表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪物たちの再三たる事件簿  作者: 白川ちさと
麺と列は伸びない方がいい

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/72

72. 麺と列は伸びない方がいい


 巻き戻り二十三回目。


 住居スペースの玄関のチャイムが鳴る。ほぼ同時に、玄関が開かれた。




「こんに……」


「よお、怜雄。入れよ」




 備吾の目は朝だというのに据わっている。怜雄は思わず半歩後ろに身を引いた。昨日は特別何も感じなかったが、どうやら機嫌が悪いらしい。




「……お邪魔します」




 中に入ると、焼き立てのパンのいい匂いがした。キッチンでは仁良がエプロン姿で作業をしている。




「いらっしゃい、怜雄くん。君が来るって言うから、怜雄くんの分の遅めの朝食も軽くだけど用意したよ。食べられるかな?」


「あ、はい。大丈夫です」




 ダイニングの椅子に備吾と仁良が並んで座り、備吾の前に怜雄が座る。目の前にはサラダと牛乳、長方形の柔らかそうなパンが置かれた。




「ミルクパンだよ。苦手じゃなければどうぞ」


「……いただきます」




 手に取ると、まるで中身などないかのように軽い。ひと口かじると、牛乳の優しい味が口に広がる。とても美味しいけれど、うまく飲み込めない。


 目の前で備吾が眉間にしわを寄せて、こちらを見つめているからだ。昨日とは全く雰囲気が違う。どこか思いつめているような様子だ。




「あ、あの、備吾さん。どう……」


「いいか。怜雄」




 備吾は指をしっかり組んで、テーブルに肘を置く。いつも力の入っていない目が最大限にまで見開かれていた。




「今日は昼飯を食べにラーメン屋に行く」


「そう、なんですね」




 てっきり行けなくなったから、お詫びに朝食をごちそうされているのかと思っていた。しかし、この状態の備吾と一緒に外食に行くのかと少し心配になる。




「今回は十二時きっかりに店に入れるように列に並ぶ。遅くても早すぎてもダメだ」




 なぜかとは聞けなかった。




「家を出るのは十一時四十分だ。それまで、リビングでテレビでも見ていてくれ。以上だ」




 軍隊の軍曹よろしくそう指示を言い切ってから、備吾は席を立つ。




「朝食はどうするんだ、備吾」


「ラーメンの後で食べる。置いておいてくれ」




 備吾は自分の部屋に入っていく。怜雄は斜め前に座る仁良に視線を向ける。




「備吾さん、今日はどうかしたんですか? 昨日と様子が違いますけど……」


「なんだか知らないけれど、今日はあの調子なんだ。いつもだらけた奴だけど、たまにあんなに深刻な顔をしているときがあるんだ。まあ、気にしないで付き合ってくれよ、怜雄くん」


「はあ……」




 深刻な顔というより、思いつめているような、ノイローゼのような顔だった。そういえば初めて出会ったときも、落ち着いて話していたけれど似たような雰囲気をしていた。屋上で花火が上がったときも、どこか疲れている様子だった。


 何か定期的に体調が悪くなる病気でもあるのだろうか。でも、それなら今日の食事も中止にでも延期にでもしてくれたらいいのに。


 怜雄は食器を片付けると、備吾に言われた通り、リビングのテレビをつける。土曜日の午前中はローカルな旅番組しかない。旅行の経験は中学の修学旅行と母親との近郊の旅行だ。旅番組は漁港や温泉など、怜雄が行かない場所の紹介が続く。今は興味がないけれど、年を取ったら好んでそういう場所に行きたくなるのだろうか。




「怜雄、そろそろ家を出るぞ」




 黒いキャップを被った備吾が部屋から出てきた。目の下の隈は濃く、眉間には力がこもっている。これから戦場にでも行くような力の入れようだ。


 テレビの電源を切って、怜雄も立ち上がる。今日はこちらから断ってもいいのではとも思った。だけど、もしかしたら備吾から時折感じる違和感の正体が分かるかもしれない。それは職を隠していることの他にたまに感じることだった。




「行きましょう」




 二人はとてもラーメンを食べに行くだけとは思えない面持ちで外出した。









 我竜堂に着くと、長い列が既に出来ていた。これからキリキリといきり立った備吾と並んで待つと思うと、怜雄の胃も痛む気がした。


 並んでいる間も、備吾の様子はいつもとまるで違う。前後に並んでいる人たちに仕切りに話しかけるのだ。




「なあ、あんた。なんのスマホゲームしているんだ?」


「へえ。あんた、わざわざ隣の県から来たのか」




 話していることは、なんてことのない世間話だ。しかし、備吾の鬼気迫ったような形相から、引きつった答えばかりが返って来た。何をしているのだろうか。少しでも情報を引き出そうとしているが、空回っているように見える。


 では、何のために同じ行列に並んでいる情報を引き出そうとしているのか。備吾の切羽詰まった横顔を見つめるが、まるで分からない。昨日行くことが決まったラーメン屋に何の用があるというのだろう。


 長い列が終わり、怜雄と備吾の順番がやって来た。涼しい店内に入り、額にかいた汗を軽く拭う。はじめて入ったラーメン屋はカウンターが奥に長く伸び、テーブル席はない造りだった。




「奥の席へどうぞ」




 店員の女性がカウンターのL字の付け根の席を案内される。怜雄が先に歩いていくが、ふと後ろから備吾がついて来ていないことに気づいた。後ろを振り返ると、入口すぐの場所で天井を仰いでいる。




「……どうかしたんですか?」




 返事はない。しかし、か細い声でやっと入れたと聞こえてきた。


 そんなに行列に並びたくなかったのだろうか。それなら、違う店に行けば良かったのに。怜雄が不審に思っていることを知ってか知らずか、備吾は横を通り抜けてカウンター席に向かう。


 席に座ると、怜雄に尋ねもせずに店員に注文をする。




「醤油ラーメン二つ。二つとも味玉を付けてくれ」




 おごってもらっているので文句は一切ない。しかし、並んでいるときと比べても備吾の様子は尋常ではなかった。隈の濃い目を見張り、店内を隅々まで隈なく見ている。


 そのとき、備吾の隣の席の男が立ちあがった。




「おい、店長ッ‼」




 声をあらん限り張り上げる。店内にいる誰もが驚いて視線を向けた。どこにでもいるふくよかな中年男性に見えるが、目が殺気で爛々としている。所謂、キマっている状態のように見えた。




「この麺伸びきっているじゃねえか!」




 自分の前のどんぶりを手にして、ドンッとテーブルに叩きつける。そのとき、どんぶりの中のスープが大きく飛び散った。




「アッつい! 見ろ! 火傷だ、火傷! どうしてくれんだ!」




 どう見ても自業自得だった。そもそもスープが熱ければ、麺も伸びているとは考えにくい。他の客は怪訝な目で見ているが、男は自分の主張を押し通そうとする。




「もちろん治療費を出してもらうからな! とりあえず、出てこいよ!」




 言われた店長は黙ったまま、厨房から出てこようとする。そのときだ。




「そうか、お前か……」




 隣に座る備吾がぼそりと呟いた。それからはあまりに一瞬の出来事で、よく分からない。見ていたはずなのに、気づいたら男性の顔にラーメンのどんぶりが直撃していた。もちろん麺もスープも飛び散っている。




「アツアツッ! アツーーーッ!」




 間違いなく隣に立っている備吾の仕業だ。しかし、備吾にはスープの一滴もかかっていないように見える。




「何しやが……ッ!」




 男性が猛抗議しようとするところを先に備吾が胸倉を掴んだ。




「お前か。お前だったか……、お前のせいで俺は何度も何度もラーメンを食べ損ねてんだよ!」


「は、な、なんの話」


「治療費ならくれてやるよ! おら! これで文句ないだろ!」




 備吾は財布から一万円を取り出して、男性の胸に突きつける。男性はさらに逆上するかとも思ったが、備吾と見つめ合うとやがて震え出した。




「もうこんな店、二度と来ないからな!」


「二度と来るな!」




 それは店のセリフではと思うことを備吾が叫ぶ。




「お、お客さん……」




 備吾の背後に店長が立っている。身体の横の握りこぶしが震えていた。さすがに怒られるのだろうと怜雄は思った。




「ありがとう! あの客は前から何かと難癖をつけてくる客だったんだ! もう、来ないだろう……」




 厨房ではいかつい頑固おやじといった雰囲気だった店長。出て来るなり、腰が抜けたようにヘロヘロと床に座り込んだ。どうやら、相当迷惑な客だったようだ。




「なんだよ。ビビッていただけか。礼はいいから昼飯食いたいんだけど」


「あ、ああ……。すぐに、くッ!」




 店長は起き上がろうとするが再び座り込む。




「こ、腰が……」




 すぐに店員が駆けつけた。店長は腰を痛めていて、厨房に立つことは出来なくなった。代わりの人もすぐには見つからず、店は急遽閉じられることに。店員たちが店内にいる客と並んでいる客に頭を下げて回る。客たちには割引券を渡していた。備吾には一万円の食事券が渡される。




「こんなん要らないから飯が食いたかったんだけどな」




 駅にある別の定食屋に行く道すがら、食事券をペラペラとめくりながら備吾は不満を漏らす。




「そんなにラーメンが食べたかったんですか?」


「まあな。かなり食べてなかったから」




 怜雄はふと頭に浮かんだことをそのまま口にする。




「もしかして、備吾さん。タイムリープしていませんか?」




 口に出してみると、かなり滑稽な話だ。いくら今日の言動でそう感じさせることが多かったとしても、現実にありえる話なはずがない。


 怜雄は誤魔化すように話題を変える。




「ところで備吾さんの仕事って……、どうしましたか?」




 振り返ると、備吾は少し後ろで立ち止まっていた。




「な、何言っているんだ。そんなわけ、……あ!」




 備吾の手から食事券がすり抜けて、風に乗って飛んでいく。追いかけていく後ろ姿を見て、様子がおかしいのはいつものことかと思う怜雄だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ