優しい河童と川流れ
1
神切透が星楽村で暮らし始めて、半年が過ぎようとしていた。そろそろ雪が降るらしい、と村人が教えてくれた。かなえの家の裏の離れを借りて、生活をしていた。暖房にと毛布を持ってきた村人は、両手をこすって、白い息をふきかけた。今年も寒くなりそうだ。
透の部屋には、古今東西の珍品が並べられている。黒蜥蜴のしっぽ。やもりの右手。蛇の脚。かえるのひげ。それらはこの村に来てから集めたものだ。透は右手の呪いを喪って以降、呪術と言える力がなくなっていた。けれど幼い頃から身に着けた薬膳の知恵だけはあったから、自ら採取した材料で、村人の役に立つ薬を作っていた。なにせ病院に行くのも片道3時間かけねばならないこの村にとって、透の存在はありがたかった。
両目をふさいだ少年に、特性の塗り薬をくれてやった。目が明いた少年は透を見て、目を丸くして、そして大きな声で笑った。先生は名医なのに、どうして髪が白いままなの? 透は笑い返す。生まれた時からだよ。自慢なんだ。似合うだろ?
少年はうなずく。うんとっても!
母親とともに家を出ていく。「白」とは。
白とは弱い存在の象徴なのだ。自然界において。だから白い髪をもって生まれた自分は、きっと他人よりもどこか弱い存在なのだ。
「私はあなたの右手が好きだよ」
そういってくれたのは、おばだった。名前を神無月 舞と言った。舞の髪もふつうの人とは少し違っていて、白くはなかったが赤みがかっていた。子供のころはつらかったと舞は自嘲気味に語った。長くて、夕日に溶け込むような髪の色はきれいだと、透は思ったけれど。
「髪の色とか、目の色とか。
人種とか主張とか主義とか、存在意義とか。
そういうもので仲良くなれないなら、きっとそれは寂しいことだと思う。
だからね、透くん。今は自分のことが嫌いかもしれないけれど。
きっといつかはそんな君のことを好きになってくれる人が現れるから。
心配も、悲観もしないで」
彼女は透と同じくらいの少女と手をつないでいた。
言葉が通じないのだろうか。少女は、右手の指をくわえて、ただ透を見ていただけだった。
夕日がかげる。月が見える。月にうっすら雲がかかり、明度はさらに下がっていく。少女の髪が発光しているように見えた。よくみれば、髪だけではない。肩も、腕も、足も。全身からほの白い光が浮かび上がっているようだ。
「私と君だけの秘密だよ」
と、舞は透に言った。
大人になって、その時舞が連れていたのが妖怪の一種だったと気づいた。親戚中をたらいまわしにされている間、舞に会うことはなかった。話題にも上がらなかった。きっとみなが、「神聖な神切家から外道と仲を通じた存在」が許せなかったのだと思う。けれど彼女は満足だっただろう。日に日に白さを増す自分の髪を見て、透はそんなことを思う・
寝床から起きると、外から笛の音が聞こえる。かなえの練習の音だ。このごろ、毎朝聞こえていた。おそらく学校に行く前に行っているのだろう。しばらくすると、朝食を告げに部屋へとくる。透は自分の寝床を簡単に整えると、毎日の日課となっていた、倉庫の片付けを始める。転がっているのは祭具と、農具。それから狐を象った木造がぽつりと。
「おはよう。ごはん、できてるから」
透が触れようとした瞬間、扉が開いた。かなえは透を見て、驚いて声を上げる。
「それは触らないほうがいいかも。なんか、昔は神様だったけど、今は悪いことをするって。おばあちゃんが言ってたから」
「大丈夫」
透が神撫手で触れると、木造はぶるりと身震いをして……、いきおいよく外へと駈け出していった。様子を見て、目をまん丸くしていたかなえに、透は説明する。
「いたずらが過ぎて、少しおしおきをされただけみたいだ。
もとはそんなに悪くないから」
「すごい。そんなことできる人、初めてみた」
照れ隠しに鼻をかく。
「うちじゃみんな、ふつうだったから」
「今のは悪いやつだったの?」
「悪いやつ――。ううん違う。
人に危害を加えた。田畑を荒らした。いたずらをした。
それは主観が人間にあるからで、むこうにだって主張があるはずだし。
立場の違いで仲たがいするのはよくないって、教わったから」
「ふーん」
かなえが顔をのぞきこむ。
「透君て、大人だね」
「師匠がすごいんだよ」
「その話はそれじゃ、また今度聞かせてね。学校に遅れちゃう」
ガラガラと、雨戸をあける。漏れてくる日差しに目を細める。
「食器はそのままにしておいていいから。
それから、金田さんが呼んでたよ」
村の集会所に行くと、金田を含め数人の大人たちが頭をつきあわせて何かを話し合っていた。金田が透の顔を見つけると、片手をあげてあいさつを示す。
「悪いな、呼び出して。病み上がりだろうに」
「いえ、だいぶよくなったから」
「相談があるんだが」
金田は四方がぼろぼろになった髪を示して見せる。
「うちの村じゃあ、今年大規模な祭りをやろうて計画しとるんじゃが。
本当は毎年やるんだけどなあ。人手不足だったり、手間がかかったり、
後継者不足だったりで難しくなってなあ。
それでも、村の景気づけに今年やろうちゅうことになったわけじゃ。
かなえのやつが練習しとるんも、そのためだ」
「それで、相談って? 」
「そうそう」
紙にえがかれた地図を、指で示してみせる。
「祭りに必要な役は3つ。『祭祀』と『演者』、『巫女』だ。
んで演者はかなえがやるとして、巫女は今あたってる。
祭祀をやっとったやつがなあ、腰を痛めてな。長時間の祝詞が難しい。
んで、かなえに聞いたんだが、透くんは何やらそういうの詳しいみたいだから、
頼めんかって」
「いいですけど、俺なんかが」
「俺なんか!」
透の口調をマネて、金田が笑ってみせる。
「若者らしい自信のなさやな。
んじゃあ、その腰を痛めたじじいが立派な人間てか。
そんなわきゃあない。そもそも祭りってのは何するもんじゃ」
自分の中にある知識を言葉にしようとして、金田の笑顔に掻き消される。
「そんな頭の中にあるもん吐き出したって、見えてこん。
ともかく俺ら村の連中は誰も文句言わんから、透くんの気の向くままにやってくれんか」
「失敗したら、ごめんなさい」
「失敗かいな」
それでもまだ、金田は笑顔を崩さない。
「みんな手探りでどうにかこうにかやっていこうってんだ。
失敗もくそもあるかい。透くんがおらんかったら、そもそも成立せん」
「はい」
「やってくれるか」
「ぜひ」
「頼もしいな」
右手がうずいた気がした。けれどそれはいつものような『痛み」じゃない。くすぐったいような感情だった。
「それで、話の続きなんだが」
古ぼけた地図を示しながら金田さんが説明する。
星楽村の入り口には本来2つの稲荷像があった。姉妹像は村人に愛されていた。けれどいたずらが過ぎて、この地を訪れた修験者が懲らしめるために石にしばりつけ、別々のところに保管してしまった。一つは神社に、もう一つはどこか山の中に。新たに入口に稲荷像をつけようかと、村人は悩んだが、結局やめた。悪戯好きで、少しだけ迷惑もあるけれど、この村を守るのは2つの稲荷しかいないと考えたから。1つは大事に保管されている。もう1つが見つかるまで、大事にしようと後世に伝えたのだ。
「その、2柱目の稲荷を、探せばいいんですね」
「ああ。なんやら場所はわかったらしい。んだが封印されてるみたいで、誰も触れんかったのよ。そこは今は社みたいになってるらしいけど」
「場所は? 」
「村の小学校の裏に、山へと通じる細い道がある。そこを登っていくと、今は使われとらん古い井戸につきあたる。説明はようわからんが、井戸で三回柏手を打つと、めどつが連れて行ってくれるらしい」
「めどつ? ああ、河童のことですか」
「それでもいいけどよ」
「早い方がいいんですよね。今から行ってきます」
「まあ、そうせくなって。今うちのかかあが弁当作ってるから、持っていきや」
金田に渡された地図を片手に、村の道路を歩く。すれ違う人が透の髪に目をとめる。透はそのたびごとに、過去のいまわしい記憶が思い出される。さがすむ視線。好奇の視線。そのどれもが不快だった。帽子を忘れてしまった。いったん家に帰ろうか。透が悩んでいると、透の目の前で軽トラックがとまった。中から老婆が出てくる。手には麦わら帽子があった。
透の目の前に、麦わら帽子が差し出される。怪訝な顔で相手な顔を見つめる。
「兄ちゃん、今日暑いんだから帽子かぶっときな。
まだ若いと思って油断してると、熱中症なるよ」
「あ、すいません」
「うちの旦那と違って細いんだから。
こんなとこで倒れないようにね」
ぺこりと、透は頭を下げる。
ぶるるん、と軽トラックは去っていく。
渡された帽子を頭にのせる。サイズが合っていない。ぶかぶかだ。顎の下にひもを持っていく。言われて気づいた。今日は本当に暑いみたいだ。透は目元の汗をぬぐった。
小学校へと向かうと、制服姿のかなえに出会う。
「どこ行くの? 稲荷? 」
透は手に持った地図で説明してみせる。
「うん、わかるわかる。けど」
溜息。
「金田さんたち、いっしょに行けばいいのに。
複雑じゃないけど初めての人だったら迷っちゃうよ。
それにこんな旧い地図じゃ」
よっこらせ、とかばんを背負いなおす。
「私もいっしょに行くよ」
「学校は? 」
「ん、今日はテストだから」
「本当に? 」
「う……、別にいいの。そっちの方が面白そうだし」
「ちゃんと連絡したほうが」
「いいのよ。友達には言っとくから。さあさあ行こう。
日が暮れると、少しやっかいだし」
小学校の校舎。その裏側には人の手が入ってない森があり、よく見てみるとたしかに道らしきものがあった。かなえが先導をしてくれるから、そのあとをついてあるく。スカートのうしろの裾を抑えながら、軽快にしげみを踏み倒してあるく。
「透さんの、両親て、どんな人なんですか? 」
茂みを歩きながら、かなえが口を開く。
「やっぱり、お母さんに似たんですか?
異性の親に似るっていうけど」
「父は厳しい人だったよ。使命感の強い人だった。俺はよく怒られた。
母は……どうだったかな。あんな父親と一緒に居るんだから、すごく心の広い人だったんじゃないかな」
「覚えてないの? 」
「うちの家系は、乳母が居るんだ。
働き盛りの夫婦は外に仕事にでる。家の中のことは乳母が面倒を見るんだ。
だから俺はあまり両親に叱られた記憶はないよ」
「それじゃあ、私と同じだね」
かなえは振り返って、笑ってみせる。
「かなえはここの出身だろ? 」
「よくわかんない。育ての親は、おばばだけど。
もう居ないんだ。昔は、透くんが寝泊まりしてる建物に住んでたんだけど」
「お互い大変だな」
「うん! 」
なぜか嬉しそうに、かなえはうなずく。
ちょろちょろと、小川の流れる音がする。水源をたどると、一本の大樹へとたどりつく。大樹が真っ二つにさけ、その割れ目から水が注いでいる。
村ができたときからある、ご神木だという。地下の深いところから水を吸い上げ、木の体内で濾過され、湧き出している。一口飲めば10年寿命がのびるという。
かなえに勧められ、一口飲んでみる。冷たい。その冷たさが全身に広がっていくようだ。おいしいという表現は違うかもしれない。生き返った気持ちになる。
「それで、説明された井戸っていうのがここなんだけど」
ご神木の隣に、封鎖された井戸があった。蓋をあけて中をのぞきこんでみるが、暗くて底は見えない。言われたとおり、三回手をたたいてみるが、気配も物音も変化しない。透が不振に思って、足もとに転がってる石を拾い、井戸の底にむかって投げようとした。
「ちょい待ち、その井戸もう古いから使われへんのやわ」
声に驚いて、透は振り返る。誰もいない。
「ちゃうねん。こっちこっち」
視線を足もとに下げていくと、そこには緑色の皮膚をした、人ともカエルとも言えぬ奇妙な生き物が居た。おそらくこれが河童なのだろう。
「あ、生きた河童と話の初めて?
こんな可愛い子がおるねんなら、ちゃんとシャワー浴びときゃよかったわ」
河童はかなえに話しかける。かなえは引きつりながら笑顔を取り繕う。
「そんで君、何しに来たん。って言っても検討はつくんやけど。
一応人間がここ来て三回拍手したら案内しろ言われて、昔ごっつい坊さんに頼まれてんけど。それはそうとして君、何か食べるもの持ってない。毎日サカナとキュウリのローテーションで少し飽き気味なんやわ。河童も糞も流れへんわ」
はっはっはっ、とひとりで笑い声をあげる。
「すまん」
「おにぎりならありますけど」
「具はなんや。梅か。しゃけか」
「ツナマヨネーズです」
「合格や。
こっちついてきぃ」
河童の後をついて、しげみの中へと歩いていく。歩くたびにペタペタと音がする。
「坊さんがな、石造隠させてくれいうて僕んち来たんやけど。
僕嫌やいうたんよ。幅撮るし、ここに人くるのも嫌やし。
そん代わりいうてその坊さんが、人間が仰山うまいもの持ってくるさかい、
ていうから期待して待ってたんやけど。なんやねん自分ら。何年かかっとんねん。
ミイラなるわ」
「すいません」
「まあ、兄ちゃんらに怒ってもしゃあないな」
河童の住処は、小川の崖にある洞穴だった。奥行きは結構ある。明りはなかったので、透は持ってきた懐中電灯で足もとを照らしながら歩く。後ろをかなえが付いてくる。
「まあ大丈夫や。僕あんまエグイの食うてないから。
友達とかは肉食系のやつは中々悲惨やけど」
「河童さんは、普段何してるんですか」
かなえが何を思たのか。
「何してるて。そりゃいろいろよ。サカナ採ったり、本読んだり人驚かしたり」
「驚かせたら、怪我しちゃうんじゃないですか」
透が反論する。
「せやけど、死ぬよりましやろ。
人間てのはたまに驚かせて怪我でもせんと、すぐに忘れて油断する生き物やからな。
これやがな」
河童が出してきたのは小型犬くらいの大きさの石造だった。
「けどこれ、どうするん。昔はどうだか知らんけど、今はもう凝り固まってただの石になってるで」
「大丈夫です」
透は右手に巻かれていた包帯をほどく。
そしてゆっくりと右手で像に触れた。
「君、その手は。そうか、神切家か。
……けど、いや、でも……。因果なもんやな。
右手呪われてたみたいやけど、君が直接さわったことなんてないやろ」
「ありませんよ。俺の一族のカルマだって言われました」
「神に触れる手か。
僕の父さんは君のご先祖さまにやられたんや。まあ偉い酒飲むし、飲んだら酔って暴れるし。人間なんか相撲のついでにぶん投げるしで、ろくでもないおやじやったけどな。
当時エライ恨んだもんやけど。君の代に還ってくるとはなぁ。かわいそやな」
透は黙って石造の頭を撫で続ける。
「今はなんとかおさまってるみたいやけど。
その右手、完治はせんよ。僕かて君に恨みがあるわけやない。けど、僕みたいなやつがいっぱいおる。一人ひとり説得してくか? そんなことはできん。せおっていくしかないんや。その中の一人として、僕にも責任はあるけど」
稲荷の尾が3つに割れた。
「お、なんとか息を吹き返したみたいやね。これで面目躍如やね」
「ところで、もう一匹はどこに? 」
「なんか今日の朝、山であそんどったで」
「あ」
俺とかなえは顔を見合わせる。
「ねえ、透くんて」
帰り道、暗くなりかけたけもの道を2人で歩く。
「ハードな環境なの? 」
「どうだろう。あまり世間を知らないから」
「私にあったとき、近寄らないで欲しいって言ってたよね。
それは、今日のことがあったから? 」
「それもある。
できれば人と関わりたくなかった。俺じゃコントロールできないんだ。
だから追い出された」
「少し止まって」
透が振り返る。
正面には、小学校が見えた。とおりではちらほら街灯がつき始めている。民家はまだ見えない。けれどどこの家庭だろう、笛の練習の音が聞こえてくる。それも1つではない、2つ。いや、もっと多いかもしれない。山中に響いて、反射してかえってくる。
かなえの目が碧く光っているように見えた。はじめ、それは暗いせいだと思った。光の加減でそう見えるだけだと。しかし、そうじゃない。
「私も、見せてあげる。誰にも言ったことがなかったけど」
笛の音が周囲に響いた。遠くから聞こえる調べに合わせて。それは奇妙に調和して、一つのハーモニーを奏でる。風がそよぐ。木々がさざめく。驚くべきことに、少女はその風さえも取り込んで、一つの奏にしてみせた。空気がざわつくのが分かる。透は左手に鳥肌が立っていることに気づいた。笛をもって立ち尽くしている少女に、透は一心不乱に拍手を送る。
「ありがとう」
緑の目をした少女は、腰をおって丁寧にお辞儀をしてみせる。
そこではすべての振動が美しい調べとなり調和する。
まるで、世の中のすべての音が。
形となって見えてるようだった。
似非関西弁です。すいません。




