可愛さの代償に得たもの
宜しければ、お付き合いください。
どうしてこうなった?
私の前には、そこらへんでは目にかかることはできないであろう美形の獣人さんが居らっしゃる。
中性的な容姿であるにも拘らず、広い肩幅に、服の上からでも男性と分かる体つきは、実に眼福なのではあるが、なにぶん此処は強固な牢であり。私はその男性に、絶賛押し倒され中なのだ。
いきなり入って来て抱きついたこの男に、悲鳴を上げなかった自分を思いきり褒めてあげたい。
だが、胸に顔を押し付けるのはやめていただけないだろうか。
でかい図体で押さえつける様に抱きしめられているので、抵抗したが結果は芳しくない。
「何だ、こんな状態でも自分冷静じゃんっ」などと考えていたのだが、むしろ驚きすぎて声が出なかっただけのようだ。残念だ。
「嗚呼、こんなに痩せてしまって。大丈夫?怪我してない?
家に帰ったら、美味しい物たくさん食べさせてあげるからね」
―――私はこの人と会ったことがあるのだろうか?
言われのない罪で閉じ込められてから早三年。美味しい物という言葉にはもちろん惹かれるが、それよりも気にかかる事が私にはある。
ええ、それこそいい年して知らない男におもいっきり抱きしめられている事よりも気にかかる重要なことだ。
…本当に、何時になったらこの人離れてくれるのだろう。
不信感はぬぐえないが、とりあえず助けてくれそうなこの人を逃す手はない。
「あの…、どこかでお会いしましたっけ?
何故かは分かりませんが、私を助けてくれるのですか?」
どうしても、一人置いてきたあの子のことが気になって初めて会うこの人に詰め寄ってしまう。
だが、唐突にこの男から落とされた爆弾に私は目を見開き硬直した。
「大丈夫だよ、アヤメ。
君は無罪なのだから、堂々と此処から出してあげる」
―――なぜ、私の本当の名を呼ぶの?
今となっては、この世界で一人しか呼ばぬはずの名を、目の前の男はサラリと呼んだのだ。
もし、あの子の知り合いだとしても、こんな風に呼ばないだろうし、あの子が呼ばせるとも考えづらい。
おちびさんにも拘わらず、あの子はぞんざい独占欲が強いのだ。
知人の男性が少し私を抱きしめただけで、あの子は本気で腕にかみついていた。
さいわい、彼は獣人であり体はとても頑丈なので大した事はなかったが、私と同じ人間だったら肉を噛みちぎられそうな勢いだったので、本気で怒ってしまった。
その時のあの子のうるうるお目目に、たれた尻尾と耳は犯罪級に可愛かった。
犬好きとしては、あの子の動作の一つ一つが攻撃のように感じる。「嗚呼…あんな顔で謝られたら、強く怒れない…」と、いうこともなく。躾はきっちりする方なのでちゃんと反省させました。
おっと、また思考が飛んでしまった。
とにかく、目の前の男は危険であること間違いなしだ。
例えあの子と同じ犬族の獣人でも。私の名を知っている上に、こんなに懐いてくるなんて怪しいことこの上ない。
「何故私の名前を知っているんですか。そもそも、なぜ助けようとするのです。
―――貴方は、ダレ?」
私の不躾な態度に怒る事もなく。むしろ今までピコピコ動いていた耳が伏せられ、嬉しそうに振っていた尻尾が力なく垂れ下っている。
…駄目だ。いくら犬耳としっぽは可愛くとも、今は慎重になるべきだ。
大体、家の子のほうが可愛いしね!
「…アヤメ。たった三年逢わなかっただけで、僕のこと忘れちゃったの?」
―――今、頭に衝撃が走った。
もしや…いや、本当に信じたくないんだけれど。
もしかして、その話し方としょぼんとした様子は。
「…フ、フロード?」
「うん!やっと気付いてくれたんだね」
とても嬉しそうに満面の笑みを浮かべたその人を見た途端、有難くないことに私は人生で初めての気絶を経験した。
次に気づいた時には宿へ運び込まれ、ベッドに寝かされていました。
そしてなぜか今、目のまえで笑みを浮かべた男が嬉しそうにスプーンを差し出してきます。
「さぁ、アヤメ。こっちの料理もおいしいよ。
最後にはデザートまで用意しているから、一杯食べてね」
はい、あーんして?と、可愛く小首を傾げられても。いくら美形とはいえど、成人男性に見える男がやったのでは可愛くないはず。それなのにどうして目の前の男性は、こんなに可愛く見えるのでしょうか…?
あれ?牢に入れられている間に、目が悪くなったのかな。
確かに、昼夜問わず薄暗い牢の中でどうにか脱獄できないものかと策を練ったり、ガリガリとここに閉じ込められてからの年月を数えようと、印を壁に刻んだりしていたため目が悪くなっていても不思議ではない。
遠い目をして現実逃避をしている最中も、私は目の前の男に給餌されていた。
だって……最初になかなか口を開かず抵抗していたら「口移しで食べさせるよと」脅されたのだ。いやだ…こいつの目はマジでやる。いくら声とセリフを可愛くして
いても、にじみ出る黒さは隠せていない。
生命の危機か、乙女の危機かは分からないが。とりあえず、危険を察知した空気の読める私は、すぐさま白旗を掲げ、口を開いた。
これまでの説明で分かったのだが、どうやら彼は本当に私の知っている。可愛い、可愛いフロードであるらしい。
―――自分で言っておいてなんだが。…何故だ、意味が分からない。
確かに成長期と言われる時期に三年間も離れていたのだから、多少変化していてもしょうがない。
正直、可愛い盛りを見逃したとなっては納得いかないが、ここで議論しても意味がないだろう。
けれど、今から三年前。要するに十歳の頃に離れたのだから、今は十三才はずだ。十三才となれば反抗期を迎え、可愛くも子憎たらしい口を聞き出す時期のはず。
どんなに間違っても、こんな色気満載で、落ち着き払っていはないはずなのだ。今のフロードはどう身繕っても、同い年か二、三歳下にしか見えない。
それにもかかわらず、この目のまえの男は私を目線だけで黙らせやがるのだから、可愛くないったら仕方ない。小さな頃に、ミルクをあげたり世話を焼いてあげたのを忘れたというのか。そうじゃなくても、仮にも私はフロードの保護者なのだから、もっと敬われてもいいと思うのに。
―――確かに、フロードは昔と違わず私に優しい。
だが、明らかに色々な物が増している。それは破壊力やら色気やらなのだが、十三才の子に色気で負けているって、それは大人の女性としていいのだろうか…?
……そこは、ぜひとも伝授して欲しい部分ではあるが、明らかに成長しすぎだろ!
どうして?私の育て方がよろしすぎたの??何故この子は、私の身長を優に50センチは越し、筋肉がついて逞しくなってしまったの?確かに私はそんなに背が高い方ではないが。
少なくとも、そんな男臭さを出すのは五年後でいいでしょう!!
嗚呼、いまからでもいいからあの可愛いフロードが、「びっくりした?アヤメの驚いた顔が見たかったんだ、えへへっ」と笑いながら出てきてくれはしないだろうか…。
それが無理なら。こんな風に腰へ手を回して、キスを迫らないくらいで譲歩するから…。
「って、おい!人が大人しくしていたら、何してるの」
「だってアヤメ…やっと逢えたのに全然構ってくれないんだもん。それに、昔ならキスしても抱きついても怒らなかったのに、どうしていきなり怒るの?」
「そ、それは…」
「三年前に、獣人を売ろうとしたとかいってつけられた言いがかりを撤回させて、頑張ってアヤメを助けたのに、僕のこと嫌いになった…?」
もう僕の事いらないの?と、目を潤ませながら聞いてくる姿に、思わず口ごもる。
フロードとは、彼が生まれて間もない頃からの付き合いだ。彼の両親にはとてもお世話になり、フロードのことを実の子供のように私は可愛がっていた。しかし村が夜盗に襲われ、村人も彼の両親もみんな亡くなってしまった。そのため当時八歳の彼を連れて、旅をしていた。
生憎私は人間で、彼は犬族の獣人だ。
この世界では圧倒的に人間が多く、全体の八割を占めている。それに対し、長命で優れた肉体を持つ獣人は数が少なく、繁殖もしにくい。
けれど、非常に優れた獣人を手のうちに置きたい人間は後を絶たないため、子どもや弱い種を連れ去るなどの犯罪が近年は多い。狼族や熊族などの強い種族なら問題ないのだが、弱い兎族や鼠族。それに女子供はどうしても狙われやすい。もしも、フロードに目をつけられた場合、私には守りとおせる自信がなかった。
まぁ、まんまと商人に騙され、私は捕まってしまったのだが。売られそうになったフロードを、狼族の獣人がたまたま見かけて助けてくれなかったら、今の私たちはないだろう。
私には村が夜盗に襲われる前から、両親が居なかった。
2人とも流行り病にかかり随分前に亡くなってしまった。あの村は、人間と様々な種族が住んでいる珍しい村で。どこか、訳ありな人間が集まっているため過去の事
を根掘り葉掘り聞く人間はまずいない。
私は十歳で孤児になり、街をさまよっている所をあの村の村長に拾われたのだ。
村長は高齢で一人身だったため、隣に住んでいたフロードの家には本当にお世話になった。家事から何まで、主に教えてくれるのはフロード一家で、薬草などの知識は村長に教えていただいた。当初獣人にあまり縁がなかった私は、暴れるはわめき散らすは手間がかかったはずだ。
何せあの村の半分は獣人で、背も高く威圧感がすごかったのだ。獣人ですらまともに見たことがなかったのに、あの時は自分が餌にされてしまうんじゃないかと恐ろしくてたまらなかった。余りに桁違いな力を持つ獣人族をねたみ、街では獣人族はみんな野蛮だと噂されており、そんな偏見を私も植え付けられていた。
…それにも関わらず、村のみんなは優しくしてくれた。そんな村人が私とフロードを除いて全員死んでしまったと知った時は、今度こそ発狂すると思っていた。
―――けれど、涙を流しながら私の手を強く握ってくれるフロードがいたから…。
私たちだけでもせめて生きて欲しいと願ってくれてたから、ここまで生きてくる事が出来たのだ。
あそこでもらった恩を少しでも返そうと、必死にフロードの面倒を見ていた。
実際、フロードは素直ないい子でほとんど手がかからなかった。その上、私のことを好きだと言って「アヤメお嫁さんになってねと」可愛く約束してくれたのは記憶に新しい。
どうやらアヤメという名前は珍しいらしいので、村を出てからはアーヤと名乗っていた。
アーヤとしてではなく本来の『アヤメ』として好きと言ってくれる彼が、可愛くて可愛くてしょうがなかったのだ。もちろん全体の可愛らしさはさる事ながら、子犬特有の懐っこい姿は本当にほほえましかった。…だからこそ、信じられないのだ。
生まれてからずっと「アヤメ、アヤメと」後ろをついてきたフロードが、こんなにいきなり成長しているだなんて。
というか…『十歳を超えたあたりからいきなり獣人族は成人した姿まで成長する』なんて、誰も教えてくれなかったからー!!
確かに、フロードの両親が「すぐにアヤメは家にお嫁に来るねと」話していたのは覚えている。しかしそれは、子どもの成長を見守る親のまなざしであり、決して今の状況を指していた訳ではないと思う。
嗚呼、そんなことを考えているうちにベッドに押し倒されてるし。
なんだか耳舐められてるし。首にキスされたのですが、これは間違っても保護者に対する行動じゃないですよね??
「アヤメ、大丈夫だよ。
僕も初めてだけど、優しくするから。安心して」
…いやいや、全然安心できませんから。
おまけに、も!ってなんだ。何で処女だってばれてるんだ。
「そんなの、アヤメの血を嗅げばすぐにわかるよ」
いっやぁー!なんて可愛い声が出ることはなく。
私は「ギャー!!」という悲鳴というか、雄たけびをあげ、フロードの腹に蹴りを入れて逃げました。
―――あの、思わず宿を飛び出したのはいいのですが、猛烈な勢いで追ってくる犬を撒く方法、誰か教えてくれませんか…?
代償に得たもの。
それは色気と、愛しい花嫁さん。
此処まで読んでいただき、ありがとうございました。