魔性の美貌と冷たい笑顔。
1
当時。星楽村ができたころの話だ。人々はほとんどが農耕を営んでいて、楽しみといえば酒と音楽だけ。日がな一日空を眺めて一喜一憂し、友人と語らい家族と笑い寝る日々を過ごしていた時代の話。彼らは中央から遠い地に住むため、「離人」と呼ばれていた。それもとうの村人たちはそんな名前など知らずに過ごしていた。周りは森深く、ことさら気の優しい人間が集まってつくられた村だった。
ある日鎧を着た兵士がこの村にやってきて、属領になることを告げた。長老は戦争になるよりはとやむなしに受け入れたが、その決定に納得できないものは、さらに森の奥へと住居をうつした。誰にも見つからないよう。村人が圧政に苦しむと、時折山から得体のしれないものが現れ、風を起こし岩を落として兵隊を攻撃した。中央の兵は得体の知れないものに対し、「鬼」という呼称をつけた。星楽村には鬼が住んでいる。危害をなすと、鬼が復讐をしにやってくる。それ以来、星楽村は中央の集権から逃れて生き延びることができた。
「この村ができたころには本物の鬼が居たと言います」
かなえは、透の右手に包帯を巻きながら説明をした。
「怪力で、気はやさしく、涙もろかったと。
力を合わせて荒地を開拓し、家を建て農地を耕して村を興したのだとか」
「だから、俺みたいなよそ者にも優しくしてくれるのか」
「それもあるけれど」
かなえの目は、どこか遠くを見つめていた。
「川に住む河童。山に住む雪女。心優しいけれど、異形の姿をしていたために虐げられた者たち。
音が見える私たち。金属の声が聞こえる人たち。五穀と会話ができる人たち。
ここはそういった、「普通とは違う」存在が寄り集まってできた村なんです。
みんな自分の傷を晒したりはしないけれど。けして癒えはしないから」
2
「あと一役足らねえんだぁ」
金田が言い出したのは、透の右手から包帯が外れたころだった。
「巫女役に宛てにしてた人になぁ、断られてさあ。
光ヶ丘のほうに著名な一族があるって聞いとったから、手紙出したんだけどなあ」
「向こうのほうに……てことは、工藤家ですか? 」
「おんりゃよく知ってんな。そうそう、工藤さんってところが昔ながらの神主やってるらしいんだ」
「俺、電話番号知ってますよ」
「なんでだー、」
「ちょっとした、ツテで」
ちょっとした同業者だから、とは言葉にせず、渡されたメモ用紙に、記憶の中の番号を書き綴る。
「ああ、あんがとなあ。電話してみるからちょっと待っててな」
工藤家とは、光ヶ丘に代々祀られる蛇神につかえる一族である。一般向けに表だって活動はしないが、光ヶ丘に存在する神社の基をたどればすべて工藤家にたどり着く。旧い家柄なのだ。
「まだ生きてたの」
ピシっとスーツを着込んだ、長身の美女。工藤あかねは、鋭い眼光で透をにらんだ。
「不本意ながら」
「そう。残念」
「神に仕える」工藤家と、「神を払う」神切家とは犬猿の仲だ。幼い頃一度顔を合わせたことがあるが、親交はない。神切家の仕事を外道と見下しているのだろう。
「あなたたちみたいなのが居るから、仕事がやりにくくって仕方ないわ」
「俺が悪いわけじゃない」
「どうかしら。その体にでも、よくないものでも飼ってるんじゃない」
心臓が脈打つ。右手がうずいた。
「……仕事は仕事だ。あんたからすりゃ、ちっぽけな村かもしれんがな」
「村の規模は関係ないわ」
あかねはぐるりと周囲を見渡し、
「大事なのは信仰心だから。その点、この村には透き通った空気が満ちている。
私の家に仕事は布教ではないのだから」
遠くから、金田が走ってくるのが見えた。
「いやあ、すんません。遠くからわざわざ。言ってもらえれば駅まで迎えに行ったのに」
「ええ、大丈夫です。少し昔馴染みと話をしてましたから」
「透くんと、知り合いでしたか」
「仕事の関係で」
透は言葉をにごした。
「引き受けましょう」
と、あかねは二つ返事で受け入れた。
「当日の予定はあけておきます。必要なものは準備しましょう」
「ありがとうございます。
でも、こんな村だから、金なくて。相場ってのも分からんから」
「お気持ちだけで結構です」
「いんや、そういうわけにもいきませんで。
この祭りも、今年だけじゃなくてできれば伝統にしていきたいんでさ」
「……それはいいことだと思いますけど」
あかねの視線が、透のほうを向く。
「彼を、祭祀に添えるのですか」
「何か問題ありますかい」
「問題というか」
あかねが無造作に透の右腕をつかんだ。袖をひじまでめくる。握られた右手首が、焼けつくように痛い。右手がうずく。右手が拍動している。だんだんと、赤ばんで……緑色に変色し、
「やめろ。やめてくれ」
俺は。
透の頭の中には、やさしくしてくれた村人の顔が浮かぶ。
嫌われるのではないか。異形の姿。異形の心がばれてしまったら。
また俺は失うのか。
短い日々だった。
「ほら、こいつは「魔」を体内に飼ってる。
私が巫女を務めることになんら問題はありません。けれど祭祀を変えていただきたい。
こんな化け物と一緒に居ること自体が不快です」
金田は、まっすぐあかねの方を見ていた。
「そりゃあ問題ですかね」
「問題って、そりゃ」
「確かに、透くんはふつうと違うかもしれん。
村人に害を加える可能性もある。
けどそりゃあ、透くんのせいじゃありますまい。
かわいそうだよ、そりゃあ」
「そうですけど」
「透くんはもうこの村の住人だ。祭祀を務めるということはそういうことだ。
世間から疎まれ、迫害され。寄り集まってできたこんな村です。
せっかくご足労いただいたが、この話はなかったことにしてもらえませんか」
「……わかりました」
黒いバッグを手に取り、あかねは金田をにらみつける。
「我が家はもうこの村にかかわりません。いいですか・。
鬼が出ても蛇が出ても」
「そりゃこっちの台詞だて。
この村には鬼も蛇も住んどるんで」
「すいません、俺のせいで」
「ええってええって。気にせんで。
それよりアテがなくなっちまったなぁ」
士郎が口を開いた。
「ほら金田、裏の河童の向かいに昔雪女が住んどったじゃないか」
「ああ、居たな、確かに」
「その子に頼んでみるのは、どうじゃい」
「うーん……」
「おんしの言いたいことも分かる。あいつは根っからの男好きじゃからのぉ」
金田と士郎の視線に、思わず透はたじろぐ。
「な、なんですか」
「透くんが言えばなんとかなると思うが」
「ええかい、気をしっかり持つんだて。
俺ら2人待っとるから」
「なぁーに、透くんには今かなえが居るから大丈夫だて」
「かなえはまだちっこいからなぁ」
「いつの話じゃ」
その日の晩、透は囲炉裏に手をかざしながら、渡された地図を眺めていた。
「透くん、また頼まれごと? 」
「巫女役を務める人が居ないんだ。
光ヶ丘のアテにも断られてしまった。
山の奥に雪女が居るというから、」
「ぜったい駄目」
かなえは持っていたさえばしごと、両手を振り下ろした。
「透くんは人がいいからダメです」
「人がいいと、危ないのか。気を付けるよ」
「そうじゃなくて。
えーっと、とにかく、これは私だけじゃなくて、村の人みんなが同じことを言うはずです」
「あぁ、確かに金田さんたちも変な顔をしてたなあ」
「でしょう? 河童に会いに行くなんかより、ずっと危険なんだから」
「俺にはかなえが居るから大丈夫とか言ってたなあ。ちと意味がわからんが」
「そう? そんなことって、あるかなぁ」
かなえはくるりと一回転してみせた。
「そこまで言うんだったらいいです。でも気を付けてください。
今回はお弁当はあげないので、お昼は帰ってきて、こっちで食べてください。
くれぐれも長居はしないように」
「分かった」
透は、器に盛られた汁をすする。
「ところで、透くんは豆腐好きですか?」
「いや、俺はこの間のキノコの方が」
「いっぱい食べてくださいね」
3
金田に渡された地図をもとに、雪女のところへと向かう。「迷ったら河童に聞け」と言われたのを思い出し、ついでに様子を見ようと透は井戸の前に立っていた。
両手をたたいて河童を呼ぼうとすると、
「何しとるん」
肩をたたかれた。
「ああ、あれやな。金田さんに言われたか。そりゃ旧いで。僕この辺に居るんやから、ただ声かけてくれたらええんや」
「すまない」
「かまわんて。
んで、今日はどしたん。また飯食わしてくれるんか」
「いや、雪女のところにいく途中なんだが」
透は、地図を見せながら説明をする。
「ああ、あいつのところにか。透くん一人で?
ごっつい冒険させるなあ」
「みんな言うんだけど、どういう意味だ」
「そりゃあんた、……そうか、分かってて言わんかったな。
そしたら僕の口からなんも言えんで」
「……? 」
「そう変な顔をしなさんな。
道教えたるわ。この川をもっと上流に上ってると二股に分かれる。
そこを左に進む。すると一本枯れた木があるから、そこから山ん中に入っていく。
あとはずっとまっすぐや。まあ迷ったらその辺ぶらぶらしとったらええ。僕のトイレやから、見つからんで死ぬちゅうことはないはずや。なんやその顔」
「汚い」
「しゃあないやん。人間だって排泄はするやろ」
「うーん……」
そういうことじゃないんだけどな、と透は思うが言葉が出てこない。
「まあ、とりあえずありがとう。元気そうで安心した」
「そりゃこっちの台詞や。
今度暇なときにでも遊びにきいや。おにぎりの具は明太子がええな」
「……わかったよ」
河童に手を振り、川を上っていく。
支持されたとおりに歩いていくと、洞窟にぶち当たる。
声をかけても返事はない。のぞきこむと、ひんやりとした空気が中からこぼれだしているようだ。寝ているのだろうか。
「どうぞ」
遠くから確かに、女性の声が聞こえた。
透は持ってきた懐中電灯のあかりをつけ、中に入っていく。
地面はざらざらしていた。転ばぬように、壁に手をつくと、やけに感触が滑らかである。透が顔をあげて横をむくと、手をついた先にあったのは岩肌ではなく、氷の塊だった。怪我をせぬようになのか、角を丸めてある。精巧なものだな、と懐中電灯のあかりを向けると、氷の中に人間の顔が浮かび上がった。
「うわっ! 」
思わず声をあげて後ずさる。人が居る。死んでいるのだろうか。よく見てみれば、一人2人という数ではなかった。洞窟の中が寒いのは、氷のせいだけではないらしい。
「何の、御用でしょうか」
「うおっ」
突然の声に驚き、透が電灯を向ける。
そこに居たのは女だった。透は思わず息を呑んで見つめていた。
「神切さんでいらっしゃいますね。お話は聞いております。
いらした要件を、お聞きしたいのですが」
何事かを言葉にしようとして、口をパクパク開閉させるが、音にならない。雪女は笑って右手を透のほほにあてた。思わぬ冷たさに、透は悲鳴を上げる。
「何するんですか! 」
「いえ、声が出ないようでしたので。
……殿方にはこの方法が一番ですので」
「ずいぶん手馴れてるんですね」
「ええ、おかげさまで」
女は首を傾げて笑って見せた。
「今度、うちの村で祭りをやるんですが。
ええっと、巫女役をやっていただけないかなと」
金田に渡された手紙を取り出す。
「ええ、私に問題はありませんよ。けれど、そうねえ。
村の方が反対されるのではないかしら」
「あなたが人間を凍らせるからですか」
透の右手がうずいた。包帯が、少しゆるんでいるのかもしれない。
女は目を丸くしていた。
「あら、心外。
私が人に害をなすと思って? 」
「そうじゃなきゃ、理由が見つからない」
「……そうねえ、なんといったらいいのか」
その顔は半笑いで、悲しみと苦しさが入り混じった複雑な感情だ。
「このあたりは、登山にスキー、年中人が多いのだけれど。
たまにこの家に迷い込んできたりするのです。
私は一晩ぐらいならと面倒を見てやるのですが。
なぜかその後も私に会いに、ここへやってくるものが多いのです」
なぜって。わかっているだろうに。
「私を娶りたいとおっしゃってくれるのですが。私には将来を約束した方が居ますので。
すると皆様口をそろえておっしゃるのです。氷漬けになってでもいいから、あなたといっしょに居たいですと」
「うーん」
透は思わず頭を抑えた。
「理解できませんか」
「納得できないだけです」
俺は頭をふりながら答える。
「だってそれは死ぬってことでしょう?
一緒に居たいというのはわかるけど、死んでしまっては意味がない」
「あら」
雪女は口元を隠して怪しげに微笑んでみる。
「あなたも凍ってみたら理解できるかも」
「勘弁してください。こう見えても寒がりなんです」
「冗談も言えるのね」
雪女は腰から扇子を取り出すと、広げて顔をあおいだ。
「体が朽ちないあなたと、心を凍てつかせた私と。
なかなかお似合いだと思いませんこと?
私ならあなたのお望みもかなえられますわ」
「それは……」
透は少しだけ迷って。
否定の言葉を口にする前に、腹の虫が鳴った。
「すいません、昼食を食べる約束があるんです。ここで道草を食うわけにはいきません」
「神に逆らう神切家は、腹の虫まで飼い慣らす。
それもまた一興。
祭りの「巫女」、慎んでお受けします」
透は頭を下げて、洞窟を後にする。
かなえの卓見というか、なんというか。
弁当を持たせなかったことが、幸運だった。
あのままあの場に居たら、雪女の魅力と自分の願望に押しつぶされ、物言わぬ氷の塊になっていたかもしれないな。
透は一つ身震いをして、家に向かって歩き出した。




