十字路に棲む女霊 5
「あ、でも狭間さん……」
「ん?」
「俺、あまりその……金が無いんですけど……」
なかなか切り出せなかった事を俺が訊くと。
「その事か、心配するな。ちゃんと考えてやるからよ。まずは生き延びる事を最優先にするんだ」
そんなありがたい事を狭間さんは言ってくれた。が、なんだろうか、この其処は彼とない不安は。
通常。
依頼契約が結ばれたこういう時って、料金体系とか契約内容を話すもんじゃないのか?
どうにも先延ばしにされてることが、すっごい不安だけども後で聞くしかないようで。
「はい、ありがとうございます」
と、一応の礼をする。
「とにかく。この山川の書き込みを雛形とすると、涼、お前に残された時間はあと三十一時間とちょっとだ。この時間以内になんとかしねぇと」
狭間さんが壁掛け時計を見て言った。
俺の右上の壁に架けられた黒い縁の時計は、十一時半を過ぎようとしていた。
学校を出てから二時間以上も経ってるのか……。
カチ…カチ……カチ……。
壁掛け時計の秒針が、規則的にを鳴らす。
カチカチ……カチ……カチ………カチ。
俺の頭の中の奇妙な音も、便乗してうるさく鳴る。
『あ……あれ……?』
時計の針に違和感……。
じゃない。
俺の頭の中でカチカチ鳴っている音。
こいつに違和感を覚えた。
「狭間さん……」
「ん? どした?」
「頭の中で鳴ってる音があるんですけど」
「あぁ。カチカチって音か」
「えぇ。俺、この音って時計が刻む音だと思ってたんです。けど、実際の時計と比べるとそのテンポがズレてるようで……」
「じゃあ秒針じゃなくて、一体、何の音かわからねぇってことか。だがまぁ、何らかの重要なメッセージには違いないだろう。それは、そうと……」
「はい?」
「お前に今、取り憑いてる人が誰か。それを特定しないとな」
狭間さんよその一言でゾクっとした。
今の俺にとって、なんておっそろしい言葉の響きだろう。
分からない人が、俺の近くにずっといる。
ヤバ……後ろとか見たくない。
いやいやいや無理。怖いの遮断。
「狭間さん。それは知らないまま、そっとしておいた方がいいと思います……」
「……何でだよ。知らなきゃ解決できねぇだろ。今、ただでさえ情報が少ないんだぞ」
正論……。
俺の言ってる事は「ガスが漏れているみたいだけど、あまりに臭いから、換気するだけにして難を逃れたいです」と、言っているようなものだろう。
でも、こすっからいやり方でも、なんでもいいから怖い思いをしたくないっす……。
「……まぁ、なんとなく特定は出来たんだがな」
「……はい?」
特定……できちゃったんですか。そんなあっさりと……。
さっき、分からないままは怖いって言ったけど、やっぱり分かるのも怖いな。
「人を呪う……こういう言い方はしたく無ぇが、あの広尾一丁目の十字路で地縛霊になるような他殺、および死亡事故を確認したら一件だけだった。この一ヶ月前後だとな」
「……え、と。あの……どんなお方でしょう?」
「交通事故で死亡した二十七歳の女性。ってことしかまだ分からねぇが……十中八九は……」
「き、きっと! すんごく綺麗な! かわいいお方でしたよ! 分かるんです俺には!」
全力で称賛すれば、少しでも怖いオコナイをやめてくれるはず。
「お……おぉ……。きっとそうだろうな。ま、まぁとりあえず、だ。整理すると、まずその女性は中之中高校の男子生徒に恨みがあるのが一つ。それ以外の人間は犠牲になってないからな……。それと、そのカチカチって音だ。それがなんなのか。そして、取り憑かれた人間はその後、約四十六時間前後で死んでる。この時間も何か関係があるはずだ。このどれもが、憑依騒ぎで炎上した中之中高校、三人の被害者に共通する……」
「……なるほど、なるほど」
俺がそうウンウンと頷いたら。
「おい……首を回して周囲ばっかり警戒するんじゃなくて、ちゃんと聞けよ。まぁいい……。とにかくもっと調べないと話になんねぇ。だから……」
現実の恐怖と真正面から向き合う事を、ちょっぴりだけ躊躇う俺に、狭間さんはそう言って少しだけ……ほんの少しだけ、家畜を見下ろすような目をした。気がする。
「あの人なら何か知ってるかもしれねぇ。ついて来てくれ」
と言って、部屋の外へと促した。
カチカチ……カチ……カチ…………カチ。
――――――――――――◇―――――――――――――――
二人揃って廊下に出ると、一つ部屋を跨いだ二部屋隣の前に立った。
またその部屋も、狭間さんの相談所みたく、すりガラスに会社名が書かれていた。
”総合リサーチちくばの友”
とあった。
「ここ探偵事務所なんだよ。おーい、智巳さん、いるかい?」
狭間さんがそう呼びかけると。
「はーい?」
部屋の向こうから間延びした声が聞こえて、すぐにドアが開いた。
しかし、霊と呪術相談所に探偵事務所……。
なんてアパートだ。
「え……」
ドアの向こうにいたのは、男性、女性と判別しがたいなんとも中性的な人だった。
長身で細身。
腰近くまで伸ばした長いサラッサラの髪に、温和そうな笑みを含んだ目元。
少女漫画から出てきました、みたいな人だ。
そんな人の部屋着は、目のやり場に困るシースルーな白いニット。
この人が……探偵……。
♂ ♀……あんさーぷりーず……。
「びっくりするだろ? 涼。見た目こんな人だけど、性別、性格共にバッキバキの男だからよ」
「え……? あ、そうなんですか……」
「勘違いされてよく男に告白されます。勝丸 智巳です、よろしくね。この子は親戚かい? 狭間君」
勝丸さんは、ニコッと柔らかな笑顔で小首を傾げた。
「いや、実は依頼人なんだよ」
「へぇぇ……学生さん?」
「あ……山咲……涼と申します」
俺も極力、慇懃に深く頭を下げた。
「俺もよかったら協力するよ?」
「……見ての通り未成年なんだ。言っておくけど、金は無い」
「ふーん……。よっぽどの事情があるんだろうね」
「あぁ。さっさと解決しないと、この涼は死ぬ」
狭間さんの言葉に、勝丸さんは少しキョトンとして。
「そっか……なるほど。そりゃプライバシーに関わる事情は安易に話せないよね。ごめんよ」
そう笑顔でお詫びする。
話をはぐらかされたと思ったんだろう。
「………………………………………」
そんな勝丸さんに、狭間さんが無表情のまま、顔を硬直させている。
「え? まさか本当かい?」
「そうなんだ。広尾で少し話が出てる、十字路の霊ってのに憑かれてな」
「広尾? 広尾のどこ?」
「一丁目だ。閑静な住宅街の一角で……」
「そこってもしかして……少し前に人身事故があった所かい?」
勝丸さんの言葉に狭間さんと俺は顔を見合わせた。
「やっぱり智巳さんだ。知ってる事を是非教えてほしい」
狭間さんが食い入って問いかけると。
「いや、まぁ……知ってるってほどじゃないけどね?」
「なんでもいい。全部話してくれるか」
「んーと……婚約者がいた二十七歳の女性が、車にはねられて昏睡状態になって……確か二日後に亡くなった……ぐらいの事しか今は思い出せないけど」
「二日後? 病院で昏睡状態だったのか……」
狭間さんとまた視線が合う。
取り憑かれた者は、四十六時間の後に殺される。
その解答を今の勝丸さんの話で得た。
被害者が昏睡状態となっていた時間だ。
同じ苦しみを与えようとしているのだろう。
「もしよかったらちゃんと調べるよ? 中で待つかい?」
勝丸さんが自室を指して、招き入れようとしてくれた。
「いや、ありがとう智巳さん。今からすぐに行く所を思いついた。帰ってから是非、聞かせて欲しい」
行く所?
まさか………。
「涼。その十字路に一緒に行ってもらうぞ」
えぇぇ……………。
ウッソ…………………。
「話が見えたよ。山咲君、その被害者に憑かれてるんだね。ちょっとだけ待っててくれるかい」
勝丸さんがそう言って、一旦、自室に戻るとすぐに顔を出して。
「これ。ちょっと前のだけど、気休めにはなるだろうから持って行って」
俺に小さな巾着型のお守りを渡してくれた。
しかも厄除けのお守りだ。
赤い組紐ストラップ付きで、カバンにも掛けられそうだ。
「あ、ありがとうございます。いいんですか?」
「うん、もちろん。無事を祈ってるよ。色々と調べておくからね」
また一層、柔和な笑顔で差し出してくれたお守りを、ちょっとぎこちなく受け取った。
その刹那だった。
ブツッ………。
などと音がした。
太い物、例えばロープなんかが切れる音ってこんな音を出すよねぇ……な、音が聞こえた。
見ると、お守りに結ばれている、頑丈なはずの組紐が、ブッッッツリと切れていた。
俺の手には組紐の残骸……。
「うわぉ……。筋金入りだねぇ……」
「組紐って切れるんだな……」
廊下に落下したお守りに、勝丸さんと狭間さんがそんな事を呟いた。