やっぱり天然
美樹
私は家まであともう少しでしたが。後ろから視線を感じました。追われている。これはまさにサスペンスドラマにあるやつです。私は悪い人に追われている被害者になりきっていました。演劇部の私が自分以外の人格になりきることくらいお手の物。確かこんな時、
被害者は警察署に飛び込みすがりつくのであります。
「助けてください。追われています!」。気づけば警察署の方にすがりついていました。「ったく、待てよ!」後ろからは声がしました。聞いたことのある声でしたが私の演劇魂は止まりません。振り返り声のする方を指さし「この人です!」と警察の方に言っていました。警察のおじさんは、「この人は君を知っているみたいだけど…」と言い、そこで私はやっと我に返り相手が晶さんということに気付きました。あっ。また私はやってしまった。
先月も自分のおやつが無くなった事件を私が大事にし、家中大騒ぎ。犯人の母は出かけていて、夕方母が帰ってくるまで祖母、祖父、姉で謎解きをしていました。その時は主人公刑事の気分に浸っていました。そんなことが多々あるので家の中はいつも楽しく、うるさいのです。私は演技をするのが好きで、よく我を失ってしまいます。今回もそうです。
私は、警察の方と晶さんに謝りました。その後晶さんには理由も説明し分かってもらえたようです。よかった。
晶
いや。本当に良かった。あのまま逮捕されたら野球なんてできなくなる。でも、驚いた。警察に助けてくださいと叫んでいたときは、本当に恐ろしいものに追われていたかのような表情をしていた。暗いやつという概念は、もはやどこにもない。目の前で謝り倒している彼女を落ち着けさせて、近くの川辺へ行った。
「本当にごめんなさい」まだ謝っている。「気にしないで。でもお前の演技ってすげえな」自分はなぜか緊張していた。女子と話すなんて毎日の事だろ?ナンパだって何度したかわからない。なんだろう、この感じ。心に霧がかかっているような。この霧の奥には何があるのだろう。
「そんなことはありません」その子はそう言って。うつむいてしまった。いつもの女子どもだったら褒めたら嬉しがって飛び跳ねるのに。この子はうつむいた顔も赤く上気している。可愛い。ついそう思ってしまった。あぁこいつが欲しい。欲しい。こんなに自分の欲望が大きいものだったとは。そんなことを考えている間にも沈黙が流れる。女子と話すのなんて何百回目だよ。慣れているはずなのに、話題が出ない。頭の中が混乱している。ずっとぐるぐるして、あぁなんだろうな、これは。
俺は思わすくちづけをしてしまった。あまりにも可愛くて、愛らしかったからだ。彼女
は思っていた通り驚いていた。またもや沈黙が流れる。空気を変えるため「そうだ、お前
って好きな事とかあるの?」話題を出す。しかし、返事はなかった。あれ?おかしなことを聞いたかな?返事がない。だからと言って彼女の顔を見るとなぜか恥ずかしくなるので見るこがとできない。それでもなかなか返事が返ってこなかった。おかしい。質問は二択のはず…。いよいよ耐えられなくなり横目で彼女を見た。自分は目を疑った。仰向けに倒れていた。その後自分がどんな行動をとったか覚えてはいない。
美樹
目を開けた時には自分の今の状況が分からなかった。ここは、どこだろう。そして、私は何をしていたのでしょう。確かあの時…彼の顔が目の前にあって、唇に温かいものが触れたような。そこからの記憶がありません。「気づいた?」私はその声の持ち主を知っています。しかし今は頭が回らず分かりません。甘くて優しいこの声は確か…。あぁ思い出せない。とてつもなく大切な人だったはず。そして大昔に聞いた事のあるような。
目の前に現れた時は驚きのあまり「わぁ!」と大声を出してしまいました。あ、晶さんでしたか。分からなくてごめんなさい。「ここは?」きょろきょろ見回しますが自分の知らないところのようです。
「保健室」え?保健室?道理で見たことがないわけです。3年間通っていますが怪我などしたことがなかったため見たことがなかったようです。やっと納得し頷いていると意地悪な声が耳に入りました。
「俺の家がよかった?」ふと横を見ると晶がにやけながら座っていました。なぜ?晶さんの家だと何かあるのでしょうか?やはり私には人の心理が分かりません。また帰って調べることが増えました。私は答えに困りました。
そんな時姉の言葉を思い出しました。答えに迷った時はとにかく肯定すればいいのです。「はい。晶さんの家の方がよかったです」姉のおかげでその質問を乗り切ることができました。姉さんありがとう。恩にきります!すがすがしい気持ちでいると私の寝ているベッドのカーテンが開き保健の先生が顔を出しました。
体調は大丈夫?と聞かれたので私は「とても元気です」と今の心境を口にしました。すると保険の先生は笑って軽い日射病だったみたいだから、今日は帰って安静にしておいてね。と優しい口調で言うので私は元気よく「はいっ!」と言いました。その後先生が耳打ちをしました。彼があなたをおぶってきてくれたみたいだから、ちゃんとお礼を言うのよ。と言いました。私はその言葉にハッとしました。自分はなんて阿呆なの、でしょう。真っ先にお礼を言わなければならなかったのに。私はそんなことにも気づかず目の前に現れた途端大声を上げて驚いただなんて。まぁ驚きを隠せなかったのは本当の事ですが、お礼の一つもできなかったことに無性に悔しくなりました。
この阿呆!恥を知れ!お礼を逃すなどもってのほか!早く礼を。一刻も早く言わなければ。先生はいつの間にかどこかへ行ってしまっていました。あぁきっとこんな私にあきれて、出て行ってしまったのでしょう。先生ごめんなさい。いえ、今は謝る時ではありません。私は大声で言いました。
「助けてくださりありがとうございました!」
晶
鼓膜をも破りそうなその爆音は紛れもなく彼女の声です。気を聞かせてくれた先生をなぜか悲しい目で見送りこんなにも大声で礼を言う人がどこにいるだろうか。いや、ここにいた。しかし彼女以外にそんな子がいるわけもなかろう。彼女の行動に飽きることなどない。だからこそ惹かれたのだろう。
それにしても一番驚いたのは彼女に家に来たかったのかといたずらっぽく訪ねた時だ。あの返事には驚きすぎて声が出なかった。前の彼女に言ったことがあったが、そいつは、そんなわけないじゃない!ばか。と言い顔を真っ赤に火照らせていた。それが彼女ときたらどうだ。「はい。晶さんの家の方がよかったです」だと?!しかも真顔で!質問したこっちが恥ずかしいではないか。本当にこいつはなんなのだ?!女子への態度の常識を覆される。そして、怒れない。俺をバカにしているのかと怒りたいところだか彼女を前にするとなぜか怒れない。なんだろうな、この気持ちは。言葉にできないもどかしさだけが残る。
「そうだ。名前ってなんていうの?」こんなに長くいて名前を聞いていないことに気付いた。「佐々木…美樹です」名前を知らなかったから緊張していたのかと思っていたが違うらしい。「美樹。いい名前だな。」
美しく咲くという意味が込められているのだろう。その時初めて人の名前の意味を考えた。でも、どこかで聞いたことのある名前。どこだっけ?美樹と会ってから初めてな事だらけだ。名前を褒めただけで美樹の頬はますます赤く染まっていく。美樹に惹かれていく
のが分かる。その代わり沈黙が続いてしまったので「え、と。とりあえず帰ろうか」と強引に言ってみた。緊張し過ぎてまるでロボットのような言い方になってしまった。「はいっ!」彼女の目は輝いていた。こんなにも純粋な子に会ったのは初めてだった。いや、二度目だ。もう記憶が薄れてきているが幼稚園の時にもこんな子がいた。思えばあれが自分の初恋だったのかもしれない。
喧嘩している子には「喧嘩はだめだよぉ」と間に入り大泣きして仲直りさせた子。他にもお菓子が一つ足りない時には「今日はおなかいっぱいだからお菓子いらない」とさりげなく譲ってあげていた。名前は確か…。記憶の細い糸をたどっていく。誰だ?えっ…と。佐々木…美樹…。えっ?なんだって。佐々木美樹?確かこの子も…。「佐々木美樹…?」そう質問せずにはいられなかった。彼女は少し戸惑ってから「はい。佐々木美樹です」と答えた。何か固いもので殴られたような衝撃に陥った。痛いと同時に心にはときめきという名の太陽が射した。いつの間にか心の中の霧は無くなっていた。
やっと気づいた。今となればなぜ今まで気づかなかったのかと思った。遅い。遅すぎる。なんて阿呆なのだ。この気持ちに気付かないだなんて。この、好きという感情に。