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百四十四、行動理念

 六羽に入って敵性異相体が急増した。正面切って襲ってくる怪物ならまだ分かりやすいが、現象型の災害や、知らぬ間に蝕む呪詛や病魔などもあり、死者も出始めた。〈避雷針〉のある施設までそのまま搬送するしかない。十番隊に頼んで屍を動かし、追従させることで対処した。


 これまで割と余裕だった四郎や霊泉も戦わなくてはいけなくなった。武芸の達人といえど、現実的には一騎当千が叶う者はそう多くない。特にこのような集団行動の場で、味方を傷つけずに立ち回ることを考えれば。ましてや、ひとつの相手を倒したところで、すぐに新手が現れる。


 ある種の労働というのは、根本的解決のない問題に対処療法を示し続けることとも言える。誰も永久に空腹を覚えないのであれば、食料品の生産・供給は必要ない。必ずしも、よりよい世を築くため働く、とは考えられない労働者が多数だ。ともすれば、不毛な行いであり自分は代替可能だという無力感が、その身を蝕む。


 扶桑全土を見ても、異相体を破壊し続けても、次から次に湧いてくる。まして、最低限の食事と住居が保証されるこの国では、破壊師を続けるには特別な理由が必要だ。諦念に対する鈍麻、英雄的思考、民草を救おうという慈愛、あるいは破壊に伴う快楽、秩序が保たれなければいけないという偏執、異相体への憎悪。もしくは富と名声への希求。


 百鬼隊は主君のために戦っているという名目だが、実際は流れに乗っているだけだった。ただ進み続けるという、これまでしてきたことを持続させるために、極論すれば「なんとなく」、惰性で戦っている。それは何故生きるか、という根源的な問いへの回答の一つだった。

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