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双玉の春  作者: 垂水沢 澪
15/25

変わらない 前編

 ――水路を右手に緩やかな蛇行を繰り返す道は思った以上に入り組んでいるようだった。

 脇道が多く、たまに水路側の壁が途切れてそこから先に道が続くこともある。

 等間隔に規格化された造りは明かりがなければ一寸先も見えない洞窟内であることと相俟って進めば進むだけ同じ場所をぐるぐると回っているような錯覚を覚えさせた。

 長く留まれば方向感覚を始め時間の感覚までもが狂いそうだ。

 しかし、やはり都輝姫は此処に来ていて、なおかつこちらの道が当たりらしかった。

 洞窟内の気温は低いが水路の水が凍ることなく流れているのを見るに氷が張る程の気温ではない。だというのに全ての脇道が氷の壁によって塞がれており、実質的に一本道と化している。

 よくよく観察すればその氷は表面が濡れていて溶け出していることからも自然に出来たものとは思えなかった。

 迷子にならない為の工夫か。

 途中で引き返して薊の方の道を進んでいる可能性もあるにはあるが……。

 それならそれで姫様のことを見付けるのが姉になるだけの話である。

 見付けられさえすればどちらだって構わない。

 ひとまずは任せられた通りに道を探る。

 それだけだ。

 行き止まりにぶつかるまでは水路沿いに辿ろうと、延々と変わらない通路を突き進む。

 しばらくすると不意に分かれ道が現われた。

 今まで通り等間隔に配置された脇道の一つのようであるが今までとは違って氷の壁に先を塞がれてはいない。

 ……此処から引き返したか?

 それとも氷で道を塞ぐのをやめたか。

 ここまで来て?

 考えながら印を残す為にしゃがみ込む。

 都輝姫の影を探し前ばかりを見ていた火茨はそこで初めて足元に意識を向けた。

 水路の縁が濡れていることに気が付き思わず手を止める。

 溢れんばかりの水量ならまだしも手の平一つ分の余裕はある。

 流れも穏やかなものだ。

 枠を超えて縁を濡らすような状態ではない。

 それに薊と別れる直前に同じようにしゃがんだ時、溢れた形跡があったならこうして今更疑問に思うこともなかったろう。

 水路の縁も含めて、あの時確かに回りは乾いていた。

 幅や深さに目に見えて分かる程の変化はない。

 水源がどこにあるにしろ、ここ数日の天候は落ち着いたもので、水嵩が一時的に増して荒れる程の雨が降った記憶もない。

 水の流れを塞き止めるような道具か何かがあって、それを姫様が取り除いた……?

 何の為に。

 まさか水路の中を歩いている、なんてことはないだろう。

 氷の力を有する一族は総じて寒さに耐性を持っていて、火茨たちよりもずっと冬場を得意としている。

 しかし、だからと言って寒さを感じない訳ではなく日を追うごとに気温の下がる今の季節、体を濡らしては耐えられるものも耐えられなくなる。

 わざわざ水路の中を歩く理由もない。

 突拍子もない馬鹿な思い付きを頭から追いやって、しゃがんだ目的である印を残して先を急いだ。


 それから、そう経たない内に今度は整えられていた道が途切れた。

 足場も壁もゴツゴツとした岩肌に戻り変わらないのは水路の造りくらいだが等間隔にあった脇道もなくなって本当の一本道に入ったようである。

 進むにつれて潮の香りが濃くなり海辺に近付いていることが分かる。

 流れている水は海水だったのか……。

 このまま外に出られるとして、天還の間付近の落盤さえなければこの通路は村の漁業の随分な助けとなっただろう。

 途中までだが道が整えられていたのはその為だったのかもしれない。

 かすかな波音が聞こえ始めて、いよいよ外の気配が強まる。

 蛇行の続く道の先に星の明かりはまだ見えないが時間の問題だろう。

 それよりも規則的な満ち引きを繰り返している波とは別の、不規則な、ザブザブと水を掻き分けるような音が中に混ざっていることが気に掛かった。

 洞窟内で反響した音がそう聞こえるだけかとも思ったが、バシャバシャと勢いを付けて蹴るような音に変わり波音を掻き消されては意見を改めざるを得ない。

 もしも魚が立てた音ならそいつはかなりの大物だ。

 動かし続けていた足が眼前に答えを提示する。

 曲がり角を曲がってすぐ視界に飛び込んできたのは白。

 洞窟の岩がぽっかりと口を開け、星空の下で波打つ暗い海を切り取っている。

 暗いばかりの道の先で月明りに照らされた白糸の御髪。白の衣。浮世離れという言葉が似つかわしい都輝姫の姿だった。

 ――状況が状況でなければ、きっと息を呑んで見惚れたことだろう。

「都輝姫様!」

 考えるよりも先に呼び掛けていた。

 駆け寄りながら、こちらを振り返って目を見開いた姫様が水の中に立っていることにぎょっとする。

 まさかと思いつつも切り捨てた予想が当たっていたのだ。

 火茨の掲げる火の光が眩しかったのか手をかざしてそれを遮り、目を細めた彼女は驚きの色がそのまま乗せられた声音で言った。

「火茨……? どうして此処に」

 どうしてもクソもあるものか。

「何をなさっておいでなのです!」

 つい、彼女の言葉を食い気味に声を荒げてしまった。

 怒鳴られた都輝姫はびくっと肩を跳ねさせ反射的に足を引く。

 整えられた水路から岩場の先の海へ。

 傾いだ体に波が追い打ちを掛ける。

 踏み止まろうと伸ばされた手を火茨は掴んで引き寄せた。

 倒れ込んできた彼女を受け止める。

 そのまま膝裏に腕を入れて抱き上げた。

 随分と濡れた着物は重たく、冷たく、火茨の服にも水気を移す。

「あ、あの」

 控え目に掛けられた声が戸惑いを滲ませた。

 横抱きにした彼女の位置からなら布面を捲る必要もなく火茨の表情が伺えるだろう。

 チラリと見下ろせば眉を八の字に下げた彼女と視線が絡んだ。

 すぐに逸らしたが。

 岩場の端から洞窟内へ数歩戻り先程のように不意に海へと体を投げ出してしまう恐れのない場所に彼女を降ろす。

「あなたが薊や萍なら迷わずその頬を叩いて叱り付けているところです。ご無礼は承知の上ですがしばしの間我慢してください」

 掴んだ片手は海水に冷やされてそれこそ氷のように冷たかった。

 時間が惜しい。

 返事も待たずに背中に腕を回す。

 都輝姫の着物の帯の結びを解いて外した火茨は袴にも手を掛けた。

 水を吸った布は押さえ留める間も無くするりと地面に落ちる。

 声にならない悲鳴を呑んだ姫様が体を強張らせている間に直垂も脱がせて単衣のみの姿となるまで布を減らす。

 流石に危機感や羞恥心というものを覚えたようで、肩に置かれた手に押された。

 距離を取ろうと身を引く彼女のそれを背中に回したままの腕で阻む。

 仰け反って、お互いの顔が伺えるようになり、状況を理解できずに混乱している様が見て取れた。

 頰に手を伸ばす。

 全ては彼女の体が少しでも早く温まるように体温を移し、力を使って服を乾かすべく取った行動であるが察してくれと言う方が無茶だろう。

 反射的に固く閉ざされた瞼がしばらくの間を置いて、何も起こらないことに気付いたようだ。

 不安を残しながらもそろそろと開かれて火茨を写す。

「……えっと、」

「乾くまで離れないでください」

 そう伝えてようやく意図を理解してもらえた。

 向けられる視線から戸惑いが消える。

「よろしいのですか?」

「仕方がないでしょう」

 放って置けば確実に体調を崩すだろう。

 暖を取るのにこれ以上手早く済ませられる方法も他にない。

 多少投げやりな口調になりつつも肯定を返すと恐る恐る持ち上げられた彼女の手が背中に回り距離を埋め直して隙間を無くす。

 手元から擦り抜けた頰は胸元に寄せられた。

 空いた指を髪に通し――先程体勢を崩した時に海に浸かったのだろう――腰には届かないまでも春先より確実に伸びた毛先を乾かしながら梳く。

「それで? このような場所で明かりの一つも持たず何を考えておいでだったんですか。風邪を引きたかったと仰られるのであれば遠慮なく水の中にお戻ししますよ」

 勿論、そんな理由で水路の中を歩いていた訳ではないことくらいは分かっている。

「ち、違います!」

 焦って顔を上げた姫様との距離が再び僅かに開く。

 離れないでください、と注意すればおずおずと頰の位置は戻され火茨は彼女に気付かれぬようそっとため息を吐き出した。

 ……普段からこれだけ従順であってくれたなら、気苦労も減るというのに。

 上半身が大分乾いて温まってきたところで足を掬い、抱き上げながらその場に座り込む。

 膝の上に乗せた彼女が背に回しづらくなった腕のやり場を考えている間に草履を脱がせて脇に置く。

 まだ濡れて冷えたままの爪先に足袋の上から手をあてて、指先で撫でると擽ったかったのだろう、少し身動みじろいだ。

「明かりは持っていたのですが途中で消えて、その上落としてしまって……何も見えない中で確かなものとして辿れるのが水路の他になかったのです」

 彼女の言い分を聞きながら手の伸ばす先を決めあぐねているらしく離れたままの体を火茨の方から近付ける。

 そっと閉じた瞼の奥に甘い香の匂いが染み付いた白い首筋を追いやって、その肩口に熱気を孕んだ息を吐きつけた。

「戻る方向とは逆にお進みになられたようですが」

「潮の香りがしていましたので明かりもなく天還の間を目指すよりは確かかと」

 間違った訳でも考えなしに進んだ訳でもなかったようだ。

 そもそもこのような場所に一人で訪れている時点で間違っているし考えなしであるという点は別にするとして。

 片足が乾いたのでもう一方も、と閉じいた目を開き視線で確認を取る。

 逆の足に触れる――と、姫様は大袈裟なくらいにビクッと肩を跳ねさせた。

 一旦手を離す。

 念のために言っておくが触れる足を変えただけだ。

 顔を覗き込めば眉間に皺が寄せられており、様子を伺いながら再度手を足にやる。

 皺が深まった。

 腫れているらしい。

 熱も持っているようで、濡れた足袋の温度が先に乾かした方の時よりぬるいように思える。

「……挫かれていらしたのですか」

 浮かべた火の玉に照らされる彼女をようように観察すれば手や顔、ところどころに擦り傷が伺えた。

 転んだのか。

 いや、整備された水路の中とはいえ一寸先も見えない暗闇の中をここまで歩いてきたのなら一度や二度、転んでいても可笑しくはない。

「明かりを落としてしまった時に少し」

「そうでしたか……気付くのが遅くなり申し訳ありません」

「いえ、然程さほど痛みはありませんから。気になさらないでください」

 それより、と都輝姫は話題を変えた。

「火茨はどうして此処に?」

 二度目の問い掛けである。

 忘れていた訳ではないが此処へ来た目的と彼女にこれから告げなければならない言葉を思い出して口を開くのが億劫になる。

 ……洞窟の外へと辿り着き星々と月明かりを見上げた瞬間にこの幼い姫君は何を思っただろうか。

 胸に抱いたのは感動だったかもしれない。

 希望だったかもしれない。

 安堵を覚えたのは確かだろう。

 美しい海色の瞳が見据える未来に絶望の色を落とそうとしている自分が、憎まれ役にしかなれない立場が少しだけ恨めしかった。

「姫様を探しに来たんです。それ以外に理由があるとでも?」

 棘を含ませて気持ちを誤魔化す。

「いえ。場所が場所ですから……よく分かりましたね」

「薊に聞きましたので」

「……そう、でしたか」

 薊の名を出せばおおよその察しがついたらしい。

 都輝姫は声を固くした。

 ……さて、此処からどう言ったものか。

 切り出し方に悩んでいれば沈黙が落ちて、口を開くより先に促された。

「何も言わないのですか?」

「……言いますよ。言いたいことは山程ありますから」

 単衣は粗方乾き、体も随分と温まってきている。

 なので膝の上には乗ったまま体を離す彼女を好きにさせつつ剥ぎ取った帯やら袴なども乾かそうとそちらに手を伸ばした。

 けして彼女の方を真っ直ぐに見れなかったから目を逸らす為に別のものへ意識を向けたとかそういう訳ではない。

「けれどどうしてもこれだけは言っておきたいという言葉は一つだけです」

「何でしょうか」

「薊は天還の儀を受けます。あなた様がどんなに乞い願っても尽力して下さっても、全て水泡に帰して終わりです」

 反応はすぐには返って来なかった。

 逸らした視線は戻さなかったので彼女がどんな顔をしていたかも分からない。

 ただ、ようように言葉を紡ぎ出した彼女の声は責めるような響きを持って震えていた。

「火茨、あなたは」

「薊から聞いたと言ったでしょう。私たちは天還の儀を受けることで救われるんです……なのにどうしてわざわざ掟を破ってまで他の道を選ぶ必要がありましょう」

「薊に生きていて欲しくはないのですか」

 答えの決まり切っている問い掛けに火茨は奥歯を噛み締めた。

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