44. バスジャック日和
「どうしたものか……」
バスを運転し始めるということは、金品が目的ではない。金をとるなら、バスは動かさずに脅してすぐに出ていくだろう。大雨が降っていてどんなに悲鳴を上げても、かき消してしまうことも計算に入れていたに違いない。今日はとんでもないバスジャック日和だ。
判断に迷っていると、仁良が顔を寄せて来る。
「備吾」
「ん? なんだ?」
膝の上の手元にはスマホのチャット画面を表示していた。
「いま、交番の知り合いにメッセージを送った。多分、ふざけているとは取られないだろう。だから」
どうやら、既に仁良が助けを呼んだようだ。しかし、緊張の汗で滑ったのだろう。スマホを仁良は取り落としてしまう。
「ああ!」
しかも、運が悪いことに銃を突き付けているバスジャック犯の元にまで、滑って行ってしまった。
「なんだ、これは」
バスジャック犯は、腰を屈めてスマホを拾う。画面を見つめている。間違いなく読まれているだろう。そして、冗談だと送信されたら、もう警察の助けも見込めない。
しかも、銃を突きつけたまま、こっちに向かって来た。
「通報したのか」
スマホを仁良に渡す。何か操作した後はない。だが、仁良のこめかみに銃をピッタリと突き付けた。
「構わない。どうせ警察は間に合わない」
「間に合わない?」
つまり、目的地あってのバスの走行なのだ。どこに行くつもりだろうか。どこかにバスごと突っ込んで、テロ行為をするつもりだろうか。はた迷惑な話だ。
雨で景色が見えず、もうどこを走っているかもよく分からない。
「お前からにしよう」
バスジャック犯は銃をこめかみに突き付けたまま、さらに低い声で言った。
最初の犠牲者を仁良に決めたに違いない。助けることが出来るかどうかは五分五分だ。さすがの自分も寸分なく突き付けられた銃を防ぎきることは困難だろう。
だが、銃から弾が放たれることはなかった。
「五分やる。いくらでも自分のことを話せ」
「い、いくらでも?」
銃を仁良に向けたまま、バスジャック犯は隣の席に座る。言われた仁良も戸惑っていた。すると、前からスーツ姿の男性が震えた声で言う。
「は、話しをするぐらいなら、従っていた方がいいんじゃないですか。警察が来ないと、どうにも出来ないですし」
「……そうですね。分かりました」
仁良は小さく息を整える。
「私は小椋仁良と言います。小さな探偵事務所を経営しています。元は叔父が探偵をしていたのですが――」
乗客に身の上話をさせるとなると、益々どこかにバスで突っ込むテロ行為が想起された。
そのとき、機械音が流れ出す。どこからかと思ったが、備吾のポケットのスマホからだ。
「電話だな。出ろ」
なんでお前に指示されないといけないのかと思いつつ、スマホを取り出して画面を見る。編集者の根津からだ。バスジャック犯を刺激するのも面倒なので、大人しく電話に出る。
「あ。備吾さんですか? 根津です」
「おう。どうした、俺いま取り込み中なんだけど」
「あれ? そうなんですか? こちらに向かっているかと思っていましたが。洪水警報が出ているので、こちらに来ていただくのはまた明後日にしようかと。書店さんの方には、こちらから事情を伝えておきますので」
「ああ。分かった。それじゃな」
もっと早く連絡しろよと思いながら、通話を切る。素っ気ない態度だがいつものことだから根津は疑問にも思っていないだろう。
「もっと話さなくて良かったのか? これからどうなるとも知れないのに」
「そうか? 別にそう話す必要もないだろ」
やはり危害を与えるつもりのようだ。どうにか話をして、彼らの目的を引き出す必要がある。そうでなくては、警察はバスを見つけることも出来ないだろう。
「このバスはどこに向かっているんだ」
ストレートに聞いてみた。返事はないかと思ったが素直に返される。
「もちろん、地獄行きだ」
「なるほど」
きっぱりとした物言いに素直に問答する気はないのだと判断した。銃を仁良から離し、運転席へと向かう。小さな声で話すが、備吾の耳にはよく届く。
「どうですか。順調ですか?」
銃を持っていた方は、運転している方に敬語で話している。
「いや、この雨だ。少し渋滞している。だが、回送にしておいたから問題なく目的地に向かっているよ」
バスジャックは順調なようだ。銃の暴発などを気にしなければ、二人を押さえることは簡単だろう。ただ、もちろんその場合は備吾の正体が吸血鬼だとバレてしまう。
とにかく、どこに行くかだけでも、見定める必要がある。市庁舎に向かい、人質がいるだのなんだの脅して金品を要求するのかもしれない。たった二人のバスジャック犯だ。隙は必ず出来るはずだ。
「じゃあ、これからが本番です」
――本番。何のだろうか。
バスジャックは既に行われている。だが、まだ目的地らしき場所にはついていない。
短い会話が終わる。バスを運転している方からナイフが手渡された。
「頼んだぞ」
どこか決意がこもった声に、備吾は眉をひそめる。この場合の決意など、良いことであるはずがない。




