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双玉の春  作者: 垂水沢 澪
10/25

傍迷惑な休息 中編

 様子の可笑しかった都輝姫に付き合うと決めたことを火茨は近年稀に見る勢いで後悔していた。

 何処と無く塞ぎ込んでいるようにも見えたからこそ、だったというのに。自分の勘違いか気のせいか。芝居、ではなかったように思うが、そうと知らずに騙されたか。

 秋の涼しさが頬を撫でるにはまだ数日を要し、残暑をやり過ごすのに団扇から手が離せないような時期に寒気を覚えて眩暈にも襲われているのだから判断を誤ったことに関しては振り返るまでもなく明らかである。

「実は萍に話を伺ってからというもの、こうして誰かの膝に乗せていただくのがひそかな夢だったんです」

 一つ叶いました、と嬉しそうにする都輝姫は言葉の通りに胡座をかいた火茨の膝の上に乗ってその夢を叶えていた。

 もう一度言う。

 火茨の膝の上に乗って、その夢を叶えていた。

 承諾したのは共にお茶を飲むことであって彼女の夢を叶えることでは断じてなかった筈である。

 人目に付かぬようにと襖は閉め切ったもののいつ誰が訪ねてくるかも分からない。

 薊や萍ならまだ口止めが利くので構わないが他であれば汗の滲む日の暑さの増す時間帯にわざわざ風の通りを遮って過ごす二人きりの男女の素行を怪しまない者はいないだろう。

 因みに都輝姫が萍から聞いた話というのはおそらく冬の季節に暖を取ろうとしばらく捕まえて離さないでいることだ。

 小さな萍は抱え込むのに程良い大きさで、火茨だけではなく薊もよく末の弟を捕まえては自身の膝に座らせている。

 持って生まれた力の影響か、忌子の体温は常人より高いので下手に火鉢を用意して一人で縮こまっているよりも身を寄せて合っている方が暖かいのである。

 あまり大っぴらには言えないが炎の力を薄く纏うことで体温以上に温め合える点も含めて。 

 反対に氷の力を宿した青目の一族は皆体温が低く、都輝姫の指先が肌に触れるたびに冷たく感じるのも二人の体温に差がある為だ。

 一族的に見れば彼女は特別冷え性という訳ではない。

 蒸し暑い筈の室内で火茨が涼めているのも、感じている冷や汗だけが理由ではなく膝の上の姫様が氷の力を纏って冷気を生み出しているからだった。

 人が訪ねて来た場合、姫様のように勝手に中に上がったり縁側に回り込んだりする者は極稀だ。まず玄関先から声が掛かるだろう。こちらが動くより先に相手が戸を開いても「姫様の御厚意で涼ませていただいていた」と言えばそう不自然でもない、か……実際に部屋の温度を下げようと思った時、閉め切っていた方が効率がいいと聞く。

 火茨たちの力は使用を禁止されているが青目の一族は食料の備蓄や今の季節で言えば夕涼みを主な目的として生み出した氷を提供するなど様々な面で村の繁栄を願いその力を役立たせている。

 私生活の面でも日常的に取り入れられている力なので離殿という場所柄と火茨が忌子の、それも男であることを除けば気を揉む必要もなかったのは確かである。

 万が一の時の言い訳をそうして考えている間も何一つ気に留める素振りなく鼻歌でも歌い始めそうな調子で風呂敷を広げた姫様は包んでいた菓子入りの箱を取り出した。

 開かれた蓋の下で綺麗に並べられた一口大の丸い饅頭は白い皮の向こうに餡の色が透けて見えている。

 奥方様に習いながら作ったというそれは薄皮饅頭だったらしい。

 差し出す為に振り返ろうとしたのだろう、不意に姿勢を変えた彼女が体を仰け反らせたので咄嗟に転んでしまわないよう背中に手を添えた。

 にこりと笑って饅頭を勧めてくる。

 その前に膝から降りてくれ、と思いはしても言うだけ無駄なのであろう。

 これまでの経験から想像に容易いやり取りにどうせ押し切られるならと内心でため息を吐き出すに留め「では有難く頂戴いたします」と返して手を伸ばした。

 端の一つを摘んで一瞬、一口で行くか二口に分けるかを悩む。

 ……正式な茶席でもないのだし良いか。

 分けることなく口の中に放り込み無遠慮に歯を立てる。

 都輝姫の言葉を疑ってはいなかったが真剣に受け止めてもいなかったが故のことで、もし事前にその味を知っていたとしたら悩む必要はなく、二口に分けて丁寧に咀嚼していたに違いない。

 ふわりと広がった優しい味わいに二度、三度と口を動かして舌の上に転がる饅頭を確かめる。

 気付いた時には直前まで感じていた寒気を綺麗さっぱり忘れて軽く目を見張り、思ったままの言葉を考えるより先に声に出していた。

「うっわ、美味い」

 驚嘆混じりの何の捻りもない感想である。

 きょとんとして目を瞬かせた姫様にハッと我に返って焦る。

 薄くも柔らかな生地はふわりとした触感で、中に詰められた絶妙な甘さの餡を包み込み一口大であることがその味の上品さを際立たせていた。

 自負も当然の、絶品と言って相応しい出来の薄皮饅頭だったが、だからと率直な感想を言葉も選ばず述べていい理由にはならない。

 そのくらい美味しい饅頭だった、ということではあるのだが。

「申し訳ありません。つい口の利き方も忘れて……礼を欠きました」

 まだ飲み込めていないものが飛ばないよう口元を押さえつつ慌てて詫びる。

「……お口に合いましたか?」

「え? ああ……そうですね。これ程美味しい饅頭を口にしたのは初めてです」

 そもそも甘味自体が年に一度口に出来れば良い方で、比べた対象の味もうろ覚えのような状態である。

 口にしたそれが他の者からすれば平々凡々で火茨の言葉を大袈裟に感じる程度の出来だったとしても多分、同じ言葉を返しただろう。

 立場が違うとこうも口にする物の質から味から何もかもが変わるものなのか……。

 妬むつもりはないにしても羨まずにいられない。

 何の気なしに口に放り込んでしまったことを悔やみつつまだ口内にある残りの餡をゆっくりと味わう。

 崩れた餡が溶けて消え去り惜しく思いながらも余韻に浸っていれば不意にこちらを見上げる姫様の表情が緩んでいることに気が付いた。

 反射的に身構えてしまったけれど浮かべられた笑みに裏はなく、ただ心から喜んでいるだけのようだった。

 良かったです、と本当に嬉しそうに言われて気恥ずかしくなり思わず都輝姫から目を逸らす。

 そのまま沈黙が落ちると危うい方向に気持ちが傾いてしまいそうで無理矢理言葉を探して口を開いた。

 やっぱり先に膝から降りてもらっておくべきだったかもしれない。

「その、もう頂いてしまった後ですが……本当によろしかったのですか?」

 今更だが姫様の手製ともなれば神子に献上されてしかきものである。

 本来ならば易々とは口に出来ない。

 姫様は笑顔のまま勿論です、と頷いた。

「それにそのように言っていただけるなら作った甲斐もあるというもの。まだ残っていますから、どうぞ思うように召し上がって下さいな」

「いえ、そう何個もは……十分堪能させていただきましたので」

 一つ数を減らした饅頭は箱の中でまだ八個近く鎮座している。

 薊たちと都輝姫の分を二つずつとしてもまだ二つは余った。

 二つならまあ、姉と弟で分ければいいだろう。

「そう言えば先程、甘味は好かないと仰られていましたね……配慮が足らず申し訳ありません」

 そう言うと途端に表情を翳らせて気落ちした様子を見せた姫様に思い浮かべていた二人の姿が搔き消える。

 火茨が甘味を好かないと言ったのは方便で、どちらかと言えば好んでいる。

 味を覚えて癖になっては困るから避けたかったという意味では嘘でもなかったし、薊と萍の喜ぶ顔が見られるのなら自分で食べてしまうよりずっと良かった……のだが、持参してくれた相手にそのような顔をさせて無視したままでいては恩を仇で返すようなものである。

 言い訳を並べようと開いた口を、しかし言葉が喉を通らないので一旦閉じた。

 謝罪も前言の撤回も違う気がする。

 だったら自分は何を言うべきか。

 選び直した言葉は今度はすんなり喉を通った。

「……もし、いただけるのであればあと一つだけ頂いても構いませんか?」

 薊の分を減らして、余る一つは萍に分けてやることにすればいい。

 視線を戻せば俯き気味になっていた姫様が顔を上げて再び顔を綻ばせた。

「勿論です!」

 こういう所は素直で可愛らしい方だと思う。

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