焼花-ショウカ-
「花笑みって知ってる?」
突然、そんな事を聞く俺に彼女はキョトンとした顔で「花笑み?なにそれ?」と首を傾げた。
「咲いた花のような華やかな笑顔、らしいよ」
彼女は俺がそんな事を言うのが意外だったのか、しばらく目を瞬かせてから「へー」と頷く。それからクスクスと小さく笑い「なんで突然その話をしたの?」と聞いてくる。彼女が笑う時、細めた目が垂れてより一層、柔らかな表情になる。その表情が俺は好きだ。
「その言葉を知った時、君のことが頭をよぎったから。ガイ、ハナエミ……ね?」
本当の発音はガイハナ、エミだけど咲いた花のような笑顔と言われて思い浮かぶのは君しかいなかった。
彼女は「へーそう」と答えながら頬を染めて視線を逸らした。
それから、その言葉がきっかけになったのかは知らないけれど高校二年の終わり頃に彼女と俺は付き合いだした。
三年に上がり受験が控える中で校外ホームルームという名の高校生版遠足が行われた。レクレーションを終え自由時間になりクラスでそれぞれのグループごとに分かれ昼食を食べる中で俺たちは原っぱに彼女の持ってきてくれた小さなレジャーシートを広げ体を寄せ合い座った。
彼女が俺の足の間に入り、後頭部を俺の首元に置く。黒髪のサラサラとしたショートヘアから優しく甘い花のような香りがして鼻孔をくすぐる。
俺は弁当を食べようと手を前に伸ばす。すると彼女に「邪魔」と手で弾かれた。
「食べずらいよ」
「食べさせてあげるから。はい、あーん」
差し出されたご飯を口で受け取りつつ周りを見渡す。幸いクラスメイトからかなり離れていたからか、俺の小っ恥ずかしい姿は見られずに済んだ。
美味しい?うん。そんなやりとりをしながら互いの顔を見つめ微笑み合っていると春のまだ少し寒い風が二人の間を通っていった。
「これ、押し花にして参考書に挟む栞にしようよ」
昼食を終え、立ち上がった彼女が見ている視線の先を見ると白い糸のような沢山の花びらに囲まれ真ん中に黄色の丸い山がある花だった。調べてみるとハルジオンと言うらしい。
それから学校を終え彼女の家に向かうと本当に押し花を作り出した。彼女の行動力にはいつも驚かされてばかりだ。その作った栞は俺にくれた。
高校卒業、進学した俺と就職した彼女は卒業する時も変わらず仲が良かったので彼女の一人暮らしを機に同棲を始めた。
生活リズムは全然違うけれど、それでもなんとか夜だけ空いていたので映画デートだったり、朝の講義までの時間に部屋に飾るための花を買いに出かけたりと、半年ほどは楽しくやれていた。
でも、布に空いた穴が少しずつ裂けていくように、少しずつ俺たちの気持ちは食い違っていった。半年に一回くらいだった喧嘩は同棲を始めて一年経つ頃には週一回に変わってしまっていた。
そんなある日の夜、彼女の溜まっていた不満が爆発して大げんかになってしまう。
「朝早くからドタバタしすぎ!」
「遠いんだし仕方ないじゃん。ここに住んでるんだからさ」
講義を受ける所がここから一時間かかる場所だとは知らずに選んでしまったせいで俺は朝六時には起きて準備をしないといけない。そのことが遅くまで仕事をして帰って寝ている彼女をイラつかせていた。
「いっつもそう!こっちは寝不足なのに、自分勝手過ぎ!もうちょっと私のことを考えてよ!」
「考えてるって」
「違うよ。なんで…こう!わかってくれないわけ!?」
声を荒げる彼女に俺は思わずカッとなり「じゃあどうすればいいか言えよ!」と怒鳴る。その瞬間、彼女の手が動き俺の頬を打った。あまりに突然のことで近くの本棚に手をつく。その拍子に乗っていた花の入った花瓶が落ちてけたたましい音をたてて散った。彼女は泣きながら寝室へ向かい、俺は追う気力も片づける気力も無かったのでその日はソファで寝た。
それからも同棲は続き、たまに話せば昔みたいに笑いあえてたりもしたが…
久々に本棚の後ろを掃除している時、あの日落ちたままになってカビた花を見つけた。白い埃みたいなものが花の上で山になり、その周りを青緑色のカビが覆っている。
(これが摘まれた花の最後…か)
立ち上がり、読みかけの本を一冊を開く。そこに挟んでいたあの日彼女がくれた花の栞を照明に掲げ目を細めた。
その日の夜。俺は彼女と話し合い「笑い合える記憶のうちに」と別れた。
俺はタバコを吸いに灰皿を持ってベランダに向かう。彼女と別れて半年、一人暮らしにもだいぶ慣れた。ふと、立ち止まり本棚から飛び出していた本を拾いあげる。
(あ)
ポトリとその本から落ちてきたのは彼女のくれた栞だった。懐かしい、と笑いあったあの日を思い出す。ツーッと涙が頬を滑り落ち鼻を啜る。
(いつまで引きずってんだ)
そう自嘲的に笑った時、電話がかかってきた。見るとサークルの先輩だ。
「今、みんなで飲んでるから来ない?」
「いきます!」
その後、通話を切って
(またね、ありがとう)
俺は栞にタバコを押し付け火を消した。