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怪物たちの再三たる事件簿  作者: 白川ちさと
占有の迷走編

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47. 占有の迷走


 バスの中に戻ったことを備吾は疑問にも思わなかった。止まることもなく、カードをかざして前から二番目の席に座る。スマホの音を消していると、仁良が慌てた様子で乗り込んできた。


「あれ? 備吾、奇遇だな」


「ああ、仁良か。お前どこに行くんだ?」


 そう言えば、まだ一度も行先を聞いていない。


「俺は引っ越しの手伝いに行くんだ。こんな大雨の日が引っ越し当日と重なるなんてついていないよな。備吾は?」


「俺は出版社に用があるだけさ」


 そうかと言って、仁良は反対側の一人席に座った。バスの前の大きなガラスに、大粒の雨がぶつかってくる音がよく聞こえる。やはりこんな日は家でゴロゴロしているに限るのだ。


 四つ目のバス停まではすぐだ。バスジャック犯が乗り込んできた。


 熊坂夫妻だ。妻の方が銃を突きつけ、夫の方がナイフで運転手を襲う。


「おい。馬鹿な真似は止めろ」


 備吾は銃口を握って無理やり下ろさせる。仁良が焦った様子で立ちあがった。


「お、おい」


「大丈夫だ。偽もんだよ。顔を見せろ」


 熊坂妻と目が合う。諦めたように目を伏せて、マスクを外し、レインコートのフードを下ろした。しかし、その途端に大きな声があがった。


「何をする! こいつがどうなってもいいのか!?」


 熊坂夫の方が運転手を引きずりだして、ナイフを首元に突き付けて叫んだ。


「全員動くな! いいな!」


 夫が妻にナイフを渡す。どう見てもナイフで彼女が乗客たちを脅せるとは思えないが、バスは動き出した。


 熊坂実花は何も言わない。ただ震えていたので、他の乗客は不思議と思わないだろう。だが、熊坂妻は彼女を真っ直ぐ見つめていた。


 時間はない。バスは少し荒っぽく進んでいる。


「なんだ。知り合いでもいたのか」


「……娘です」


 熊坂妻はナイフを持ってはいるが、力なく下に向けていた。


「止めてよ! なに、これ!? あんたたち、わざと私が乗るバスに乗り込んできたでしょ! なんのつもり?!」


「それはあなたが分かっているんじゃないの?」


「……お金のこと? だ、だって、しょうがないでしょ。私だって結婚詐欺にあって、お金がなくて」


「そう。あなたはそう言って、私たち夫婦にお金を無心した。私たちは騙されたあなたが可哀そうで必死に働いてお金を送った。でも、全て嘘だった。すっかり忘れているみたいだけど、先週あなたは泥酔して電話して来たのよ」


「で、電話?」


「私を入れ込んでいるホストだと思っていたみたいだった。高級スーツ買ってあげるって言っていた。今日だっていい服を着ている。いつも実家を訪ねるときは、地味な量販物を着ているのに。突然、呼び出したからね。……だから、全部あなたの嘘だと分かったの」


 道理で熊坂夫妻は疲れきった顔をしていると思った。それはバスジャックをするかなり

前からのことだと容易に想像できた。


 娘がホストに貢ぐ金を騙し取っていたのだ。巻き戻る前、熊坂実花に両親の仕事を聞いていたが、答えられなかった。つまり、これほど深刻な状況になるとは思わなかったのだろう。


「だから」


 熊坂妻はグッとナイフを握りなおす。そのまま、運転席を守るように熊坂夫に背を向けてナイフを持つ手を前に伸ばした。


「このバスごと、私たちは川に飛び込みます」


 バス車内の空気が変わった。金切り声で叫ぶのは熊坂実花だ。


「なッ! 何を言っているのよ! そんなことしたら、私だって……!」


「そう。一緒に地獄に落ちるの」


 決意の固い眼で言う熊坂妻。バスの運転もいつの間にか安定している。


「止めてください!」


「そ、そうだ! 馬鹿な真似は止めろ!」


 黙っていた他の乗客たちが騒ぎ出す。


「どうか。どうか落ち着いてください、ご婦人」


 仁良もゆっくりとした口調で言う。誰もが必死だ。


「私はただ、たまたま今日運転していただけなのに……」


「私は看護師です! 私が病院に行かないどころか、死んでしまうと患者さんたちはどうなると思いますか!?」


「俺だってそうだ! 介護士だ! だから、こんな雨でも施設に行かないといけなかったのに、その中で死ぬなんてあんまりだろう!? せめて、この女以外は降ろせよ!」


 指をさされた熊坂実花は男を睨むが、唇を噛みしめて黙っている。自分が口出ししても、火に油を注ぐだけだと分かっているからだ。


「降ろせません。罪を重くして地獄での刑を重くしてもらうのだから」


 熊坂妻の意思は強そうだ。


「奥さん。本来ならあなた方夫妻は何も悪くないのではありませんか。こうして、罪を重ねることに意味はないはずです」


 仁良がもっともなことを言う。けれど、熊坂妻に睨まれる。


「五月蠅い! あんたに何が分かる! 娘を信じて身を粉にして働いてきたんだ! それなのにこんな仕打ち! 一緒に地獄にでも落ちないと私たちは報われない!」


「地獄なんてないさ」


 バスの中に一人冷静な声が響いた。備吾は前の席に肘をつくように身体を預けている。


「……死んだら無になるだけと言いたいのだろうけれど」


「いや、それよりもっと悪い。もしこのまま心中しても、これから起こる地獄から娘を解放するだけだろうよ」


「どういう、意味?」


 熊坂妻の眼が揺れる。


「死んだら終わり。何もかも無くなる。それは分かるだろう。だけど、そのまま生きていたら、まずあんたらバスジャック犯は逮捕される。まあ、このまま傷害も何もなければ、それほど重い罪は課されないだろう。誘拐にはなるが、長くとも懲役数年だ」


「そんなこと」


「だが、熊坂実花の方はどうだろう。まず、あんたらが訴えたら、詐欺罪で罪に問われる。当然、金も返さないといけないだろう」


「でも、もう私たちは……」


「それはそれ。これはこれという問題だからな。言っちゃなんだが、デパートの販売員なら給料も多くない。にもかかわらず、ホストに入れ込んでいる上にブランドものに目が無い。あんたらが金を渡さないだけでも苦しむぜ、あいつは。今更、貧乏人の生活は屈辱だろうな」


 ニヤリと笑んで振り返ってみると、熊坂実花は顔を青くしていた。


「若作りしちゃいるが、四十路を過ぎている。若作りにも金を使っているだろうな。だが、これからはそうは言っていられない」


 熊坂妻のナイフを持つ手が下がっていく。


「つまり、あいつの地獄はこれからなんだよ。あんたらが、心中なんざしている暇はない。いい法律事務所を紹介しろよ、仁良」


「あ、ああ」


 仁良が頷いたと同時だった。バスがゆっくりと止まる。外を見ると、橋の前にまで来ていた。


「あなた……」


「う、くぅ……」


 顔を出した熊坂夫が運転席から出て来た。ダラダラと涙を流したまま、運転手の元に向かう。


「このまま、バスで警察署に連れて行ってください。下ろして通報しても構いません」


 どうやら大人しく捕まることにしたようだ。すると、熊坂妻と目が合う。備吾の前にまでやって来た。そのまま両手の平に乗せて、丁寧に頭を下げてナイフを差し出した。


「持っていてもらえますか」


「……しゃーねぇな」


 乗客もバスジャックをした人間が持っているよりも、安心だろう。警察に証拠として提出する必要もあるので、捨てるわけにもいかない。


 バスは警察署に向かう。あらかじめ連絡していたが、ジャックされていたバスごと現れたので驚かれた。小一時間ほど、事情聴取を受けて解放された。


 警察署の出入口で空を見上げた仁良が言う。


「雨、まだ降っているな」


「そりゃ、お天道様の機嫌なんて、何が解決しようと関係ねぇよ」


 傘を開く。面倒だが、出版社に向かった。





占有の迷走編 完


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