星降る夜に
星降る夜に
夕方には鬼が出る。この世とあの世の狭間の時間だから。透はそう言われて育った。そういった祖母は目を化け物にやられ、光を喪って久しかった。
「夕方にやられたの? 」
無邪気な透の質問に、祖母は首を振る。
「夕方は何も悪くない」
1
村に活気が出てきたする、と透は思う。手先の器用なものは櫓を組むのを手伝い、女房連中は十二単のような衣装づくりにせいをだす。年よりの手習いで覚えた楽器隊は思っていたよりも、大人数になり、かなえの指揮のもとに音を合わせていた。
「こんなに活気が出たのなんて、いつぶりやろ」
すっかり家に来て、昼飯を食べるのが習慣になった河童が言う。
「そうね。私の記憶では、なかったわねえ」
「なんやおばはん。あんた百年以上も生きてるやんか」
「うるさいわね」
雪女が、河童の向かいに座って味噌汁をすすりながら河童をにらみつける。「この味噌汁ちょっと暑すぎるんじゃない。透くんも嫌いでしょ」、と毒を吐いた。
「俺は別に」
透はつけたばかりのキュウリに箸を伸ばし、膝の上に鼻を載せている狐に一切れやった。狐は「くんくん」と嬉しそうな声をあげる。
「僕もミイラになて一山あてよかな。
そういった友達の話も聞いたことあるし」
「あら、別に生きててもいいじゃない。私が氷漬けにしてあげるから」
「ひえっ、かなわんなぁ。冗談も通じないんかい」
「西のほうじゃ、漢方にされるみたいですよ。
俺も昔扱ったことがあります」
「透くんはさらっとエゲツないこと言い寄るなぁ」
「くうん」
バタン。
とちゃぶ台に両手をたたきつけたのはかなえだった。
「あなたたち! いったいなんでここに集まるんですか」
ぜーはーと息を切らしながら。
「かなえちゃんの作るごはんがうまいからや」
と、悪びれずに河童。
「いい男がいるから」
雪女がそれに続いた。
「くうん」
狐も何か言いたげに、透のわきから顔をのぞかせた。
「それとも何、透くんを独り占めしたいの? 」
雪女が笑いながら問いかけると、
「そういうわけじゃないけど」
「ならいいじゃない。
お金がないならほら、そこの河童がいくらか持ってるし」
「せやで。誰か知らんけど僕んちに金置いてくやつ居んねん。
賽銭代わりやろなぁ。コツコツためといたから、なんぼかあるで」
「そういうことじゃなくて」
かなえが、透の方をむいた。
「俺? いや、俺は楽しいからいいけど……」
「それじゃあ何も問題ないわけね」
「飯も食えて楽しいし、一石二鳥やな」
「くうん」
3人が出て行ったあとの食器を、透とかなえは片付けていた。
「まったく。あの人たちったら後片付けもしていかないし」
「まあまあ、悪気はないんだから」
「だからって! 」
勢いよく振り向いたついでに、かなえの持っていた皿が手から滑り落ちる。
「おっと」
透は右手でそれをキャッチした。笑いながら皿を振って見せる。「我ながらナイスキャッチ」。かなえがそれを見て、
「なんか、最近丸くなったね」
「太った? 」
「そういうことじゃなくて。
やさしくなった気がする」
「腹が減ってないから」
冗談めかして、透は言う。
「右手の調子もいいんだ」
「見せて」
包帯をほどき、ごつごつと火傷のあとが残る手首を晒して見せる。
「しばらく、痛まないし」
「なあんだ。私のおかげかな」
「案外、そうかもな」
言って透は、笑った。
2
その日透は夢を見た。幼い頃の自分が、黒いモヤに立ち向かう両親を見ていた。両親の会話は聞こえない。ただ、子供をかばっているのは、見て取れた。
透の両親は、透にあまり構わなかった。それが危険なものに近づけたくない、という親心なのだと気づいたのは最近だ。不安から遠ざけ、未知から守る。当時の透は、傷ついてもいいから親と一緒に居たいと思っていた。自分だけが嫌われていると思っていた。
この村に住んで、いろんな存在と触れて。
思いは、理屈に添わないものだと、透は学んだ。
愛があるなら、いっしょに居なければならない。
優しければ、嫌われるはずがない。
正しければ、報われなければならない。
見た目が異形であれば、同類にはなれない。
手を変え品をかえ繰り返される問いに、ぼんやりとした答えに輪郭を与えていった。
それでもいいんだ、と透は思った。大切なのは自分自身だ。
一緒にいれなくても、
嫌われても、
報われなくても、
同類でなくても、
愛はあるのだし、優しくいられるのだし、正しいことを行えるのだし、異形である自分を認められるのだ。だから、結局は自分自身なのだ。愛があったかどうかなんて確かめようがないし、推し量れることでもない。「それでもいいんだ」という自分しかいない。
だから、透は夢の中で。
幼い頃の自分を応援した。
両手をにぎりしめる怒りも。
目からあふれる悔しさも。
すべてを許容して。
それでいいのだ、と思った。
いつか右手にも意味が生まれるのだろうか。神を触れると言われた特別な右手。一族の罪を背負った呪われた手。いつか呪いは全身に回り、透は異形と化してしまう。
それでも。
「それでよかった」
と透は思えるのだろうか。
いつしか夢は覚めていた。遠くから、風の吹く音、風鈴の音、ふくろうの鳴き声が聞こえた。暗がりで目をつぶりながら透は思う。かなえの演奏が聞きたい。さざ波だった心を鎮めるには、夜空のオーケストラでは少し寂しすぎる。
3
きっかけは些細なことだった。巫女を務める雪女が、「そんなダサい衣装をきたくない」と言った。衣装を作っていた女は、はじめのうちは笑って謝っていた。「ごめんねえ、センスがなくて」。そんな風に。
けれど祭りの開催が近づくにつれて、関係はより深刻になった。雪女が頑として衣装を受け入れないのだ。作る側も、これには頭を抱えてしまった。一番手先が器用な女は気がまいってしまった。気が強いある女などは、雪女に食って掛かる。透はそれをたまたま見つけて、仲裁をした。その時、誰かがぼそっと言ったのを透は聞いた。
「化け物のくせに」
じわり、とその言葉が染み入るのを、透は感じた。
その言葉が聞こえたのか、そうじゃないのかはわからないが、それ以来雪女は村へと降りてこない。
「なんや、なんか難航しとるみたいやな」
いつも通り透の家に来て、昼飯を食べていた河童が口を開く。その目には眼帯をしていた。
「これか? 櫓組むときに手伝うたら、上から工具落ちてきよるねん。
僕も言ったんやけどな。『頭の皿割れたら死ぬやないかい』言うて。
人間も同じやいうて笑い話になったんやけど。
……わざとじゃない、思うんやけどな」
透の右手がうずいた。久しぶりの感覚に、透は思わず左手で抑えた。
「みんな疲れてるんだ。
大丈夫。本番はきっとうまくいくさ」
「そうやといいんだけど」
河童は家の中を見回した。
「そういえば、かなえちゃんはどこいったん」
「むこうも難儀してるみたい。晩飯は適当に食ってくれってさ」
「なんや、難しいもんやなあ」
「なるようになるって」
「透くんは偉いなあ。みんなピリピリしとるのに」
透は笑いながら首を振る。
「俺ぐらい、強がったこうと思って」
「そんなの僕かて同じや」
「サンキュー」
「おう」
河童が帰ったあと、2人分の食器を洗う。
ごとり、と手を滑らせて茶碗を落としてしまう。
パリンと乾いた音を立てて、茶碗は4つに割れた。
4
その日は朝から何か変だなと感じた。空気はざわついているし、右手もうずく。 透が村の役場を通りがかると、そこに人だかりができていた。
中心に居るのは金田と、その向かいに居るのは工藤あかね。あかねの後ろにはスーツの男が2人立っている。どちらもメガネをかけていて、髪を几帳面に撫でつけていた。
透は金田に話しかける。
「どうしたもこうしたもねえよ。
村で祭りをやるのにも、許可が必要だって言い出してよ」
「もう三日後ですよ? 」
「それだって言ってやったのに。いまさら中止なんかできるかよ。
知ってて嫌がらせに来たんだろって言ってやったんだけどさ」
「条例にしっかり書いてあります」
工藤あかねは、胸元から印刷された紙を開いてみせる。
「小規模の集会を開く場合、なお公共の場所を利用する場合には甲への許可を必要とする。
甲とは総本山である工藤家。この辺の神事はすべて工藤家が請け負うことになっていますので」
「因縁だ」
「いえ、決まりです」
透の右手がうずいた。
「いまさらそんなことを言ってどうなる。
みんなの苦労を無駄にしろっていうのか」
「そんなことは知りません。
ただ、ルールにはしたがっていただかないと」
「直前になって切り出すなんて、卑怯だ」
「なんとでも。事前に調べなかったあなたがたが悪いんですよ」
村の住民が、心配そうに透を見つめていた。
どくん、と。
右手がうずく。
「この村には土着の信仰がある。神などいらない」
「どうぞご自由に。
けれど私は認めない」
あかねが右手をふると、透の包帯がほどけ、中から緑色に変色した肌がむき出しになる。
村人から悲鳴が上がる。
小さい女の子が泣き出した。
「こんなやつに」
「俺は、俺は……。
おヴぇハ……」
自分の声が変わっていくのに気付き、必死で手でくちを抑える。手に、鋭くとがった牙が突き刺さる。
透は走り出した。
透は、その時初めて自分の右手の意味に気づいた。
神撫手とは、神を触れる特別な手なんかじゃ、ないってこと。
神「にも」さわれるだけだということ。
本当は、一族のカルマをその身に背負ってしまったように。
負の感情を引き込んでしまうということ。
村には昔、鬼が住んでたという。
きっとその鬼も臆病で。
人間が大好きだったのだと、透は思った。




