第一話
「失礼しまーす」
僕はとある高校で図書委員長として働いている。元々本が好きで、騒がしい場所が苦手な僕にとっては最高の場所だ。
…一つの大きな問題点を除いて。
「先生ー?いないんですかー?」
今は本の卸問屋さんから届いた新冊の整理をするため、司書の先生の部屋に訪れている。…これが嫌なんだ。
部屋入り口付近の作業スペースに先生の姿はなかった。こういう時は…
「…またあそこに居るのか?」
僕の言う【あそこ】と言うのは、司書室の更に奥の奥の部屋の事だ。昔は本の量がえげつないくらい多かったらしく、緊急増築したそうだ。
今は寄付や廃棄処分で本の量が減った為、空き部屋となっている。
「しょうがない、行くか」
乱雑に積まれた本や雑多に並んだ本棚を避けながら僕は司書部屋の奥へ進んだ。
埃と煤にまみれながら奥へ進むと、見るからに古ぼけた引き戸がある。
引き戸には【第二書架】と書かれている白いプレート…の上にバツ印が引かれて、【司書私室 ※許可なしに入ったら×××を○○○するぞ】…と、とても教育施設に似つかわしくない文字が書かれている。
こんな事を書く人が本当に学校の司書というのが今でも信じられない、というより信じたくない。
「先生ー、本屋さんから新冊届きましたよー」
ノックしながら部屋に入る。あんな事が書いてあるが、図書委員長の僕なら特に問題は無いとの事だ。
「…ノリヒサか」
「だからなんで下の名前で呼ぶんですか」
「お前と同じ名字の知り合いがいると前に言わなかったか?」
「その人は学校にいないんですから問題はないでしょう」
「それもそうだな」
…この人がこの図書室の主、司書兼図書委員会顧問、【杉元 晴香】先生だ。
切れ長の瞳、一点の曇りもない黒色の長髪、薄くも厚くもない形の整った唇、一般的に【美人】のカテゴリに入る女性だ。
基本的に落ち着いたというかサバサバした性格で、端から見ればクールビューティーという言葉が一番似合う人だろう。
それと、さっき先生がちらっと 名前を言っていたが、僕の名前は【赤原 範久】だ。
一見完璧人間の様に見える杉元先生、だが…
「…また増えてますね」
僕の目の前には、キャスター付きの椅子に座った先生、大量の本、作業道具…それを上回る量のお菓子。
全部縦に積んだら天井突き抜けるんじゃなかろうか、コレ
「買ったら増えるのは当たり前だろ」
「僕はそういう事を言いたいんじゃありません」
「じゃあ何が言いたい」
「なぜ書架にお菓子がこんなにあるのか、という事ですよ」
「私が食べるからに決まっているであろう」
「それにしては量が多い、いや多すぎる気がするんですが」
「これが一日分だ」
「一日分だと!?」
軽く見積っただけでスーパーのお菓子コーナーの一角を占めるであろうこの量が一日分だと!?
「この前まで一般的な量でしたよね!?ポテチ一袋とかチョコ一箱とか!」
「もうすぐ寒くなるだろ?それまでに食い溜めせねばなるまい」
「アンタは熊か!?それにしてもこの量は異常です!」
「ほんはこほひっへもおなはがふくのはひんへんのへふりへ」
「話してる最中に食べ出さないでくださいよ!何が『人間の摂理』ですか!」
「なんだ?ノリヒサも食べたいのか?」
「いりませんよ!論点をすり替えないでください!」
ダメだ、話が通じない…話が噛み合わないのはいつもの事だが、今日はいつにも増して酷い、まるで余計な知識を得た子供と話している気分だ…
「ところでノリヒサ、私に用があるんじゃないのか?」
「ええありますよ、ありますとも!誰かさんの異常な主張に怯まされてすっかり忘れてましたけどね!」
「…(クルッ)」
「後ろ向いても誰もいませんよー貴女の事ですよー、杉元先生ー」
「…ハァ」
うわー、溜息つかれた、何も悪いことしてないのに僕が悪いみたいな空気になってる…二人しかいないけど。
「仕方ない、この時期だから新書の件か?」
「ええ、今届いたばかりなんでブッカーも何もしてません」
ブッカーというのは、図書館の本の表紙ににかかっているビニールカバーの事だ。基本的に埃が被らないように届いたらすぐに掛けるようにしている。
「よし、私が本のデータをPCに打ち込むからノリヒサは入力済みの本にブッカーをしておけ」
「わかりました」
この学校の図書室ではデータや資料関係は全てPCで管理されている。前の司書の先生は紙で管理していたが…
「【文庫版 織田信長伝記 新生書店】 【ソフトボールの神様 12 ポップコミックス 集団社】 【クッキングBooks 第37号 嫁姑社】、先週号の雑誌は全て希望者に配布、生徒からのリクエストを集計、延滞未返却本本日時点32冊、延べ28人、担任に通知…」
…何回見ても目を奪われる。目にも留まらぬ速さでPCにデータを打ち込む先生は先程までとは打って変わり、仕事の鬼と化した。
本のデータ入力を一分間におよそ150冊、雑誌や新聞などの日替わり本の整理、貸出中の本の管理…これらを全て同時に行っている。
当然ながら毎回来る本の種類はバラバラだ。だが一つのミスもなく仕事をこなしている。
「…ノリヒサ、手が止まっているぞ」
「あ、すいません」
いかん、作業が止まっていた…
「よっ…と」
先生のデータ入力が終わった本にブッカーを掛けていく。少しでも空気がブッカーと本の間に入るとやり直しが効かないので、どうも慎重になる。
一冊に数分を掛け、次の本に手を伸ばそうとして身を乗り出した。
「…っ!?」
僕の手は空を切った。あるものだと思っていたため、そのまま僕の体はバランスを崩して倒れそうになった。
無い。数分前まで目の前にあった山積みの本が無い!?
「ノリヒサ、それは何の部族の踊りだ?私は知らんな」
軽口を叩く先生。少しイラっとしながら先生の方を振り向くと、
…あった。本があった。しかし、何故そこに?何故そんな状態で?いつ?どうやって?
リラックスした様子で缶コーヒーを飲む先生の横には既にブッカーの掛けられた本の山があった。先生が使っていたPCはいつの間にかシャットダウンされており、あたかも最初からその作業をしていたかの様な雰囲気だ。
僕が作業を開始したのは先生とほぼ同時、僕が一冊作業を終える間に全部やったというのか…?
「何をボーッとしている、もう作業は終わったんだから休め」
「そ、その量を一人で?」
「私達以外に誰が居るというのだ、この程度造作もない」
答えるのも面倒と言わんばかりの口振りで答える先生。
本当に何者なんだ…
何年も図書室で働いている自分にとって、これは屈辱でもあり尊敬にも値する。
この人に頭を下げるのはかなり癪に触るが、仕方ない。作業の効率化について教えてもらおう…
「先生、あの…」
「…(モグモグパリパリピコピコダラダラ)」
「…」
いつの間にか床に引かれた布団の上でいつの間にかパジャマに着替えた先生は大量のお菓子を貪り、お尻を掻きながら携帯ゲーム機をしている。【ダラダラ】という効果音が世界で最も似合う人間ではなかろうか?
「先生、ここはどこか分かりますか?」
「私の部屋だ」
「書架です」
「空いているのだから別に問題はなかろう」
「そもそも学校でパジャマになる事自体がおかしいんですけど、まだ仕事終わってませんよ?」
「仕事は今終わっただろ」
「まだ昼休みです、授業の合間に生徒が来たらどうするんですか」
「お前がやれ」
「僕はそこまで暇じゃありません、司書で飯食ってるんですから最低限の仕事くらいしてください」
「最低限の仕事は今やっただろ」
「ですから」
「…zzz」
…
「お菓子全部持っていっちゃいますねー」
「!」ガバッ!
よし、起きた。本当に子供だなこの人…
目を潤ませながら懇願の目をこちらに向けている。自業自得だ。