67. 本食う虫も好き好き
それから二日。この日が終われば、また巻き戻ってしまうだろう。
しかし、何の手がかりもない。
備吾はソファに座り、姿見の前で身だしなみを整えている仁良に問う。
「なあ、仁良。お鶴ちゃんはどうしている?」
「ああ。何事もなくて、元気にしているよ。俺たちは鶴さんの家にお昼をごちそうになりに行っているようなものだな」
とはいえ、仁良も三国巡査も、暑い中鶴の家の周りをパトロールしているらしい。
仁良が備吾を振り返る。
「鶴さん。備吾に会いたがっていたぞ。今日は一緒に行かないか」
「ああ。それなら、お鶴ちゃんの家の裏に住んでいる富丘という男も一緒にいいか。同じ作家なんだが」
「備吾に友達か。珍しいな。分かった。鶴さんに聞いてみるよ」
何か変化を起こさなければ、次の巻き戻りにも解決策は見いだせないのだ。
午前十一時四十二分。
鶴の家の前で富丘をまっていると、すぐにやって来た。
仁良と三国巡査のことを軽く紹介する。富丘は申し訳なさそうに頭をかく。
「いいのでしょうか。初対面の自分がいきなり食事をいただいても」
「お鶴ちゃんも大人数の方が嬉しいだろ。それにお前がすぐ近所なんだから、一番頼らないといけないだろ」
「そうですね。あ、お土産にアイスを持ってきました」
慌てて買いに走ったのだろう。ビニール袋に入ったアイスは箱が三つも入っていた。
「鶴さん、喜びますよ。じゃあ、行きましょうか」
仁良が先頭に立ち、チャイムを押す。待ち構えていたかのように、割烹着姿の鶴がすぐに出て来た。
「みんな、よく来てくれたわね。備吾ちゃんも! さあ、入って。私は準備があるから自由にしていてね」
「あ。俺は手伝いますよ」
仁良と鶴が台所に向かい、残りは居間に上がった。三国巡査がアイスを冷蔵庫に入れて来て、居間の隣の部屋のふすまを開ける。備吾と富丘も後ろから続く。
「仏壇か」
仏壇には遺影も飾られていた。
「鶴さんの旦那さんだそうです。自分はよくお邪魔させていただくようになったので、お線香をあげさせてもらっています」
よく見ると煙があがる線香は既に二本短くなっている。朝に仁良が来たときにあげたのだろう。備吾がいないと、仁良や三国巡査はこういうことに気が付くらしい。
遺影をよく見る。亡くなった夫と備吾がよく似ていると言っていたが、共通点はたれ目なことしかない。顔はしわで弛み、髪も白髪で後ろになでつけていた。
それとも若い頃は、本当に似ていたのだろうか。
「なあ、富丘。この亡くなった旦那と俺が似ているとお鶴ちゃんが言うのだけど、どう思う?」
「え? この方と備吾さんがですか? 想像は出来ませんが、やはり若い頃の姿ではないでしょうか」
「まあ、そうだよな」
富丘と話していると、鶴がおはぎを乗せた大皿を持ってやって来る。
「そうそう。あなたにもお供えしないとね」
鶴は一つおはぎを小皿に分けて仏壇に供えた。小さな手を合わせる。
「あなた。若い人がたくさん心配してきてくれましたよ。私は幸福ものですね」
そう語る鶴の顔は十分寝られているということもあるが、本当に幸福そうに見えた。
「鶴さん……」
そのとき、富丘が鶴の背中に声をかける。
「はい。なにかしら」
富丘は鶴の前に正座で座る。
「一つお聞きしたいことがあります。愛とは何ですか」
「あらまぁ」
その場に吹雪のような寒さが一気に部屋を満たした。
「な、何言っているんだ。富丘」
備吾の腕にも鳥肌が立つ。しかし、他の人物などいないかのように富丘は鶴に向けてもう一度問う。
「私は愛とは何か知りたいのです」
普通ならば口説き文句のような言葉だが、富丘は本気で聞きたいように思えた。困っていた鶴も、何とか答えを出そうとした。
「そうねえ。私もよく分からないけれど、あの人と結婚したとき愛はなかったわ」
鶴の言葉に全員がポカンとする。
「……愛がないのに結婚したのですか?」
「そうよ。私が結婚した頃はお見合いならいい方で、隣町のあの人に嫁ぎなさいと言われることもまだあったのよね。だから、結婚式が初対面だったのよ」
「それは……、私では想像つかないことです」
「でもね。あの人はとても優しい人だったわ。寡黙な人だったけれど、いつも優しく見守ってくれていた。段々とそこに愛があることに気づいたの。だから、愛っていうのは一緒に過ごした時間のことだと私は思うわ」
鶴は富丘に対して、ほうれい線のしわをより深くして微笑んだ。
「一緒に過ごした時間……」
「おい。なんでお鶴ちゃんにそんなこと聞くんだよ」
もういいだろうと備吾は口を出す。
「それが、……映画のレビューに見つけてしまったのです。この作品を通して愛情を感じ取ることが出来ましたと」
やはり小説ではなく、映画の話だ。もしかしたら、これがあの暴走の原因なのかもしれない。
「いい評価されているじゃないかよ。何が不満なんだ」
「……ミステリー作品で、小説にはなかった言葉です」
富丘の苦悩の原因はこれだ。映画にはあったという愛を考えていたに違いない。
根津や備吾には話さないはずだ。鶴に聞くのでさえ、恥ずかしかっただろう。それでも限界で聞かずにはいられなかったのだ。
しかし、原因が分かっても解決策は思いつかない。脚本が上手かったのか、演出が上手かったのか。それぐらいのことは富丘自信も考えただろう。
「そうねえ」
口を開いたのは鶴だ。
「例えば、このおはぎはあの人の大好物だったの。あと居間の柱の傷は子供たちの身長が記録されているわ」
「なるほど。さすがは愛に詳しいお鶴ちゃんだ」
「やだわ、備吾ちゃん。それほどじゃないわよ」
鶴はきゃっきゃと喜んでいる。備吾は正座をしている富丘に言う。
「つまり、お鶴ちゃんはこう言いたいのさ。小説には書ききれない、映画に使われた小道具から愛情を感じとったとな。レビューを書いた主には具体的なエピソードがあったのだろう」
「なるほど、……なるほど」
富丘の眼鏡の奥の眼が見開かれている。
どうやら、当たりだ。事実はどうあれ、富丘が納得すればいい。
「それが事実なら一人でもそのように感じ取った映画を作った人たちに、敬意を表せなければなりません。そのような映画に関われた私こそ幸福ものです」
そう言う富丘はとても穏やかな顔をしている。もう大丈夫だろう。
仁良が声を掛けて来る。
「お話は済みましたか。ご飯にしましょう」
立ち上がった鶴が備吾に小さな声で問いかける。
「ねえ、備吾ちゃん。この方、ご近所に引っ越してきたのよね。小説家なの?」
「ああ。月夜の待ち人という映画にもなった……」
「あらやだ! 私、あの映画とても好きなの! サインもらわなくちゃ!」
「やれやれ。お鶴ちゃんは意外と新しもの好きだな」
鶴からサインを乞われた富丘は、もちろんサイン本をプレゼントしていた。
次の日。
巻き戻りは終わり、新しい朝が来る。予報通り雨だ。
雨で外が涼しいとは思うものの、出かける気にはならない。この一週間、備吾には考えられないほど活発に動いたのだ。
動きがあったのは昼間、仁良と昼食のパスタを食べているときだ。
仁良のスマホが鳴る。電話のようだ。
「三国くん、どうしたの? え? 鶴さんの家に脅迫文を送った犯人を捕まえた?」
どうやら、三国巡査が朝の巡回をしているときに怪しい人物を見つけたらしい。
宛名のない茶封筒を住宅のポストに入れていたのだ。
鶴のこともあり、後を付けていると慌てていたのか犯人が一通落とす。そこには鶴に送られたものと丸まる同じ脅迫文が書かれていた。
現行犯逮捕すると、同じものを大量に持っていたのだそうだ。
それをどうしたのかと聞くと、同じ本が破り捨てられていたのでそれを利用した。新しく出来た不動産屋で資金繰りに困っており、大量に出ていく人がいれば少しは自分のところにも仕事が来るはずだと思ったそうだ。
おそらく富丘がわめいている声も聞いたのだろう。
だから、怪物がいるなどと脅しを書いたのだ。
迷惑な話だ。
富丘が破り捨てた大量の本があるとはいえ、そんなことを考え付くだろうか。
いつの世もおかしなことを考える人物が現れるものだが、もっと別なことに頭を使った方がいいだろう。例えば読書をするとかだ。
本食う虫も好き好き編 完




