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怪物たちの再三たる事件簿  作者: 白川ちさと
羽化せし乙女編

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11. 羽化せし乙女 その2



 蝶子は大学生時代、居酒屋でバイトをしていた。あまり治安のいい場所にはなかった。深酒した酔っ払い達は性質が悪い。


 当時は太っていて、動きも鈍く、覚えも悪かった。だから、散々からかわれたし、嫌がらせもされた。いつも硬く背を丸めて、自信もない。


 けれど、それも一時的なものだ。蝶子はさなぎになって身を固めていたのだ。大学卒業前に、貯めていた資金で全身整形をした。細くて引き締まった身体に、シャープなあご。そして何より二重まぶたの大きな瞳。


 あまりにも別人になりすぎた。大学卒業と同時に都会に出る。スマートな細身のスーツは安物でもオーダーメイドで作られたかのようで、ビルの間を歩くだけで胸が躍った。


 順風満帆な生活が待っていると、蝶子は信じて疑わなかった。だけど、聞いてしまったのだ。


「猪山さん、あの顔だけクズ男の誘い受けたんだって」


「相変わらず手の早い。前に貢がせていた子、病んで退職したばっかじゃん」


「とういか、教えてやればいいのに」


 トイレの洗面台の前で、三人のOLが会話している。蝶子は入口の影で、立ち聞きしていた。


「猪山さんって、綺麗だからって鼻にかけているじゃん。ちょっとくらい痛い目見た方がいいでしょ」


 鈍器で頭を殴られたかのようにクラクラする。芋虫だった頃の蝶子と同じことを言われたからだ。おかしい。暗い家への道を俯いて歩く。


 自分は蝶になったはずだ。それなのに、どうして上手くいかないのだろう。ふらふらとしていると足をひねった。思い切り転んでしまう。膝も痛いし、お気に入りのはずのスカートも汚れてしまった。後ろを振り返ると、ヒールが折れていた。


 散々な格好に、じんわりと涙がたまる。


「……どうして、私ばかり」


「大丈夫ですか?」


 振り返ると、知らない男性が立っていた。仁良だ。膝が汚れることもいとわず、片足をついている。まるで、どこかの王子かと錯覚した。蝶子は顔をそらして、頬を染める。


「だ、大丈夫です……。ちょっと転んだだけなので」


「ちょっとと言っても、転んだら誰でも痛いはずですよ。良ければ自分に掴まってください」


 微笑む仁良に、さらに吸い寄せられるような心地だった。


 こんなに優しい人なら、自分を受け入れてくれるだろう。そう思った瞬間から、蝶子は仁良のことを調べることにのめり込んでいった。


 分かれば分かるほど、確信に変わっていく。きっと自分を姿だけでなく、理想の自分にしてくれるに違いない。もちろん自然を装って、近づかなくてはいけない。


 例え、どんな嘘をついてでもいい。既に姿は偽っているのだ。今更だ。






 それなのに、どうして邪魔ばかりが入るのだろう。


 小椋探偵事務所で説明を終えると、三人で街へと繰り出した。蝶子と備吾が並んで歩き、後ろから仁良が周りを警戒している。三人とも沈黙していた。


 本来の計画なら、仁良と並んで歩いていたはずなのに。横目で備吾を見て、小声で話しかける。


「あの、私が仁良さんのことを調べていることを知って、先回りして調べていたんですよね。どうして邪魔をするんですか。仁良さんには言わないで……」


 理由は分かっているが、どうしても備吾に問いたかった。


「俺は小説を書いているんだ」


 質問の答えに全くなっていない。けれど、この男が小説を書いているというのは意外な気がした。


「小説ってのはさ。結局は読む人間にとっては幻想なんだ。いくら現実が舞台だっつっても、到底自分の身に起こることのないことばかり。所詮は幻想」


 言いたいことが分かって来た。


「幻想を見せて、一時でも辛い現実を忘れさせんのが俺の仕事だ。そもそも愛や恋っていうのは、そういうもんだ。人間は幻想に捕らえられて、相手を好きになる。執着する。愚かな生きもんだろ?」


「さっきから何ですか? よほど私の気持ちを否定したみたいですけど」


「別に否定するつもりはないさ。仁良は優しいからな。まあ、好きになるのも分かる」


「だったら」


「だが、お前は嘘をついてまで近づいただろう。それは幻想ですらない偽りだ。その後はどうするつもりだった」


「……どう?」


 蝶子は間をおいて考え込む。仁良に近づいて、親しくなって、その後は二人だけの世界で過ごす。誰も近づけたくない。もちろん、花屋の女などもってのほかだ。


「当然、仁良が自分のものになると思っていただろう?」


「そういう、わけでは……」


 言い当てられて、頬が朱に染まる蝶子。


「幻想だろうがなんだろうが、本人たちが楽しむだけで、誰も傷つけなければそれでいい。だが……」


 足を止める備吾。蝶子が振り返ると、備吾と目が合う。時間が止まったかのように、周りの音が聞こえなくなる。


「お前は違うだろ」


「私は、誰も」


 傷つけていない。だけど、この先も本当にそう言えるのだろうか。


「分かっているだろ。自分の内側のもんが。そんな奴の理想なんて叶わねーよ」


「わ、私だって幸せになる権利があるでしょ⁉」


 最後の抵抗だった。幸せになるために必死に努力したのだ。突然、叫んだ蝶子の元に仁良が何事かと駆け寄ってくる。それでも、視線は備吾に向けられていた。


 備吾が後頭部をかき、息を吐く。


「あんだろうけど、理想つうのは身の丈に合わせるから叶うもんだろ? 何があったかしらないが、お前ぐらいの女、五万といるぞ。お前には、もっと別の満たされた人生があるはずだ」


 備吾はひとり歩いていく。蝶子は仁良に声を掛けられても、その後ろ姿をぼんやりと見つめていた。

 



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