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神切虫と、音戯話  作者: 雲鈍1
3/6

やさしい赤鬼

2やさしい赤鬼



 その人は力持ちでした。すごく体が大きくて、心はやさしくて。すぐに村人と仲良くなりました。顔が赤く、神は白く、犬歯が鋭く尖っていたので、親しみを込めて赤鬼と呼ばれていました。

 河原沿いの掘っ立て小屋に住んでおりました。冬は寒く、梅雨は床下まで浸水するような場所です。一人の村人が毛布をもってきて、2人の大工が家を建て直しました。すると3人の子供が赤鬼の家に遊びに来るようになり、4人の母親が集まりました。噂が噂をよび、赤鬼の周りに人が絶えなくなりました……。



 暗がりの中、透は目を覚まして時計を見る。時刻はまだ午前三時。寝なおそうと横になるが、寝付けない。妙に心がざわつき、背中にはみょうな汗が張り付いている。

 眠れない夜には鬼が出る、というのは透の生地に伝わる昔話だった。鬼が出るから外へ出るな。鬼が出るから早く眠れ。親を困らす悪い子は、鬼に食べられてしまう。幼心に漠然と鬼におびえ続けてきたが……。この年齢までついぞ見ることはなかった。だから鬼は居ないと透は結論づけていた。


 視線を感じた。じっと、自分を見つめる目。


 それは簡素な戸板でできた出入り口に、ぼんやりと浮かび上がっている。




「目を見たですって」

 いつものように、茶碗に白飯を盛りつけながら、かなえは笑う。すっかり日常の光景である。

「かっぱも雪女も居るんだから、鬼だっていますよ、この村には。

 ちゃんと虎がらのパンツは履いてましたか? 」

「馬鹿にしてるだろ」

「してないです。

 でも、ふふ、まだ怖くて夜眠れないことがあるなんて、ちょっと意外だったから」

 透は自分の右手をなでる。今では一見するだけでは、正常な人間と変わらない外見をしている。一族のカルマを背負った右手。呪われた身体。それも少しずつ、清められている。

「いろいろな物に触れると言ったって、俺自身が化け物なわけじゃないさ。

 慣れてるだけで、それ以外は変わらないんだぜ」

「そうですけど。

 なんだか可愛くて」

 透は鼻をかきながら、白飯を口にかきこむ。

「かなえはどうなんだ」

「私? ぜんぜんこわくないですよ」

「そうじゃなくて、祭りのほう」

「あぁ」

 パタンと、電子ジャーの蓋を閉める。

「順調です。あとは最後の節さえ覚えれば完璧かな」

 それが嘘だということには、毎晩隣の小屋に住んでいる透には分かっていた。けれど穿り返すのも野暮だから、「まあがんばれよ」と無難な言葉を口にする。


「言われなくっても。

 それじゃあ言ってきます。お昼は適当に、裏の畑から採るなり、どこかでごちそうになるなりしてください」

 そう言い残して、制服姿のかなえは家を出た。




 何はせずとも腹は減る。太陽が真上に上ったころ、透は河原を歩いていた。その手には釣竿が握られている。知人である金田に「星楽村に存在する鬼の話」を聞いたら河原を紹介され、どうせなら魚でも釣って来いとたくされたのだった。しゃくぜんとしないながらも、釣竿の先を揺らしながら河原を山頂に向かって歩く。


 昔、鬼が川沿いに住んでいたらしい。ひときわ大きな巨岩があり、「鬼押岩」という名前がついている。その隣には高さ2メートルほどの洞穴がある。「鬼押岩」は、洞穴に住んでいた鬼が雨風をしのぐためにここまで押してきたのだ、というのが村人の共通した見解だった。その岩を間近で見て、透は思う。切り出してきたにしては形がいびつだし、押してきたには大きすぎる。噴火で1つだけ大きなものが落下したのではないだろうか。そんな話を聞いたことがある。つまり、透は鬼の存在などはなから信じていなかった。

 背もたれにするにはちょうどよい岩だ。透は腰かけ、岩に背を任せ、釣竿を垂れる。川釣りは初めてだった。ほんの数分もしないうちに、竿先がぴくりと反応する。慌てて糸をたぐりよせる。針にサカナはついていない。

「だめだめ、それじゃあ。

 川の流れをよんで。

 逆らっちゃあいけない。自然も時間も同じさ。流れに身を任せるんだ」

「そうか」


 声は、後ろからだった。透はふたたび水面に糸を垂らす。今度は下へと向かう流れに、余計な力を加えず、ただ勢いに任せる。……ざああ、と水しぶきの感触の中に、ぴくりと魚の気配がした。息を飲む。

「まだだ。ゆっくり息を吸って、はいて。

 魚が油断した一瞬で、竿をあげるんだ」

 いち、にの、さん。



 透は背後からの掛け声で竿先を上げる。

 糸をたぐりよせると、そこには手のひら大のイワナがついていた。ありがとう、と感謝の言葉を述べようとして振り向くと、

「あれ? 」

 そこには誰も居らず、鬼押岩があるだけ。気のせいか、苔むした面が裏帰っているような気がした。



 自然の中で火を起こすことは、あまり得意ではなかった。

 燃えやすい枯れ木を組んで、風の通りをよくする。ポケットから持ち出したライターで、その中の一本に火をつける。乾いた葉に着火して、パラパラと風に火の粉が舞っていく。神撫手を火の粉の中で握ってみると、ネズミの鳴いたような声がして熱い感触がある。透と姉は、それは「火鬼」と呼んでいた。小さくて、弱い。けれど火を起こすことに関しては人一倍得意で、たまに必死になる人間を小ばかにして笑っていたりもする。彼らに協力してもらば、種火を広げることも難しくない。

 「火鬼」の体に触れることができる手が珍しいのか、何度もその感触を確かめながら、しぶしぶといったかんじで「火鬼」は枯れ木に両手をかざす。そこにむかって、彼らの仲間たちが集まってくる。火の粉。炎。焔。キラキラと一直線に降り注ぎ、一瞬のちにまとまり、それは一筋の炎を描いた。

 腰にさした鉄の箸に、連れたサカナを突き刺す。箸だけは持ち歩けと言われたのが、母の教えだった。イワナの口から差し入れて、地面に突き立ててじっくりと焼けるのを待つ。パチリ、と火がはじける。左手で枯れ木を足してやる。じっくりとイワナの表面が焦げていく。ぐう、と腹の音が鳴った。



 村に住む源太は、手先が器用で村人の家具を頼まれることがあった。椅子に箪笥、化粧台。源太は時間をかけて、裏側にいたるまで細かい細工を施すのだ。

 そんな源太が、昔とても大きな椅子を頼まれたことがあったという。

「誰だっけかな、俺に頼んできたのは。

 当時の村長だったカナギのやつか。娘のハツエだったか。

 寸法はあるから、それどおりに作れってな」

 いろりに手をかざしながら、源太は口元をゆるめる。

「椅子を作ってくれというから見てみたら、椅子というよりベッドだ。

 説明してもうまくかみ合わんでの。最終的にとても体のでかいやつが座る椅子だ、ということで話は収束したんだが」

「村にそんなでかい人が? 」

「いんや。いたらわかるで。

 よそ者だて一目見れば」

 パチリ、と炭がはじける。

 透はあまった食材を手土産に、よく源太の家を訪れた。

「じゃあ悪戯だったのかな」

「にしては、必死じゃったし」

「焼けた」

「こっちもじゃ」

 源太は手製のせんべいをくしごと透によこす。それを受け取り、息で少し覚ます。

「昔、鬼が逃げてきたいう昔話があってな。この村ができたころの話じゃて。

 ぼろっぼろの服をきた鬼が逃げてきたんじゃと。鬼が島の生き残りじゃいうて」

「物騒だな。

 退治したのか」

 ずきり、と右手がうずいたような気がした。

「いんや。なんも悪させんかった。

 そもそもこの村は、」

「焦げてる」

 かなえに教わった、おいしいキノコを見つけたのだ。

「せっかくだから、おいしく食べないと」

「すまんな」

「鬼は退治されるもんだろ」

「おんしの右手。この世にあらざるものに触れることができる右手。

 優しい力じゃとわしは思う。咎人も、罪人も、老人も赤子も関係ない。

 わしらはあこがれておったもんじゃ」

「……。触れたものに、等しく死を与える。

 どこが」

「わしは、神様に頭を撫でられながら死にたい」

 ふ、と老人は笑顔を作った。



 簡易な家を出ると、外はすっかり火が暮れていた。とおりからは相も変らぬ笛の音が聞

こえている。



 かなえの音だ――。



 透は笛の音を聞きながら、自分の右手について考える。異形の手。呪われた手。業を背負った身体。あの世とこの世をつなぐ手。始祖は、触れたものに死を与えることができたという。神さえ撫でる手。じゃあ、自分は? できない。ただ触るだけだ。それを源太はやさしいといった。使えないと、さげすまれていた自分が。


「悩みすぎるなよ」


 帰途につく途中、背中から野太い声がおいかけてくる。振り向くが、誰も居ない。透は右手で虚空を撫でてみるけれど、そこにはやはり何もないのだ。


「お前はたかが人間だ」

「できることは限られている」

「神から授かった少しばかりの才能に」

「おぼれるなよ」


 透の四方八方から、複数の男たちの声が浴びせかけられる。

 思わず問い返していた。


「才能とは何だ」

「神とはどんな存在だ」

「一方的に与えられ」

「振り回されるぐらいなら」



 こんな手など、欲しくなかった。

 ただ平凡であれればよかった。

 友人を作り、家族と語らい。

 自分を問い、人生を深めながら。

 次代につなぎ、老いてゆく。

 ただの人として死にたかった。


 透は、まだかなえに隠し事をしているのだ。自分は死ねない。右手が不滅だから。心は萎え、髪が白んでも。傷を負い、瀕死になっても。「人ならざる神撫手」が透を生き返らせた。

身体を殺すよりも、心を殺すほうが難しい、と透は思った。


 目を閉じ、その場にしゃがみこむ。周囲から聞こえる声は、わんわんと頭の中に響き、ついには騒音となって耳に響いた。言葉を成さない音。意味をなさない言葉。けれど悪意だけは、透の心に突き刺さる。心はきいきいと軋んだ悲鳴を上げ……悲鳴を上げる繊細さを、まだ有していたのかと自嘲しながら……、透の心は悪意に満ちていく。自分を不快にさせる存在。すなわち敵。滅するべき存在。右手がうずいた。命あるなら刈ればいい。姿ないなら消せばいい。許すいわれなどない。自分は獣だ。理性を持たない。けれどそうなってしまったのも、すべては右手があるから――。


 風が吹いた。生ぬるいと感じた。それにもイラつく。ざらりとした右手をふるうと、三本の「爪」が空気を切り裂いて。


 音がしたのだ。心地よい音。湖畔の上に一人たたずむような、静かで、少し寂しい音だ。

 目の前に立っていたのはかなえだった。

 透は、手をとめ、目の前の少女をじっと見入る。少女の目には涙が浮かんでいるようだった。


 そうだ、俺は。

 謝らなければならないのだ。


「透さん、ですか」

「すまない」

「何がですか」

「俺は君に謝らなければならない」

「何でですか」

「俺が、君の両親を殺したからだ」


 少しずつ、透の全身に広がった異形が元に戻り始める。


「この村には鬼が出ると聞いていた」

「当時、俺は自分を抑える術を持っていなかった」

「鬼を受け入れる村なら」

「俺も」

「平穏を手に入れられるのではないかと期待したんだ」


 しかし、それは叶わなかった。


「あの人たちは、俺にやさしくしてくれた」

「夜毎暴れる俺の右手に、夜な夜な演奏をして付き合ってくれた」

「子供ができたと聞いたとき、」

「兄になるのだと言ってくれた」

「しかし、それでも」

「いや、すまない」

「……すまない」

 それでも、2人をこの世から亡き者にしてしまったのは透だ。

 謝っても許されることではない。

 けれど謝らなければ。

 葛藤が透の喉をつまらせた。


「俺は謝りに来たんだ」

「違う」

「君に殺されにきた」

「俺が憎いだろう」

「俺は自分が憎い」

「右手をそぎ落とし、

 人としての本分を取り戻したい。君ならできる」



「私、知っていました」

 かなえの声は、吹きすさぶ風の中でも、不思議と通って聞こえた。


「透さんの声。息遣い。心音。後悔してるんだなって思ってた。

 私は、透さんがそういう風に見えるから」


 かなえの目がうす緑色に光っていた。

「けれど私は許すことにしたんです」

「私の両親もそれを望んでるはずだし」

「きっと私はあなたのことが――。

 ううん、そうじゃなくても。

 あなたほど繊細で力強く、温かみのある人間は居ないから」


「俺はいいのか。生きていても」

「生きていて欲しいんです。私だけじゃなくて、」



 ガサガサ、と透の歩いてきた後ろの道から、人の足音が聞こえてきた。


「みんな、透さんが居なくなったから心配して探しにきてくれたんです。

 帰りましょう。みんなのところへ」

「俺は、俺は……」



 透の目から涙がこぼれた。かなえはやさしく笑うと、それをハンカチでぬぐう。……。どこかから、下手な笛の音が聞こえてくる。いつもの音だ。透は心の中で笑った。



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