にはなる予定だが、結婚式・披露宴の先にも、金の掛かる事はごまんと有る。 それでも祝儀の中から、倉真の母親が引き受けてくれた分は返済する事も出来る筈だと、計算していた。
結婚式の話が進む中、利知未の仕事は、また少しずつ増えて来ていた。
以前は月に二、三度しかなかったオペの出頭数も、最近は倍以上になっている。 その分、収入には確りと反映されるが、反面、PHSでの連絡も数が増えて来た。
時には、他の医師が捕まらなくて、利知未へ連絡が回って来る。 実際に行かなければならない事もある。 電話だけで終わる用事は、有り難いくらいだった。
自宅が病院から近い分、救急関係では頻繁に連絡が入る。 帰宅途中、駅を抜けた途端に電話が鳴って、病院へ逆戻りなどと言う事も増えて来た。
そんな時は、歩きながら倉真へ連絡をして、夕飯の惣菜を頼む事もある。 その分、休日には今まで以上に料理を頑張る。
利知未一人で館川家へ訪問すると、夕飯を誘われる事も多かったが、呼ばれてくる事は中々、し難かった。
今年の年末年始は、三十一日から六日間の休日となった。 来年も倉真の実家と優家には、年始の挨拶と、墓参りの用事が入っている。
思い立って今回は、里沙の所、下宿、マスター夫妻の自宅、手塚家にも顔を出しに行こうかと、話をした。
「来年、結婚式に来て貰いたい訳だし、一応、挨拶には行っておきたいなって、思ったんだけど」
「急に年始に回ったりしたら、驚かれるんじゃないか?」
「だから、遊びに行く、くらいのつもりで」
二十九日の夜、利知未から提案されて、倉真は面倒臭いながらも、付き合ってやる事にした。
大晦日には、去年は作れなかったからと言い、利知未が正月用の煮しめを作ってくれた。 これは初めて食べた時から、倉真の好物になっている。
倉真が始めて利知未の煮しめを食べたのは、二人が今の関係に成る前の、正月の事だ。
あの時、まだ下宿に居た利知未は、初日の出を拝みに行って来てから、下宿まで送ってくれた倉真をリビングへ上げて、雑煮と煮しめを出してくれた。
朝美と倉真が始めて会ったのも、あの正月の事だった。
式場も決まり、漸く少しだけ気分が落ち着いた。
利知未がキッチンへ立つ姿を見て、倉真はあの時の初日の出を、その朝日に祈った事を、改めて思い出してしまった。