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【後編】

 懐かしい故郷の潮風を感じながら英明が港へ着くと、そこには既にいつもの場所で釣りを始めている健二の姿があった。


「なんだよ、俺の方が先に着いたと思ったのに」


 英明が健二の横に荷物を置くと、健二がウキを見たまま呆れたように答えた。


「十分前行動は社会人として当然だろ? というか英明は三分遅刻だからな」


「いちいち細かいっつーの、お前はホント相変わらずだなぁ」


 そう言うと英明は慣れた手つきで竿に疑似餌ルアーを取り付け、勢いよく海へ投げ入れた。


「そういやあ、俺たちが最後に会ったのっていつだっけ?」


「大学卒業して以来だから……七年ぶりってとこか?」

 健二が胸ポケットから煙草を取り出して咥えると、片手で竿を持ちながら火をつけた。


「もうそんなになんのか。俺も歳取ったなぁ」

 英明は自嘲気味に笑った。


「何言ってんだ、まだギリギリ二十代じゃねえか。そういう台詞は還暦まで取っとけよ」

 健二が冷やかすように笑うと、大きく煙を吐き出した。


「うるせー、俺はお前と違って毎日忙しいんだよ。……でもお前はいいよなー、ずっとこの地元で働けて」

 英明は遠くを見るように言った。健二が横目でちらりと英明を見る。


「そうか? 俺からしたら、お前みたいに遠くで働いてる奴が羨ましいけどな。ずっとこんな田舎町に閉じこもってるってのも息が詰まるぜ」

 健二の言葉に、英明はふっと小さく鼻で笑った。


「確かに、そうかもな……この町には思い出が多すぎる」

 妙に詩的な言葉を口にする英明に健二も小さく笑った。


「なぁ……覚えてるか? 高校生の時にここでやった賭けのこと」

 健二の言葉に英明の頬が少しだけ動いた。


「"シュレディンガーの魚"……だろ?」

 英明がにやっと笑いながらそう口にすると、健二は思わず噴き出した。


「なんだよその呼び方。まぁ、間違っちゃいないけどよ」

 健二は煙草をくわえ直し静かにリールを巻いていく。


「でもよー、今考えてもあの時の賭けほど無茶苦茶なものは無かったと思うぜ?」

 当時のことを思い出した英明が、怪訝けげんな顔で健二を睨んだ。


「でもまぁ、それはもう時効だろ? 気にするなよ」

 健二はひょうひょうとして英明の視線をかわす。


「いや、だってよ──


 英明は反論するように健二に食って掛かった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ーー 十二年前 ーー



「は? 何これ?」

 クーラーボックスの蓋を開けた英明は唖然とした。


 その中には、一匹の小さいカニが入っていた。


「何って……イソガニだよ、さっきそこで拾った」

 健二は悪びれる様子もなく言った。


「え? っつーことは、俺の勝ち?!」

 英明は思わず顔を綻ばせた。


ちげぇーよ、最初に言っただろ? お前の勝つ条件は『クーラーボックスに魚が入ってた時』だけだって」

 健二が淡々と説明した。


「おまっ……ふざけんじゃねーよ! それじゃあどうやってもお前に勝てねーじゃねぇか!」


 公平だと思っていた勝負が裏切られたことによるショックと怒りが爆発し、英明は思わず健二の胸ぐらを掴んだ。


「落ち着けって! 俺も負けたんだよ。この賭けは」


「……は?」


 英明は健二の言葉の意味がわからず、そのまま固まった。


「俺の勝つのは『クーラーボックスが空っぽの時』だっただろ? だからカニが入ってたら俺の勝つ条件も満たしてないんだよ」

 そう言うと健二は胸ぐらから英明の手を外した。


「……待てよ。なおさら意味わかんねーよ! 二人とも負けるってどういうことだよ」

 なおも興奮が冷めやらない英明をなだめるように健二が口を開く。


「わかったよ。ちょっとここに座れ」


 二人は再び堤防の端に座ると、健二がゆっくりと話し始めた。




「美由紀の奴な、俺らには黙ってるみたいだけど、今付き合ってる奴がいるんだとさ」




 健二の言葉が英明の胸に鋭く突き刺さった。口をぽかんと開けたままの英明を見た健二は、苦笑しながら話を続ける。


「あいつもなんとなく俺らの気持ちに気づいてたのかもな。変なとこで気ぃ遣いやがって、どうせいつかはバレんのによ」


 そう言って、健二はそばにあった小石を海へ向かって投げた。


「……あ、相手は?」

 英明が半ば放心状態のまま口を開く。


「さっき話した野球部エースの角田かくた君。しかも角田の奴から美由紀に告白したんだぜ。ははっ、俺らあいつに先越されちまったな」


 健二はわざとらしく笑って英明の肩を叩いた。英明も健二の目を見て乾いたように笑う。


「そっか」

 英明は置いてあった竿を手に取り、リールを全て巻き取るとルアーを外した。


「……悪かったな。その、お前の事からかうような真似しちまって」

 健二は少し申し訳なさそうに頭の後ろを掻いた。


「いいって……それに辛いのはお互い様だろ?」

 そう言って英明はにやっと笑い健二の胸を軽く小突いた。それにつられて健二も笑う。



「さーてと、それじゃあ気晴らしに野球部の応援でも行ってやるかぁ」


「だな、負けたら角田にブーイングしてやろうぜ」



 そして二人はまたいつもの様にふざけ合いながら港を出ると、それぞれの自転車にまたがり町営球場へと向かって行った。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「いやー、でもあの時は笑ったよな。まさかホントに負けると思わねーもん」

 英明が持っている竿を揺らしながらくっくと笑う。


「五回コールド負けだったっけ? クラスの奴ら全員ブーイングしてたよな。逆に俺らが、クラスの奴らにてのひら返し過ぎだろってツッコミ入れてたぐらいだし」

 健二も当時を思い出して笑い声を上げた。


「……でもあの時、最後まで一人で応援し続けてたの美由紀だったよな」


 最後に英明がぽつりと言った。その言葉に健二もどこか寂しげな表情を浮かべる。


「そう言えば、俺高校卒業してからあいつに会ってないんだよな。ほら、前の同窓会にも仕事で行けなかったし」

 英明は竿をそわそわと動かしながら、健二に言った。


「あぁ、美由紀が言ってたぞ。『ヒデちゃんは都会へ出て変わった〜!』って」


「ははっ! あいつらしいな」

 英明は笑いながらリールを巻く。


「……そういや、あいつ今何してんだ?」

 英明の問いかけに、健二は再び大きく煙草をふかした。


「この町の役場で働いてるよ。毎日保育園まで子供の送り迎えしながらな」


「そうか。結婚したんだな、あいつも」

 英明がどこか含みのある笑みを浮かべたのを、健二は視界の隅に捉えていた。


「……離婚したんだ、あいつ。二年前に」

 健二の言葉に英明の手が止まる。


「旦那さんが浮気相手と蒸発したらしくてな。だから今は美由紀がひとりで子供を育ててる。まぁ、それでもめげずに今も頑張ってるのはあいつらしいけどな」


 英明は一点を見つめたまま動かないでいた。健二は英明のその姿を見て、小さくため息をついた。


「……お前は? 結婚しないのかよ」


「ん、あぁ俺か? さぁな、いっつも仕事仕事で考えたこともねえよ」


 健二の言葉に我に返った英明は、そう言うと小さく肩をすくめた。


「ったく。遅刻常習犯のくせに、今やお前もすっかり社畜の仲間入りだな」


「ほっとけ」


 そんなやり取りのあと、健二は携帯灰皿に煙草を押し込むと英明の方を向いた。


「うちもな、もうすぐ二人目が産まれるんだよ」


「ほんとかよ! ってか結局、俺は健二の奥さんとも会えてないんだったなぁ」

 英明はため息混じりにそう言うと、肩を落とした。


「そうだな。確かあの時も、俺の結婚式の当日になって『急に仕事でトラブルが起きた!』っつってドタキャンしたんだっけ。お陰で俺の親友代表の挨拶をわざわざ美由紀が変わってくれたんだぞ」

 健二が口を尖らせながら英明に言った。


わりい! あの時は本当に申し訳なかった!」

 英明は竿を地面に置くと健二に向かって深々と頭を下げた。


 すると健二は英明の肩に手を置くと、英明に向かってこう言った。


「おいおい、お前の謝る相手は俺じゃないだろ?」


 健二がほらと言うと、おもむろに港の入り口を指差した。

 それにつられるように英明が頭を上げて、健二の指差す方向を見るとそこにはひとつの人影があった。




「やっと帰ってきたなー! この仕事人間めぇー!」




 聞き覚えのある、懐かしくもよく通る声に英明は目を見張った。


 そこには当時の面影を残しながらも、全身に落ち着いた大人っぽさをまとった美由紀が仁王立ちで立っていたのだ。



「……はは。マジかよ」


 英明は呆気に取られながらも、その目は遠くに佇む美由紀へと釘付けになっていた。


「今日お前とここで会うことを話したら、どうしても来たいってさ」

 健二がいたずらっぽく笑った。




「おーい、英ちゃーん! おかえりー!」




 美由紀が大きく両手を振った。思わず英明も手を振り返す。


「ま、お前が忙しいのはわかるけどよ、お前の元気な姿を待ってる奴らはここにちゃんと居るんだ。それだけは忘れんなよ」


 そう言うと健二は笑いながら英明の胸を小突いた。英明はふと高校時代のことを思い出す。



 英明はどこか気恥ずかしそうに一歩ずつ美由紀のもとへ歩き出した。だが、その途中で後ろから健二が思い出したように英明へと声をかけた。


「おーい! 英明!」


 その声に振り向いた英明に健二は言葉を続けた。



「シュレディンガーの魚のことだけどよぉ! 実はあの時一匹だけ魚釣ってたんだ! 小さ過ぎて自慢にならねーからリリースしちまったけどな! だからよ! 本当はあのクーラーボックスにはお前が諦める未来なんて入ってねーんだぞ!!」



 そう言うと健二は拳を高々と空に掲げた。


「あのバカ……」

 英明は照れ臭そうに笑った。


 英明が美由紀の所へ辿りつくと、美由紀は不思議そうな顔で英明に聞いた。


「ねぇ、ケンちゃんが言ってた"シュレディンガーの魚"ってどういう意味?」


「さぁ。な、何のこと?」


 英明はとぼけてみせたが、美由紀はいぶかしむように英明の顔を覗き込んだ。


「あー! その顔は絶対知ってる顔だ! いいから教えなさいよー」

 美由紀は英明の上着の袖を掴むと思い切り引っ張った。


「おい、やめろっつーの! この服、たけぇーんだぞ!」


「なによー、田舎育ちの英ちゃんにはもっと安っぽいTシャツがお似合いでしょ!」


「なっ……ふざけんな! お前だってなぁっ──




 二人のやり合う様子を眺めながら、健二は新しい煙草に火をつけてぽつりと呟いた。


「なんだ、美由紀のやつ。あんな楽しそうな顔、まだ出来るんじゃねえか……」


 いつしか健二の目には二人の姿が十二年前のあの頃の姿と重なって映っていた。





─終─

     

S(Schroedinger's)・F(Fish)の意。



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