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同僚の女の子が急に自分のことを僕と言い始めた理由

作者: gumi

 三が日が終わった。

 がたんがたんと電車に揺られながら、僕は周囲に視線を巡らせた。

 まだ僕を中心とした半径50メートルだけでも正月気分は抜けきっていないようだ。お揃いのショップバックをもって学校の話題に興じる私服の学生も、大きな荷物を抱えて帰省してきた家族たちも、おもちやおせちよりもカレーライスが恋しくなるはずだ。


 僕は先取りして元旦からカレーライスを立ち食いチェーン店で食べた。その次の日はコンビニお弁当。おせち?おもち?31日にカップそばを食べたことをほめて欲しいくらいだった。悲しくなんてない。


 今日は仕事だった。

 会社の仕事始めは5日からだった。今年は仕事が立てこんだ関係で30日が仕事納めになってしまった。社長の温情によって休みが伸びたのだ。

 ――僕以外は。

 世間は4日から働き始めるため顧客の対応として4日は電話番を置く必要があって、僕は名指しで指名された。部長を恨んでも恨みきれない。あのイケメンはこの世で一番いい笑顔を僕に向けて「君は他のメンバーと違って一人暮らしだし、融通が効かないかな?な、お願いされてくれないかな」と断れきれないほどの圧をかけてのお願いを断れる存在がいるだろうか。いや、同僚のキツ目な物言いでお馴染みの佐伯さんならできそうだけど、僕には無理だ。更に、部長には年末徹夜作業の時に年末帰省しないことを会話で漏らしていたのが痛恨だった。断る理由が面倒以外にないのだから。

 そんなわけで、僕は一人寂しく電話番のために朝もはよから今と同じような(それよりもワクワクしたセールだの初詣に友達と一緒に出かけるらしい)三が日抜け切らないズに挟まれながら出勤し、冷たいオフィスで過ごしたのだった。

 ただ、1つ、いいことがあった。

 電話を待っているだけだから、対応さえきちんとしていれば他の時間は自由にしてよかった。普通の休日出勤しての電話番は他の社員がいることが多いので、庶務作業したり仕事をしていたりする。

 けれど、今日は別だ。

 誰が悲しくて、このウキウキ楽しげ年始にひとり悲しく一足先に真面目に仕事をせねばならぬのか。電話番分しか働かない、空いた時間は趣味に使おうと決めていた。

 不良社員だというならいえばいい。それよりも家族と箱根温泉で年越しとかほざきながら、年末の仕事を僕に爆振りしてきた課長のほうが不良社員である。僕の上司たちは一癖も二癖もありすぎるんではなかろうか。はあ。


 さて、そんな不幸な職場環境で健気に頑張る僕にはちょっと人には言えない趣味がある。

 もちろん性癖に関係するものでも、アンダーグラウンドな法に触れるようなシロモノでもない。そんな趣味を会社でやってしまえば変態である。警備員のおじさんはいるので、そういったイケないことはするわけがない。いなかったらするわけでもない。当たり前だ。振りじゃない。


 僕の趣味は、物書きだ。

 人に見せたこともない。自己満足の文章を、ただただ自分の感情やその時感じた瞬間を文字で切り取った、自分でない誰かが自身のかけらを吐き出す。一種日記のようなもの。

 文庫サイズのメモ帳に感情を書き連ねていくのが、僕は大好きだったのだ。

 僕は三が日ぼんやり過ごした間に思いついたタイトルをメモ帳のタイトルに書いて、あとは4日に本文をかくだけにして電話番に望んだ。

 今まで思いつきを書き留めるだけだったけれど、人のいないオフィスというのは存外筆が走るものだ。結構会心の出来になったのではないかとおもっている。今回はオフィスという環境のせいか社員がモチーフになりがちだった。

 ちなみに、電話は一度もならなかった。


 電車のなかは外気温と大きな差があって、暑いくらいだ。僕はスーツの首元を緩めてリュックサックを抱え直す。もうそろそろ僕の降車駅にたどり着く。リュックサックから定期入れを取り出そうと手前のチャックを開く。

 そこに、いつもはあるはずの僕の愛用するメモ帳がない。厚めのメモ帳はそろそろ残り僅かになってきているものの表紙がくったくたになっていたので本屋でもらう文庫カバーを補正用にセロハンテープで貼って、使っていた。特徴的な、あのメモ帳がない。

 あれ?大きいところに入れたろうか?ない。

 さっと血の気が引く。

 忘れてきた!?

 ジャケットを着るときに一度ロッカーの上に置いて、そのままにしてきてしまったような、気がする。

 明日から会社がはじまるし、そうでなくても警備員のおじさんが巡回してちらっと見られてしまうかもしれない。不倫を題材にしたものもある。もちろん架空の物語だけど、モチーフが会社の社員だ。ゴシップ好きなおっちゃん達が信じてしまったら……しかも僕の文字で書かれているから、社員に見られでもしたら……。だ、だめだ。会社にいけなくなってしまう。不良社員どころか不良債権扱いされて首を切られてしまったら……!それに自分の書いたものが誰かの目にさらされるなんて、まだ覚悟ができていない。恥ずかしさで死んでしまうかもしれない。

 降車駅を乗車駅に変えて、僕はメモ帳をとりに戻ることにした。

 飛び乗った電車は相変わらず三が日の残り香を漂わせていて、通勤時よりも僕の気持ちをささくれ立たせるのだった。


 駅から会社までの競歩は遅刻しそうな時ですら凌駕する新記録を樹立した自信がある。

 冷たい風がいっそ心地よいくらい息を切らして裏口に向かうと、顔なじみの守衛さんが驚いた顔をした。

「あんれ、どしたんけ?あんたもわすれもんけ?」

「え?ええ、そうなんです」

 そういって社員証を機器に通し、訛りがとれないまま早3年の守衛さんから紙ファイルを受け取った。休暇中の入退出はセキュリティ上の関係から社員証を通し、さらに入退出一覧表に入った時間と退出した時間、ソレに署名を記載しないといけなかった。

 僕は朝出勤した時刻すぐ下にかこうとして、固まった。


 佐伯さんの名前が、あった。


 さっきの守衛さんの「あんたも」という言葉。

 佐伯さんも僕と同じく忘れ物を取りに来たのだろう。だから、目的が定まっているし、きっと間違って僕のロッカーのメモ帳にいくこともないだろう。ないはずだ。ないに決まっている。

 心臓がはらはらしようとするのをなんとかなだめながら、僕は忘れ物を目指す。

 オフィスには、白白とした光が灯され、その中には女性の姿があった。

「……あら、おつかれさま」

 もちろん、入退出一覧で見た佐伯さんだ。その情報がなければ普段の彼女と印象が違いすぎてどなたさまでしょうか?と聞いてしまっていただろう。

 いつもは赤い唇、目もとやまつげもバッチリで綺麗な亜麻色髪はきっちりカールがかかっていて高い位置でまとめられ、ブランド物のスーツをバッチリ着こなした佐伯さんはしっかりモノが言えてちょっとヒステリー気味、年齢は知らないけれど、きっと適齢期を過ぎた行き遅れ気味女。それが佐伯さんへの印象だった。

「おつかれさま、です」

 本当に佐伯さんだよな?と思いながら一歩だけ近づく。

 今日は化粧が薄く黒縁のメガネをかけている。それに髪も降ろされているし、服装はオーバーサイズのニットと細身のパンツ、スニーカーとスーツ姿と印象が違いすぎた。だが顔の造形や声からして、佐伯さんなのだろうが、通常営業より5つほど幼く見えた。

「君の方こそ。電話番お疲れ様。どうかしたの?」

 汗をかいて挙動不審な僕に不思議そうな佐伯さん。僕は「忘れ物です」と苦笑した。

「ふふ、わたしもなの。続きが気になっている本をうっかり忘れちゃって。我慢しきれなくなったの」

 彼女は文庫カバーがかけられた本を掲げてみせた。

「さ、続きを読みたいから、わたしはかえるけれど、戸締まりお願いしてもいいかしら?」

「え、ええ。お任せください!」

 願ってもない。僕が頷くのを見ると、佐伯さんは嬉しそうに、ちょっと鼻歌でも歌い出しそうなほどの様子で歩いて行った。僕はその後姿を眺めながら、佐伯さんの印象が変わっていった。

 今度、何を読んでいるのか聞いてみよう。ワクワクして止まらないというのは佐伯さんの印象を打ち破ってエンタメ系だろうか?それとも純文学系だろうか。それともやっぱり新書系かもしれない。なんにしてもあんなに楽しそうな佐伯さんは部長を言い負かしてプロジェクトの予算を勝ち取った会議以来ではなかろうか。

 これはまた新しいネタになるぞ、と僕は隠れた原石を見つけたような喜びを胸にロッカーへと向かい、その原石を取り落とした。

 メモ帳がないぞ?

 ロッカーの上はまったく綺麗なものだ。

 僕はもう一度今日一日を思い出す。

 ロッカーの中。――ない。

 デスクに置きっぱなし。――ない。

 もう一度鞄の中。――ない。

 どこに置いた?どこにやった?僕はしばらくオフィスの中をぐるぐるぐる回る。

 とうとう、探すところもないぞ、と思った。そんなときふと、目に入った棚の上にポン、と僕のメモ帳が見えた。

「ああ、こんなとこに……置いたっけ?」

 ほっとして手に取ると、僕が補修につかったのと同じ書店の文庫カバーだが、中に補修用のテープは貼られていないし、僕が必要としない栞が挟まれている。そこを僕はおそるおそるその栞に指を這わせた。これは最悪のパターンだと思った。あの楽しげな後ろ姿がよぎる。ああ、ここに僕の文字が広がっていなければ、彼女が持って行ったのは。

 栞にそって、ぱたん、とページは開いた。


『 ミーシャはどうしたら良いのかわからなかった。

「愛している、どうして信じてもらえないんだ!!」

 彼の言葉を信じられないわけじゃない。

 ミーシャの心が弱いから、だから伯爵の手を話すことを選んだ。

「どうかご自愛ください」

 心が千切れそうな悲鳴を上げている。ミーシャだって愛していた。愛している。

 伯爵をお守りするためには、この手段しか選べない――。

 』


 そんな文章と、イケメンと美少女が向かい合う美しい少女漫画風の挿絵が飛び込んできた。


「えっ」


 ガチャン!と勢い良く扉が開いた。


「君!!」


 振り向くと、そこには髪を振り乱した佐伯さんが僕を見て、そして手元を見た。

 運動の紅潮とは異なる熱が彼女の耳まで赤くしていくのが見て取れた。


「……みた?」

「……はい」


 佐伯さんはがっくりと肩を落とす。

「これ、佐伯さんのですか?」

「……そうよ。好きなの」

 ぱらりぱらとめくると少女と伯爵がお互いに想い合いながらもくっつかないじれるシチュエーションでストーリーが進んでいく、少女向けのライト小説のようだった。栞の位置からみるとほんとうに丁度山場だったようだ。

 佐伯さんは不貞腐れたようにあさっての方向を向いていった。頬はまだ赤い。

 ティーン向け小説を読んでいることを会社の同僚に知られるのは、やはり恥ずかしいだろう。

 僕だってライトノベルは読むけれど、ドラマ化された作品でもない限り、会社で読もうとはしない。特に萌え小説だと表紙だけであの難物課長と部長にからかわれるのは見えていた。

「キラキラしてる話が、好きなんだけど。わたしはそういうの似合わないから、ってずっと避けてたんだけど、姪が持っているのを読ませてもらったら面白くて……。でもやっぱり、乙女趣味ってバレたくないじゃない、一応、威厳ってもの、あるんだし……」

 佐伯さんの口にする理由も分かっているし、僕は今の立ち位置が佐伯さんをからかったりできるようなモノでもないとわかっていて、苦笑する。


「いいんじゃないですか、好きな本が何だって。ちょっと恥ずかしくっても、それは世の中に恥じるようなことじゃないですよ。威厳っていうのもわかりますしね。弱み、握られると予算とりにくくなるでしょうし」

 佐伯さんはようやくこちらを見た。ちょっと驚いたような顔をしていて、僕のほうが驚いた。

 僕だって言いふらすようなことはしない。


「それに、ここに来たってことは、佐伯さん、見たんでしょう、その」

 言いよどむ。

 だって佐伯さんの手の中には僕の弱みが握られている。

 僕の手には佐伯さんの弱みが握られている。

 それを言いふらして、だれもいいことはない。


 佐伯さんは合点がいったようで、ちょっといたずらっぽく笑う。


「『僕』と君の秘め事だね」


 それは今日僕が一番会心の出来だとおもっていた、佐伯さんをモデルにした小説の一文だった。

 今度は僕が顔を真赤にする番だった。バレた!そう思ったのだ。


 僕らはお互いに赤面していることを認めると、吹き出して笑った。


「今度、その続き読ませてね」

 そうやって秘め事のやり取りをするときだけ、佐伯さんが『僕』と自称する秘密のやり取りが始まった、キッカケの話。

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