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※前編となる「上」があります



    5



 俺の頭が事態の急な変化に追いつく前に、ポンが自らのすべてを怒りで真っ赤に染めた。


「お前か! お前が神様を殺したのか!」


 神様と呼ばれる刺殺体の傍には真っ赤なポンと、指先だけ赤いシマナガシ。怒りを向けられても飄々とした態度のシマナガシ。さっきの言葉が引用だとしても、場面にそぐいすぎていた。


「私は殺していない。証拠があるのか」

「お前は神様の間の前にずっといた! 鍵はかかっていないだから入ろうと思えば入れたはずだ! 捕らえろポン!」


 部屋のぬいぐるみが、ポンの言葉を契機に自立する。学校の机の天板を立てたぐらいのぬいぐるみたちは、濁りの無い黒い瞳で体躯が何倍もあるシマナガシを睨みつけた。チトセが視られているわけじゃないというのに――二足歩行のぬいぐるみを恐れたのだろう――俺の後ろに隠れた。


「地獄送りだポン!」


 その言葉に、俺は口を挟んだ。

「ちょ、ちょっと待てよ。性急すぎるだろ。シマナガシがやった証拠はないんだろ。そんな、地獄だなんて」


 閻魔大王。舌を引き抜く。無限針地獄。額面どおりの拷問が行われているかはわからない。天国だってこんな場所だったんだ。

 だからといって、親友を見捨てる理由にはならない。

 しかしポンの大きい耳は俺の言葉を素通りした。


「地獄の一層目にそいつを落としてこいだポン!」

「あ、うわっ、くそっ、なんだこいつ、ら。つよ」


 抵抗する力はあまりに虚しく、シマナガシは二足歩行のカンガルーのお腹の袋に突っ込まれ、イソギンチャクのように足だけが飛び出ている。カンガルーは部屋の外まで出てきて、俺たちの横を通ってどこかに行ってしまった。

 そういえば、カンガルーの袋の中は、子どもが尿や糞を垂らすからとっても臭いらしい。頭から突っ込まれていたが大丈夫だろうか・・・・・・って、今はそんな些細なことはどうでもいい!


「ポン! こんなの無茶苦茶だ」

「黙るポン! お前らも共犯か?」

 石像が喋っているかのような低い声だった。俺の背を掴むチトセの力が強くなった。凄んだ兎は、さっきまでの柔和でチトセの暴力に汗を流すポンではなかった。


「・・・・・・神様は、悪戯で殺されていい御方じゃないポン」

 それは主人を慕っていたがために暴虐さえも起こす、忠臣の姿だった。


 俺は何も言えなかった。どうしたらいいのかもわからない。部屋の中のソファには男が横たわって死んでいる。ぬいぐるみが目を光らせて俺とチトセを睨んでいる。親友は神殺しの疑いだけで地獄に運ばれた。


 事態に希望がひとつもない。


 俺は勝手に夢の中で天国に連れてこられ、下手をしたらここから地獄に転落するのだ。生きて帰ることができないだなんて真っ平ゴメンだ。


 何か少しでも、改善をしなければいけない。

「・・・・・・俺が、神様を殺した犯人を捕まえる」

「マナブ・・・・・・?」

 ポンが神様から俺に振り返る。その表情は、どこか安らいでいた。

 もしかしたら、ポンも味方を探していたのかもしれない。


「本当ポンか」

「嘘はいわない。男に二言はないからな」

 俺は指を立てた。死んだ人の前で不謹慎だと言われるかもしれないが、ここにそれを咎める人はいなかった。


 頭を下げるように、ポンは耳を折り曲げた。

「ありがとうだポン。――チトセは、どうするポン?」

「え、わ」

 突然話の矛先を向けられたチトセが、俺の背で目を丸くした。


「わたしは・・・・・・」

 目線は胸元に包丁を立てられて死んだ男の体の傍を衛星のように彷徨っている。犯人探しとなれば、嫌でもあれと向き合わなければならない。気が狂っているような幼馴染が、壊れてしまうのは俺も見たくない。ポンに諌めるような目線を向けたが、ポンは取り合わず、チトセを促し続けた。


 しばらく悩んだチトセは、俺にだけ聞こえるぐらい小さな声で呟いた。

「マナブは、怖くない?」

「なにが?」

「・・・・・・」


 怖いことだらけだ。だから何に対して訊いているのか訊き返したのに、返答は無言だった。


 チトセは俺から離れて隣に立ち、ポンに頷き返した。

「わかった。探偵になる」





 現場検証としゃれこもうじゃありませんか。そう部屋に踏み込んだ矢先に、ポンから注意を受けた。


「捜査は嬉しいポン。でも、この部屋ではやっちゃいけないことがあるポン」


まるでゲームのような言い回しだ。毛色が白に戻ると、急にポンのNPC感が強まったな。


「神様のお部屋は清くあるべきだポン。だから、この部屋にはルールが設定されているポン」

「やっちゃいけないことって何よ」

 そしてチトセも急に強気になった。いつもらしいと感じる。言いたいことじゃなくて思い浮かんだことを言葉にする考えなし。


「嘘をついちゃいけないポン」


「嘘?」

「そうだポン。マナブはチトセに、チトセはマナブに対して、故意に間違ったことを言ってはいけないポン。もしそんなことをしたら、ひどいお仕置きが待っているポン」

「お仕置き・・・・・・」


 なんだろう。昔絵本で読んだ具合に、押入れに閉じ込められるのだろうか。それとも、シマナガシのように地獄に・・・・・・。


「お仕置きって何をされるの?」

 ポンの声が、一段高くなったように感じた。


「ありえない記憶を一つ、植え込むポン」


「ありえない記憶ってなんだよ」

「例えば」

 そうして少し間を置いてから、ポンはチトセに例文を伝えた。


「マナブにはチトセ以外の婚約者がいる、とかだポン」

 チトセが腕をまくった。はだけそうな胸にパジャマが悲鳴をあげていた。

「そんな勝手なことしてみろ。抱き込んでビルの上から飛び降りてやる」

 胸が痛い。あと、頭も。


 まったく、なんで毎度毎度こんなことを言うのか俺の幼馴染は。呆れて彼女を止めようとも思わない。ポンも次の話題に進めていた。

「やっちゃいけないことはそれだけポン。この部屋で嘘をつくことはだめポン」


 ポンの忠告を受け取った俺とチトセは、犯人探しに取り掛かった。

 先ずは部屋の状態を精査することにした。

 ファンシーな部屋にタンスやクローゼットの類はない。それどころか、収納をするための家具は皆無と言っていいほどになかった。強いて挙げられるのは、ベッドの下だ。そこに手を伸ばしてエロ本を掴んでしまったらどうしようか。神様とはいえ、恥ずかしいと思うきもちがあるだろう。もしも俺が死んだ後にベッドの下を誰かがあら捜ししたとなれば、天国から恨み言を吐くかもしれない。


「ポン、神様の服はどうしたんだ? 今はワイシャツを着ているみたいだけど」

「ここでは、神様が思えば何でも出来るポン。何を生み出すのも自由だポン。だからポンも生まれたポン」

「なるほど。ポンは神様が自作したロボットのようなものだと思えばいいのか」

「ロボットじゃないポン。構造が一緒な分身だポン。だから神様に収納の概念は必要ないポン。ついでに服も汚れないから洗濯も要らないポン。好きなときに着替えて、好きなときに好きなことができるのが神様ポン」


 聞く限り、神様は贅沢ものだった。お仕事は何をしているんだろう。二十歳を超えて何もしていなければ周りから白い目で見られるご時勢だというのに。


「神様って何が仕事なんだ?」

「供物を受けとったり、自然災害の強弱を調整するポン」

「前半は突っ込まないが、後半の調整ってなんだ」


 チトセも耳をこちらに向けていた。日本人としては気になる話題だ。


「例えば、地震が起きるとするポン。その原理は知ってるポン?」

「大陸プレートがずれたときの衝撃なんだろ。今はこんな風になってるから」


 俺は「入」という文字を逆にした図を手で表現した。しなるように突き刺していた左手のプレートを手前に弾く。


「これがこう、なると地震なんだろ」

「そうだポン。神様はその地震を止めることは出来ないポン。それは人を勝手に動かすようなことだから、無闇に弄くることはご法度だポン。神様はプレートが跳ねたときのエネルギーを蓄えることができるポン。それを、別のことに使えるポン。例えばこの部屋のぬいぐるみを動かしたり」

「ふーん・・・・・・」


 なんとも抽象的な答えだった。きっとポンの言うエネルギーとは、物理学的なエネルギーとは意味合いが違うものなのだろう。チトセも興味を失っていたようで、ぬいぐるみのアリクイに命じてベッドの下の物を勝手に引き出していた。


「ぬいぐるみを勝手に使うなよ」

「部屋の中にいるなら誰でもぬいぐるみには命令できるポン。でも、部屋の外では命令ができないポン」

 ポンの説明に一瞥もせず、チトセは淡々と答える。

「だって、もしもベッドの下に犯人がいたら、私が顔見せて死ぬかもしれないじゃない」

 アリクイの体が大きく跳ねて、ベッドが浮き上がった。そりゃ、身勝手に命をこき使われたとなれば誰だってビックリするよな。


 けどそうだ。俺は考えを後回しにしていたが、殺神が起きたならば必ず犯人がいるのだ。


 シマナガシが濡れ衣を被って連れ去られてしまったが、シマナガシを助けるために揃えるべきは犯行の手口ではなく、真犯人の居場所だった。

 

 けどなんで、俺はそれを失念していたんだろう。

「大丈夫マナブ? まさか忘れてたの?」

「いや、忘れてはいなかったけど」

 咄嗟に口を突いて出た言葉は、嘘だった。



「マナブ、罰だポン」



 ――聳え立つビルのガラスがつんざくような悲鳴で割れる音。

 ――曇天なのか、晴れなのか、明瞭としない雲行き。

 ――人一人が下敷きになる感覚。

 ――誰かが、落ちた。


「うわあああ、はぁ、はぁ」

「マナブ! しっかりして! ちょっとポン、今なにを」

「何を植えつけられたかはポンにはわからないポン」


 他人事のような口ぶりのポン。いや、実際他人事なんだ。今のは、なんだったんだ。

 胸を締めつけるような痛みじゃなく、暴力的な肉を打ちつける痛覚。もう、痛くない。いや、植えつけられた記憶でも、痛みは感じなかった、気がする。記憶にしては全てが鮮明過ぎる。

 なのに、人に関してだけは靄がかかっている。なんなんだ。


「マナブ・・・・・・」

 心細くなったような声が聞こえた。チトセに見せるわけにはいかない。おぞましいものだから。・・・・・・本当にそれだけか。チトセに見せてはいけないと思った自分の気持ちさえ偽りであるように感じる。疑心暗鬼で自分の心さえ疑うなんて、気が動転し過ぎるとこうなるのか。


「大丈夫だ。いいかチトセ、絶対に嘘をつくなよ」

「・・・・・・わかった」


 ふざけずに頷いてくれた。今のは出来のいい映画でも観たと思えばいい。没入型の映画なんて近未来の世界観にはよく登場する。それにどうせ、起きたら忘れるのだ。


「さあ、神様を殺した犯人を捜してくれだポン」


 ポンの口調にはっきりとした違和感。まるでゲーム感覚だと思ったが、やけに落ち着いていないか。日本は八百万の神だなんて伝承があるが、それにしたって神なんて存在がごろごろいるとは思えない。


「神ってのは、替えの効く存在なのか」

「そんなわけないポン。宇宙に神様は御一方だけポン」

 誇るような声音。やっぱり、落ち着きすぎていないか。


 一つの案として、ポンが神様を殺した可能性。

 証拠も根拠もない。ポンが神様神様と口に出すときは、自慢をしているように力が漲っていた。そんな兎が主人に歯向かうとは思えない。生きた神様がどんな性格をしていたかわからない。もしかしたらさっきまでのチトセのような、体罰を加えることを日課にしていたかもしれない。人を殺す動機を、推測で考えるのはだめだ。


「ポン、神様について教えてくれないか」


 俺が質問した。なのにポンは、俺の後ろにいたチトセに質問を返した。


「ポンを疑っているポンか? チトセ」

「え・・・・・・ちが――」


 振り向いたら引き攣ったような笑みのチトセが、首を横に振ろうとしていた。

 チトセの頭を固定するために腕を伸ばす。

 首を振らせたら、嘘になると思った。


「やめろ!」

「――うよ」



「チトセ、罰だポン」



 俺が掴んだ頭。小さな頭に大きな瞳。見開かれて、沸騰したように鬱血し始めた白眼。

 遅かった。

 瞼の挙動がおかしく痙攣する。頬の骨が無意味に吊り上がり、口裂け女に近づいていく。


「チトセ! チトセ!」

 俺は必死で大切な人の名前を叫んでいた。


「しっかりしろ! おい!」

 口の中に溜まった泡を吐き出させるために、チトセの頭を下に向ける。床に涎と胃液の混合物が飛び散っても、ポンは何も言わず、手も貸さなかった。


 よほどショックだったのだろう、チトセは痙攣が治まった後も、目覚めなかった。何を見たのだろう。

 この世界にはどういう原理なのか脈があって、チトセの鼓動が聞こえた時には安心した。


 俺は容疑者筆頭に対峙する。

「ポン、なんのつもりだ」

「自分の身を守るのは当然だポン。疑われたみたいだったから、口に出して訊いただけだポン」

「疑わしきは罰せよ。お前がシマナガシにやったことだ。ポンも、覚悟はできてるんだろ」

「この部屋でのぬいぐるみの命令権限はポンが上位だポン」


 つまり、やれるもんならやってみろ、ってことだ。


「ぬいぐるみなんて必要ない。ポンが殺した証拠を見つければいいんだ」

「どうやってだポン」


 俺はその問いには答えず、ポンの頭を掴んだ。そしてぬいぐるみが防御に走ろうとする前に、ポンを黄色い扉の向こうに放り投げた。


「容疑者は向こうに出てろ」

 ぬいぐるみに命令する。ドアの向こうのポンを監視しておけ、と。


さっきポンが言っていた。部屋の中でないと命令は無効化されると。部屋から出たポンはぬいぐるみに命令することができず、束縛されているから逃げることはできない。


 後は俺が、この部屋でシマナガシの無実を晴らし、ポンの有罪を証明すればいい。

 どこかで、せせら笑う声が聞こえた。





 チトセを備え付けのベッドに寝かしつける。真犯人が隠れているとも限らないので、ベッドの下や布団の中は入念にチェックした。


 ピンク色の布団を被る幼馴染。幼稚園の頃は似合ったのに、大きくなったな俺たち。でもあのころも、チトセは黄色いパジャマを着ていた気がする。

 俺のパジャマは紺色。サイズもぴったりだ。チトセは胸のあたりがぱつぱつだ。まさか幼稚園のパジャマを今でも着込んで寝ているということはないだろう。


 気を失っている幼馴染の髪の毛を梳くような真似はせず、部屋の中の散策に入った。


 触れたくなかった場所に向かう。腐食しない体。ソファの背もたれに体を預けた男の死体。

 刃物が突き刺さった胸部から下は、服の上を川のように血が流れ落ちていた。

 脈を計ってみた。心臓は動いていない。


 神様という想像を誰がしたのかはわからないが、人型だ。宇宙をあまねく見渡せるのが、日本のサラリーマンでもやっていそうな人相だというのは、締まらない話だ。


 三人掛けの白桃色のソファ。その真ん中に轟々と居座り、足を広げ、女性を両手に抱えるみたいに腕を背もたれの上に乗せている。益々、キャバクラに居そうな青年だった。


 ふと、思いつく。

 二人分のスペースが、神の手の内にはある。そこに誰かが居たのではないか。


 シマナガシとポンは入れ違いになったと言っていた。

 両者の言い分を全て取り入れて時間軸をあわせる。

 ポンが生きた神様から、今夜ここに呼んだ三人を迎えに行けと命じられた。ポンが部屋を出て、俺らよりも早く目覚めたシマナガシは部屋の前に辿り着いた。しかしドアを開けることはせず、シマナガシはそこで待った。俺らはポンに連れられて、この部屋の前までやってきた。

 ひと悶着あってシマナガシが起きるまでの時間があったが、その間、誰も一人にはならなかった。


 犯行が可能なのは、チトセと俺以外だ。

 俺はやっていない。

 チトセは、俺が証明できる。


 シマナガシは、誰も見ていない時間帯がある。扉の前で、三十分以上も一人でいる、なんてことがあるだろうか。そもそもシマナガシには案内人が居らず、部屋に鍵もかかっていないらしい。見つけた扉に手を掛けるのは、当然のことのように思えた。


 ポンは怪しい。言動もだが、そもそも俺らが来る前に何でもすることができた。寧ろ、シマナガシを犯人として仕立て上げるために全てを画策している様さえ疑える。


 第三者。神様の腕に抱かれていた女性がいるのではないだろうか。


 念のため、部屋に別の扉や抜け道がないか探した。小物や絨毯を一通りめくり返してみたが、やはり黄色いドア以外に見当たらなかった。ポンが移動を歩きでしたことから、テレポートのような魔法はないと考えるべきだろう。


 ・・・・・・本当に、チトセは白か。


 シマナガシと俺とチトセ。何故、シマナガシだけが別の場所にいたのだ。本当は三人とも別の場所にいたのではないか。


 思えば、チトセは行動が早かった。部屋のなかには明りがある。普通の部屋だ。けれどドアの外は、星の無い夜空が全てを遮断しているような場所だ。チトセが冷静でいたのは、俺より早く目覚めて事を起こし終えた後だったからでは・・・・・・。


「・・・・・・そんなわけないだろ」


 俺の幼馴染だ。そうでなくともチトセが人殺しなんてするもんか。言い切ってやる。シマナガシもそうだ。俺の親友が人を殺せるわけがない。

 じゃあ、やっぱりポンか。でもこれは消去法だ。推論で犯人疑惑を持ち込んではいけない。


 紐解いているつもりなのに、その実、何も解決ができていない。


 そもそもここはどこだ。天国だ。そうポンが言ったからだ。それだって信用ができない。


 チトセの手が布団からはみ出ていた。それを握れば、確かなものだって言えるのか。チトセの腕を、俺が取ることは許されるのか。なんで許されないなんて思うんだ。やましい考えがあるわけじゃないのに。

 ただの握手だ。


「チトセ・・・・・・」


 温かいと思う。血が通っているのだ。握り返してはくれなかったが、構わない。

 ベッドに座ると、マットレスが軋んだ。チトセが唸って、目を覚ましてしまった。

 自重のせいだと思うといたたまれない。チトセが起きて、残念だった。


「・・・・・・マアブ?」

「俺の名前はマナブだ」


 この名前も、造り物かもしれない。教えてくれたのはポンだ。


「・・・・・・ビルが、わたし」


 ぽつぽつと、雨粒みたいに言葉を落とす。おそらく同じ物を視たのだろう。この場所で、唯一の鮮明な思い出だ。忘れてしまいたい偽りの思い出だ。


「落ちた。そう、落ちたの。浮遊感。それだけじゃない、あの感覚は」

「落ち着けチトセ。ゆっくり深呼吸しろ」

「少し、一人にして。考えたいの」


 玉手箱でも開けてしまったみたいだった。急に大人びたように感じたのは、気のせいじゃない気がした。


「わかった。外でポンを縛り付けてる。何するかわかんないから、あんま近づくなよ」


 いつの間にか握り返されていた手を解いて立ち上がった。せがむように、服の裾を掴まれた。


「待って!」

「・・・・・・」

「ごめん、大声出して。でも、放しちゃいけない気がしたの」

「俺はさっさと放して欲しいよ」

「・・・・・・」


 怖いのはわかる。俯いたチトセは罪悪感の塊に見えた。でも俺はさっさとこんな場所をおさらばしたいのだ。早く犯人を見つけなければいけない。

 鎖を抜かれた俺は、部屋の中を再び歩き回った。





 探し回った。

 転がる小さな小物も端々まで検分した。隅の雑多な雑誌さえも目を通した。


 わかったのは、神様は乙女だということだ。あまりにも趣味が偏っていた。化粧道具がないのが不思議なくらいだった。


 体は男で中身は女。人は生まれてくるときは最初、女として生まれると聞いたことがある。逆だったら説明がついたのに。


 半日費やして部屋を掃除した気分だった。傍にはずっと死体があったのに、気分が悪くなることはなかった。


 チトセは度々ベットと部屋の外を行き来した。たまにポンがポンポン言うのが聞こえてきたから、チトセなりに何かを掴んでは、ベットに戻って黙々と思案していたんだと思う。


 意見の交換でも図ろうか、そう思ったのは手詰まりになって大分経ってからだった。

「チトセ。なにかわかったか」

 ベットで体育座りをしていたチトセを呼びかける。聞こえない距離じゃないのに、彼女は身じろぎ一つせずに、目を閉じていた。

 さっきは寝れないと言っていた。俺も、動きまわったが眠気は皆無だった。


「おい、チトセ!」

「・・・・・・うん。なにか、はわかったよ」

 含みのある言い方だった。

「教えてくれ」

「いや」

「は」

「いや」

「なんでだよ」

「教える必要がないから」

「意味わかんねえ」

「そっちだって」

 

 右手が、熱くなる。

 自分のこれに名前がついているなら、破壊衝動だ。俺は殴りたくなっている。チトセじゃなくてもいい、なにか、壊せるようなものを、殴りたい。


 これ以上酷くなる前に会話を切り上げる。

「そうかよ」

 なのに、チトセはまだ会話を続けようとする。

「そうかよ、ってなに」

 そんな意味のない言葉で聞き返すなよ。チトセと一緒の時間は、不毛だ。

「もういいよ。俺が悪かったって」

 意思疎通は図れなかった。

「まだ終わってないのに」

「もう終わりだっつの」


 俺は部屋でひとつだけの出入り口から、外に出た。

 ただ真っ暗な世界というのは、部屋の中で目を閉じるのとは違う。もっと、冷たい。


「マナブだポン」

 闇の中で、動けない兎が白い姿を見せていた。レコードの針のようにキリンが頭を突き刺しているのが妙にシュールだった。


「犯人はわかったポン?」

「捜査の途中だ。それより、訊きたいことがある。一つ目だ。ポンが嘘をついたらあのルールは適用されるのか」

「されないポン。あれが適用されるのは、今はマナブとチトセとシマナガシだけポン」


 ポンの嘘を暴くことはできないらしい。このルールを確認する術はあるが、したところで意味がない。質問をしても信じる必要がないと割り切れるのは、気分が楽だった。


「二つ目だ。この世界に生きている、その三人以外の存在の名前を羅列しろ」

「いないポン」

「ポンは?」

「正確にはポンは生きていないポン。心臓もないポン」

 チトセに乱暴に振り回されていながら無傷だったのは、そもそも概念としてそういうものがなかったからなのかもしれない。


 これが本命だ。


「三つ目だ。俺とチトセとシマナガシのうち、なんで俺とチトセだけ一緒に目覚めた」

 シマナガシだけが除け者にされていた理由。

 正解への糸口があると、俺は思っていた。


「それは質問が間違っているポン」


 ポンは、身動きが取れない弱者の状態で、怯むことなく俺に吹き込んだ。


「チトセとマナブも、最初は別々の場所にいたポン。チトセがマナブを先に探し当てたポン」





 部屋に戻った。チトセは、ベットで蹲ってぼつぼつ独り言を祝詞のように繰り返していた。

「私が悪いんじゃない私が悪いんじゃない私が悪いんじゃない・・・・・・」

 俺の幼馴染はこんな女だったかな。


「チトセ、質問に答えてくれ」

「なに」

 会話のキャッチボールは成立した。


「暗闇の中で、ポンに会う前、俺に会う前、神様に会ったか?」

 嘘なら、反応が出る。

「会ってない」

「・・・・・・本当だな」

「本当だよ」

 チトセに変化はなかった。二回目の嘘でどんな変なものを見せられるのかわからないが、それにしては無反応に過ぎた。真実なのだろう。


「目覚めたとき、一人だったんだな」

「うん」

「なんで隠してた」

「言う必要がなかった。そもそも、マナブは訊いてないよね、わたしに」

 思い出そうしたが、そんな些細なことまで覚えていない。

「そうだったかもな。次は」


「次は私」


 チトセが起き上がる。黄色いパジャマのボタンは、胸が窮屈だろうに、一つも外されていなかった。


「マナブは私が好き?」


 くだらなかった。

 神様が死んで。

 シマナガシが地獄に落とされて。

 無為な時間がどれだけ経っても現実に帰る目処はついていないのに。


「好きだよ」



「マナブ、罰だポン」



 空が近い。

 見渡せる。海の水平線、山の頂上、民家の屋根、シマナガシ。

「――――」

 シマナガシの口が動く。

「――――」

 振り向くと、チトセもいた。口が動いていた。

 二人とも、声が聞こえない。

 ドアが開く。

 神様だ。

 神様?

「怒らないでくれ」

 そう言ったんだ。

 ビルの屋上で。

 チトセが、

「私は、マナブだけが好きだよ」

 そう告白して。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしたんだっけ。


「マナブ? マナブ?」

 体が揺さぶられる。視界は戻った。記憶は残った。チトセが立っている。


「ビルの屋上に、神様と、お前と、シマナガシが――違う、あいつはそんな名前じゃない」


 シマナガシ? そんな馬鹿げた名前の日本人でいるわけないだろ。なんで順応したんだ。


「チトセは、すぐに受け入れたよな。シマナガシって名前に」

「うん・・・・・・」

「お前、シマナガシの本当の名前、知ってるんじゃないのか」


 目線を泳がせた態度で、明らかだった。

 チトセは何かを隠している。

 俺は訊きなおした。


「知ってるのか?」

「返答は、待って。その前に、マナブが何を見たのか、教えて」

「お前がビルの上で俺を好きだと言っていた」

「それは一回目?」

「俺は何度も告白されてるのか?」

「違うの。一回目に嘘をついたときに、視えたの?」


 一回目。ビル。誰かが落ちた。

 落ちた誰かは、まだ暗闇の中だ。


「一回目は違う。二回目だ」

「そう・・・・・・わかった。答える」


 深呼吸する音。言わなくても、わかっているのに。


「知らない」


「・・・・・・は?」



「チトセ、罰だポン」



 死んだ魚のように、チトセの口があんぐり開く。目線の先には俺がいるのに、濁った瞳はレンズにキャップがしてあるカメラのようだった。チトセは何を視ているのだろうか。

 首の骨が折れたのではと危惧するほど、がっくりとチトセの首が垂れ下がった。


「・・・・・・ああそっか。だから神様・・・・・・」


 顔を上げたチトセ。視るたび、老けていく感じがする。

 俺はチトセの胸倉を掴みあげていた。二十歳を超えた女の乳房の重みに耐えられず、黄色いパジャマの一番上のボタンがどこかに飛んでいった。


「どうして嘘をついたんだよ。わざわざあんなもの視なくたって」

 チトセは首を横に振った。

「簡単だよ。マナブと同じものを視たかったから。それよりさっきの質問の答えは待ってね。もう少しでまとまるから」

「おい、立ち上がるなって。もう少し安静に」


 俺の制止を聞かず、チトセは立ち上がって、黄色いドアにもたれかかった。

 呆れるしかなかった。幼馴染の強情さと強靭な精神に。



10



 そういえば、ロリ系パンクみたいなこの部屋には、黄色いドアというのは異質じゃないだろうか。部屋のすべてがピンク色に統一されているわけじゃない。雑誌は普通の色使いだし、シーツはクリーム色をしている。だとしてもそれらは調和しているように思えた。


 何故なのか、不思議に思ってドアを眺める。

 下から黄色いドアを眺めていると、中腹からのぼった辺りで、チトセの頭だけが見えた。


「うおっ」

「・・・・・・なんで、人の顔見て驚くの?」

 悲しそうな声を出すチトセはひとまず置く。首だけお化けみたいで少し驚いてしまっただけだ。頭だけだなんてまるでポンだ。


 そうか。チトセの服装がドアの色合いが一緒のせいで、チトセの頭しか判別できなかったのだ。カメレオンのような擬態だが、よくよく見れば微かに衣服の輪郭も見ることができた。


 もしかしたらポンの体も世界と同化しているだけで、俺には見えていないだけじゃ・・・・・・。って、そんなわけがない。ポンの頭が地面にくっついているのを俺は見ているわけだし――。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」


「どうしたの? 何か思い出したの?」

「俺は、見えていないものを見えていると、いや、勝手に思い込んでいたんだ」


 常識に囚われた思い込み。

 ポンの中身があるものだと思っていた。

 心臓を含めた臓器があるものだと思い込んでいた。

 けれど違うんだ。


「チトセ、どいてくれ。ポンに確認したいことがある」

「う、うん・・・・・・」


 ドアの前からどいてくれたチトセは、ドアの外までついてきた。

 俺はキリンに押さえつけられたポンに尋ねた。


「真相がわかった。ひとつだけ、質問がしたい」

「なんだポン」

「お前はなんだ?」

「ポンだポン」


 チョップをかましてやろうかと思ったが、俺の質問が悪かったと思い直す。あせるな。大丈夫だ。この道筋は正しいと断言できる。


「悪かった。質問を変える。お前の中身はなんだ?」


 その質問に、ポンは停止した。

 揺れ動いていた耳さえもその場で凍結していた。


「・・・・・・マナブ、どういうこと?」

 チトセの問いかけ。俺はそれを言葉ではなく、行動で示した。

「今教える。ついてきてくれ」


 ドアをくぐって部屋の中へ進む。

 そこには、脈のないサラリーマンがいる。ビルの屋上に、三人で立っていたうちの一人だ。

 胸に突き刺さった刃物に、チトセが呻くような小さな声を漏らした。

 グロテスクだ。けれど、俺はこれに恐怖感を覚えなかった。


「当たり前なんだ。怖いわけがない。だってこれは――」


 ポンはヒントを何度も出していた。

 ――ロボットじゃないポン。構造が一緒な分身だポン。

 ――正確にはポンは生きていないポン。心臓もないポン。

 これは本当にゲームだったのだ。


 俺は、サラリーマンをおもいっきり、力の限り、蹴ってみた。


「いたい! ・・・・・・別に蹴らずとも、話しかければ正解だと教えてあげたのに」

 ソファから男がずり落ちる。


 ファンキーな部屋で一際赤いワイシャツを着こなした神様は、少しだけ不服そうに、死体の役目を終えた。



11



 ソファに座り直した神様。ポン専用の台座があるようで、神様と同じ目線で俺たちを見ている。俺たちはというと、新しく創造されたソファに一人ずつ座っている。


 シマナガシが、照れるように頭を掻いた。

「いやーごめんね。神様が美味しい役所だからってあんまりに薦めるからさー。女優肌だからって何度もおだてられてついね」


 ニーチェの言葉の引用も、台本だったらしい。たいしたもんだ。

 ポンの毛が真っ赤になるのも、自分でどうにでもなるらしい。


「まんまと騙されたよ」

「見ていたけど面白かったよ。現実なら包丁の指紋取って終わりなんだから、指紋検査の機械をまるごと兎に出してもらえばよかったのに」

「ポンだポン」

「そうだったね」と、親友は悪びれもせず笑った。

「結局、お前の本名はなんなんだよ」

 

 緩やかな空気の中で、さらりと忍び込ませた質問。

 けれどもその空気は思ったよりも強靭で、俺の刃は届く前に揉み消された。


「そんなことより冷奴食べなよ。甘くて美味しいよ。ここで暮らしたいよ」

「だめだポン。ここは神様のお部屋だポン」

「お家賃いくらくらい?」

「人のお金じゃ値段はつけられないポン。そもそも、神様は物を買わなくていいから通貨なんて――」


 強く、研ぎ澄まされた、ミサイルのような弾劾。

「いい加減にして!」

 チトセが身を震わせていた。和やかな空気は核爆弾が破裂した後みたいに

その名残も残さず消え去った。


「まだ、終わってないよね・・・・・・」


 神様はゆったりとビールを口付け、ポンの耳は草葉のように揺れ動き、シマナガシは暇潰しに携帯を弄るような無味乾燥の顔をしていた。


 狐が相手を呪うんじゃないかっていうぐらいおっかない顔をしたチトセが、誰かの名前を呼ぶ。


「ずるいよね。アイカはどうしてここにいるの?」

「・・・・・・つーん」

 アイカと呼ばれた――シマナガシは、そっぽを向いた。

「質問に答えろ、泥棒猫!」


 チトセの激高を買うという対価。


 言い足りず罵ろうとするチトセに先んじて、拍手の音が響く。神様のものだった。


「まあまあ。言いたいことはあろうが、とりあえずあれじゃ。褒美じゃ。ゲームの褒賞じゃ」


 ソファの上で高らかに手を打つ神様。まるで俺たちがお白洲の上にいるような気分だ。

 チトセの反論の前に、またしても神様が先手を打つ。


「褒美は――記憶じゃ。ポン様、お願いします」

 敬われたポンの瞳が赤く光った。


「マナブ、チトセ。リコール」



12



 曇天の下。屋上で、三人の男女が互いを見合っていた。


 胸の大きな女が、ドアから出てきた男に告白した。

「私は、マナブだけが好きだよ」


 男は、その言葉に胸を打たれたような感動を味わった。そして同時に、苦しかった。


 もう一人の女は、お腹が張っていた。

「アイカだって、マナブが好きだよ。マナブも好きだよね。アイカとあかちゃん」

 妊婦は、張ったお腹をさすった。


 男は、その言葉に涙をくべるほど温かくなった。命に感謝をしていた。


 胸の大きな女が男を追求する。

「マナブは・・・・・・。結婚する気なの?」


 男は、妊婦を見た。妊婦は卑しく笑んだ。男は理解する。頷くしかないことを。

 男は情けない男だった。一夜の過ちを犯した。

 男に依存するしか能のない女にたぶらかされたことを、男は気付いていなかった。

 男は嫌々――頷いた。


「そう。・・・・・・私は、マナブだけが幸せになってくれればいいんだ」

 天女のように優しく微笑んだ男の幼馴染は、胸の合間から料理包丁を取り出した。

「死んでよ。アイカ」

 人肌の包丁は、冷たい手に握られる。

 

 男は、体が動いていた。


「やめろチトセ! こんなことしてお前が捕まったら俺は」

「いいのマナブ。私の幸せなんかより、マナブの幸せが欲しいの。神様がくれないなら、私がうみだしてやる」


 叫んでビルの鉄柵にもたれかかる妊婦。その瞳は自身を守ることしか考えていなかった。


 走るチトセからナイフを手放させようと、マナブは手を握った。さながら挙式のケーキ入刀のように、二人は鉄柵で待ち構えるアイカのもとへ走った。


 刃が突き刺さる直前。


 アイカは、腹に仕込んであったバスケットボールを取り出して身代わりにした。女は臭いでわかっていた。けれど男は気付いていなかった。赤ん坊が捏造であることを。


 車のブレーキでさえ急には止まれない。男の困惑した頭では勢いづいた足を停止させることができなかった。


 必然、鉄柵に下半身がぶつかった。急激な勢いが上半身に残り、上体は傾き、視線から空が消える。見えるのは車の通るコンクリート。


「マナブ!」


 叫びながら手を伸ばした幼馴染の腕を、男は取った。蜘蛛の糸に見えたのだ。

 ガンダタとなった男は、見上げて知ってしまった。

 糸を根元から崩した汚れた元妊婦の顔を。

「二人とも死んじまえ!」

 下半身を持ち上げられたチトセの目尻に、涙が溢れるのをマナブは見た。

 抱きしめ合った二人は、ビルの足元で死亡した。



13



 目が覚めたとき、部屋からは俺の姿をした神様とシマナガシことアイカが消えていた。

 ポンがソファの上に鎮座していた。


「思い出したポンか?」

「・・・・・・語尾は、そこなんだな」

 搾り出した笑い声は、掠れていて、伝わったのか不安だった。

「神様たちは?」

「あの二人は虚像だポン。わかりやすく言えばホログラムだポン」


 実像がない、とポンは言うが、俺には蹴った感触があった。どういう原理かわからないが、天国とはこういう仕組みらしい。改めて驚く。


 部屋の中には一切の変化がない。ここには一度だけ来たことがあった。情事のあったアイカの部屋だ。その時も変な部屋だと感想をこぼした気がする。


「化粧台がないのは、俺の顔を確認させないためか」

「そうだポン。ちなみにチトセからも、神様は自分の死んだ姿に見えていたはずだポン」


 隣の衣擦れ。ポンとの話を区切り、横を向く。

 体を起こしたチトセの目から、一筋の雫が垂れていた。

 俺はなにより、彼女に謝らなくてはいけない。


「チトセ」

「・・・・・・」

「悪かった」

 土下座した。チトセの顔は見えないが、声は平坦に思えた。

「妊娠させたこと? あの女を信じたこと? あの場で私の手を取ったこと?」

「・・・・・・」


「ヒントをあげる。私が怒っているのは一つだけ」


「でも俺には、そのすべてを謝らなくちゃいけないように思える」

 仕事で失敗した俺がヤケ酒で泥酔してその場だけ寄り添ってくれたアイカに手を出したのは事実だ。それが捻くれ曲がってあんな結果を生んだのだ。

 謝っても謝りきれない。許してもらえないのもわかっている。

 それでも、もう死んだ俺には、謝る以外の選択肢がなかった。

 チトセの手が、俺の髪の毛をやさしく梳いた。


「答えはね、浮気したこと。私じゃなくてアイカを頼ったことを怒ってるの」


「だって、迷惑・・・・・・」

「本当に好きな人の心配事が、迷惑なわけないでしょ。私にぶつけて欲しかったよ。今度からはそうしてね」


 今度。


 でもそんなものはない。もう俺たちは天国の中だ。

 俺は、最愛の彼女に泣きついた。

 チトセは、ずっと俺を抱きしめてくれた。




 俺たちは泣きあった。呆れあった。怒りあった。笑いあった。

 納得のいくまで一昼夜にあたる時間を話し合い、恋の和解を果たした。

「――二人は輪廻の輪に組み込まれるポン」

 ポンが台座の上で厳かに言う。俺とチトセは手を繋ぎながらポンの言葉を聞いていた。

「では、来世で、会いたいポンか?」

「会いたい」

「会いたい」

 叶うかどうかなんてわからないけれど、俺たちの願いに嘘はなかった。



14



 兎が台座に座った部屋に、頭に輪のつけた女性が舞い降りてくる。

「裁定者様。ご苦労様でした」

 天女に頭を下げられた兎は、ふむと頷き、経典を詠むかの如く低い声を発した。


「行いが善きか悪きか判断を下す。しかし地獄に落ちるか否か、そんなものは存在しない」


 兎の頭上で光の輪が輝きだす。浮遊の効果を持った兎は、次の死者のための準備を始める。


「死んで尚、恨みを持つ魂は許されない。だから話し合え」


 裁定者は、天国へ向かった先程の男女を見上げていた。



あとがきその2

 自分は話の区切りが多いとよくわかりました。一般的な文章でどのくらい区分けをするのかわかりませんが、wordで2ページに一度の割合で章を区切っていたことに気付けたのが何より大きい発見でした。


あとがきその3

 途中で数多の宗教について小指の爪先くらいだけ触れていますが、特に宗教に思い入れがあるわけでも、優劣をつけているわけでもありません。


あとがきその4

 試験導入的な空白行ですので、見難いなどあれば仰ってくださいませ


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